日本のポンペイ 旧鎌原村 (群馬県嬬恋村)
先週、JR東日本の大人の休日俱楽部パスを使って、長野県軽井沢から浅間山山麓の鬼押し出し園、火山博物館、日本のポンペイ旧鎌原村、嬬恋郷土資料館、軽井沢歴史民俗資料館を巡ってきました。
「生死を分けた15の階段」で有名な鎌原観音堂
天明3年の浅間山の大噴火による火砕流と土砂なだれによって、村ごと5~6メートルの土砂に埋まって消滅した群馬県西部の旧鎌原村。実に村民の八割に当たる約500人が死亡し、助かったのはこの観音堂に避難した93人だけでした。
当時この付近は、鉄砲の火薬原料となる硫黄やミョウバンの採掘が行われていた幕府の直轄地でした。埋もれた家から出土した、当時高価だったガラス製品や鏡、多数の陶磁器、べっ甲製品などからもかなり裕福な村だったことが分かったそうです。さらに、幕府にとってもかり重要な村だったらしく噴火から僅か三か月後には、生き残った村人たちで家族の再編を行い、埋もれた上にそのまま村が再建されてそうです。なんという速さでしょう! 普通、このような土地はそのまま見捨てられ、村人は移住するでしょう。幕府にとって如何に重要な土地だったことが分かります。
昭和54年の発掘によってこの階段は、全部で50段だったことが確認されました。上から15段を残して埋もれてしまった観音堂の参道階段。この階段を駆け上がり境内に達した人が助かったのです。
観音堂内の写真と二遺体の複顔像。
50段あった階段の中間付近からは、女性二人の遺体が発見されました。二人は母娘とみられ、遺体の状況から娘が母親を背負って階段を登っている時に火砕流、土砂なだれが襲って来たことが判明したそうです。 なんと、あと10段くらい登っていれば助かったのか!(涙)
浅間山の天明3年の大噴火を描いた当時の絵図
嬬恋村郷土資料館
館内は撮影禁止でした。ここのすぐ近くに鎌原観音堂があります。
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