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2023年7月

2023年7月31日 (月)

南蔵王 屛風岳 (宮城県蔵王町)

少し前ですが7月21日に、蔵王エコーライン刈田峠から屏風岳~水引入道分岐まで登ってきました。 当初は、杉ヶ峰(1745m)~屏風岳(1817m)~南屏風岳(1810m)~不忘山(1705m)を往復する予定でしたが、雨のため屛風岳の先、水引入道との分岐あたりで撤退。 朝方は、曇り時々晴れのまずまずの天候で、涼しく絶好のトレッキング日和でしたが、屛風岳に着いた頃から分厚い雲が覆いはじめて、あっという間に本格的な雨。雨の中不忘山まで行ってもつまらないと思い途中で引き返してきました。涼しさもあり快調に登っていたのですが残念でした。

今回のトレッキングの一番の見どころである芝草平や杉ヶ峰周辺には、多くの高山植物の名花が咲いていました。次回で紹介したいと思います。

刈田峠発 (7: 30)~杉ヶ峰~芝草平~屛風岳~水引入道分岐着 (10: 15) の往復、刈田峠着(13:30) 休憩含む。約6時間のトレッキングでした。

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刈田峠の登山口

朝方は青空も広がっていました。

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刈田峠から登山道に入ると雄大に広がったアオモリトドマツの林が展望できる。

これらのアオモリトドマツは、冬の蔵王の名物である樹氷原となり多くのスキーヤーやスノーボーダーを楽しませてくれます。

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前山あたりから望む刈田岳 (1758メートル) 

ハイラインによって何箇所も登山道が寸断されているのがよく分かります。

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杉ヶ峰(1745m)山頂に到着

展望は全くダメでしたが、まだなんとか青空が見えました。

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標高1652メートルの高層湿原 「芝草平」 に到着

ご覧の通り、だんだんと雲行きが怪しくなってきました。

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芝草平にて

まだ6~7分咲きという感じでしたが、キンコウカなどが咲き乱れていました。

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芝草平にて

木道があるのはここまでです。昔 (40年くらい前) までは、この先も登山道が続いて芝草平を縦断し林道まで行くことができました。しかし、植生保護のため廃道になり立ち入り禁止になりました。非常に良いことですね。一度失った自然は元に戻りません。

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屛風岳 (1817メートル) 山頂  こんな感じで展望は全くダメでした。

山頂で休んでいると雨がポツリ、ポツリと降ってきました。晴れていれば、仙台市街地や太平洋まで見渡せるのですが残念。

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宮城県側から見た屛風岳の東側斜面 (ネットより拝借)

屛風岳は蔵王連峰の最高峰 熊野岳 (1840メートル) に次ぐ標高の山。屛風岳の名は、東側斜面が切り立った崖になっていて屏風のように見えることに由来します。

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2023年7月29日 (土)

那覇市歴史博物館 (沖縄県那覇市)

沖縄旅行 4日目最終日。 

帰り支度をしてホテルを9時30分に出発。徒歩で10分くらいの距離にある那覇市歴史博物館に向かう。もうすでに30度を超える暑さ。強い日差しが朝から照り付けます。博物館に着いた頃には、汗びっしょりになっていました。やれやれ。

今回の沖縄旅行は、全国旅行支援が利用できました。2割引き+9,000円のクーポン券が付きますので、実質3割引くらいになり大変助かりました。

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那覇市歴史博物館 入口

ゆいレール (モノレール) の県庁前駅のすぐ近くにあります。

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内部の様子

ご覧のように「国宝展」を開催しているというのにガラガラでした。

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国宝 「琉球国王の玉冠」 細部に渡って精巧に復元されたレプリカです。

琉球王の即位儀礼や様々な国内儀礼の際に使用された玉冠 (たまのおかんむり) とのこと。金や銀、サンゴ、琥珀、メノウ、水晶、ネフライトなどを使って精巧に作られていました。工芸技術の高さが伺えます。ちなみに、本物の 「玉冠」 は、展示公開の日数が年間30日と制限されているそうです。劣化を防ぐためにはしょうがないですね。

