宮沢賢治・石川啄木

2016年12月28日 (水)

啄木と賢治と谷村新司

啄木と賢治の作品は、広い領域に影響をあたえている。その一つが日本のミュージックシーンだと思う。はっきり言って、啄木・賢治の影響を受けていないシンガーソングライターや作詞家は、いないといってもいいでしょう?(笑)
シンガーソングライター谷村新司の代表作 「昴」 は、啄木の短歌をサンプリングして組み立て作られました。そのことは、けっこう知られています。 学生時代、啄木に心酔していた谷村は、こう言っています。  「大学時代に石川啄木を読みました。読んだと言うより食べました。そしてその時食べた糧が、曲や詩となって出てくるのです。」と。

呼吸(いき)すれば 胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音!

眼閉づれど 心にうかぶ何も無し さびしくも また眼をあける

(石川啄木 「悲しき玩具」 より)


目を閉じて なにも見えず 哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より
他に見えるものはなし
       (中略)
呼吸(いき)をすれば 胸の中  凩(こがらし)は哭(な)きつづける
されどわが胸熱く 夢を追い続けるなり

(谷村新司 「昴」 より)


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20051211m457昴 (スバル、プレアデス星団)
肉眼では、5~7個の星が見える。日本では古来「昴 (すばる) 、六連星 (むつらぼし) と呼んだ。 約1000年前、清少納言は、枕草子で 「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばい星・・・・・・」と絶賛している。 #スバルは素晴らしい!(笑)
なんと、賢治も 「昴」 という詩を作っているのです。谷村新司は、この詩を知ってたのかもしれませんね?(笑)

       昴

沈んだ月夜の楊 (やなぎ) の木の梢 (こずえ) に
二つの星が逆さまにかかる
  (昴〈すばる〉がそらでさう云つてゐる)
オリオンの幻怪と青い電燈
また農婦のよろこびの
たくましくも赤い頬
風は吹く吹く 松は一本立ち
山を下る電車の奔 (はし) り
もし車の外に立つたらはねとばされる
山へ行つて木をきつたものは
どうしても帰るときは肩身がせまい

(中略・後略)            (宮沢賢治 「春と修羅 第一集」 より)

Img_11_2また、賢治の傑作童話 「銀河鉄道の夜」 の初期形 最終場面に登場するブルカニロ博士は、次のように言っています。
「さあいいか。 だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。 それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。 ああごらん、あすこにプレシオスが見える。 おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」 と。 プレシオスとは。プレアデス、昴のことです。  「プレシオス鎖」 とはなんでしょうか?
現在出版されている 「銀河鉄道の夜」 最終形には、ブルカニロ博士は登場しません。登場しないまま物語は終わってしまうのです。 賢治は、死の直前まで 「銀河鉄道の夜」 を加筆訂正していました。 なぜ賢治は、死の直前で、この部分を削除してしまったのでしょうか??永遠の謎です。(笑)


法華経だけでなく、聖書にも精通していた賢治は、旧約聖書の「ヨブ記38章31節」をサンプリングして組み立ててブルカニロ博士の言葉を作ったようです。

君はプレアデスの鎖を結ぶことができるか。
オリオンの綱を解くことができるか。
君は12宮をその時にしたがって引き出すことができるか。
北斗とその子星を導くことができるか。
君は天の法則を知っているか。
そのおきてを地に施すことができるか。    (旧約聖書 ヨブ記38章31節)

谷村新司 「昴」 はこちらをどうぞ。

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2016年5月19日 (木)

「星めぐりの歌」 坂本美雨 with CANTUS

坂本美雨 with CANTUS(カントゥス)が、6月にミニアルバム「Sing with me」をリリースします。なんと、このアルバムには、今年で生誕120年を迎える宮沢賢治作詞・作曲の「星めぐりの歌」が収録されているのです。いやーびっくりしました。素晴らしい!!(笑)  
「坂本美雨 with CANTUS」は、ミュージシャン坂本美雨が聖歌隊CANTUSとコラボしたユニットです。

Hoshimeguri_2ちなみに、ポラリスとは北極星のことです。---------------------------------------------------------------------

