東日本大震災

2022年3月17日 (木)

3.16福島沖地震

昨日、3月16日(水) 午後11時36分頃 福島県沖を震源地とするマグニチュード7.4、最大震度6強の地震が福島県、宮城県を襲った。我が家も激しく揺れ 「またかー!!」 と思わず声を上げた。揺れは長かった。1度目の激しい揺れが収まったと思ったら、瞬時に2度目の激しい揺れが襲った。立っていられないほどの激しい揺れ。一瞬にして11年前に引き戻された。余震が明け方まで続き、午前4時頃まで眠れなかった。言いようのない不安を感じて恐ろしくなる。津波の被害が無かったことが不幸中の幸いであった。 

東大名誉教授の平田直氏は、 「今回の地震は、東日本大震災の余震域で起きているので、東日本大震災の余震とも言える。」 と言っているが、余震は、11年も20年も続くのだろうか? サッパリ分からない! もうたくさんだ! 

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あの重い冷蔵庫が20センチくらい動いていた!

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1階のトイレの壁には、床から天井まで亀裂。さらに、新たな亀裂が家の数ヶ所に入っていた。今後、同規模の地震が起きたら、我が家の壁は損壊する可能性が高い。

去年の2月13日の福島沖地震でも我が家は被害を受けた。1年後にまたである。マグニチュード7.4、震度6強の地震が毎年のように起きている。 「地震の巣」 の近くである岩手県、宮城県、福島県に住んでいる人の宿命なのか?!もう勘弁して欲しい!

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地震対策をしっかりしていたので、建物以外の被害はこの程度であった。

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10時頃の青葉区北根交差点付近

地下鉄は停電のためストップ。復旧の目処は立ってないため、中心部に向かう車線には車が殺到し大渋滞。バスもさっぱり来ないので、バス停には長蛇の列。東日本大震災時の大混乱を思いだした。

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2022年3月11日 (金)

東日本大震災から11年

2011年3月11日(金)、22,000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から今日で11年となる。犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、震災の教訓を語り継ぐ決意を新たにしたい。
そこで、あの日を忘れないために、東日本大震災関連の記事を加筆して再掲します。

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2011年3月13日 (日) の記事

マグニチュード9.0、世界最大級の巨大地震だ。未曾有の大被害、被害は極めて深刻だ。宮城県だけで一万人を越える死者がでる可能性がある。死体安置所が足りない!! 11日から100回以上の余震が続く。夜も眠れない。上空にはヘリコプターが飛び、消防車や救急車が引っ切りしに通る、サイレンの音が胸をえぐる。(涙) 

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我が家の惨状。

1階も、2階もめちゃめちゃだ。まるで砲撃でも受けたようだ。ガスも水道もストップだ。 電気は、今日やっときたが、直ぐにストップするだろう。 手動で対応しているガソリンスタンドには、2~3キロにも及ぶ車の列。しかも、10リッターの制限つき。ガソリンを入れるのに一日がかりだ。コンビニも長蛇の列。やっと店内入れても、残っているのは、ビールと日本酒のみ!やれやれ。(笑) 難民の気持ちが理解できた。 

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近所の駐車場。

陥没して車を動かすことができない。このあたりの道路は、いたるところで陥没、隆起、地割れが発生。電柱はずれて傾いているところがある。水道管が破裂して、水が噴出しているところもある。

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2011年3月11日。東日本大震災の激震と津波が岩手、宮城、福島の太平洋沿岸部を襲い、多くの町を飲み込んだ。そこにあった多賀城市や松島町などの自衛隊駐屯地の建物や滑走路はズタズタになり飛行機や車両は流され水没し、多くの隊員は家や家族を失った。自らも被災者でありながら、自衛隊員たちは市民の救助のために奔走した。

過酷な作業を無休で続けていた自衛隊。無精髭の隊長さんがテレビのインタビューで話していた内容を10年たった今でも鮮明に覚えています。その隊長さんは、「なぜ、自衛隊員がこんなにも長期間、レトルトの行動食だけで不眠・不休・無休で感情を抑えながら活動を続けられるのかというと、日ごろ、もっと厳しい訓練をしているからです。他国の侵攻など、最悪の事態に備えているからこそ乗り越えられるのです。」 と話していた。本当に感謝しかない。自衛隊は素晴らしい。頭が下がる。

