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2019年7月

2019年7月30日 (火)

世界遺産 富岡製糸場 (群馬県富岡市)

先週、所用で群馬県に行ったついでに、時間がとれたので世界遺産の富岡製糸場と岩宿遺跡を駆け足で巡ってきました。  富岡製糸場は、「世界遺産になったから行ってみるか!」という単純な理由で訪問しました。あまり期待していなかったのですが、非常に良い意味で期待を裏切られました。(笑)  良かったです。
工場関係の建物だけでなく、首長館(ブリュナ館)や寄宿舎、寮なども保存されているので、どのような環境だったのかがイメージしやすくて良かったです。 まるで明治時代にタイムスリップした気分になる。素晴らしい!お奨めです。

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富岡製糸場正面入り口。

富岡製糸場が建設されたのは明治5年(1872年)。平成18年(2006年)に国の重要文化財に指定、平成26年(2014年)には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

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国宝に指定されている「東繭置所」、壁に煉瓦を用いた「フランス式の木骨煉瓦造」が美しい! 

長さが105メートル、高さ15メートル、幅が12メートルもあるとのこと。圧巻です。

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国宝「東繭置所」の二階部分。一階は、シルクギャラリー、展示コーナー、体験・実演コーナー、売店などになっている。

国宝には、三棟の建物が指定されている。なんと、群馬県初の国宝だそうです。 

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国宝に指定されている「操糸所」

繭から生糸を取る作業が行われていた場所で、当時は世界最大級の工場だったとのこと。見ごたえがあります。

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ユネスコの世界遺産登録記念銘

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2019年7月11日 (木)

蔵王連峰 名号峰 (宮城県川崎町)

賽の河原~かもしか温泉~追分経由のコースが通行禁止だったため、刈田岳のレストハウスから蔵王山(熊野岳)~追分~名号峰(みょうごうほう)とプチ縦走をしたきました。下界は厚い雲が広がりどんよりとした天候でしたが、山の上は、薄曇りで晴れ間もあり、涼しくて最高のトレッキングができました。大満足です。 

レストハウス(8:00発)~蔵王山(熊野岳)~追分~名号峰(9:50着)  名号峰(10:30発)~レストハウス(12:30着) 休憩含む。約4時間30分のトレッキングでした。

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蔵王山(熊野岳、1840メートル)付近から見るお釜と南蔵王の山並み。雲海が広がっている。

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蔵王山(熊野岳、1840メートル)山頂

山頂の熊野神社に参拝してから名号峰に向かう。避難小屋から北蔵王縦走コースに入ると、誰もいなくなった。

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北蔵王縦走コースを望む。まるで広大な海原に浮かぶ島々だ。

この辺りもコマクサの群落地になっている。

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高山植物の女王コマクサ。

避難小屋の東側一帯の礫地にはコマクサの群落が展開していました。写真撮影をしているおじさん、おじいさんがたくさんいました。岩手山や秋田駒ケ岳のコマクサ群落と比べると規模や密度は劣りますが、けっこう見ごたえがあります。コマクサは蔵王を象徴する花です。

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北蔵王縦走コースから望む雲上の雁戸山(1485メートル)

誰とも会わないだろうと思っていたら、なんとこのあたりで、山形県側の蔵王ダムから登って来たというおじさんに出会いました。いやー、驚きました。なんかほっとしたというか、嬉しくなりました。少し話をして別れた後、すごいスピードで登っていきました。年齢は、わたくしと同じくらいのようでしたが、すごい健脚です。驚きました。

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「追分」にて。 ご覧のようにかもしか温泉経由コースは、ロープが張られていて通行禁止になっていました。栗駒山のように火山性ガスが発生している訳でもないのになぜでしょう?不思議です。(笑)

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名号峰(1491メートル)山頂にて。後方の山は雁戸山。

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名号峰山頂から蔵王山(熊野岳)方面を望む。

いつもとは逆で名号峰までは下りオンリーでした。帰りは登りオンリーです。やれやれ(笑)

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2019年7月 6日 (土)

義経寺 (青森県外ヶ浜町 旧三厩村)

