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2015年7月

2015年7月29日 (水)

大沢温泉 (岩手県花巻市)

賢治・光太郎ゆかりの大沢温泉の山水閣に一泊してきました。 北上川の支流、豊沢川沿いにある素晴らしい温泉です。  ここ大沢温泉は、近代的な宿の山水閣、湯治場の雰囲気を色濃く残している自炊部、茅葺き屋根で古風な造りの菊水館の三つ大きな宿泊施設があります。 #大沢温泉のHPはこちらです。

Img_5912大沢温泉名物の大露天風呂「大沢の湯」です。茅葺屋根の菊水館と「曲り橋」が見えます。 この露天風呂は、自炊部のはずれにあり混浴になっています。ただし、女性専用の時間帯もありますでご安心下さい。(笑)  豊沢川のせせらぎを聞きながらのんびりと浸かる。。。贅沢ですねー・・・・! 安らぎの露天風呂でした。  

Img_5901大沢温泉のシンボル「曲り橋」にある説明板。 大沢温泉で賢治の父が開催した 「仏教講習会」 の時の集合写真です。もちろん幼い賢治も参加していました。---------------------------------------------------------

Oosawa_magari1拡大したものがこちらです。 当時からある「曲り橋」で撮影されています。(赤丸が賢治)    賢治の父は、熱心な仏教 (浄土真宗) の信者で、仏教の研修会を組織して毎年夏になると「夏季仏教講習会」を大沢温泉で開催していました。賢治は、子供のころから大沢温泉に来ていたのです。また、花巻農学校の教師時代には、生徒を引き連れて大沢温泉に来ていました。


Img_5907賢治も宿泊したという湯治場の雰囲気を色濃く残している自炊部です。名物の露店風呂に行くついでにあちこち見学してきました。(笑)  売店や肩の凝らない気軽な食堂などもあって、自炊しなくてものんびりと過ごすことができるようです。 迷路のような自炊部をうろうろしてますと、扇風機の音が心地よく響いてきます。当然ここは自炊部なのでエアコンはありません。他のアメニティの類も一切無し。トイレ、洗面所も共同。あるのは冷蔵庫とテレビくらい。あとはすべてレンタルです。料金表をちらっと見ましたが、部屋代が2000円くらいで、かけ布団、しき布団、シーツ、枕、浴衣、扇風機 などすべてが追加オプションでした。やれやれ (笑)  でも一発で気に入ってしまいました。春・秋の涼しい時期に是非泊まってみたいです。 

Img_5939部屋から見る豊沢川。客室は、全て豊沢川に面しています。    清流はあくまでも澄み、時はゆるやかに流れてゆく・・・・・・-------------------------------------------------------------------------
Img_5946夏といえばアユの塩焼きです。夕食に出ました。隣に付いているのは、抹茶ではありませんよ!(笑) 「蓼酢(たです)」だそうです。「蓼(たで)食う虫も好き好き」の蓼です。 「鮎の塩焼には蓼酢」というのが定番だそうです。初めて知りました。(笑) 言われた通りに、アユを蓼酢につけて食べてみましたが、絶品でした。美味かったです。 #詳しくはこちらをどうぞ。


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2015年7月27日 (月)

高村山荘 高村光太郎記念館 (岩手県花巻市)

生前の宮沢賢治を高く評価し、賢治を世に送りだしたのが彫刻家・詩人の高村光太郎でした。光太郎は、賢治との縁で昭和20年に花巻の宮沢家に疎開し、そのまま花巻市から10数キロ離れた山間部の山口集落にある山小屋に、7年間住むことになったのです。

Img_5885高村山荘。  薄壁で囲まれ、人一人がやっと生活できるような小さな山小屋でした。今は、保存のため二重の套屋(うわや)で囲まれています。ちょうど金色堂を保存するための覆堂(おおいどう)のような感じです。山荘は外からは見学できますが、山荘の内部には入ることはできませんでした。  

Img_5887「ようこそ高村山荘へ!」、説明板です。   冬は、氷点下20度にもなり、吹雪の夜は、小屋の中に雪が入り込み、寝ている顔にまでかかったそうです。また、猛暑の夏は、蚊やブヨに悩まされ眠れない日々が続いたとか。とんでもなく過酷な環境でした。現代では考えられないです。こんな厳しい環境で62歳から7年間も暮したというのですから、ただただ驚くばかりです。 光太郎は、山荘の前の畑で、当時としては珍しい西洋野菜を作り、その作りかたを村人たちに教え、広めたそうです。まるで、賢治の羅須地人協会のようですね。 光太郎は、とりわけ村の子供たちとの交流を大切にしました。汚れのない村の子供たちの純朴さは、かつて、光太郎を退廃から救った智恵子の純粋さに通じるものがあったようです。夕暮れになると、山荘の裏山から「ちえこーー!」という光太郎の叫ぶ声が、村人の耳にもとどいたそうです。なんとも痛ましいです。まさに「山居7年」、「山林孤棲」の日々でした。 