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国宝 「三彩三耳壺 (さんさいさんじこ) 」

琉球王国時代の沖縄では、盛んに陶磁器が作られていて、江戸時代の日本や東南アジアに輸出していたそうです。今でも、沖縄の焼き物 やちむん、やちむんの里は有名ですね。

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国宝展のポスター

なんとラッキーなことに、沖縄旅行最終日の7月7日からの開催でした。

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沖縄県 唯一の鉄道 ゆいレール

那覇市歴史博物館を後にし、ゆいレールで国際通り方面に向かう。

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8月に沖縄で開催されるバスケットボール ワールドカップのポスター

沖縄は、バスケットボールが盛んです。沖縄のプロバスケットチーム 「琉球ゴールデンキングス」 は、惜しくも優勝を逃しましたが 西地区で1位でした。

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本格ソーキそば (1500円)

昼食は、国際通りの沖縄そばの店で 「本格ソーキそば」 をいただいてきました。半端ないボリュームとソーキの甘辛いタレがスープに溶け込み最高に美味かったです。ちなみに、ソーキとはスペアリブのことです。

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昼食後、近くのショップでお土産を買い宅急便で自宅に送る。隣のカフェでアイスコーヒーを飲みながらしばし休憩。その後、ゆいレールで那覇空港に向かい、南国 沖縄に別れを告げた。

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2023年7月26日 (水)

おきなわワールド 玉泉洞 (沖縄県南城市) 万座毛 (沖縄県恩納村)

沖縄旅行2日めに行った玉泉洞。

玉泉洞には、寄るつもりはなかったのですが、時間に余裕ができたので寄ることにしました。ひめゆりの塔から、ゆっくり走って20分の距離。思ったより近かったので良かったです。 玉泉洞は、 「おきなわワールド」 というテーマパークにある観光鍾乳洞です。荘厳で神秘的。想定外の素晴らしい景観の連続で圧倒されました。  

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玉泉洞入口付近

玉泉洞は、日本三大鍾乳洞 (岩手県 龍泉洞・山口県 秋芳洞・高知県 龍河洞) に匹敵する規模とのこと。

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最初の見どころ 「東洋一洞」

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「青の泉」

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「黄金の盃」

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熱帯フルーツ園にて  初めて見るパイナップル畑

ここの売店で売っていたサトウキビを買い、かじってみました。そしたらなんと甘い汁が瞬時に口の中に広がりました。まるで、砂糖をなめているような感覚。あまりの甘さに言葉を失いました。 

薩摩藩や明治政府に莫大な富をもたらしたというサトウキビ。薩摩藩や明治政府の支配下にあった奄美大島や沖縄の農民は、稲作を禁じられサトウキビだけを作らされ、収奪されました。過酷な労働を強いられたようですね。(涙)

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人気メニューの 「冷やし淡雪そば+アンダンスー入りおにぎり」 (1100円) 

ひめゆりの塔から玉泉洞に向かう途中、沖縄そばの店があったので立ち寄り、遅い昼食をいただいてきました。沖縄産のモズクやハンダマなども入っていました。最高に美味しかったです。暑いときには最高ですね。ちなみに 沖縄のソウルフード 「アンダンスー」 とは、沖縄味噌に砂糖、泡盛を加えてブタの脂身で炒めたもの。 「ハンダマ」とは、ビタミン類を多く含む亜熱帯の野菜でだそうです。  『とろろメレンゲ、モズク、ハンダマ、ゆず、小松菜などを使用。雪の降らない沖縄で、夏でも広がる山芋によるふわふわ、とろとろの雪原をお楽しみください』 とのこと。 いやー、沖縄にきて雪原を楽しめるとは思ってもいませんでした!(笑)

 

沖縄旅行3日目に行った万座毛。

海洋博公園に3時間30分くらい滞在したあと、沖縄県中西部恩納村 (おんなそん) にある万座毛 (まんざもう) へと向かう。海洋博公園からのんびり走って約1時間の距離。海岸沿いを走る絶好のドライブコースでした。 

