義経寺 (青森県外ヶ浜町 旧三厩村)
義経寺(ぎけいじ)は、三厩(みんまや)漁港を見下ろす高台に建っている。 明治元年に、三厩の地に残る義経伝説にちなんで「義経寺」と呼ばれるようになったそうです。
義経寺、津軽三十三霊場の19番目。
義経主従は、蝦夷が島(北海道)に渡る際この寺に滞在したという・・・・
義経寺からの展望。三厩湾が一望できる。
石段を登ってトップまで行くには一汗かきますが、展望がすこぶる良いので苦労が報われます。
この寺にたたずんで津軽海峡を眺めていると、義経主従は本当に北海道に渡ったのではないか!!と思えてくるから不思議です。まあ、さらに大陸に渡ってジンギスカンになったなんてのは荒唐無稽な話なんですが・・・(笑)
太宰の小説「津軽」には、義経寺ことが詳しく書いてあります。
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『「登つて見ようか。」N君は、義経寺の石の鳥居の前で立ちどまつた。松前の何某といふ鳥居の寄進者の名が、その鳥居の柱に刻み込まれてゐた。「うん。」私たちはその石の鳥居をくぐつて、石の段々を登つた。頂上まで、かなりあつた。石段の両側の樹々の梢から雨のしづくが落ちて来る。「これか。」石段を登り切つた小山の頂上には、古ぼけた堂屋が立つてゐる。堂の扉には、笹竜胆の源家の紋が附いてゐる。私はなぜだか、ひどくにがにがしい気持で、「これか。」と、また言つた。「これだ。」N君は間抜けた声で答へた。むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。れいの「東遊記」で紹介せられてゐるのは、この寺である。私たちは無言で石段を降りた。「ほら、この石段のところどころに、くぼみがあるだらう? 弁慶の足あとだとか、義経の馬の足あとだとか、何だとかいふ話だ。」N君はさう言つて、力無く笑つた。私は信じたいと思つたが、駄目であつた。鳥居を出たところに岩がある。東遊記にまた曰く、「波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋と称するなりとぞ。」私たちはその巨石の前を、ことさらに急いで通り過ぎた。故郷のこのやうな伝説は、奇妙に恥づかしいものである』 (太宰治 「津軽」より)
「堂の扉には、笹竜胆源家の紋が附いてゐる。」とは、これである。
義経主従は、義経寺前の浜から蝦夷が島(北海道)に渡ったという・・・・・
今は「義経海浜公園」として整備されている。
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