Img_5891高村光太郎記念館全景。   「メトロポオル」はこちらをどうぞ。ちなみに「メトロポオル」とは中心地という意味です。-----------------------------------------------------------------------------

   「メトロポオル」 高村光太郎

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑ひ、
山林孤棲と人のいふ
小さな山小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。

Img_5888高村光太郎記念館内部。#勝手に撮影してごめんない!(笑)   今では、貴重になった光太郎のブロンズの彫像などが展示されていました。 なんでも、光太郎の東京にあったアトリエは、空襲で炎上・焼失し、ブロンズ像などの作品すべてが失われてしまったそうです。(涙)

Img_5889光太郎と智恵子。 いやー、そっくりでしたね。見事にデフォルメされて作られていました。実に素晴らしい!(笑)


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2015年7月26日 (日)

宮沢賢治記念館 (岩手県花巻市)

先日、かみさんと岩手県花巻市の宮沢賢治記念館、高村光太郎記念館を見学し、賢治・光太郎ゆかりの大沢温泉に一泊してきました。   宮沢賢治記念館は、今年の春に、賢治の基本理念・思想はそのままにして、これまで積み上げられてきた研究成果と最新の展示技術を組み合わせたビジュアルな展示へとリニューアルしました。

Img_5872宮沢賢治記念館入口にて記念撮影! (笑)------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Img_5867リニューアルオープンした宮沢賢治記念館。#勝手に撮影してごめんなさい(笑)    芸術、科学、農業、祈り(宗教)の五つの分野を最新のビジュアルテクノロジーを使って大型スクリーンに映し出したり、多彩なグラフィックで紹介したりするコーナーもあり、子供でも大いに楽しめます。また、特別展示「銀河鉄道の夜はどう生まれたか?~草稿の謎にせまる~」 のコーナーは、映像やパネルだどを使って、解りやすく紹介・解説していて、実に興味深かったです。

Img_5870宮沢賢治ゆかりのバラ「グルス・アン・テプリッツ」が記念館前に植えられていました。 このバラは、賢治が羅須地人協会「賢治の家」の前の花壇に植えていたバラを、ずーっと植え継いできたものだそうです。まさに、賢治ゆかりのバラです。 なんと、当時の賢治は、このバラや花の種を、わざわざイギリスのサットン商会から取寄せていたそうです!!農民らに「金持ちお坊ちゃんの道楽だべー!」と陰口を言われるの当然ですね。(笑) う~む、やっぱり 賢治は、アバンギャルドでハイセンスすぎます。(笑)

Img_5881JR花巻駅近くにある林風舎 (りんぷーしゃ)。 賢治の親族が経営しているショップで、賢治関連グッツを扱っています。 二階は、おしゃれな賢治一色のカフェになっています。 この日の花巻は、とんでもなく暑かったので、かみさんとアイスコーヒーとケーキを注文し、のんびりと涼みながら、賢治に浸ってきました。(笑)   #「林風舎」は、こちらをどうぞ。

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2015年7月14日 (火)

宮沢賢治 歌碑

馬返し(柳沢コース)登山口にある宮沢賢治の歌碑です。 賢治の短歌??と不思議に思う方も多いと思いますが、旧制盛岡中学の先輩 石川啄木の影響からか?盛岡高等農林学校時代の賢治は、多くの短歌を作っていたのです。
Img_5845柳沢コース登山口にある賢治の歌碑と重鎮の雰囲気の岩手山。--------------------------------------------------------------------------------------

Img_5853この歌は、賢治が盛岡高等農林学校の 親友であり、同人誌仲間であった保阪嘉内と一緒に岩手山に登った時に作ってものだそうです。-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

岩手山

いただきにして ましろなる

そらに火花の涌き散れるかも

5482jugr旧制盛岡中学時代の岩手山登山の記念写真だそうです。 前列左側が賢治です。まだあどけないですね。(笑)  当時は、盛岡から汽車で滝沢駅まで行って、そこから歩きはじめたようです。登山口までは、10キロくらいありますから、わたくしなら登山口に着くまでにヘトヘトになりますね。岩手山に登る体力も気力もなくなってしまうでしょう!(笑)


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2015年7月12日 (日)

岩手山 Ⅱ(岩手県滝沢市)

宮沢賢治は、岩手山のことをわざわざ「東岩手火山」とよびました。地質学者でもあった賢治らしくて、まことに微笑ましいです。(笑) 岩手山は、古い時代に噴火してできた西岩手外輪山に比較的新しい時代の噴火により標高を高くした東岩手外輪山が覆いかぶさるようしてできた山だそうです。薬師岳と呼ばれる東岩手外輪山の最高点が岩手山の最高点(2038メートル)になります。