万座毛は、本島西海岸にある景勝地。琉球王国時代は聖地でした。隆起した琉球石灰岩の台地が高さ約20メートルの断崖絶壁を形成しており、ここからは東シナ海が一望できます。沖縄海岸国定公園に属していて、絶景が続く断崖と海岸線はとても美しく、サンセットスポットとしても大人気です。

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入口にある 「万座毛周辺活性化施設」

リニューアルオープンしたばかりのようで、立派な施設になっていました。

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万座毛といえばこれ!  「象の鼻に似た奇岩」 です。

高さ約20メートル。足がすくむほどの高さから見る景色は圧巻で感動的。自然の雄大さ、美しさを実感できました。

「万座毛」 というなんとも不思議な名称ですが、琉球王国時代の王 尚敬 (しょうけい) がこの地を訪れた際に 「万人が座するに足る毛 (草原) 」 と称賛したことに由来するとのこと。

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雨で浸食された琉球石灰岩が鍾乳洞のようになっていました。高さ20メートル、覗くと怖いです。

万座毛一帯の植物は、貴重なものが多いため 「万座毛石灰岩植物群」 として、沖縄県の天然記念物に指定されています。

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万座毛の東側、万座ビーチとANAインターコンチネンタル万座ビーチホテル

遊歩道の終盤に見える景色。白いホテルが青い海によく映えます。サンゴ礁の海も見応えがありました。絶景です。

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2023年7月24日 (月)

沖縄 海洋博公園 (沖縄県本部町) 

沖縄旅行3日目は、3泊したスマイルホテルを8時30分に出発し、沖縄県北西部の本部 (もとぶ) 半島にある海洋博公園へと向かう。沖縄自動車を通り、ホテルからのんびり走って約2時間。距離にして約90キロ。けっこう遠いです。

沖縄は24時間暑いです。ホテルでも朝までエアコンはつけたまま。滞在中の朝の最低気温は28度~29度、最高気温は31度~32度。この日も強い陽射しが照りつけていました。でも沖縄では、35度を超える猛暑日はないとのこと。さらに一日中海風が吹き付けているので、湿気があっても涼しく感じるときが多々ありました。真夏の京都や奈良などよりも過ごしやすいかもしれません。

沖縄 海洋博公園は、昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地に整備された広大な公園です。テーマパークと言ってもいいでしよう。今日の目的は、エメラルドビーチと海洋文化館、おきなわ郷土村を観ることでした。 絶大な人気を誇る 「美ら海 (ちゅらうみ) 水族館」  は、台湾系、韓国系のカップルやファミリー、日本人の若い人で大混雑。入口には長蛇の列。とても観る気にはなれませんでした。

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公園の高台から東シナ海を望む

リーフが美しい。後方見えるのは伊江島 (伊江村) と観光スポットの城山 (ぐすくやま) 。

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同じく公園の高台からエメラルドビーチ方面を望む

この辺りから見る東シナ海に沈む夕日 (サンセットビーチ) は、絶景だそうです。でも、この辺りに一泊しないと見れないですね。

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本日の目玉、エメラルドビーチ

沖縄と言えばビーチ。沖縄本島で絶景度ナンバーワンと言われるエメラルドビーチです。ため息がでるほど素晴らし景観。コーラルサンドとクリアな海水と太陽光が織りなすブルーグラデーションが美しい。 エメラルドビーチは、沖縄でも珍しいラグーン内にあるビーチだそうです。

このエメラルドビーチは、ウミガメの産卵場所になっているため一切立ち入り禁止。常時短パン姿の監視員が目を光らせていました。

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水族館の入口にあるジンベエザメのモニュメント

記念写真撮影のスポットになっていました。美ら海水族館には、沖縄の海を再現した巨大な水槽があり、ジンベエザメが悠々と泳いでいるそうです。凄いですね!!

