沖縄県 平和祈念公園・平和祈念資料館 (沖縄県糸満市)
沖縄旅行2日目は、3泊したスマイルホテルを8時30分に出発し、沖縄県南部の平和祈念公園へと向かう。国道331号線を通り、ホテルからのんびり走って約40分の距離。
沖縄は、鉄道もバス路線も発達していないため車社会です。そのため観光地への足は、レンタカーが中心。地元沖縄の人の移動手段もほとんどが車なので、街は年中いたるところで渋滞が発生しています。今回も那覇市内や糸満市を通る時などは、いたるところで渋滞が発生していました。沖縄は、運転のマナーも全国でワーストワンだとか! やれやれ!(笑)
今回の旅行の最大の目的は、沖縄県南部糸満市にある平和祈念公園・資料館とひめゆり学徒隊関連の施設や戦跡を観ることでした。第二次世界大戦末期、沖縄戦の激戦地であった沖縄県南部には、多くの戦跡が点在しています。戦争の真実にふれ、抑止力強化も含めて、戦争をしない、させないためにはどうしたらいいのかを真剣に考え、平和のために祈りたいと思いました。
平和と戦没者追悼のシンボル 「沖縄平和祈念堂」
世界の人種や国家、思想や宗教などのすべてを超越した 「世界平和のメッカ」 として、この平和祈念堂は開堂したそうです。
平和の礎 (いしじ)
沖縄戦終結50周年となる1995年に建設。 なんと、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった25万人以上の全ての人々の名前が刻まれているそうです。少し歩いて観てみましたが、沖縄県県外出身者の名前も多く刻銘されていました。
沖縄県平和祈念資料館 入口の一つ
ここは、凄かったです。2階の 「歴史を体験するゾーン」 は必見だと思いました。
沖縄県平和祈念資料館
展望台を備えた、まるでリゾートホテルのような建物でした。
第3展示室、住民の見た沖縄戦 「地獄の戦場」
ここは、とんでもなく凄まじいところでした。米軍の砲爆撃でバラバラになった死体や火炎放射器によって黒焦げになった死体、銃撃で穴だらけになった死体などなど、軍人、民間人、老若男女の惨たらしい死体写真であふれていました。今のウクライナも全く同じ。これが現実なのです。
同じく、第3展示室、住民の見た沖縄戦 「地獄の戦場」
ガマ (避難豪) の中を再現したジオラマ。
子供の泣き声がもれないように口を抑える母親と威嚇する日本兵。
『沖縄守備隊は、首里決戦を避けて南部に撤退し、出血持久作戦をとった。その後、米軍の強力な掃討作戦により追い詰められ、軍民入り乱れた地獄の戦場と化した。ガマ (避難壕) の中では、日本兵による住民虐殺や強制による集団自決、餓死などがあり、ガマの外では、米軍による空爆や艦砲射撃、火炎放射器などによる殺戮があって、まさに阿鼻叫喚の地獄絵であった。』 パンフレットより
平和の広場と平和の火
左側に見えるのが平和の礎 (いしじ) 、正面がリゾートホテルのような平和祈念資料館
平和記念公園北西の展望台より北西方向 (太平洋) を望む
絶壁を覆う緑と赤瓦屋根の対比が美しい!
同じく、平和記念公園北西の展望台より南東側を望む
塔があるホテルのような建物が平和祈念資料館。素晴らしい眺望です。
平和祈念資料館の展望台から南東側を望む
正面が 「平和の火」 、右隣が 「平和の礎 (いしじ) 」
平和祈念公園が、琉球石灰岩が隆起した台地の断崖の上に造られているのがよく分かります。あまりにも素晴らしい景観だったので、写真を撮りながらしばらくぼーっとして眺めていました。
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