旅行・美術館・博物館

2025年5月12日 (月)

平城京跡 朱雀門広場 (奈良県奈良市)

同じく旅行2日目、唐招提寺を見学後、本日最後の目的地 平城京跡の「朱雀門広場」へ向かう。のんびり走って10分くらいで到着。今日回ったところは、全て駐車場が完備してあるので良かったです。駐車場を探す手間が省けたので助かりました。

平城京跡 朱雀門広場を見学後、今日の宿泊地 桜井市のルートインホテル桜井駅前に向かう。のんびり走って30分、ホテルには17時過ぎに到着。

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世界遺産 平城京跡 後方が 「朱雀門」    

『和銅3年 (710年) の遷都から70年あまりの間、奈良時代の都として栄えた平城京の中心遺跡。東西1.3キロ、南北1キロもの広大なエリアに、復元された壮麗な建築宮殿や資料館などが点在する。2018年に朱雀門の南側に平城京跡公園 「朱雀門広場」 が開園した。』 (パンフレットより)

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1998年に復元された「朱雀門」

平城京南端の羅城門から幅75メートルの朱雀大路を北に3.7キロ進むと、ここ平城京の正門・朱雀門に至るそうです。

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朝堂院跡から第一次太極殿方面 (北側)を望む  

左側の建物の中には、現在復元整備中の 「東楼」 があるそうです。

この広大なエリアは、中央区朝堂院と呼ばれ、中央の空間を挟み役人の執務関連の建物がずらりと並んでいました。平城京の中心部、平城宮の広さは南北約1000メートル、東西約1300メートル。とんでもない広さだと思いました。

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平城京跡 資料館

朱雀門広場から徒歩で5~6分で到着。昭和34年から現在も続く発掘調査など、奈良文化財研究所の研究成果を分かりやすく展示しいたます。

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資料館内部の様子

コンパクトにまとめられて展示してあるので、30分もあればじっくり見学できます。 役所と宮殿内部を実物大で再現したジオラマなどは見応えがありました。

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朱雀門広場の 「平城京いざない館」

ここは、かなり見応えがありました。絶対おすすめ!! 博物館と資料館が一緒になったような施設で展示コーナーが4つもあるので、じっくり観て回ると1時間以上かかります。 ボランティアのガイドさんがいたので、ガイドをお願いして観て回りました。非常に分かりやすい説明だったので 「なるほど!!」 の連続。 仙台近郊の多賀城との関係などの質問にも的確に答えてもらい よく理解できました。かなり勉強しているのでしょうね。 あと、平城京跡関連だけでなくて、地元 奈良の話をいろいろ聞くことがでたので楽しかったです。ガイドさんを頼んで良かったと思いました。

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「平城京のようす」

こちらコーナーでは、平城京全体の大型復元模型や大型プロジェクション映像を使って、平城京に入り込んだような空間を体験できます。まるで、1300年前の平城京にタイムスリップした感じ。見応えがありました。

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「時を超えて」

こちらのコーナーでは、「出土品と資料からよみとく奈良時代」 ということで、奈良文化財研究所による発掘調査で出土した遺物や資料などを紹介しています。

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「往時のいとなみ」

「貴族たちの宴 (うたげ) ・食事は、どんなものだったか?」   

天皇や貴族たちは、四季折々の食事や宴を楽しんでいたそうです。 「ハスの実入りご飯」、 「カモとセリの汁」、 「醤 (ひしお) 」、 「生牡蠣」、 「鹿肉の塩辛」、 「蘇 (そ) 」、 「干し蛸」 などなど、グルメの数々に驚きました。現代以上に豊かで豪華な食事だと思いました。 ちなみに、「醤 」とは、魚介類を塩漬けにして発酵させたもの。魚醬の元か?   「蘇」とは、 「古代のチーズ」 とも呼ばれているもので、牛乳を煮詰めて水分を飛ばして固めたものだそうです。ただ発酵させていないのでチーズとは違うものだと思いました。

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2025年5月10日 (土)

唐招提寺 (奈良県奈良市)

同じく旅行2日目、薬師寺を見学後、唐招提寺へと向かう。のんびり走って5分くらいで到着。 この辺りは車で5分~10分くらいの範囲に、世界遺産が点在しているの効率的に回ることができます。

『唐の高僧・鑑真和上が天平3年 (759年) に創建した寺院。日本に正式な戒律を伝えるために建立されました。国宝の金堂は唐様式の貴重な建築で、堂内には奈良時代の仏像が安置されています。講堂は平城京の東朝集殿を移築したもので、現存する唯一の宮殿遺構。1250年以上の歴史を持ち、日本の仏教伝来と発展を物語る寺院です。』 (パンフレットより)

