旅行・温泉

2019年11月 7日 (木)

「スターウォーズ展」 (品川区天王洲アイル)

浅草のホテルに一泊した翌日は、かみさんと浅草寺あたりを散策した後、別行動になりました。スターウォーズにはほとんど興味がないかみさんは、上野の東京都美術館で開催している 「コートールド美術館展ー魅惑の印象派ー」 を見に行き、スターウォーズ大好きのわたくしは、品川区天王洲アイルでやっているスターウォーズ展を見に行くことになりました。

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入り口にて。料金は 3,500円とちょっと高いです。やれやれ(笑)

今回のスターウォーズ史上最大規模の展示品は、一括してロサンゼルスに建設中のルーカス・ミュージアム・オヴ・ナラティヴ・アート (ジョージ・ルーカスの美術館) に収蔵されるため、日本では最後の展示会になるそうです。スターウォーズシリーズの最後の映画「エピソード9」が公開されるタイミングなので是非見に行きたいと思っていました。

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今回のスターウォーズ展では一貫して「アイデンディティ」に焦点が当てられています。正式名称が「スター・ウォーズ アイデンティティーズ、ザ・エキシビション」なので当然と言えば当然なのですが・・・・・かなり心理学的要素が強すぎて主人公たちのようにある種の精神医学的障害の一種になりそうでした。(笑)

入館するとIDブレスレットを渡されます。これこそ今回の展示会のテーマです?? あちこちに設置されたインタラクティブ・スペースで質問に答え このブレスレットをタッチすると、最終的に自分オリジナルのキャラクターが完成するという、なんだかよく解らないものでした。(笑)

『世界中で200万人以上を魅了してきた 「スター・ウォーズ」 の大展覧会が、日本に上陸!!間近に迫る貴重な展示品の数々に、映画の感動と興奮がよみがえる。「スター・ウォーズ」史上最大規模の展覧会、ついに開幕!1978年の映画日本初公開から、41年――。本年12月に公開される最新作で、スカイウォーカー家をめぐる物語 「スター・ウォーズ」 がついに完結します。この歴史的なタイミングを前に現在開催されているのが、「スター・ウォーズ アイデンティティーズ」 です。本展には、映画で実際に俳優たちが着用した衣裳や、作中で使用された小道具、模型、キャラクターの設定を決めるために描かれたコンセプト・アートなど、制作過程を辿れる貴重な展示品が約200点ものボリュームで展示されます。また、これらの展示品は今後、ロサンゼルスに設立されるLucasfilm museumに収蔵されるためこれだけの規模の展示品を見ることができるのは、日本では最後の機会となります。』

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ミレニアム・ファルコン!! いやー、素晴らしい!!

カリフォルニアのディズニーランドにオープンした映画 「スターウォーズ」 をテーマにした大型エリア 「スターウォーズ、ギャラクシーズ、エッジ」 には、なんと実物大の (本物の) ミレニアムファルコンがあります。さらに、フロリダのディズニーランドには、スターウォーズ・ホテルもオープン予定です。いやー、羨ましいかぎりです。東京ディズニーランドにも、近い将来できないですかね?(笑)

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「C-3PO」と「R2-D2」のドロイドコンビ、もちろん映画で使われたホンモノです!

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銀河帝国の悪の化身ダース・ベイダー (アナキン・スカイウォーカー)

スターウォーズ エピソード1~3は、ダース・ベイダー誕生の物語でした。

PR動画です。見てください。

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2019年11月 4日 (月)

東京国立博物館「正倉院展」 (台東区上野)

10月下旬、かみさんと一泊二日で東京に行ってきました。埼玉県の朝霞市で用事を済ませてから東武東上線で池袋に行き昼飯を食べたあと、上野の東京国立博物館で開催している正倉院展を見てきました。1300年という時空を超えてなお輝き続ける宝物の美しさに大感動しました。素晴らしい!!

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なんと、平日にもかかわらず入館40分待ちという長蛇の列ができていました。人気の高さがうかがえます。やれやれ(笑)

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御即位記念特別展 正倉院の世界—皇室がまもり伝えた美— !

