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2019年11月21日 (木)

東北歴史博物館 「蝦夷展」 (宮城県多賀城市)

先週、特別展 「蝦夷ー古代エミシと律令国家ー」 を観てきました。これは、東北歴史博物館開館オープン20周年と、宮城県多賀城跡調査研究所設立50周年を記念する特別企画展です。見た感じかなり力が入った企画展でした。いや~見たごたえがありました。素晴らしいです!

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パンフレットより

『1,300年ほど昔,古代東北の地には律令国家の支配に属さない「蝦夷(エミシ)」と呼ばれた人々が暮らしていました。律令国家の歴史書には,蝦夷は反乱を繰り返し,天皇を中心とする強大な律令国家が彼らを征討する様子が書かれています。しかし,発掘調査の結果,律令国家との活発な交流の様子もわかりました。さらに最近の研究によって,律令国家の人々とは大きく変わらない生活を営んでいた一方で,墓の様相では律令国家と一線を画するなど,蝦夷の多様な生活と文化がわかってきました。   蝦夷とは何か。最新の考古学の発掘調査成果と古代史学の研究を集大成し,律令国家の形成・発展・衰退のなかで蝦夷と律令国家との軋轢(あつれき)と交流の実像に迫ります。1,300年の時を経て,古代東北の地に生きた「蝦夷」が,今ここによみがえります。』

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東北歴史博物館 蝦夷展 入口付近

古代東北の蝦夷 (エミシ) は、北海道のアイヌとは異なり、古代東北地方で暮らしていた人々です。彼ら蝦夷 (エミシ) の真の姿と生活様式、さらに律令国家 (大和朝廷) との関係を明らかにするのが、今回の特別展のメインテーマです。

蝦夷 (エミシ) は、単なる狩猟・採集民族ではなく、米を作り作物栽培も行い、「蝦夷の刀」として有名な「蕨手刀 (わらびてとう) 」を造り出す高度な製鉄技術も持っていました。さらに、騎馬民族としての側面を持つ蝦夷 (エミシ) は、多くの馬産地を抱えており、海路を通じての交易も盛んだったのです。ただ律令国家 (大和朝廷) の手が届かない東北に住んでいたからこそ、蝦夷(エミシ)独自の体制を維持できたのでした。 中央集権化が進んだ大和朝廷 (律令国家) は、自らの支配を拡大すべく次第に東北へと進出するのも当然の帰結でした。激しい抵抗もあったようですが、東北は次第に大和朝廷 (律令国家) に同化され組み込まれて行くのです。

最近の発掘・研究により、蝦夷 (エミシ) の高度な文明が次第に明らかになってきたようです。

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館内は撮影禁止だったため画像を拝借。

これが蝦夷 (エミシ) の刀 「蕨手刀(わらびてとう)」 です。 復元したのも展示されていましたが、素晴らしい刀でした。日本刀のルーツとも言われていますね。柄頭 (つかがしら) 手で持つ部分の先が蕨の若芽ににているところから 「蕨手刀」 とよばれました。騎馬戦が得意だった蝦夷 (エミシ) 独特の刀だったとのこと。

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東北歴史博物館、史跡「多賀城」の隣にあります。

多賀城は、福岡県の太宰府とともに「遠の朝廷 (とおのみかど) として政治・軍事の拠点として栄えました。常時一万人が暮らす北の都でした。ミニ平城京と言ってもいいでしょう。平城京と同じ政務や儀式、蝦夷 (エミシ) の朝貢も行われていました。

東北歴史博物館はこちらをどうぞ。

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