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世界遺産 「唐招提寺」

井上靖の小説 『天平の甍 (いらか) 』 でも知られる唐の高僧、鑑真和上 (がんじんわじょう) が開いた寺院。

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国宝 「金堂」

現存する奈良時代の最大の建物で、当時の本格的な金堂の唯一の遺構。 歴史的も重要で大変貴重な建物です。迫力があって、しかも優雅で、屋根のラインが絶妙な素晴らしさです。ほれぼれしますね。 

金堂内に並ぶ本尊の廬舎那仏座像、薬師如来立像、千手観音立像は、いずれも国宝に指定されています。 (一切撮影禁止) 

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国宝 「講堂」

こちらが、唯一無二、最も貴重な「講堂」。なんと、平城京の建物で唯一現存するものだそうです。唐招提寺に移築した結果奇跡的に残ったのでしよう。「講堂」内には重文級の仏像が安置されていました。 

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一面コケに覆われた広大な庭園

唐招提寺は、本当に緑が濃い寺院でした。 深い緑に囲まれた鑑真和上の世界が広がっていた。

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寺院の奥にあった 「戒壇」

正式な僧になるための儀式「授戒」が行われた場所とのこと。

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「鑑真和上御廟」

境内北の鬱蒼とした緑に包まれた、静かな場所にある鑑真和上のお墓。日本に多大な貢献をした方なのでお参りしてきました。

唐招提寺には、チャイニーズ系の団体さんが観光バスで多く訪れていました。さすが、唐きっての高僧だけのことはあります。中国でも尊敬されているのでしょう。

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国宝 「千手観音立像」 (奈良時代)

(金堂内は一切撮影禁止でしたのでこちらをどうぞ)

文字通り千の手を持つ圧倒的迫力の巨像。圧巻の素晴らしさでした。千本の手には、全て目が付いていて、千の目ですべての人を見て、千の手でどんな人でも救済してくださるそうです。

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2025年5月 8日 (木)

薬師寺 (奈良県奈良市)

旅行2日目は、一泊した 「グランヴィリオホテル奈良 和蔵」 を9時に出発し、西ノ京地区の薬師寺に向かう。 ホテルからも近いので、のんびり走って約20分くらいで到着。今日は、西ノ京地区の世界遺産・国宝の大寺院や史跡をめぐるゴールデンプラン。大いに楽しんできました。

『7世紀後半、天武天皇が皇后 (のちの持統天皇) の病気回復を祈り、建立を発願したのが始まり。飛鳥の地 (藤原京) に創建されたが、平城遷都にともない現在の地に移った。白鳳様式の壮麗な伽藍は戦火などで多く焼失し、創建当時から現存するのは国宝・東塔のみ。昭和以降金堂や西塔、大講堂などが再建され、白鳳伽藍が再現された。』 (パンフレットより)

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世界遺産「薬師寺」 

昭和40年代から当時の白鳳伽藍様式で復興。

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昭和51年に再建された 「金堂」 

龍宮造りと言われる壮麗な二重二閣のたてもので、高さが22メートもあるそうです。奈良の枕詞 「青丹よし」 そのまんまの鮮やかな色彩。「金堂」の裏手にみえるのが再建された「大講堂」。

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国宝 「東塔」  奈良時代 (白鳳期)

必見中の必見です。 国内で唯一現存する白鳳様式の塔。なんと、1300年前から建っているのです。 2021年に約12年に及ぶ全面解体修理が行われ蘇りました。三重塔ですが、各層に襟階 (もこし) と呼ばれる小さな飾り屋根があるため六重塔のように見えます。どこから見ても三重塔には見えません。この小さな飾り屋根が織りなすリズミカルな美しさから 「凍れる音楽」 と呼ばれているそうです。なるほどなーと納得。約1300年前の木造建築が現存しているなんて法隆寺並みの奇跡です。

NHKの 「プロジェクトX」 でも取り上げられましたね。

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「東塔縁起」

解体修理のことも詳しく書いてありました。NHKの 「プロジェクトX」 でも取り上げられた東塔の全解体修理は、1万を超える部材をバラバラにして取り外して 修理して組み直すという超難工事だったそうです。

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国宝 「東塔」 と再建された 「金堂」

全ての建物が再建・復興されて白鳳様式の伽藍が蘇りました。

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再建された「西塔」と「金堂」

「西塔」も昭和56年に再建されました。創建当時は、このような感じだったのでしょう。 「東塔」 と比べて色が鮮やかすぎます。

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国宝 「東院堂」

現在の建物は、鎌倉時代に再建されたもの。色鮮やかな建物が多い薬師寺にあって、落ち着いだたたずまいをみせいています。  「東院堂」 には、国宝の 「聖観音菩薩立像」 が安置されています。