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正倉院展のパンフレット

『正倉院は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている』

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前期の目玉は、8世紀に造られた古代西域の工芸美術の最高傑作で唯一現存する「螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」です。もちろんこれはレプカです。レプリカといっても本物と同じように作られました。時空を超えた緻密で華麗な装飾に息をのむ!! 感動ものです。皆さんも是非見に行って下さい。 本物はすべてが撮影禁止だったため、この辺くらいしか撮影できませんでした。(涙)  

最新技術を駆使した修復作業やレプリカ制作過程の緻密な紹介映像にも興味をそそられました。

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ここ最後の展示室では、一部原寸大で再現された正倉院宝庫やレプリカの琵琶などが見ることができます。なんと、ここだけが撮影可でした。やれやれ(笑)

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『皇室が守り伝えた悠久の美、正倉院の至宝と法隆寺献納宝物の代表作を、前期・後期で大幅に作品を入替えて披露する、正に令和元年ならではの特別展』 

60代~70代,80代のシニアを中心に大盛況でした。

 

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2019年8月 2日 (金)

岩宿遺跡 (群馬県みどり市)

中学生の頃からあこがれていた群馬県の「岩宿遺跡」にやっと行くことができました。感激しました。良かったです。

岩宿遺跡は、日本列島に縄文時代より前の文化が存在することを科学的に証明した歴史学上最も重要な遺跡です。

歴史の教科書には必ず載っている遺跡でもあります。

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「岩宿遺跡」 地元のアマチュア考古学者だった相沢忠洋さんが初めて旧石器を発見したところ。昭和24年、明治大学考古学研究所によって初めて発掘調査が行われ、関東ローム層の中から多数の旧石器が発掘された。

民間の考古学研究者に対して与えられる「藤森栄一賞」の 藤森栄一さんは、著書「旧石器の狩人」でこのように書いてます。

「"赤土にきらめくもの"   終戦直後の昏迷は、学会も同じに、なお続いていた。 そのころ、赤石原人の騒ぎとはまったくかけ離れた群馬の赤城山の麓で、ささやかでわびしい研究が、流砂の上を這う地虫のように続けられていた。   (中略)   新田郡近在の農家をまわったあと彼 (相沢忠洋さん) は、重い足を引きずって桐生へ帰ってきた。空腹だった。   (中略)    間もなく落ちようとする夕日の激しい灼けるような陽射しに、その岩宿へ出る坂で、とうとう一息ということになった。その上り道は、笠懸村の鹿川部落を過ぎて、沢田村からのぼるる稲荷山の切通であった。   (中略)   両側に迫った赤土の崖は、ちょうど、その熱風の通路のようなものであった。彼はその熱気を避けるために崖の上に生えている楢林の木陰へ入ろうとした。その瞬間、夕日を真向かいに受けた赤土の中に、キラッときらめくものがあった。鋭い一べつで、それが黒曜石の剥片であることがすぐに分かった。   (中略)   しめたこれで細石器をつかまえたと、その細石器の位置を見失わないようにしながら、その周りの地層を観察した。もちろん、その細石器に伴っているはずの土器片をさがしてである。しかし、土器片はとうとうみつからなかった。

"赤城山麓にきっとある"   そうしたわけで相沢さんの岩宿通いが始まった。幾度だったか分からない。山麓と桐生市の通路の中間なのだから、毎日といったほうがいいかもしれない。昭和22年には、赤土層出土の石片や石器の資料は八個になった。それなのにいくら歩いて探しまわっても、そこには縄文早期の土器は一辺もなかった。   (中略)   どうしてなんだろう?なぜなんだろう?なぜ土器がないのだろう?相沢さんは、この頃になって、自分は途方もない、えらいことを考えつつあるのかもしれないという気がしだしたと言っている。誰か理解者がほしくなってきた。・・・・・」

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「岩宿ドーム」(遺構保護観察施設) ここでは地層の観察や当時の自然環境、岩宿時代の人々の生活の様子を映像で見ることができる。

「岩宿ドーム」は、道路を挟んで岩宿遺跡の碑の向かい側にある。ここが、相沢さんが毎日通って旧石器を採集した「両側に迫った赤土の崖のあった稲荷山の切通の道」である。 いや~ すごく感激しました。我を忘れて、しばしたたずんでいました。(笑)

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岩宿遺跡のすぐ近くにある「岩宿博物館」 曇っていなければ赤城山が遠望できるのですが・・・残念!

