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2021年3月11日 (木)

東日本大震災から10年

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合大災害は、甚大な被害をもたらし、関連死を含めて約2万2,000人余りの人命を奪った。日々の暮らしを無慈悲に奪われ絶望したあの日から、今日で10年を迎える。

東日本大震災が発生してから数日後、絶望のどん底あった人々の心に宮沢賢治の言葉が浮かんだ。彼の代表作 「雨ニモマケズ」 だ。 

「絆 3.11 」 という被災者支援プロジェクトで、俳優の渡辺謙さんが被災者への思いを込めて朗読していた。インターネットでも紹介され、ハリウッドスターも賛同し、その輪は世界に広がって行った。

みなさんご存知のように、 「雨ニモマケズ 」 の詩は賢治の死後に発見されたもので、題もついていなかった。賢治が愛用していた手帳に鉛筆でメモのように書き留められていた。詩の節奏を備えていたことから 「詩作品」 と見なされてしまったもので、発表したり他人に読ませたりすることを意図しない賢治の心のつぶやきと言ってもいいと思う。発見と同時に 「賢治の代表作」 にされてしまった運命の詩でもある。

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昭和8年9月20日、死の前日に賢治が書いた絶詠二首。

「方十里稗貫 (ひえぬき) の みかも稲熟れて  み祭三日そらはれわたる」

「病 (いたつき) の ゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄 (す) てばうれしからまし」

この年の秋は、賢治の住んでいる岩手の稗貫郡は大豊作になり、三日間続いた鳥谷ヶ崎神社の祭りでは、貧しい多くの農民達が喜びを爆発させた。度重なる冷害で疲弊した農民たちの絶望が希望に変わった瞬間だ。豊作にわく秋祭りのお囃子を聴きながら賢治は、この歌を詠んだ。

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