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2019年8月 2日 (金)

岩宿遺跡 (群馬県みどり市)

中学生の頃からあこがれていた群馬県の「岩宿遺跡」にやっと行くことができました。感激しました。良かったです。

岩宿遺跡は、日本列島に縄文時代より前の文化が存在することを科学的に証明した歴史学上最も重要な遺跡です。

歴史の教科書には必ず載っている遺跡でもあります。

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「岩宿遺跡」 地元のアマチュア考古学者だった相沢忠洋さんが初めて旧石器を発見したところ。昭和24年、明治大学考古学研究所によって初めて発掘調査が行われ、関東ローム層の中から多数の旧石器が発掘された。

民間の考古学研究者に対して与えられる「藤森栄一賞」の 藤森栄一さんは、著書「旧石器の狩人」でこのように書いてます。

「"赤土にきらめくもの"   終戦直後の昏迷は、学会も同じに、なお続いていた。 そのころ、赤石原人の騒ぎとはまったくかけ離れた群馬の赤城山の麓で、ささやかでわびしい研究が、流砂の上を這う地虫のように続けられていた。   (中略)   新田郡近在の農家をまわったあと彼 (相沢忠洋さん) は、重い足を引きずって桐生へ帰ってきた。空腹だった。   (中略)    間もなく落ちようとする夕日の激しい灼けるような陽射しに、その岩宿へ出る坂で、とうとう一息ということになった。その上り道は、笠懸村の鹿川部落を過ぎて、沢田村からのぼるる稲荷山の切通であった。   (中略)   両側に迫った赤土の崖は、ちょうど、その熱風の通路のようなものであった。彼はその熱気を避けるために崖の上に生えている楢林の木陰へ入ろうとした。その瞬間、夕日を真向かいに受けた赤土の中に、キラッときらめくものがあった。鋭い一べつで、それが黒曜石の剥片であることがすぐに分かった。   (中略)   しめたこれで細石器をつかまえたと、その細石器の位置を見失わないようにしながら、その周りの地層を観察した。もちろん、その細石器に伴っているはずの土器片をさがしてである。しかし、土器片はとうとうみつからなかった。

"赤城山麓にきっとある"   そうしたわけで相沢さんの岩宿通いが始まった。幾度だったか分からない。山麓と桐生市の通路の中間なのだから、毎日といったほうがいいかもしれない。昭和22年には、赤土層出土の石片や石器の資料は八個になった。それなのにいくら歩いて探しまわっても、そこには縄文早期の土器は一辺もなかった。   (中略)   どうしてなんだろう?なぜなんだろう?なぜ土器がないのだろう?相沢さんは、この頃になって、自分は途方もない、えらいことを考えつつあるのかもしれないという気がしだしたと言っている。誰か理解者がほしくなってきた。・・・・・」

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「岩宿ドーム」(遺構保護観察施設) ここでは地層の観察や当時の自然環境、岩宿時代の人々の生活の様子を映像で見ることができる。

「岩宿ドーム」は、道路を挟んで岩宿遺跡の碑の向かい側にある。ここが、相沢さんが毎日通って旧石器を採集した「両側に迫った赤土の崖のあった稲荷山の切通の道」である。 いや~ すごく感激しました。我を忘れて、しばしたたずんでいました。(笑)

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岩宿遺跡のすぐ近くにある「岩宿博物館」 曇っていなければ赤城山が遠望できるのですが・・・残念!

「日本列島に旧石器時代は存在しない!!」 というそれまでの学説をくつがえした岩宿遺跡出土の旧石器は、ここに展示されています。

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岩宿遺跡のB地点 (岩宿ドームのあたり) からはぎ取った関東ローム層。約25,000年前~35,000年前の地層。いわゆる岩宿文化時代の地層である。

 

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