「日本列島に旧石器時代は存在しない!!」 というそれまでの学説をくつがえした岩宿遺跡出土の旧石器は、ここに展示されています。

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岩宿遺跡のB地点 (岩宿ドームのあたり) からはぎ取った関東ローム層。約25,000年前~35,000年前の地層。いわゆる岩宿文化時代の地層である。

 

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2019年7月30日 (火)

世界遺産 富岡製糸場 (群馬県富岡市)

先週、所用で群馬県に行ったついでに、時間がとれたので世界遺産の富岡製糸場と岩宿遺跡を駆け足で巡ってきました。  富岡製糸場は、「世界遺産になったから行ってみるか!」という単純な理由で訪問しました。あまり期待していなかったのですが、非常に良い意味で期待を裏切られました。(笑)  良かったです。
工場関係の建物だけでなく、首長館(ブリュナ館)や寄宿舎、寮なども保存されているので、どのような環境だったのかがイメージしやすくて良かったです。 まるで明治時代にタイムスリップした気分になる。素晴らしい!お奨めです。

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富岡製糸場正面入り口。

富岡製糸場が建設されたのは明治5年(1872年)。平成18年(2006年)に国の重要文化財に指定、平成26年(2014年)には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

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国宝に指定されている「東繭置所」、壁に煉瓦を用いた「フランス式の木骨煉瓦造」が美しい! 

長さが105メートル、高さ15メートル、幅が12メートルもあるとのこと。圧巻です。

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国宝「東繭置所」の二階部分。一階は、シルクギャラリー、展示コーナー、体験・実演コーナー、売店などになっている。

国宝には、三棟の建物が指定されている。なんと、群馬県初の国宝だそうです。 

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国宝に指定されている「操糸所」

繭から生糸を取る作業が行われていた場所で、当時は世界最大級の工場だったとのこと。見ごたえがあります。

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ユネスコの世界遺産登録記念銘

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2019年7月 6日 (土)

義経寺 (青森県外ヶ浜町 旧三厩村)

義経寺(ぎけいじ)は、三厩(みんまや)漁港を見下ろす高台に建っている。 明治元年に、三厩の地に残る義経伝説にちなんで「義経寺」と呼ばれるようになったそうです。

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義経寺、津軽三十三霊場の19番目。  

義経主従は、蝦夷が島(北海道)に渡る際この寺に滞在したという・・・・

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義経寺からの展望。三厩湾が一望できる。

石段を登ってトップまで行くには一汗かきますが、展望がすこぶる良いので苦労が報われます。

この寺にたたずんで津軽海峡を眺めていると、義経主従は本当に北海道に渡ったのではないか!!と思えてくるから不思議です。まあ、さらに大陸に渡ってジンギスカンになったなんてのは荒唐無稽な話なんですが・・・(笑)

太宰の小説「津軽」には、義経寺ことが詳しく書いてあります。

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『「登つて見ようか。」N君は、義経寺ぎけいじの石の鳥居の前で立ちどまつた。松前の何某といふ鳥居の寄進者の名が、その鳥居の柱に刻み込まれてゐた。「うん。」私たちはその石の鳥居をくぐつて、石の段々を登つた。頂上まで、かなりあつた。石段の両側の樹々の梢から雨のしづくが落ちて来る。「これか。」石段を登り切つた小山の頂上には、古ぼけた堂屋が立つてゐる。堂の扉には、笹竜胆ささりんだうの源家の紋が附いてゐる。私はなぜだか、ひどくにがにがしい気持で、「これか。」と、また言つた。「これだ。」N君は間抜けた声で答へた。むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。れいの「東遊記」で紹介せられてゐるのは、この寺である。私たちは無言で石段を降りた。「ほら、この石段のところどころに、くぼみがあるだらう? 弁慶の足あとだとか、義経の馬の足あとだとか、何だとかいふ話だ。」N君はさう言つて、力無く笑つた。私は信じたいと思つたが、駄目であつた。鳥居を出たところに岩がある。東遊記にまた曰く、「波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋みまやと称するなりとぞ。」私たちはその巨石の前を、ことさらに急いで通り過ぎた。故郷のこのやうな伝説は、奇妙に恥づかしいものである』 (太宰治 「津軽」より)

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「堂の扉には、笹竜胆ささりんだう)ゅ源家の紋が附いてゐる。」とは、これである。

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義経主従は、義経寺前の浜から蝦夷が島(北海道)に渡ったという・・・・・

今は「義経海浜公園」として整備されている。

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2019年7月 5日 (金)

竜飛崎 (青森県外ヶ浜町)

今回の旅の最大の目的地竜飛崎にやっとたどり着きました。天候にも恵まれ、北海道をまじかに見ることができました。良かったです。

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竜飛崎から望む。

竜飛崎付近は標高100メートル前後の高台になっていて大地の東側からは、竜飛漁港やその向こう側に北海道の山やみが大きく一望できる。

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津軽国定公園竜飛崎にある「津軽海峡冬景色」の歌碑。歌碑の前のボタンを押すと

