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2021年3月 6日 (土)

「2011年3月12日の朝刊 河北新報のいちばん長い日」

2011年3月11日の東日本大震災により、仙台市青葉区五橋の河北新報本社は大規模な被害を受け、新聞製作が困難になっていた。それにもかかわらず、なんと震災の翌日3月12日の昼頃に朝刊が届いた。 「河北新報は、いったいどんな魔法を使ったんだ?!」 と、驚きともに感激して涙が出てきた。

さて、どんな魔法を使ったのか? 当時、河北新報は、新潟日報社と 「災害協定」 を結んでいたため、3月12日付けの朝刊は、河北新報の記事データを非常時用の回線を使い新潟日報社に送って紙面を作成し、何とか稼働できた河北新報社の印刷所で印刷をしたのだ。当然のことながら、河北新報の社員は全員徹夜で頑張ったようだ。頭が下がる。

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2011年3月12日の昼頃、家に届けられた8ページの朝刊。我が家では永久保存になっている。

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同じく2011年3月12日に届けられた夕刊。こちらも永久保存。

記事の 「河北抄」 にはこのように書いてあった。

『刻一刻と入る被害状況におののくばかりだ。昨日起きた東日本大震災。マグニチュード8.8 (9.0) という観測史上最大の巨大地震が列島を襲い、時間の経過とともに被害の大きさが明らかになってきた。

地震とそれに続く津波の影響で、死者や行方不明者が多数に上り、陸前高田市 (岩手県) は壊滅的状態だという。大規模火災が各地で発生したほか、住宅崩壊も相次ぎ自然の破壊力になすすべもない状況だ。数字がどんどん積み重なる度に、人間がいかに頼りない存在かを思い知らされる。 

本震の後もひっきりなしに起きる余震の揺れ。救急車のサイレンの音が途切れなく続くた。昨夜は停電による暗闇の中、寒さと余震の恐怖に震えて、眠れぬ夜を過ごした人がほとんどだろう。

今朝、仙台市中心部では、営業を始めた店を探し歩く人を多く見かけた。ドラックストアでは、大勢の行列ができていた。散乱した店内から生活用品を選び、店員が電卓をたたいて計算していた。

今朝も長野県で震度6強を記録する地震が発生した。余震に用心しながら少しずつ生活を立て直していこう。』

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