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2021年3月11日 (木)

東日本大震災から10年

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合大災害は、甚大な被害をもたらし、関連死を含めて約2万2,000人余りの人命を奪った。日々の暮らしを無慈悲に奪われ絶望したあの日から、今日で10年を迎える。

東日本大震災が発生してから数日後、絶望のどん底あった人々の心に宮沢賢治の言葉が浮かんだ。彼の代表作 「雨ニモマケズ」 だ。 

「絆 3.11 」 という被災者支援プロジェクトで、俳優の渡辺謙さんが被災者への思いを込めて朗読していた。インターネットでも紹介され、ハリウッドスターも賛同し、その輪は世界に広がって行った。

みなさんご存知のように、 「雨ニモマケズ 」 の詩は賢治の死後に発見されたもので、題もついていなかった。賢治が愛用していた手帳に鉛筆でメモのように書き留められていた。詩の節奏を備えていたことから 「詩作品」 と見なされてしまったもので、発表したり他人に読ませたりすることを意図しない賢治の心のつぶやきと言ってもいいと思う。発見と同時に 「賢治の代表作」 にされてしまった運命の詩でもある。

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昭和8年9月20日、死の前日に賢治が書いた絶詠二首。

「方十里稗貫 (ひえぬき) の みかも稲熟れて  み祭三日そらはれわたる」

「病 (いたつき) の ゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄 (す) てばうれしからまし」

この年の秋は、賢治の住んでいる岩手の稗貫郡は大豊作になり、三日間続いた鳥谷ヶ崎神社の祭りでは、貧しい多くの農民達が喜びを爆発させた。度重なる冷害で疲弊した農民たちの絶望が希望に変わった瞬間だ。豊作にわく秋祭りのお囃子を聴きながら賢治は、この歌を詠んだ。

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2021年3月 6日 (土)

「2011年3月12日の朝刊 河北新報のいちばん長い日」

2011年3月11日の東日本大震災により、仙台市青葉区五橋の河北新報本社は大規模な被害を受け、新聞製作が困難になっていた。それにもかかわらず、なんと震災の翌日3月12日の昼頃に朝刊が届いた。 「河北新報は、いったいどんな魔法を使ったんだ?!」 と、驚きともに感激して涙が出てきた。

さて、どんな魔法を使ったのか? 当時、河北新報は、新潟日報社と 「災害協定」 を結んでいたため、3月12日付けの朝刊は、河北新報の記事データを非常時用の回線を使い新潟日報社に送って紙面を作成し、何とか稼働できた河北新報社の印刷所で印刷をしたのだ。当然のことながら、河北新報の社員は全員徹夜で頑張ったようだ。頭が下がる。

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2011年3月12日の昼頃、家に届けられた8ページの朝刊。我が家では永久保存になっている。

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同じく2011年3月12日に届けられた夕刊。こちらも永久保存。

記事の 「河北抄」 にはこのように書いてあった。

『刻一刻と入る被害状況におののくばかりだ。昨日起きた東日本大震災。マグニチュード8.8 (9.0) という観測史上最大の巨大地震が列島を襲い、時間の経過とともに被害の大きさが明らかになってきた。

地震とそれに続く津波の影響で、死者や行方不明者が多数に上り、陸前高田市 (岩手県) は壊滅的状態だという。大規模火災が各地で発生したほか、住宅崩壊も相次ぎ自然の破壊力になすすべもない状況だ。数字がどんどん積み重なる度に、人間がいかに頼りない存在かを思い知らされる。 

本震の後もひっきりなしに起きる余震の揺れ。救急車のサイレンの音が途切れなく続くた。昨夜は停電による暗闇の中、寒さと余震の恐怖に震えて、眠れぬ夜を過ごした人がほとんどだろう。