「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけさよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色・・・・・」

と石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が大音響で流れます。(笑)

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国道339号線、通称「階段国道」  この国道を100メートルくらい下っていくと竜飛漁港にでる。

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竜飛漁港、竜飛の集落。 高台に見える建物が「ホテル竜飛」。ここから300メートルくらい行ったところに太宰の文学碑がある。

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竜飛漁港にある太宰の文学碑。

太宰治をして「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて道はない。ここは本州の袋小路だ。」と言わせた漁村である。現在でもその面影は失われいてないようだ。やれやれ。

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『「竜飛だ。」とN君が、変つた調子で言つた。
「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。』  (太宰治 「津軽」より)

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太宰が一泊した本州最北の宿、旧奥谷旅館。今は竜飛崎の案内所になっている。 

数日を要した太宰の津軽の旅は、毎日が宴会、酒びたりの旅だったようです。(笑)

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「露路をとほつて私たちは旅館(奥谷旅館)に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど小綺麗で、さうして普請も決して薄つぺらでない。まづ、どてらに着換へて、私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて坐り、やつと、どうやら、人心地を取かへした。「ええと、お酒はありますか。」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答へは、案外であつた。「へえ、ございます。」おもながの、上品な婆さんである。さう答へて、平然としてゐる。N君は苦笑して、「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」「どうぞ、ナンボでも。」と言つて微笑んでゐる。

(中略)

六本のお酒が、またたく間に無くなつた。
「もう無くなつた。」私は驚いた。「ばかに早いね。早すぎるよ。」
 「そんなに飲んだかね。」とN君も、いぶかしさうな顔をして、からのお銚子を一本づつ振つて見て、「無い。何せ寒かつたもので、無我夢中で飲んだらしいね。」「どのお銚子にも、こぼれるくらゐ一ぱいお酒がはひつてゐたんだぜ。こんなに早く飲んでしまつて、もう六本なんて言つたら、お婆さんは僕たちを化物ぢやないかと思つて警戒するかも知れない。つまらぬ恐怖心を起させて、もうお酒はかんべんして下さいなどと言はれてもいけないから、ここは、持参の酒をお燗して飲んで、少し間まをもたせて、それから、もう六本ばかりと言つたはうがよい。今夜は、この本州の北端の宿で、一つ飲み明かさうぢやないか。」と、へんな策略を案出したのが失敗の基であつた。」 (太宰治 「津軽」より)

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竜飛崎の先端付近。 先端付近からは、津軽海峡を挟んで、竜飛崎灯台、北海道の山並みが大きくみえる。

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同じく竜飛崎先端付近からの眺め。 南の日本海側に目を向けると、岩礁と岬を交錯させた竜飛裏海岸と小泊岬まで一望できる。

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2019年7月 4日 (木)

亀ヶ岡遺跡・十三湖 (青森県つがる市)

新青森駅からレンタカーで、斜陽館→木造駅→亀ヶ岡遺跡→十三湖→竜飛岬→義経寺→蟹田→新青森駅と津軽半島をほぼ一周してきました。太宰治の小説「津軽」のコースの逆コースです。約200キロ! けっこう強行軍でした。(笑)

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JR木造駅の巨大な遮光器土偶、通称「しゃこちゃん」(笑) いやー、まじかで見るとすごいです。圧倒的な存在感。巨大です。この土偶は、東京国立博物館に所蔵されていて重要文化財になっています。左足がついていたら間違いなく国宝になっていたでしょう。

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亀ヶ岡遺跡の説明板。 

亀ヶ岡遺跡は、およそ12,000年続いた縄文時代の晩期(3,000年~2,300年前)にあたる遺跡です。ここからは、工芸品ともいえる大量の漆器が出土して注目を集めました。この辺りは、当時の日本で最も栄えた文化・亀ヶ岡文化の中心地だったようです。 ちなみに、ここは中学生のころから行ってみたいと思ってたところでした。やっと、行くことができました。良かったです。

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亀ヶ岡遺跡。

当時の北東北は、亀ヶ岡文化に象徴されるように日本で最も栄えたところでした。このあたりが、世紀の偽書と言われる「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)が書かれた遠因になっているのでしょう? 「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)では、アラハバキ民族・アラハバキ神=遮光器土偶「しゃこちゃん」になっていましたね。(笑)

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十三湖湖畔、元祖「しじみラーメン」の和歌山。 後方にみえるのが、太宰が小説「津軽」のなかで「人に捨てられた孤独の水たまりである」と書いた十三湖である。