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国宝 「聖観音菩薩立像」 飛鳥時代 (白鳳期)

(東院堂内は、一切撮影でしたので こちらをどうぞ)

インドの芸術様式の影響を受けた仏像とのこと。どれもこれも素晴らしい。思わず見惚れてしまいました。

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国宝「薬師三尊像」 飛鳥時代 (白鳳期)

(大講堂内も撮影は一切禁止でしたのでこちらをどうぞ)

余りにも美しく神々しいので、思わず賽銭箱に100円玉を入れて、手を合わせてきました。

国宝「薬師三尊像」は薬師寺の本尊。薬師如来座像を中心に向かって右が日光菩薩立像、左が月光菩薩立像。古代の金剛仏の最高傑作と言われてるそうです。なるほど!!  納得です。

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国宝 「仏足石」 飛鳥時代 (白鳳期)

この辺りは、撮影可のようでした。

仏足石とは、お釈迦様死後に、お釈迦様のお姿を礼拝するのは恐れ多いとして、お釈迦様の足型を拝むようにしたとか。やれやれ(笑)

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2025年5月 3日 (土)

興福寺 (奈良県奈良市)

同じく初日、奈良国立博物館の「超国宝展」を鑑賞後、徒歩で「興福寺」へ向かう。 奈良国立博物館に2時間30分以上滞在したため時間が無くなってしまい、「興福寺」は 駆け足で回る羽目になってしまいました。やれやれ。

「興福寺」は、近鉄奈良駅のすぐ近く建つ大寺院。多数の国宝物を所有し、建物の大半も国宝や重要文化財に指定されています。

『同和3年(710年)に、藤原不比等が平城京に移した藤原氏の氏寺で、奈良の発展とともに繁栄しました。平安時代には雑兵を擁し、大和国を支配すねほどの勢力を誇りました。境内には国宝の五重塔や北円堂、国宝館には天平・鎌倉時代の貴重な仏像彫刻を多く所蔵しています。』 (パンフレットより)

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世界遺産の「興福寺」  (写真を撮り忘れたので、こちらをどうぞ)

名門 藤原氏とともに大いに栄えた大寺院。

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ピッカピカの 「中金堂」

江戸時代に焼失しましたが、2018年に再建されたそうです。寺の中心となる壮大な建物でした。

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なんと、残念なことに国宝の「五重塔」は大修理中でした。

高さ約50メートル、奈良のシンボル・ランドマークの「五重塔」。国内に現存する古塔では京都・東寺の五重塔についで高いそうです。

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今の興福寺 「五重塔」

すっぽりと素屋根 (工事用の覆屋) に覆われいいました。2031年の3月まで修理中とのこと。なんと6年ですか!! かなり長いです。

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国宝館にて

国宝 東金堂と国宝 五重塔のコラボ。本来ならこんな感じて観られるようです。

国宝館は 一切撮影禁止です。この辺りだけが撮影禁止ではないようでした。

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国宝 「東金堂」

現在の東金堂は6代目で、五重塔と同じく室町時代に再建されたもの。東金堂内には、国宝の「十二神将立像」や「四天王立像」が安置されています。あまりにも素晴らしいので 思わず写真を撮りたくなりますが、残念ながら一切撮影禁止です。

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同じく国宝 「東金堂」

夕方でしたが、多くの観光客が来ていました。当然のことながら8割くらいは外国人観光客です。 ドラ? 鐘? をならし、賽銭箱に100円玉を入れて参拝してきました。

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重要文化財 「南円堂」

江戸時代中期の再建。 国宝になっている「北円堂」は公開されていませんでした。

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国宝 「阿修羅像」 奈良時代

(宝物館内は一切撮影でしたのでこちらをどうぞ)

興福寺と言えば、超有名なのが 「阿修羅像」 です。 奈良時代の傑作。仏像界のスーパースターと言ってもいいでしょう。異形の像ですが、全体のバランスが絶妙で、少年のような表情に魅了されるのでしょうね。15年くらい前に東京国立博物館で開催された「阿修羅展」を観に行きましたが、阿修羅像の展示ホールは大混雑状態で長蛇の列ができていました。凄かったです。ここでは、まじかでじっくり鑑賞できるので良かったです。

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ルートインホテル系列の「グランヴィリオホテル奈良 和蔵」

ここには、初日と3日目に泊まりました。団体さんが多く泊まっていたので、ホテル内の居酒屋はかなりの混雑状態。予約なしで利用できるのは難しいようでしたが、なんとか潜り込めることができました。(笑)

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天然温泉の 「睡蓮のゆ」

広い温泉浴場でしたが、混雑しているようなので 時間をずらしてゆっくり入ってきました。いやー、天然温泉なので良かったですね。癒されました。

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2025年4月29日 (火)