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海洋文化館入口

チブルシーサーとマオリ族の守護神の彫り物が出迎えてくれます。

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館内1階にて

ここでは、アジアやオセアニアから海を渡った人々の歴史や文化を知ることができます。南太平洋地域のカヌーのコレクションをはじめ、南太平洋と沖縄の海洋文化にまつわる民族資料約750点を展示。見応えがあり過ぎました。

水族館は大混雑していたのに、こちらはご覧の通りガラガラでした。そのおかげで、暇そうにしていた学芸員の方と話ができ、この辺りの歴史など興味深い事をいろいろ聞くことができました。良かったです。

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館内2階にて

ここでは、航海技術や歴史を紹介。貴重なカヌーのコレクションの展示や大型スクリーンの映像は圧巻。プラネタリウムも上映していました。

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おきなわ郷土村  地頭代の家

「いにしえの時が、静かによみがえる。琉球王国時代の沖縄へタイムスリップ」 

ここでは、琉球王国時代の村落の様子を再現しています。当時の人々の心の拠り所となった御嶽や拝所、奄美大島や与那国島の民家も再現されていました。

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ノロの家

ノロと呼ばれる神事を司る神女・巫女が住んでいた家だそうです。沖縄は巫女が多いですね。驚きました。

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昼食は、レストランで 「沖縄そば+ちゅらうみ肉まん」 (1100円) をいただいてきました。沖縄そばは、豚骨とカツオ節のブレンド系あっさりスープが基本。とても美味かったです。

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2023年7月20日 (木)

ひめゆりの塔 ・ひめゆり平和祈念資料館・ひめゆり学徒散華の跡碑 (沖縄県糸満市)

平和祈念公園に3時間くらい滞在した後、車で7分くらいの距離にあるひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館に向かう。 ひめゆりの塔は、想像を絶する沖縄戦でなくなった、沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑です。 隣接する資料館では、生徒たちの戦前の日常生活や陸軍病院での想像を絶する過酷で命がけの体験を伝えています。

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有名な 「ひめゆりの塔」

入口で花束を購入し、献花して手を合わせて祈りを捧げてきました。しばし黙とう!

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ひめゆりの塔は、ガマ (鍾乳洞) と呼ばれる壕の上に建てられていました。

このガマ  (鍾乳洞)  は、当時、沖縄陸軍病院第三外科壕になっていたのです。ひめゆり学徒隊を含む約100人が避難していました。ガマを発見した米軍による再三の投降の呼びかけに、応じることはなかったそうです。そのため、米軍は、ガス弾や手榴弾を投げ込み80人が犠牲になったとのこと。生き残ったひめゆりの生徒によると、 「米軍による投降の呼びかけは、悪魔のささやきに聞こえた」 そうです。戦前の軍国主義的な洗脳教育には、強い憤りを覚えました。

ひめゆり資料館には、原寸大で再現したガマのジオラマがあります。ガマの中の構造を再現した実物大のスケールは圧巻。必見です。

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隣接する、ひめゆり平和祈念資料館

資料館の入口は、ひめゆり学徒隊の学校「沖縄県立第一高等女学校」 の正門を模して造られています。

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戦前に撮影された校長先生と生徒たちの記念写真  ここだけが撮影可でした。

特に、「ひめゆりの戦場」 と 「ひめゆりの証言映像」 のコーナーは、涙なくしては観ることができませんでした。

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ひめゆり平和祈念資料館の中庭

ベンチに座り、 「琉球コーラ」 を飲みながらしばし休憩。

 

「ひめゆりの塔・平和祈念資料館」 に1時間30分くらい滞在したあと、車で15分の距離にある最南端の地 荒崎海岸の 「ひめゆり学徒散華の跡碑」 に向かう。  広大なさとうきび畑の中を、車が一台やっと通れる草ぼうぼう・デコボコの細い道を、慎重に運転してしばらく進んだ先には大きな駐車場。車を降りて、藪の中の細い道をしばらく降りて行くと、突然視界が開けて美しい景観の荒崎海岸が現れた。予想通り、ここには誰もいませんでした。いるのはわたくしだけ。  「こんなところまで来る観光客はいないだろう!」  と思っていたら、なんと、大阪から来たという一人旅の男性   (50代)  がやってきました。 驚くとともに、なんか嬉しくなりましたね。 いろいろ話をして、 「デコボコの細い道でしたね。車で来るとき怖くなかったですか?」 と聞いたら、 「レンタカーは高いので、レンタルバイクで回っているから大丈夫!」 とその男性。  「なるほどレンタルバイクもあるのかー!」  と目から鱗でした。 駐車場に戻ったら、目の前に沖縄ナンバーの小型バイク。  「バイクで回るのもかっこいいなー! 」 と思いました。