  あかいめだまの さそり

  ひろげた鷲の つばさ

  あをいめだまの 小いぬ、

  ひかりのへびの とぐろ。

  オリオンは高く うたひ

  つゆとしもとを おとす、

  アンドロメダの くもは

  さかなのくちの かたち。

  大ぐまのあしを きたに

  五つのばした  ところ。

  小熊のひたいの うへは

  そらのめぐりの めあて。

「坂本美雨 with CANTUS」の「星めぐりの歌」 は、こちらをどうぞ。

メイキング映像は、こちらをどうぞ。

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2015年11月15日 (日)

「ココアのひと匙」

石川啄木のけっこう有名な詩です。
未完ともいえる詩集「呼子と口笛」の中の一遍です。
この詩は、「大逆事件」 (1910年〈明治43年〉、幸徳秋水らが明治天皇を拉致・暗殺するというテロ計画を企てたとして、明治政府によって逮捕・死刑にされた事件) に並々ならぬ共感と興味、関心をいだいていた啄木が書いたものです。
「テロは断じて許されない行為!テロを断じて許さないとう決意!」 これは真実です。 しかし、テロリストを生み出したのは、我々の社会であり国家です。社会や国家は少なからず個々人の思想、意識の反映です。
「テロの撲滅、テロを断じて許さないとう決意」は、テロリストの心を理解しようとするプロセスなしには辿り着けないのかもしれない・・・・・?


「ココアのひと匙」   一九一一・六・一五・TOKYO


われは知る、テロリストの

かなしき心を――

言葉とおこなひとを分ちがたき

ただひとつの心を、

奪はれたる言葉のかはりに

おこなひをもて語らむとする心を、

われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――

しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。


はてしなき議論の後の

冷さめたるココアのひと匙(さじ)を啜(すす)りて、

そのうすにがき舌触りに、

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。

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2015年7月26日 (日)

宮沢賢治記念館 (岩手県花巻市)

先日、かみさんと岩手県花巻市の宮沢賢治記念館、高村光太郎記念館を見学し、賢治・光太郎ゆかりの大沢温泉に一泊してきました。   宮沢賢治記念館は、今年の春に、賢治の基本理念・思想はそのままにして、これまで積み上げられてきた研究成果と最新の展示技術を組み合わせたビジュアルな展示へとリニューアルしました。

Img_5872宮沢賢治記念館入口にて記念撮影! (笑)------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Img_5867リニューアルオープンした宮沢賢治記念館。#勝手に撮影してごめんなさい(笑)    芸術、科学、農業、祈り(宗教)の五つの分野を最新のビジュアルテクノロジーを使って大型スクリーンに映し出したり、多彩なグラフィックで紹介したりするコーナーもあり、子供でも大いに楽しめます。また、特別展示「銀河鉄道の夜はどう生まれたか?~草稿の謎にせまる~」 のコーナーは、映像やパネルだどを使って、解りやすく紹介・解説していて、実に興味深かったです。

Img_5870宮沢賢治ゆかりのバラ「グルス・アン・テプリッツ」が記念館前に植えられていました。 このバラは、賢治が羅須地人協会「賢治の家」の前の花壇に植えていたバラを、ずーっと植え継いできたものだそうです。まさに、賢治ゆかりのバラです。 なんと、当時の賢治は、このバラや花の種を、わざわざイギリスのサットン商会から取寄せていたそうです!!農民らに「金持ちお坊ちゃんの道楽だべー!」と陰口を言われるの当然ですね。(笑) う~む、やっぱり 賢治は、アバンギャルドでハイセンスすぎます。(笑)

Img_5881JR花巻駅近くにある林風舎 (りんぷーしゃ)。 賢治の親族が経営しているショップで、賢治関連グッツを扱っています。 二階は、おしゃれな賢治一色のカフェになっています。 この日の花巻は、とんでもなく暑かったので、かみさんとアイスコーヒーとケーキを注文し、のんびりと涼みながら、賢治に浸ってきました。(笑)   #「林風舎」は、こちらをどうぞ。

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2015年7月14日 (火)

宮沢賢治 歌碑

馬返し(柳沢コース)登山口にある宮沢賢治の歌碑です。 賢治の短歌??と不思議に思う方も多いと思いますが、旧制盛岡中学の先輩 石川啄木の影響からか?盛岡高等農林学校時代の賢治は、多くの短歌を作っていたのです。
Img_5845柳沢コース登山口にある賢治の歌碑と重鎮の雰囲気の岩手山。--------------------------------------------------------------------------------------