今朝、仙台市中心部では、営業を始めた店を探し歩く人を多く見かけた。ドラックストアでは、大勢の行列ができていた。散乱した店内から生活用品を選び、店員が電卓をたたいて計算していた。

今朝も長野県で震度6強を記録する地震が発生した。余震に用心しながら少しずつ生活を立て直していこう。』

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2021年3月 1日 (月)

2011年10月27日(木) 東日本大震災~斜面補強工事

やっと、家の裏側一帯の補強工事が始まった。かなり大規模な工事だ。隣の解体して空地になったところにプレハブ小屋を建て、10数メートルはあるH型の鉄骨や同じく10数メートルはある大きな筒を20数本並べ、さらに、大型の重機まで運び込んできたのである。これで、やっと安心できる。最大余震がきても、我が家は倒壊しないだろう。斜面の工事は始まったが、肝心の我が家の修理工事は、なんと5ヶ月も待たされている。お詫びの連絡が2回もきた。

「東日本大震災で、建設業界は多大な影響を受けております。公共建築物の復旧、補強が優先され、民間の工事に対する建設物資の調達には時間がかかり大工、職人不足が目立っており工事進行に支障をきたしている状況です・・・等々」 とのこと。

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家に謝りに来たハウスメーカー営業マンとの会話。

「ずいぶんと待たせるね。もう10月だよ!そちらさんは儲かって、儲かってしょうがないんじゃないの? 顔が笑ってるよ!」  

「なにぶんにも、このような状況なもので、〇〇さんには大変ご不便、ご迷惑をお掛けしております。こんなこと言っては不謹慎ですが、おっしゃる通り会社はかなりの利益がでているようです。」

「そうなんだ!だったら今度の冬のボーナスはすごい金額になるんでないの?1人平均500万円くらいとか?」

「いや~、そこまでは・・・・」 と 別に強く否定もしなかった!いわゆる 「震災復興バブル」 ってやつです。やれやれ!

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我が家の裏の斜面補強工事。

重機を使い、斜面に沿って10数本の穴をあけ、長~い鉄骨と筒をねじ込んで埋め込んでいく。10メートル以上の長さのものが次々と埋まっていく。すごい工事だ。

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この長い筒の中にはコンクリートを流し込むようだ。そして、斜面全体をコンクリートで固めてから上もテラス状にコンクリートで固めるらしい。これで震度7クラスの地震が発生しても崩れる心配はないそうだ。やっと安心して住むことができる。なんと完璧で素晴らしい工事なんだろう!

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2021年2月24日 (水)

2011年9月13日(火) 東日本大震災~解体と撤去

仙台市では、罹災証明書において 「全壊」、 「大規模半壊」 と判定されたものを対象とし、費用の全額を市が負担し解体・撤去を行なうことと定めた。 我が家のある青葉区北部でも本格的に解体・撤去が始まっている。連日、騒音がとんでもなくすごい。家の近所だけに限っても、かなりの数の家が 「全壊」、 「大規模半壊」 の判定を受け、アパートを含めて10数件の家屋が解体・撤去される。やれやれ(涙)

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我が家の斜向い。 

「売却物件」の看板が目にしみる。こんな、危ない土地を買う人なんているのだろうか? ここには、元気なじいちゃんがひとりで住んでいた。土地が陥没し大きく家が傾いて 「大規模半壊」 の判定を受た。強い余震がきたら全壊する可能性があるということで、解体・撤去して土地は売り払い、千葉県にいる息子夫婦のところに引っ越して行った。

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我が家の向かって左隣。 

更地になって1ヶ月がたった。 ここには、60歳代の夫婦が犬三匹と一緒に住んでいた。この家は、裏の斜面が大きく陥没して、家が傾き 「大規模半壊」 の判定を受けた。保険金などが思ってた以上に入ったそうで、栃木県の那須に家を買って引っ越して行った。先日、久しぶりに電話してみたら、「元気でやっている。那須は、涼しくて、広々として最高だ。犬たちもリードを外して走り回っている」、などと嬉々として話していた。やれやれ、なんか複雑だなー。。(笑)  