義経寺(ぎけいじ)は、三厩(みんまや)漁港を見下ろす高台に建っている。 明治元年に、三厩の地に残る義経伝説にちなんで「義経寺」と呼ばれるようになったそうです。

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義経寺、津軽三十三霊場の19番目。  

義経主従は、蝦夷が島(北海道)に渡る際この寺に滞在したという・・・・

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義経寺からの展望。三厩湾が一望できる。

石段を登ってトップまで行くには一汗かきますが、展望がすこぶる良いので苦労が報われます。

この寺にたたずんで津軽海峡を眺めていると、義経主従は本当に北海道に渡ったのではないか!!と思えてくるから不思議です。まあ、さらに大陸に渡ってジンギスカンになったなんてのは荒唐無稽な話なんですが・・・(笑)

太宰の小説「津軽」には、義経寺ことが詳しく書いてあります。

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『「登つて見ようか。」N君は、義経寺ぎけいじの石の鳥居の前で立ちどまつた。松前の何某といふ鳥居の寄進者の名が、その鳥居の柱に刻み込まれてゐた。「うん。」私たちはその石の鳥居をくぐつて、石の段々を登つた。頂上まで、かなりあつた。石段の両側の樹々の梢から雨のしづくが落ちて来る。「これか。」石段を登り切つた小山の頂上には、古ぼけた堂屋が立つてゐる。堂の扉には、笹竜胆ささりんだうの源家の紋が附いてゐる。私はなぜだか、ひどくにがにがしい気持で、「これか。」と、また言つた。「これだ。」N君は間抜けた声で答へた。むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。れいの「東遊記」で紹介せられてゐるのは、この寺である。私たちは無言で石段を降りた。「ほら、この石段のところどころに、くぼみがあるだらう? 弁慶の足あとだとか、義経の馬の足あとだとか、何だとかいふ話だ。」N君はさう言つて、力無く笑つた。私は信じたいと思つたが、駄目であつた。鳥居を出たところに岩がある。東遊記にまた曰く、「波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋みまやと称するなりとぞ。」私たちはその巨石の前を、ことさらに急いで通り過ぎた。故郷のこのやうな伝説は、奇妙に恥づかしいものである』 (太宰治 「津軽」より)

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「堂の扉には、笹竜胆ささりんだう)ゅ源家の紋が附いてゐる。」とは、これである。

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義経主従は、義経寺前の浜から蝦夷が島(北海道)に渡ったという・・・・・

今は「義経海浜公園」として整備されている。

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2019年7月 5日 (金)

竜飛崎 (青森県外ヶ浜町)

今回の旅の最大の目的地竜飛崎にやっとたどり着きました。天候にも恵まれ、北海道をまじかに見ることができました。良かったです。

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竜飛崎から望む。

竜飛崎付近は標高100メートル前後の高台になっていて大地の東側からは、竜飛漁港やその向こう側に北海道の山やみが大きく一望できる。

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津軽国定公園竜飛崎にある「津軽海峡冬景色」の歌碑。歌碑の前のボタンを押すと

「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけさよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色・・・・・」

と石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が大音響で流れます。(笑)

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国道339号線、通称「階段国道」  この国道を100メートルくらい下っていくと竜飛漁港にでる。

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竜飛漁港、竜飛の集落。 高台に見える建物が「ホテル竜飛」。ここから300メートルくらい行ったところに太宰の文学碑がある。

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竜飛漁港にある太宰の文学碑。

太宰治をして「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて道はない。ここは本州の袋小路だ。」と言わせた漁村である。現在でもその面影は失われいてないようだ。やれやれ。

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『「竜飛だ。」とN君が、変つた調子で言つた。
「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。』  (太宰治 「津軽」より)

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太宰が一泊した本州最北の宿、旧奥谷旅館。今は竜飛崎の案内所になっている。 

数日を要した太宰の津軽の旅は、毎日が宴会、酒びたりの旅だったようです。(笑)

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「露路をとほつて私たちは旅館(奥谷旅館)に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど小綺麗で、さうして普請も決して薄つぺらでない。まづ、どてらに着換へて、私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて坐り、やつと、どうやら、人心地を取かへした。「ええと、お酒はありますか。」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答へは、案外であつた。「へえ、ございます。」おもながの、上品な婆さんである。さう答へて、平然としてゐる。N君は苦笑して、「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」「どうぞ、ナンボでも。」と言つて微笑んでゐる。

(中略)