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ひめゆり学徒散華の跡碑  合掌!

慰霊碑には、この海岸に追い詰められて自決した、ひめゆり学徒隊の生徒たちと先生の名前、年齢、没年月日が刻まれていました。

死の恐怖に怯えながら壕を脱出したひめゆり学徒隊の生徒は、小さなグループに別れ、この辺りをさまよった。海からは暴風雨のような艦砲射撃、陸からは迫撃砲や銃で武装した米兵が迫る。荒崎海岸に追いつめられたグループは、米兵の銃撃を受ける中、教師1人と生徒8人、卒業生1人が手榴弾で自決したそうです。 「なんで投降しなかったのか?? 投降していれば全員助かったのに!!」 と思わずにはいられませんでした。 やはり、投降を呼びかけるスピーカー音は、悪魔のささやきに聞こえたのでしょう。 改めて、戦前の軍国主義的な洗脳教育には、強い憤りを覚えました。

今の美しい海岸を観ていると 全く信じられませんが、78年前 この美しい海岸はアメリカ軍の艦船に埋め尽くされ、投降勧告のスピーカー音が響き、海岸には死体がゴロゴロしていたそうです。

ひめゆり学徒散華の碑と荒崎海岸   撮影した動画を観てください。

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2023年7月17日 (月)

沖縄県 平和祈念公園・平和祈念資料館 (沖縄県糸満市)

沖縄旅行2日目は、3泊したスマイルホテルを8時30分に出発し、沖縄県南部の平和祈念公園へと向かう。国道331号線を通り、ホテルからのんびり走って約40分の距離。 

沖縄は、鉄道もバス路線も発達していないため車社会です。そのため観光地への足は、レンタカーが中心。地元沖縄の人の移動手段もほとんどが車なので、街は年中いたるところで渋滞が発生しています。今回も那覇市内や糸満市を通る時などは、いたるところで渋滞が発生していました。沖縄は、運転のマナーも全国でワーストワンだとか! やれやれ!(笑)

今回の旅行の最大の目的は、沖縄県南部糸満市にある平和祈念公園・資料館とひめゆり学徒隊関連の施設や戦跡を観ることでした。第二次世界大戦末期、沖縄戦の激戦地であった沖縄県南部には、多くの戦跡が点在しています。戦争の真実にふれ、抑止力強化も含めて、戦争をしない、させないためにはどうしたらいいのかを真剣に考え、平和のために祈りたいと思いました。

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平和と戦没者追悼のシンボル 「沖縄平和祈念堂」

世界の人種や国家、思想や宗教などのすべてを超越した 「世界平和のメッカ」 として、この平和祈念堂は開堂したそうです。

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平和の礎 (いしじ) 

沖縄戦終結50周年となる1995年に建設。 なんと、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった25万人以上の全ての人々の名前が刻まれているそうです。少し歩いて観てみましたが、沖縄県県外出身者の名前も多く刻銘されていました。

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沖縄県平和祈念資料館 入口の一つ

ここは、凄かったです。2階の 「歴史を体験するゾーン」 は必見だと思いました。

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 沖縄県平和祈念資料館

展望台を備えた、まるでリゾートホテルのような建物でした。

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第3展示室、住民の見た沖縄戦 「地獄の戦場」

ここは、とんでもなく凄まじいところでした。米軍の砲爆撃でバラバラになった死体や火炎放射器によって黒焦げになった死体、銃撃で穴だらけになった死体などなど、軍人、民間人、老若男女の惨たらしい死体写真であふれていました。今のウクライナも全く同じ。これが現実なのです。