そして、なんと、我が家の右隣の家も解体することに決まったのだ。この家も「大規模半壊」の判定で、なんとか住める状態を維持していたが、古い家なので解体して土地は売却することにしたという。50歳代の夫婦は、泉中央にマンションを買って早々に引っ越して行った。やれやれ。 

そして、誰もいなくなった。残ったのは我が家だけ!(涙)  

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ポツンと一軒家状態になってしまった我が家。寂寥感が漂っている。

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我が家から三軒目の家。

築2年目の家で、総2階の豪邸だった。家の前の駐車場にはベンツが2台!さらにミニ・クーパーが1台と、かなり金持ちの方の家だった。ここも、裏側が斜面になっていたためか、陥没し、大きく傾き 「大規模半壊」 の判定を受けた。2ヶ月くらいは、頑張って住んでいたようだが、 「大規模な余震がきたら倒壊するかもしれないので怖い!」 とのことで仙台市中心部にマンションを借りて引っ越して行った。 築2年の豪邸が、あっというまに解体・撤去となってしまった。土地は売却するとのこと。50歳代の御夫婦は、諦めとともに、かなり落胆していた。皮肉にも周辺の見通しが良くなり、見える風景が新鮮になった。やれやれ。

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2021年2月23日 (火)

2011年4月8日(金) 東日本大震災~最大余震

昨日 (4/7) マグニチュード7.4、震度6強の最大余震が発生した。徐々に日常を取り戻しつつあったのに、一瞬にして、3.11に引き戻されてしまった。(涙)  家の中もせっかく片付けたのに、まためちゃめちゃになってしまった。またかたずけて、元通りにしなければならないと思うと心が折れる。仙台では停電してるところも多い。うちでは朝まで停電だった。せっかく復旧したガスや水道が、またストップしてしまった地域も多いようだ。やれやれ。いつまで続くのか?!

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あの重い冷蔵庫が30センチ以上動いていた!

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家の裏、土留め用のRC(鉄筋コンクリート) 擁壁。この下は斜面になっている。

昨日の地震でますます陥没の程度がひどくなって、家も少し傾いてしまったようだ。コンクリート壁の亀裂も大きくなってしまった。(涙) 先日見積もりを取ったら、裏庭の亀裂直しを含めて、なんと60万円くらいかかるそうだ。コンクリート壁を3分の1切り取って、土盛りをして、丸太を数本打ち込んで補強してから鉄筋コンクリートで固めるとか。やれやれ、大掛かりな工事になる。

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2021年2月20日 (土)

2011年3月31日(水)~4月2日(金) 東日本大震災~ガソリン不足、やっとガスがきた!

食料品や日用品は、ある程度自由に手に入るようになった。しかし、ガソリン不足は極めて深刻でほとんど解消されていない。仙台市内では、絶望的な長蛇の列が続き、整理券を配っても車の列は解消されていない。いつになったら日常に戻れるのか。。。やれやれ。そんな中、昨日、なんとガソリンを入れることができた。仙台市内では、3時間、4時間待ちが当たり前の状態。そんなに待つのは耐えられない。そこで、東北自動車道を北上、鶴巣パーキングエリアまで行きガソリンを入れることができた。待ち時間は、なんと、45分で超ラッキー。聞くところによると、仙南の菅生 (すごう) パーキングエリアでも、長時間待つことなく給油できるとか。

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青葉区北部にて。

帰りは、大和インターで降りて、仙台方面へ。大和町や富谷町の北部あたりのガソリンスタンドは、かなりの穴場。車の列がかなり少なかった。見た感じ、1時間前後の待ち時間で給油ができそうだ。 泉区 (バイパス) あたりまで来ると、また長蛇の列。ご苦労様です。頭が下がる。

泉区と富谷町の境にあるスーパー銭湯 「ゆっぽの湯」 がかなり空いてきたとの情報を得て、給油帰りによってきた。お風呂は、なんと約3週間ぶりだった。2日~3日に1回くらいの割合でお湯を沸かしてシャンプーをして、蒸しタオルで体を拭いてはいたが、やっぱり、お風呂は天国だった。

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我が家のお風呂。

今日、23日ぶりにガスがきた。かなり感動的だった。これで「日常」がほぼ戻った。これから毎日風呂に入れる。しかし、節水は必要だ。仙台市の下水処理施設 (浄化センター) は、地震や津波で甚大な被害を受け、多くが機能停止の状態らしい。仙台市からは節水の指示がでている。体を洗ったり、シャンプーしたりする場合は、シャワーを使わないようにしよう。湯船のお湯を利用しよう!!