Img_5853この歌は、賢治が盛岡高等農林学校の 親友であり、同人誌仲間であった保阪嘉内と一緒に岩手山に登った時に作ってものだそうです。-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

岩手山

いただきにして ましろなる

そらに火花の涌き散れるかも

5482jugr旧制盛岡中学時代の岩手山登山の記念写真だそうです。 前列左側が賢治です。まだあどけないですね。(笑)  当時は、盛岡から汽車で滝沢駅まで行って、そこから歩きはじめたようです。登山口までは、10キロくらいありますから、わたくしなら登山口に着くまでにヘトヘトになりますね。岩手山に登る体力も気力もなくなってしまうでしょう!(笑)


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2015年7月 1日 (水)

宮沢賢治のノート発見!

6月24日の地元紙 河北新新聞の記事です。旧制盛岡中学(現 盛岡一高)時代の賢治のノートが発見されたそうです。賢治に関する資料は、とっくに出尽くしていると思っていましたが、まただまだ出てきそうですね。 いやー驚きました。
 #河北新報の記事はこちらです。

Img_52572地元紙 河北新聞の記事。  発見されたノートには、オルガンを弾く男の姿、勲章を付けた人物など、未来の自分の姿?や動物の絵、数学・物理の数式、英文など、60ページにわたって細かく記載されていたそうです。すでに賢治のマルチナな才能が芽をだしていたようです。 賢治のこのノートは、岩手県矢巾町に寄贈されるそうですが、将来的には、なんとか花巻の「宮沢賢治記念館」に展示してほしいです。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 

Img_52501人気番組 「開運! なんでも鑑定団」に鑑定依頼された、賢治の書いたハガキや手紙には、驚くべき鑑定額が提示されました。 まずは、盛岡高等農林学校(現 岩手大学農学部)時代の賢治の親友であった保阪嘉内に宛てた手紙73通の鑑定額が、なんと「1億8000万円」!! いやー、驚きました。あり得ない金額だと思いました。 賢治の人気、近代文学史的資料価値、希少価値などなどから、超一級の資料だそうです。ちなみに、保阪嘉内は、盛岡高等農林学校時代に賢治が立ち上げた同人誌「アザリア」の中心メンバーの1人でした。 さらに、賢治の書いた手紙一通の鑑定額が200万円、ハガキ三枚と地図が350万円という評価でした。 やっぱり、宮沢賢治は、アバンギャルドでハイセンスなスーパースターです。(笑)

「賢治の手紙73通の鑑定額」は、こちらをどうぞ。

「賢治の手紙一通の鑑定額」はこちらをどうぞ。

「賢治のハガキと地図の鑑定額」は、「開運! なんでも鑑定団」(you.tube)を見て下さい。

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2015年3月 4日 (水)

「烏(カラス)の北斗七星」

「烏(カラス)の北斗七星」は、賢治の生前に出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」に収められた短編童話です。 賢治にしては、珍しく戦争を題材としたもので、近代の戦争をカラスの義勇艦隊と敵である山ガラスとの戦争に見立てて描いた作品であります。知る人には、けっこう知られている童話です。(笑) #「烏(カラス)の北斗七星」はこちらをどうぞ。

Img_4355盛岡市材木町の「光源社」にある賢治の碑。    この碑には、「あゝ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうにはやくこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません」という「烏(カラス)の北斗七星」のなかの一節が刻まれています。戦争を嫌悪する賢治の反戦思想を表すものてして、知る人にはよく知られています。  「あゝ、マヂエル様」とは、「ああ、神様、ああ、イエス様」という感じですね。(笑)     賢治は、田中智学という人が始めた宗教団体「国柱会」(日蓮宗の在家集団)の熱心な信者だったことは良く知られています。もう一人熱心な信者として有名なのが、「世界最終戦論」を唱えた軍国主義者・軍事思想家の石原莞爾(いしはらかんじ)です。  賢治は、アバンギャルドでハイセンス、マルチな才能を遺憾なく発揮した人物です。マルチナな思想も持っていたし、マルチナな宗教観も持っていたと思います。戦争や革命を嫌悪する反戦思想家でもあり、また一方で、国柱会の影響からか、戦争肯定ともとれる手紙も書いています。 父への手紙には、「戦争は人口過剰の結果、その調節として常に起るものであります」、「我々や国民の幸福のために、戦場に行かせてください」と書いていたそうです。 まさにマルチナな思想の持主でした。

