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2015年7月27日 (月)

高村山荘 高村光太郎記念館 (岩手県花巻市)

生前の宮沢賢治を高く評価し、賢治を世に送りだしたのが彫刻家・詩人の高村光太郎でした。光太郎は、賢治との縁で昭和20年に花巻の宮沢家に疎開し、そのまま花巻市から10数キロ離れた山間部の山口集落にある山小屋に、7年間住むことになったのです。

Img_5885高村山荘。  薄壁で囲まれ、人一人がやっと生活できるような小さな山小屋でした。今は、保存のため二重の套屋(うわや)で囲まれています。ちょうど金色堂を保存するための覆堂(おおいどう)のような感じです。山荘は外からは見学できますが、山荘の内部には入ることはできませんでした。  

Img_5887「ようこそ高村山荘へ!」、説明板です。   冬は、氷点下20度にもなり、吹雪の夜は、小屋の中に雪が入り込み、寝ている顔にまでかかったそうです。また、猛暑の夏は、蚊やブヨに悩まされ眠れない日々が続いたとか。とんでもなく過酷な環境でした。現代では考えられないです。こんな厳しい環境で62歳から7年間も暮したというのですから、ただただ驚くばかりです。 光太郎は、山荘の前の畑で、当時としては珍しい西洋野菜を作り、その作りかたを村人たちに教え、広めたそうです。まるで、賢治の羅須地人協会のようですね。 光太郎は、とりわけ村の子供たちとの交流を大切にしました。汚れのない村の子供たちの純朴さは、かつて、光太郎を退廃から救った智恵子の純粋さに通じるものがあったようです。夕暮れになると、山荘の裏山から「ちえこーー!」という光太郎の叫ぶ声が、村人の耳にもとどいたそうです。なんとも痛ましいです。まさに「山居7年」、「山林孤棲」の日々でした。 

Img_5891高村光太郎記念館全景。   「メトロポオル」はこちらをどうぞ。ちなみに「メトロポオル」とは中心地という意味です。-----------------------------------------------------------------------------

   「メトロポオル」 高村光太郎

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑ひ、
山林孤棲と人のいふ
小さな山小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。

Img_5888高村光太郎記念館内部。#勝手に撮影してごめんない!(笑)   今では、貴重になった光太郎のブロンズの彫像などが展示されていました。 なんでも、光太郎の東京にあったアトリエは、空襲で炎上・焼失し、ブロンズ像などの作品すべてが失われてしまったそうです。(涙)

Img_5889光太郎と智恵子。 いやー、そっくりでしたね。見事にデフォルメされて作られていました。実に素晴らしい!(笑)


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