奈良国立博物館 超国宝展 ー祈りのかがやきー (奈良県奈良市)

ゴールデンウィーク前の先週、3泊4日で奈良県を旅行してきました。著名な世界遺産や国宝の地など、人気の観光地を巡るという、風の向くまま気の向くままの一人旅。奈良には、必見の世界遺産や国宝、世界遺産候補の史跡などが盛りだくさん。会員になっているルートインホテルズに泊まりながら、レンタカーで観光の王道コース巡ってきました。思ったよりも涼しくて 天候もまずまずで良かったです。思う存分春の旅を満喫してきました。

国宝と世界遺産のワンダーランド奈良!!!   京都の南、大阪の東に位置する奈良は、古代日本の中心地。深い緑に囲まれた世界遺産、国宝の大寺院や仏像の数々、古代の香り・古代の風を感じることができる飛鳥地方。京都とは、違う古代のロマンを満喫していました。でも、いつものように、かみさんは 家でネコとお留守番です(笑)

1日目、 新幹線で 仙台駅 → 東京駅 → 京都駅、近鉄線で 近鉄京都駅 → 奈良の新大宮駅、レンタカーで奈良市へ、奈良国立博物館 → 興福寺 → グランヴィリオホテル奈良 和蔵 (ホテルルートイン系列) に泊。 

2日目、 ホテルからレンタカーで、西ノ京 薬師寺 → 唐招提寺 → 平城京跡 → ホテルルートイン桜井駅前に泊。 

3日目、 ホテルからレンタカーで、明日香村の高松塚古墳 → キトラ古墳 → 鬼の俎・鬼の雪隠 → 石舞台古墳 → 亀形石造物・酒船石 → 亀石 → 甘樫丘 → 奈良文化財研究所 飛鳥資料館 → 益田の船石 → グランヴィリオホテル奈良 和蔵に泊。  

4日目、レンタカーを返却し近鉄線で京都駅へ、東寺見学後 新幹線で、京都駅 → 東京駅 → 仙台駅

 

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初日、JR京都駅に到着後、近鉄京都線 → 近鉄奈良線を乗り継いで奈良の新大宮駅へ。予約していた駅近くのレンタカーショップで車を借りて 奈良国立博物館近くの登大路駐車場にへ向かう。

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楽しみにしていた 「超国宝展」 

今、関西が熱い!!  大阪・関西万博に合わせて 奈良国立博物館の 「超国宝展」 、京都国立博物館の 「日本、美のるつぼ」 、大阪市立美術館の 「日本国宝展」 の3拠点で 日本の超国宝を集めた展覧会が同時開催されています。日本だけではなく海外からも多くの観光客が押し寄せるでしょう。オーバーツーリズム問題が心配です。

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「旧 帝国奈良国立博物館本館」

現在は仏像などを展示する「仏像館」になっています。

ほんと、奈良はシカが多いですね。どこに行ってもシカ、シカ、シカだらけ!!  いたるところに糞が転がっているのでうんざりします。

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「奈良国立博物館 東館」

「超国宝展」は、奈良国立博物館の東館・西館で開催されています。

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入口の様子

『この展覧会は、仏教・神道美術に特化し、国宝約110件、重要文化財約20件を含む約140件の貴重な文化財が展示されている。展示は 「南都の大寺」 「奈良博誕生」 「釈迦を慕う」  「華麗なる仏の世界」  「神々の至宝」  「写経の美と名僧の墨蹟」 「未来への祈り」 の全7章構成 (一部展示替えあり)。』  (パンフレットより)

前期展示の目玉は、法隆寺の秘仏 「百済観音立像」 や石上神宮の 「七支刀」 、 「薬師寺吉祥天像」 あたりだと思いました。飛鳥・奈良時代の国宝群が多く、法隆寺や東大寺、興福寺、中宮寺、薬師寺、唐招提寺、飛鳥寺からの出土品の国宝も個人的には見応えがありました。大興奮と大感動の連続で、もう二度と観ることはないだろうとの思いで 100%集中して目に焼き付けるようにして観てました。

それからなんと、我が東北、岩手県平泉の中尊寺所蔵の国宝5~6点展示されていたのです。他の国宝に負けず劣らずの輝きを放っていました。いやー、奈良の国立博物館で中尊寺の宝物を観られるとは思ってもいませんでした。まさに感無量!!! 感動しました。 ちなみに、ポスターにある 「中宮寺の弥勒菩薩」 は、後期展示 (5/20〜6/15) の目玉になっているようです。

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「観音菩薩立像  (百済観音立像)  」 奈良時代 7世紀

(撮影は 一切禁止でしたので、これらの画像を観てください)