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同じく、第3展示室、住民の見た沖縄戦 「地獄の戦場」

ガマ (避難豪) の中を再現したジオラマ。

子供の泣き声がもれないように口を抑える母親と威嚇する日本兵。

『沖縄守備隊は、首里決戦を避けて南部に撤退し、出血持久作戦をとった。その後、米軍の強力な掃討作戦により追い詰められ、軍民入り乱れた地獄の戦場と化した。ガマ (避難壕) の中では、日本兵による住民虐殺や強制による集団自決、餓死などがあり、ガマの外では、米軍による空爆や艦砲射撃、火炎放射器などによる殺戮があって、まさに阿鼻叫喚の地獄絵であった。』 パンフレットより

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平和の広場と平和の火

左側に見えるのが平和の礎 (いしじ) 、正面がリゾートホテルのような平和祈念資料館

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平和記念公園北西の展望台より北西方向 (太平洋) を望む

絶壁を覆う緑と赤瓦屋根の対比が美しい!

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同じく、平和記念公園北西の展望台より南東側を望む

塔があるホテルのような建物が平和祈念資料館。素晴らしい眺望です。

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平和祈念資料館の展望台から南東側を望む

正面が 「平和の火」 、右隣が 「平和の礎 (いしじ) 」

平和祈念公園が、琉球石灰岩が隆起した台地の断崖の上に造られているのがよく分かります。あまりにも素晴らしい景観だったので、写真を撮りながらしばらくぼーっとして眺めていました。

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2023年7月14日 (金)

首里城・玉陵 (たまうどぅん) (沖縄県那覇市)

斎場御嶽を見学したあと、那覇市の首里城公園に向かう。斎場御嶽に2時間くらい滞在したため、首里城公園に着いたのが17時過ぎになってしましました。でも、夏場の閉園時間が20時だったので、ゆとりを持ってじっくり見学することができました。良かったです。 なんと、沖縄は 20時でもまだ明るいのです。驚きました。

首里は、約450年続いた琉球王国の中心都市。首里城は、その高台に展開する王城です。琉球王国の政治・外交・文化の中心地として威容を誇った首里城は、沖縄戦で徹底的に破壊されました。戦後、見事に復元されましたが、2019年10月、みなさんご存知のように正殿などが火災で焼失してしまいました。現在、2026年の完成を目指して復元中。完全に復元されたら、是非観に行きたいと思いました。

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沖縄のシンボル 「守礼門」

こちらは、戦後再建されたものです。沖縄戦で焼失する前は国宝に指定されていたとのこと。 最近見かけなくなった二千円札の表面にデザインされてます。

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首里城跡などは、世界遺産に登録されています。

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守礼門を通り、しばらく歩くと現れるのが 「歓会門」

首里城の中心部に入るための第一の正門。門の両脇には、沖縄の守り神シーサー。アーチ状の城門の上には、木造の建物が載っていました。城壁も高いです。見応えがありました。

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歓会門からしばらく坂を登って行くと現れるのが 「瑞泉門」

その名の通り、手前にある「龍樋 (りゅうひ) 」と呼ばれる龍の彫刻からこんこんと水が湧き出ていました。 

守礼門もそうですが、明らかに首里城は、中国様式というか中国風な建造物だと思いました。  「琉球処分」など薩摩藩や明治政府によって侵攻・侵略される前の琉球王国時代は、中国との結びつきが強かったので、さもありなんという感じです。全てが圧巻の景観。世界遺産に登録されたのは当然だと思いました。

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残念ながら、一番の見どころ 「正殿」 はこんな感じでした。

「見せる復興」をコンセプトにしているため、内部の復興の様子が手に取るように見ることができます。2026年の公開が楽しみですね。

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東 (あがり) のアザナ

首里城の最東端の高台に築かれた物見台。なんと標高が140メートルあるとのこと。首里城内や街並みが一望できて気分爽快。気持ちの良いところでした。

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首里城の隣にある、世界遺産・国宝の玉陵 (たまうどぅん)