Img_4359「光源社」の庭。正面が喫茶店です。  童話集「注文の多い料理店」の出版元として知られる「光原社」は、賢治が命名したものです。 現在の光原社は、漆器等の工芸品を扱う店と喫茶店「可否館」を営んでいす。 「可否館」の向い側には、宮沢賢治関連の展示室があります・・・・・確たる販路もなくやっつけで、自費出版感覚で出版された賢治の童話集は、極端に「注文の少ない料理店」になってしまったのでした・・・・(笑)

Img_4363イーハトーボ材木町、「光源社」は北上川沿いにあります。  「烏(カラス)の北斗七星」には、「義勇艦隊」、「戦闘艦隊」、「巡洋艦」、「駆逐艦」など多くの艦が登場し、「兵曹長」、「観兵式」、「夜間双眼鏡(ナイトスコープ)」、「拳銃」などの言葉が登場します。見方によっては、かなり軍国主義っぽいところのある童話とも言えます。 歴史にもしはないですが・・・・もし、賢治が太平洋戦争の頃まで生きていたなら、高村光太郎のように戦争に協力し、戦争を賛美するような詩や童話を書いたかもしれませんね。(笑)


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2015年2月26日 (木)

聖地巡礼XVI (笑) 「鞍掛山」

鞍掛山は、小岩井農場の北、岩手山の南麓に位置し 標高は897メートル。登山道も整備されていて、子供や登山初心者にも比較的登りやすく、絶好のハイキングコースになっています。 山麓の森は、相の沢キャンプ場として整備されていて、夏になると全国から多くのキャンパーが集まり大いに賑わいます。  
Img_4312鞍掛山と岩手山。 まさに「くらかけの雪」ですね。(笑)  鞍掛山の山麓には牧場が広がり、本当に素晴らしい場所です。このあたり一帯は、賢治のお気に入りの場所だったようです。賢治は冬にやってきて鞍掛山に登ったのでしょうね?

        くらかけの雪

     たよりになるのは

     くらかけつづきの雪ばかり

     野はらもはやしも

     ぽしゃぽしゃしたり黝(くす)んだりして

     すこしもあてにならないので

     ほんたうにそんな酵母(かうぼ)のふうの

     朧(おぼ)ろなふぶきですけれども

     ほのかなのぞみを送るのは

     くらかけ山の雪ばかり

     (ひとつの古風な信仰です)

       ― (宮沢賢治『春と修羅』 より) ―
Img_4342小岩井農場と岩手山。  長編詩 「小岩井農場(パート一)」で賢治は、「(鞍掛山周辺は) 冬に来た時とは別天地になっている」 と回想しています。 #賢治の詩集「春と修羅」に収められている詩「小岩井農場」は、なんと、パート九まである超長編詩であります。(笑)

       (略)      

   これから五里もあるくのだし

   くらかけ山の下あたりで

   ゆっくり時間もほしいのだ

   あすこなら空気もひどくはっきりし

   樹でも艸(草.そう)でもみんな幻燈だ

   もちろんおきなぐさも咲いてるし

   野はらは黒ぶだう酒のコップもならべて

   わたくしを歓待するだらう

       (中略)

   冬にきたときとはまるでべつだ

   みんなすっかり変ってゐる

   変ったとは言へそれは雪が往き

   雲が展(ひら)けてつちが呼吸し

   幹や芽のなかに燐光の樹液がながれ

   あをじろい春になっただけだ
      
     (略)

             ― (宮沢賢治『春と修羅』 より) ―

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2014年11月26日 (水)

啄木歌碑 (東京都中央区銀座)