今日、久しぶりに自宅の風呂に入った。ちょっと変な違和感があったが癒された。猫の額ほどの小さな風呂だが、我が家の風呂はやっぱりいい。

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2021年2月18日 (木)

2011年3月23日(水) 東日本大震災~応急危険度判定結果

昨日、家と敷地の損壊状態をチェックするため、仙台市青葉区災害対策本部判定実施部の職員二人がやってきた。青葉区北部を巡回して建物の損壊度をチェックしているのだという。なんと、この職員さんは、京都から来たとのこと。 京都弁まるだしで、事細かく説明してくれた。京都弁っていいなー。。。(笑) こういった人たちが関西方面から召集され出向を命じられて来たたのだろう。頭が下がる。

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我が家は、大きな被害を受けたが住むには支障がなかった。 「家に入って生活しても大丈夫」との判定を受けた。 しかし、敷地はイエローカード「要注意」の判定を受けたのだ。(涙)  我が家の両隣の家は、建物が傾き倒壊の恐れがあるとのことで、レッドカード「危険」の判定を受けていた。やれやれ。

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我が家の裏。 建物に沿って3~5センチくらいの地割ができていて、多少傾斜していた。家は高台にあるため、家の裏側はちょっとした斜面になっている。大雨が降ったりすると、地割れ部分から崩れる恐れがあるという。まいったなー。(涙) まあ、でも、家が無事で住めるだけでもありがたいことである。

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東日本大震災に影響され、触発されて、数年後か?10数年後か?21世紀前半には発生するのではないか?と言われているのが 「東南海地震」 です。さらに、「東海地震」、「東南海地震」、「南海地震」 が連動して発生した場合は、東日本大震災と同じタイプの連動型地震になり、マグニチュード9.0の巨大地震になると予想されている。

「NHKスペシャル 南海トラフ巨大地」

https://youtu.be/V9e5yuZ1CxA

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2021年2月17日 (水)

2011年3月17日(木)東日本大震災~青葉区北部を歩くⅡ

今日もトレッキング用のザックを背負い、片道50分かけて買い出しに行ってきた。 桜ヶ丘の生協は長蛇の列。店を半周して屋上まで続いていた。30分ほど並んで、なんとか10品のみ買うことができた。やれやれ。

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ガス欠で放置された車。 

このような車があちらこちらで見かけるようになった。ガソリン不足は、とんでもなく深刻だ。なんとかしてくれー!! やっと今日、塩釜港や仙台港の一部が使えるようになり、沖合いには油や物資を積んだ船が姿を現し接岸を待っている状態だという。もう少しの辛抱だ。あと数日すれば、スタンドにもガソリンが行き渡るだろう。 

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同じくガス欠で放置された車。 

エンジンを切って並んでいたのだろう。後ろの座席には毛布やホッカイロが散乱していた。 雪が降り続いている。寒い。今日の仙台は氷点下3度まで下がった。 ガソリン、灯油不足は、とんでもなく深刻だ。避難所などでは、寒さで死亡する老人もでているという。(涙)

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過去に政府と東京電力、原発推進派が耳にタコができるほど繰り返してきた「原発の安全神話」 は、マグニチュード9.0の地震が引き起こした高さ14メートルの巨大津波によって、あっけなく崩壊した。彼らは、 「想定外」、「 想定外」 と繰り返すばかり。お粗末すぎる言い訳だった。

映画 「Fukushima 50」 本編冒頭の衝撃シーン

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