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「やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて、さうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。」  (太宰治 「津軽」より)

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和歌山の元祖「しじみラーメン」。 大粒のしじみがたっぷり入っていて絶品でした。美味かったです。いわゆるシーフードラーメンよりは、遥かに美味いです。

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2019年7月 3日 (水)

太宰治記念館「斜陽館」(青森県五所川原市金木町)

先週、JR東日本の大人の休日俱楽部パスとレンタカーを使って、津軽半島を周ってきました。天候にも恵まれ最高の旅でした。

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明治40年、津軽の大地主・大富豪の津島源左衛門(太宰の父)が今の金額にして約10億円をかけて建築した入母屋造りの大豪邸である。 旅館「斜陽館」として営業していたものを町が買い取り1億円以上をかけて解体修復し、建築当時のままの姿によみがえらせたという。圧倒的な存在感。素晴らしい!!  まるでミニ岩崎邸である。(笑)

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内部の階段も豪華。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使っているという。

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津島家の仏壇。これも豪華絢爛!! ほとんど金色堂です。(笑)

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泉水を配した庭園。 太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである」と書いている。でも今は、国指定の重要文化になっている。太宰も喜んでいるでしょう?(笑)

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2019年1月30日 (水)

小野川温泉 やな川屋旅館 (山形県米沢市)

スキーもスノーボードもしないかみさんと、JR米沢駅で待ち合わせて小野川温泉の 「やな川屋旅館」 に一泊してきました。 

小野川温泉は、吾妻連峰に源をもつ大樽川沿いにあり、小高い山々に囲まれた静かで落ち着いた温泉です。 
小野川温泉には、「小野小町が秋田の父を尋ねる道中で、この温泉を発見した」 という伝説が残っているそうです。だから小野川温泉なのでしょう。
小野川温泉 「やな川屋旅館」 は こちらをどうぞ。

Img_40307「やな川屋旅館」
小野川温泉は、「美肌の湯」 として有名です。温泉1㎏中に100mg以上 「メタケイ酸」 が含まれていれば、美肌効果が高いと言われているそうですが、なんとここは、1㎏中に230mgの 「メタケイ酸」 が含まれているそうです。NHKの 「ためしてガッテン」 でも取り上げられたとのこと。すごいです。もちろん源泉掛け流しです。

Img_40267今回は奮発して米沢牛のすき焼きコースにしました。日本三大和牛のひとつにもなっているという米沢牛のすき焼きは美味かったです。素晴らしい!! ビールが進みます。(笑)-------------------------------------------------------------------------

Img_40287米沢名物 鯉の甘露煮と鯉の刺身。
いやーこちらも絶品でした。 鯉の刺身は、何となく泥臭いような感じがしていましたが、まったくそんなことはなかったです。岩魚の刺身のような感じで、淡泊で美味かったです。-----------------------

Img_40327小野川温泉の 「かまくら村」、 旅館のすぐ近くにあります。 米沢は豪雪地帯です。



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2018年11月18日 (日)

鳴子峡、10月下旬 (宮城県大崎市鳴子)

10月下旬にかみさんと行ってきました。平日で雨模様でしたが、大型観光バスや車が次々入ってきて、駐車場は満車状態、レストハウスの食堂は長蛇の列でした。 紅葉の鳴子峡はすさまじい!(笑)

Img_e38197鳴子峡、レストハウス側。
レストハウスから下まで降りて行くことができます。------------------------------------------------------------

Img_e38237鳴子峡、新緑と紅葉のころは絶景です。------------------------------------------------------------------------------------

Img_e38497荒雄川の支流大谷川の清流に沿って、約2.5キロ続く鳴子峡。両側は断崖絶壁の連続である。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Img_e38357ここで終了、行き止まりです。落石などがあったためこの先には進むことができません。残念です。----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Img_37987帰りに鳴子スキー場の近くにある潟沼に寄ってきました。火山の噴火でできた火口湖で強酸性の湖です。 冷たい雨の中、傘をさしてかみさんと潟沼を一周してきました。やれやれ。-----------------------------------------------------

Img_37877潟沼にて。
訪れる人も少なくひっそりとしていました。-----------------------------------------------------------------------

Img_38077斉藤茂吉の歌碑 

「みずうみの岸にせまりて 硫黄ふく煙のたつは一ところならず」

まさにこの歌の通りです。いたるところが湯気が立ち上り、硫黄臭漂う潟沼でした。場所によっては硫黄臭のキツイところもありました。

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