中央区銀座6丁目の並木通りにある啄木歌碑です。新橋のホテルを出て、朝一で来たのがここでした。以前から是非行ってみたい思っていましたが、なかなか実現できずにいました。今回やっと訪れることができました。 「銀座のど真ん中になんで啄木の歌碑があるの?」と不思議に思うかたもいらっしゃるでしょうね。それは、明治期、ここに東京朝日新聞社があって、啄木が校正係として勤めていたからなのです。
明治5年の銀座大火災の後、政府は、ロンドンの街並みを参考にして、火災に強い大規模な銀座煉瓦街を造ったのでした。洋風な煉瓦街に生まれ変わった銀座に真っ先に入居したのが新聞社だったのです。

「春の雪  銀座の裏の三階の煉瓦造  やはらかに降る」 石川啄木「一握の砂」より

啄木は、洋風な建物が立ち並ぶ「銀座煉瓦街」を毎日見ていたのですねー。。。わたくしも見てみたいです。(笑) でも、なんと、この「銀座煉瓦街」を江戸東京博物館で見ることができるのです!ただしミニチュアですが。。。(笑)
Img_3770銀座並木通りの啄木歌碑。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「京橋の瀧山町の 新聞社 灯のともる頃のいそがしさかな」 
石川啄木「一握砂」より 

現在は中央区銀座6丁目ですが、当時の町名は京橋区瀧山町でした。 この歌碑の向い側に東京朝日新聞社(現 朝日ビル)があり、啄木は、校正係として採用されたのでした。 採用が決まったとき、「ようやく生活が安定する!」と、啄木は大喜びだったそうです。さっそく、北原白秋のところに駆けつけて祝杯を上げました。よっぽど嬉しかったのでしょうね。共感します。(笑)

「北原へかけつけると、大いによろこんでくれて黒ビールのお祝い!十時頃陶然として帰つてきた、これで予の東京生活の基礎ができた!暗き十ヶ月後の今宵のビールはうまかつた!」  啄木日記より
Img_3773銀座並木通りの啄木歌碑。 かなり立派な歌碑でした。この歌碑は木をイメージしていて、裏には木にとまっている啄木鳥(キツツキ)の像がありました。いやー、すごく凝った作りの歌碑でした。(笑)  ちなみに、「啄木」という名は、啄木が書いた「啄木鳥(キツツキ)」という詩を読んだ与謝野鉄幹が、「君の心境を最も良く表現している詩だ!」と褒めて付けた名(雅号、ペンネーム)だそうです。
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2014年11月17日 (月)

中原中也と、太宰治と、宮沢賢治と。(風薫る道)

興味深いブログを見つけました。 みなさん!興味のある方は、見て下さいね。(笑) http://blog.goo.ne.jp/cookie_milk/e/731941ed4b94ce70f9a3033d8a747f80
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檀一雄によれば、中原中也と太宰治が会ったのは計3度。
1度目は、おでん屋「おかめ」にて、檀、太宰、中原、そして草野心平の
4人での酒席。
このときのエピソードは有名ですね~。

寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、丁度、4人で連れ立って、「おかめ」に出掛けて行った。

(中略)

第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から同じように搦まれ、同じように閉口して、中途から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯(うそぶ)くように、

   夜の湿気と風がさびしくいりまじり
   松ややなぎの林はくらく
   そらには暗い業の花びらがいっぱいで

 と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。  

(中略)

中原は一円五十銭を支払う段になって、又一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨にまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、

  汚れちまった悲しみに
  今日も小雪の降りかかる

と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

(檀一雄 『小説 太宰治』より)
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Img_37221パンフレットより。  前にも書いたかもしれませんが、この時いただいた山口県の地ビール「中也ビール」は、最高に旨かったです。-------------------------------------------------------------

Img_37262賢治の短編童話「やまなし」にインスパイアされて作ったとされる「一つのメルヘン」。 #実はパクったとも言いますが・・・(笑)  中也の詩の中では、一番好きな詩です。-------------------------------

Img_37343_3パンフレットより。  旧金木町(現五所川原市)の太宰治記念館(斜陽館)には、是非行ってみたいと思っていますが、いまだに実現できずにいます。来年こそははー・・・・!(笑)--------------------

Img_37374パンフレットより。  賢治の詩や童話の舞台、母体になった岩手イーハトーブの景観は、「イーハトーブの風景地」として文学作品としては初めて国の名勝に指定されました。賢治は、日本の文学史に一種独特な、特異な輝きを放っていますね。すごいことです。(笑)

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