前期展示の目玉中の目玉、法隆寺の秘仏。もう二度と観ることはできないだろうと思い目に焼き付けてきました。 長身で細身の肢体、華麗で優雅。聖徳太子を写したものと言われています。ぐるりと360度から観られるのが新鮮でした。

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「吉祥天像」  奈良時代 8世紀

目玉の一つで、薬師寺所蔵。天女の色彩の艶 (あで) やかといい 輝きなど、とても1250年前の絵とは思えませんでした。 「美しい! 素晴らしい! 」 の一言。出るのはため息ばかりなり!!(笑) 

キャンバス (麻布) に描かれた絵としては、世界最古の絵とのこと。フランスのキャンバスに描かれた最古の宗教画は、14世紀くらいだそうです。 8世紀のキャンバス画なんて有り得ないと思いました。まさに奇跡です。もちろん、薬師寺では一般公開はしていません。

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「七支刀」  古墳時代 3世紀

こちらも目玉の一つで、奈良・石神神宮所蔵。朝鮮半島の百済王から倭の王? に送られた宝物。鉄製の異形の刀に金象嵌(きんぞうがん)で文字 (銘文) が刻まれています。日本書紀には、 「百済王からの贈り物、七支刀」 と書かれているとか。3世紀の鉄の刀がほぼ そのまんまの姿で現存しているです。こちらもまさに奇跡です。

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奈良国立博物館のカフェにて

2時間以上かけてじっくり鑑賞したので、少しお疲れモード。ナラハク オリジナルコーヒー (650円) を飲みながらしばし休憩。

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2025年4月12日 (土)

「ラムセス大王展 ーファラオたちの黄金ー」 (東京都江東区豊洲)

少し前になりますが、4月5日 (土) に一泊でかみさんと東京で開催中の 「ラムセス大王展」 に行ってきました。

エジプト政府公認の展覧会 「ラムセス大王展」 は、これまでにアメリカ~カナダ~ヨーロッパ~オーストラリアを巡回し、計300万人以上の来場者数を記録した世界最大規模の展覧会です。アジアでは日本が選ばれました。 古代エジプト史上最長の在位 (67年) を誇り、最も偉大で最強の王と称されるラムセス2世大王。その時代に関連するエジプト博物館の至宝180点を展示する特別展が 9月まで東京で開催されています。

古代エジプト新王朝時代 (紀元前1540年~1070年頃) の門外不出の至宝・宝物が180点も展示されているのです。キャッチコピーにもあるように、まさに 「一生に一度の機会!!」。絶対に観に行くべきだと思いました。

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「ラムセス・ミュージアム」

「ラムセス大王展」 は、豊洲市場のすぐ近くにある 「ラムセス・ミュージアム」 で開催されています。

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「ラムセス大王展」内部の様子

会場は かなり広いので、多少混雑していてもゆとりを持って、ゆっくりと鑑賞できます。効果的な照明や音響設備などが駆使されたプロジェクションマッピングでの説明も多く見応えがありました。すんなりと簡単に理解できるので良かったです。

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「ラムセス2世の巨像の頭部」

実物はかなりの大きさでした。

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「ラムセス2世の棺 (ひつぎ) 」

当時のエジプトでは、大変貴重だった「木」を組み合わせて作られていたそうです。

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「ラムセス2世のミイラ」

古代エジプト史上、最も長い67年もの間エジプトを統治し、92歳まで生きたラムセス2世大王。古代エジプト人の寿命が35歳~38歳と推定されているそうですから、92歳なんてあり得ないと思いました。人間ではない!! まさに 「神」 です!!(笑)

30代の頃のラムセス2世がCGで再現されていました。

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「スフィンクス型のラムセス2世像」

皆さん興味津々で観ていました。

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「敵を成敗するラムセス2世 (カデッシュの戦い) 」

世界史的にも有名なラムセス2世率いるエジプト軍とヒッタイト軍との戦い、「カデッシの戦い」 をCGやプロジェクションマッピングを使用して分かりやすく説明。

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「アメンエムオペの棺が出土した黄金のマスク」

金、青銅、カーネリアン、ラピスラズリ、トルコ石を使用した豪華なもの。

黄金のマスクなど、金、宝石、ラピスラズリなどを豊富に使用した華麗な美術品や工芸品の数々を観られるのは、後にも先にも今回だけでしょう。

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「メリト女王の胸当て、ペンダント、ブレスレット」

金、カーネリアン、トルコ石、アメジスト、ラピスラズリ、微斜長石を使用。

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「クヌムイト女王の宝飾品」

襟飾りとガードルとのこと。 金、アメジスト、カーネリアン、長石、ラピスラズリをふんだんに使用。

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「黄金に真珠、ガラス、カーネリアン、ラピスラズリなどをあしらった指輪やブレスレット、イヤリングなど」

