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2021年2月16日 (火)

2011年3月16日(水) 東日本大震災~青葉区北部を歩く

仙台は、食料、水(ウチはまだだが、かなり復旧したらしい)、ガソリン、灯油など、ほとんどのものが不足している。特に、ガソリン、灯油の供給は逼迫している。かなり深刻だ。今日の仙台はかなり寒い。雪が降っている。時折吹雪く状態だ。 銀行のATMは、かなり使えるようになった。金はあるが物が全然ない状態だ。やれやれ!(涙)

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青葉区北根交差点付近。 

朝の9時だというのにガソリンスタンドは長蛇の車の列。ガソリンを販売するとの情報を得て、朝5時から並んでいる人もいた。1人2,000円まで、1人10リッターまでの制限。並んでもガソリンを買える保障はない。ガソリンを求めてあちこち走りまわっているうちに、ますますガソリンを減らしてしまうという悪循環。こんな状況のときは車を使わないのが賢明だ。 頼みは自転車!市内の自転車屋には、注文や修理依頼が殺到してるという。

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青葉区桜ヶ丘の生協。

レジの前は大混雑だ。今日も開店するとの情報を得て、さっそく買いだしに行ってきた。自宅から歩いて50分くらいの距離だ。自転車を持っていないので歩くしかない。まあ、歩くのは慣れているので、往復2~3時間以内だったら全く苦にならない。 店内は自由に入ることができた。並ばなくてもいいのは助かる。品物もけっこう残っていた。ただし1人10品限定。ペットボトル系、カップ麺、パンなどは、1人一品のみ。(涙)

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2011年3月11日。東日本大震災の激震と津波が岩手、宮城、福島の太平洋沿岸部を襲い、多くの町を飲み込んだ。そこにあった多賀城市や松島町などの自衛隊駐屯地の建物や滑走路はズタズタになり飛行機や車両は流され水没し、多くの隊員は家や家族を失った。自らも被災者でありながら、自衛隊員たちは市民の救助のために奔走した。過酷な作業を無休で続けていた自衛隊。無精髭の隊長さんがテレビのインタビューで話していた内容を10年たった今でも鮮明に覚えています。その隊長さんは、「なぜ、自衛隊員がこんなにも長期間、レトルトの行動食だけで不眠・不休・無休で感情を抑えながら活動を続けられるのかというと、日ごろ、もっと厳しい訓練をしているからです。他国の侵攻など、最悪の事態に備えているからこそ乗り越えられるのです。」 と話していた。感謝しかない。頭が下がる。

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