六本のお酒が、またたく間に無くなつた。
「もう無くなつた。」私は驚いた。「ばかに早いね。早すぎるよ。」
 「そんなに飲んだかね。」とN君も、いぶかしさうな顔をして、からのお銚子を一本づつ振つて見て、「無い。何せ寒かつたもので、無我夢中で飲んだらしいね。」「どのお銚子にも、こぼれるくらゐ一ぱいお酒がはひつてゐたんだぜ。こんなに早く飲んでしまつて、もう六本なんて言つたら、お婆さんは僕たちを化物ぢやないかと思つて警戒するかも知れない。つまらぬ恐怖心を起させて、もうお酒はかんべんして下さいなどと言はれてもいけないから、ここは、持参の酒をお燗して飲んで、少し間まをもたせて、それから、もう六本ばかりと言つたはうがよい。今夜は、この本州の北端の宿で、一つ飲み明かさうぢやないか。」と、へんな策略を案出したのが失敗の基であつた。」 (太宰治 「津軽」より)

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竜飛崎の先端付近。 先端付近からは、津軽海峡を挟んで、竜飛崎灯台、北海道の山並みが大きくみえる。

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同じく竜飛崎先端付近からの眺め。 南の日本海側に目を向けると、岩礁と岬を交錯させた竜飛裏海岸と小泊岬まで一望できる。

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2019年7月 4日 (木)

亀ヶ岡遺跡・十三湖 (青森県つがる市)

新青森駅からレンタカーで、斜陽館→木造駅→亀ヶ岡遺跡→十三湖→竜飛岬→義経寺→蟹田→新青森駅と津軽半島をほぼ一周してきました。太宰治の小説「津軽」のコースの逆コースです。約200キロ! けっこう強行軍でした。(笑)

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JR木造駅の巨大な遮光器土偶、通称「しゃこちゃん」(笑) いやー、まじかで見るとすごいです。圧倒的な存在感。巨大です。この土偶は、東京国立博物館に所蔵されていて重要文化財になっています。左足がついていたら間違いなく国宝になっていたでしょう。

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亀ヶ岡遺跡の説明板。 

亀ヶ岡遺跡は、およそ12,000年続いた縄文時代の晩期(3,000年~2,300年前)にあたる遺跡です。ここからは、工芸品ともいえる大量の漆器が出土して注目を集めました。この辺りは、当時の日本で最も栄えた文化・亀ヶ岡文化の中心地だったようです。 ちなみに、ここは中学生のころから行ってみたいと思ってたところでした。やっと、行くことができました。良かったです。

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亀ヶ岡遺跡。

当時の北東北は、亀ヶ岡文化に象徴されるように日本で最も栄えたところでした。このあたりが、世紀の偽書と言われる「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)が書かれた遠因になっているのでしょう? 「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)では、アラハバキ民族・アラハバキ神=遮光器土偶「しゃこちゃん」になっていましたね。(笑)

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十三湖湖畔、元祖「しじみラーメン」の和歌山。 後方にみえるのが、太宰が小説「津軽」のなかで「人に捨てられた孤独の水たまりである」と書いた十三湖である。

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「やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて、さうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。」  (太宰治 「津軽」より)

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和歌山の元祖「しじみラーメン」。 大粒のしじみがたっぷり入っていて絶品でした。美味かったです。いわゆるシーフードラーメンよりは、遥かに美味いです。

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2019年7月 3日 (水)

太宰治記念館「斜陽館」(青森県五所川原市金木町)

先週、JR東日本の大人の休日俱楽部パスとレンタカーを使って、津軽半島を周ってきました。天候にも恵まれ最高の旅でした。

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明治40年、津軽の大地主・大富豪の津島源左衛門(太宰の父)が今の金額にして約10億円をかけて建築した入母屋造りの大豪邸である。 旅館「斜陽館」として営業していたものを町が買い取り1億円以上をかけて解体修復し、建築当時のままの姿によみがえらせたという。圧倒的な存在感。素晴らしい!!  まるでミニ岩崎邸である。(笑)

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内部の階段も豪華。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使っているという。

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津島家の仏壇。これも豪華絢爛!! ほとんど金色堂です。(笑)

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泉水を配した庭園。 太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである」と書いている。でも今は、国指定の重要文化になっている。太宰も喜んでいるでしょう?(笑)

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