素晴らしいの一言。かみさんも感激しながら観てました。

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「将軍の黄金の葬祭用マスクと護符」

金、アラバスター、ガラスを使用。

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「プスセネス女王の襟飾りやブレスレット、黄金の杯など」

金、カーネリアン、ラピスラズリ、長石、碧玉 (へきぎょく) 、ガラスを使用。

わたくしもかみさんも、 「思わずため息がでるほど美しい!!」 の連続でした。やっぱり黄金は最高にいいですね!!(笑)

あまりにも数が多いので、美術品や工芸品、装飾品を観るだけでも1時間以上は必要です。 

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2025年3月 4日 (火)

岩山公園 啄木詩の道 (岩手県盛岡市)

岩山公園展望スポットの少し下に通る 「啄木詩 (うた) の道」 は、平成9年 (1997年) に啄木誕生111周年を記念して作られてそうです。 111周年記念とは、なんとも中途半端な数字に見えますが、啄木の本名が「石川一 (はじめ) 」なので111周年記念にしたようです。

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岩山公園展望スポット脇にある 「啄木茶屋」 

本日は、平日で雪もかなり積もっているためか休業でした。

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腕組みをして立つ啄木像

岩山公園の 「啄木望郷の丘」 に建っています。見つめる眼の先には、岩手山がそびえていました。

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岩手山が望める啄木詩の道

啄木望郷丘から少し下った所にある「啄木詩の道」

雪がかなり積もっていたので歩きずらかったですね。

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白樺の林に囲まれた約100メートルの散策路

散策路沿いには、10点の歌碑が並べられています。

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『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻といたしむ』

しみじみと共感できる素晴らしい歌です。 

当時、啄木は東京朝日新聞社に しがない校正係として採用されていました。たまに記事を書いていましたが、ことごとくボツにされていたそうです。記事が採用されて出世していく同僚が羨ましく思えたのでしょう。

当時、啄木夫婦が間借りしていた、東京本郷弓町の理髪店 「喜之床」の建物は、博物館明治村に移築して一般公開されています。

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『不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心』

啄木の歌にしては珍しく、希望に満ちた瑞々しい、明るい春のイメージの歌ですね。素晴らしい!! ちなみに 「不来方のお城」 とは盛岡城址のことです。

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岩手山が望める啄木詩の道 終点

『ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな』

やっぱりというか、予想通りというか、ラストはこの歌碑でした。 

明治時代に彗星のように現れて4000首もの歌を詠み、若くして病に倒れた歌人 石川啄木。26年余りの短い生涯に、短歌の他に詩や小説、評論、手紙なども多く残しました。 「その文学には、はかりしれない魅力がある」 とのことで、啄木の詩や小説、評論にも注目が集まっているそうです。

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2025年3月 1日 (土)

志波城古代公園 ・岩山展望台 (岩手県盛岡市)

一泊した翌日 (2/19) は、なんと10時頃から見事に晴れあがってきました。しかし、今日の盛岡の最低気温はマイナス10度!! 日差しがさしても全く暖かくありません。まるでスキー場にいる感じでした。予定を変更して、車で20分~30分くらいの距離にある志波城古代公園と岩山展望台 (公園) に行ってみることにしました。

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志波城古代公園の案内版

志波城は、今から約1200年前に、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造営された城柵とのこと。東北地方の城柵では、陸奥国府多賀城に匹敵する大規模なものだったそうです。 「遠の都」、「平城京のミニチュア」 とも呼ばれた多賀城と匹敵する規模ですから、普通あり得ないことだと思いました。いわゆる蝦夷 (えみし) たちに睨みをきかせ、威圧するためには大規模な城柵が必要だったのでしよう!?  

仙台市近郊の多賀城は、「城」 と言っても東北地方全体を統轄する官庁のようなものでした。九州全体を統轄していた大宰府と同じですね。ところが、ここは緊張感が全く違ったのでしょう。いつ紛争が起きてもおかしくない緊張感。志波城は、4.5メートルの城壁に囲まれたまさに「城」でした。

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復元された外郭南門 (正門)

門の左側遠方に見えるのが岩手山。上の方は雲に覆われていました。残念!!