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世界遺産・国宝の玉陵 (たまうどぅん)

歴代の琉球国王、王妃、王族が眠る陵墓。どこから見ても「お墓」には見えませんでした。城郭、要塞という感じです。迫力満点の存在感が凄い!  なんでも、自然の岩山を削って造られたそうです。

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葬列が行われたときの控室だった建物。

ガジュマルの木が生い茂る林の中にありました。

妖精キジムナーが住むと言われている亜熱帯の木、ガジュマル。沖縄では幸せを呼び込む木とされ大切にされています。

 

玉陵(たまうどぅん)    撮影した動画を観てください。

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2023年7月11日 (火)

斎場御嶽 (せーふぁうたき) (沖縄県南城市) 

先週、3泊4日で沖縄を旅行してきました。著名な世界遺産と人気の観光地を巡るという風の向くまま、気の向くままの一人旅。沖縄には、歴史や文化、自然など見どころが盛りだくさん。スマイルホテル沖縄那覇シティリゾートにステイして、観光の王道コースをレンタカーで巡ってきました。半端ない達成感と満足感のオンパレード。天候にも恵まれ、沖縄の夏を飽きるくらい満喫してきました。でも、かみさんは 家でネコとお留守番です。(笑)

1日目、仙台空港→那覇空港、那覇空港からレンタカーで斎場御嶽 (せーふぁうたき) →首里城・玉陵 (たまうどぅん)  →スマイルホテルに泊。    2日目、ホテルからレンタカーで、沖縄平和祈念公園・平和祈念資料館→ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館→ひめゆり学徒散華の地→玉泉洞→スマイルホテルに泊。    3日目、ホテルからレンタカーで、国営沖縄記念海洋公園→万座毛→スマイルホテルに泊。   4日目、ホテルから徒歩とモノレールで、那覇市歴史博物館→那覇空港→仙台空港。

 

予約していたレンタカーショップで車を借りて斎場御嶽 (せーふぁうたき) へ。 那覇空港からゆっくり走って40分くらいの距離です。

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世界遺産 斎場御嶽 (せーふぁうたき) 入口

「緑の館 セーファ」 の館内で3分ほどのマナービデを観てから 「琉球王国最高位の聖地」 へと向かう。なんかドキドキしてきましたね。(笑)

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高台にある久高島遥拝所  久高島が一望できます。

久高島は、神々が宿る神聖な場所。巫女の島でもあり、今でも男子禁制の 「御嶽  (うたき)  」 があるとのこと。

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最奥にある最大の聖地 「三庫理  (さんぐーい)  」

ご覧のように今は、立ち入り禁止になっているため中に入ることは出来ません。

琉球国王も定期的に参詣していて、国家行事との関りが深かった場所であることから、今でも大切にされているとのこと。まさに、現代に息づく古代のロマンですね。トンネルの向こう側からも神の島 久高島が一望できるという。

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同じく最大の聖地「三庫理 (さんぐーい) 」

南国特有の植物が生い茂る深い緑に囲まれ、神聖な空気に包まれた斎場御嶽の聖地でありシンボル。琉球石灰岩の巨岩が重なり合ってできた三角形のトンネルが、何とも言えない幻想的な空間を創り出していました。

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琉球石灰岩の崖から延びる鍾乳石

鍾乳石からは、聖なる水が滴り落ちる。下には、聖なる水で豊凶を占ったとされる壺がありました。

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最大の聖地「三庫理  (さんぐーい) 」の説明板

三庫理からは、中国青磁や貨幣、勾玉などが発掘されました。しかも、なんと、金製の勾玉も数個発掘されたとのこと。いやー、驚きました。発掘品の一部は、入場チケット販売所でもある「南城市地域物産館」でも見ることができます。

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帰り際、歩き疲れたので、坂道の下にあった外国人住宅カフェで 「シークワーサージュース」 を飲みながらしばし休憩。

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