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高さ11メートルの外郭南門

築地塀は 高さ4.5メートル、全長252メートルもあるそうです。驚きました。

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志波城古代公園案内所内にある資料館

スタッフの方が出土品の入れ替えをしていました。

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鹿島精一記念展望台

盛岡市郊外の標高340メートルの岩山山頂にある展望台。なんかUFOみたいな形をしてますね。ここには、昔、岩山パークスキー場というローカルなスキー場もありました。

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UFO展望台からの眺め

いやー素晴らしい!! 正に壮観です。盛岡市の街が一望の元。遠くの山にはスキー場が見えます。正面が雫石スキー場、右端に見えるのが、昨日 滑ってきた網張温泉スキー場。

ここは夜景を眺めることができるスポットとしても人気があるようです。なんと、 「日本夜景遺産」、 「夜景100選」 にも選定されているとか。

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同じくUFO展望台からの眺め

右側を見ると秋田駒ケ岳や岩手山、八幡平、安比スキー場まで見えました。さらに、東側には姫神山、南側には早池峰山なども見えました。素晴らしい眺望です。

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同じくUFO展望台にて

ここは、NHKの朝ドラ 「どんと晴れ」 のロケ地だったそうです。2007年に放送された 「どんと晴れ」 は、遠野物語や宮沢賢治をモチーフにした朝ドラでした。

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2025年2月26日 (水)

宮沢賢治が歩いた道 (岩手県滝沢市・雫石町)

網張温泉スキー場からの帰り、大正時代の駅舎に復元リニューアルしたJR田沢湖線の小岩井駅を見学しに行ってきました。小岩井農場を通り車で約25分くらいの距離。

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賢治の時代に復元リニューアルされた小岩井駅

当時のモノクロ写真から、AIのカラー復元技術を活用して色味を選定し再現したとのこと。

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内部 (待合室) はこんな感じ 

小岩井駅が登場する賢治の詩集『 春と修羅』 をイメージしたアートパネルが飾られていました。今は無人駅ですが、当時の駅事務所は、多目的スペースとしてリニューアルされていました。

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宮沢賢治が歩いた道

大正11年5月、賢治はここから小岩井農場の建物や耕作風景などを見学しながら、鞍掛山あたりまで散策しました。その時の様子を心象スケッチとして 『小岩井農場』 という詩につづっています。この詩を読んでみると、賢治の小岩井農場に対する深い思い入れや愛着が伝わってきます。

賢治の詩集 『春と修羅 』 に収められている  『小岩井農場』  は、なんとパート九まである長編詩。たぶん日本一長い詩だと思います。

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駅前にあった賢治の詩碑

賢治の詩、『小岩井農場』パート1の一節が刻み込んでありました。

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汽車からおりたひとたちは

さつきたくさんあつたのだが

みんな丘かげの茶褐部落や

繋 (つなぎ) あたりへ往くらしい

西にまがつて見えなくなつた           

(宮沢賢治『春と修羅  小岩井農場』 より)

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重要文化財の旧小岩井農場本部

明治36年に建てられたもので、詩『小岩井農場』パート四 にも「本部の気取ったた建物」として登場します。今も現役で資材置き場として使用されてるようです。

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本部の気取つた建物が

桜やポプラのこつちに立ち

そのさびしい観測台のうへに

ロビンソン風力計の小さな椀や

ぐらぐらゆれる風信器を

わたくしはもう見出さない     

(宮沢賢治『春と修羅 小岩井農場』 より)

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重要文化財の四階倉庫 (しかいそうこ) 

大正5年に建てられたもので内部には、当時としては最先端のエレベーターやエスカレーターも設置されていたそうです。驚きました。さすが三菱ですね!!  賢治の童話にも登場します。小岩井農場には歴史ある建物が多く残っていて、なんと 国指定重要文化財の建物が21棟あるそうです。凄いですね。

ちなみに小岩井農場は、賢治の時代から三菱財閥の岩崎家の所有となり、現在も三菱グループの株式会社である 「小岩井農牧株式会社」 が運営しています。  

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相の沢キャンプ場と鞍掛山

賢治は、この辺りまで歩いて来たようです。

鞍掛山は小岩井農場の北、岩手山の南麓に位置し 標高は897メートル。鞍掛山の山麓には牧場が広がり、賢治のお気に入りの場所だったようです。

『くらかけの雪』 という詩が 『春と修羅』 に収められています。

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たよりになるのは

くらかけつづきの雪ばかり

野はらもはやしも

ぽしゃぽしゃしたり黝 (くす) んだりして

すこしもあてにならないので

ほんたうにそんな酵母のふうの

朧 (おぼ) ろなふぶきですけれども

ほのかなのぞみを送るのは

くらかけ山の雪ばかり

(ひとつの古風な信仰です)

(宮沢賢治『春と修羅』 より) 

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小岩井駅の次のJR秋田新幹線雫石駅

雫石銀河ステーション!!! こちらも宮澤賢治一色の駅でした。

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2024年12月 8日 (日)

雨晴海岸・高岡市万葉歴史館 (富山県高岡市)

旅行3日目 最終日、連泊した富山県のホテルルートイン砺波インターを10時に出発し、富山県高岡市の 「雨晴 (あまはらし) 海岸」 に向かう。砺波ICから北陸自動車道に入り→能登自動車道→高岡北ICで降りてから県道を進み、のんびり走って50分くらいで到着。思ったよりも近かったので良かったです。

『 万葉の歌人にも愛された風景 「 雨晴海岸 」 』  源義経・弁慶主従が奥州平泉に落ち延びる際に、この地の岩陰で雨が晴れるのを待ったという伝説からついた地名。 能登半島国定公園内の景勝地で、富山湾越しに見る3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは息をのむ美しさとのこと。午後からはも晴れ間が広がるとの予報でしたが、行ったときはこんな感じでした。非常に残念無念!!

 

雨晴海岸と高岡市万葉歴史館を見学後、金沢駅に戻りレンタカーを返却。その後、金沢駅でお土産を購入してから、14時48分発の大宮行き北陸新幹線に乗り込み金沢に別れを告げた。

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JR氷見 (ひみ) 線と義経神社と雨晴海岸

義経神社の海側には、弁慶岩という雨宿りに最適な岩屋がありました。伝説とは言え驚きましたね。

今は、氷見線が走っているので車窓からも絶景を楽しむことができます。土日には、絶景観光列車が走っているとか。

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海と山とのコントラストは、息をのむ美しさ!! のはずでした・・・・(涙)

この辺りは、松尾芭蕉が歌に詠んだ、おくのほそ道の風景 「 有磯海 ( ありそうみ ) 」 として、国の名勝地にも指定されています。

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道の駅 雨晴にあった写真パネル

晴れていれば、このような絶景が見えるはずでした。 海から突如として3000メートル級の山々がせり上がってます。これは、世界的にも見ても非常に稀な風景とのこと。

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道の駅 雨晴と氷見線

ちょうど列車が走ってきました。なんか 「 撮り鉄 」 になってしまいましたね!(笑)

左手の白い建物が 「道の駅 雨晴」。 海岸沿いに建っていて展望デッキからは富山湾が一望の元。展望デッキのカフェでコーヒーを飲みながら、しばらく素晴らし風景を眺めていました。

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道の駅 雨晴にあった歌碑

『馬並めて いざ打ち行かな 渋谿 (しぶたに) の 清き磯廻に 寄する波見に』  (馬を連ねて、いざ鞭打って行こう、渋谿の清らかな磯に打ち寄せる波を見に)      

これは奈良時代、 『万葉集』 の編者として有名な大伴家持 (おおとものやかもち) が越中の国府に赴任しているときに詠んだ歌で 「渋谿の 清き磯」 とは、雨晴海岸を指します。

『早稲 (わせ) の香や 分け入る右は 有磯海 』 (早めに実った稲の香りがす   この道を分け入って右に行けば、かの有名な有磯海だ)     (松尾芭蕉 「おくのほそ道」) より      ちなみに「有磯海」とは、高岡市の雨晴海岸あたりから氷見市の海岸までを指すとのこと。

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勝興寺近くにあった大伴家持像

ちなみに、奈良時代の越中国府は、この辺り置かれていたそうです。

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高岡市万葉歴史館

雨晴海岸を見学したあとに寄りました。

『万葉歌人・大伴家持と越中万葉の世界』 ということで、万葉集をテーマにした全国初の専門施設とのこと。

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高岡市万葉歴史館にて

庭園関係も良かったです。見応えがありました

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高岡市万葉歴史館内部の様子

万葉集や大伴家持、越中国などの基礎知識を分かりやすく丁寧に展示・説明をしていましたがマイナー感は否めないです。 なんと、この時の入館者はわたくし一人だけでした。平日とは言え貸し切り状態。ちょっと寂しかったですね!(笑)

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万葉学習エリアにて  三十六歌仙の屏風

「万葉集」 に関わる貴重な文献・資料なども展示されていました。

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同じく万葉学習エリアにて

『立山に 降り置ける雪を 常夏に見れども飽かず 神からならし』 (立山に降り積もった雪はいつまでも消えることがなく、いつ見ても飽きることはありません 神々の山だからなのでしょう)  

大伴家持が国守としてこの地に赴任してる間に詠んだ歌は、5年間で、なんと 223首。 驚きました。啄木並みの多さです。 越中国の大いなる大自然と絶景が、大伴家持の詩情をかきたてたとのこと。まさにその通りだと思いました。立山連峰を見ただけでも詩情をかきたてられたのでしょう。

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帰りの新幹線から見た立山連峰の剱岳 (2999メートル) 

やっと帰りに立山連峰が姿を見せてくれました。初めて見る立山連峰の山々は、素晴らしく感動的でした。見えなくなるまで、ずっと眺めていましたね。

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