Img_5436東岩手外輪山から見る中央火口丘(妙高山)。その回りには、火口跡が大きく口を開けていました。   賢治は、「東岩手火山」という詩で、このように表現しています。------------------------------------------------------------------------------------------------ 

月は水銀、後夜(ごや)の喪主
火山礫は夜の沈殿
火口の巨(おお)きなえぐりを見ては
だれもみんな愕(おどろ)くはづだ
(風としづけさ)
いま漂着薬師外輪山
頂上の石標もある
(月光は水銀 月光は水銀)

       (後略)
     
 (宮沢賢治『春と修羅 第一集』 より)

この詩は、賢治が花巻農学校の教師をしていた頃、生徒たちと一緒に岩手山登山をしたときの様子が描写されています。 賢治と生徒たちが未明に登山し、星座を観察し、外輪山(お鉢巡り)を回ってご来光を見る様子が描かれたています。少し難解な部分もありますが、わたくしのお気にいりの詩です。 みなさんも読んでみて下さい。ただし長いですよ。(笑)  「東岩手火山」はこちらです。

Img_5374_2岩手山八合目、標高1800メートル付近から望む。鞍掛山の向こうには広大な牧場(小岩井農場)が広がっています。牧場の左側一帯は、陸上自衛隊の演習場になっています。-----------------------------------------------------------------------------

Img_5839しばらく下ってきて、標高1300メートル付近から望む。 正面に鞍掛山が綺麗に見えます。その向こう側に見えるのが早池峰山です。-----------------------------------------------------------

Img_5505山頂付近、登山道脇のコマクサ。 高山植物保護のため山頂一帯は、登山道以外立ち入り禁止になっています。--------------------------------------------------------------------

Img_5467コマクサとタカネスミレ(黄色い花)。 これらの花は、他の植物が生えることができないような標高の高い砂礫地帯、しかも強風地帯に好んで根ずくそうです。

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2015年7月 8日 (水)

岩手山 (岩手県滝沢市)

岩手県滝沢市の柳沢登山口(柳沢コース)から登ってきました。 このコースは、標高差1400メートルを、ほぼ直登するタフなコースです。かなりバテますよ。(笑)  柳沢登山口(7:00発)→新道を進む→八合目避難小屋→不動平→岩手山山頂(11:10分着)  山頂(11:50発)→不動平→八合目避難小屋→旧道を進む→柳沢登山口(15:15分着) 約8時間15分のトレッキングでした。(休憩含む)  

Img_53071八合目避難小屋手前付近から望む岩手山(2038メートル)。  登山口からしばらく登ると新道と旧道の分岐点に出ます。 新道は、樹林帯の急斜面登るコースで、展望はよくないですが直射日光を避けることができ、暑さ対策になるコースです。 旧道は、展望はいいですが、直射日光が照り付ける急峻な大岩稜地帯をひたすら登るコースです。まさに信仰登山向けのコースです。(笑)  今回は、旧道を登るつもりでしたが、朝方は、真夏の太陽が照り付けていたので、新道を登ることにしました。

Img_5378八合目の避難小屋から不動平方面を望む。 「避難小屋」と言いましたも、秋までは管理人が常駐していますし、カップラーメン、ビール、ドリンク類なども販売しています。 ここにはなんと言っても、ふんだんに湧き出ている冷たい「御成清水」がありますので、山上のオアシス、絶好の中継地になっています。夏場の土日には、登山者で大混雑するそうです。やれやれ。(笑)

Img_54183不動平の避難小屋。 この辺り一帯は、広い風衝草原地帯で美しいお花畑になっています。-----------------------------------------------------------------------------------------------

Img_5431不動平からザレ場の急斜面を登り、外輪山(お鉢)、山頂へと向かう。 ズルズルと足を取られ、滑り、かなり登り辛かったです。トレッキングポールを二本持って行って良かったです。   赤丸のはトレラン(トレイルランニング)の方です。トレランの愛好者は、最近多くなりました。この日は、4人の方とすれ違いました。 トレランの方は、驚異的な身体能力の持主です。まさに「人間発電所」!! 山を走って登るのですから・・・・呆れます。(笑)

Img_5435不動平からザレ場の急斜面を登りきり外輪山(お鉢)に出る。 外輪山を囲むように石地蔵が規則しく点々と置かれていました。岩手山は、信仰登山の面影を色濃く残しています。 外輪山には、岩手山神社の奥宮があります。-------------------------------------------

Img_54453山頂を望む。 中央火口丘を見ながら外輪山を進む。山頂はもうすぐだ。 外輪山一帯は、高山植物の女王コマクサなどの一大群落地帯になっています。 高山植物を観賞しながら登るのも良いでしょう。------------------------------------------------------------

Img_54522岩手山(2038メートル)山頂。 この日は、風が強く、ガスがかかり、曇っていて眺望はダメでした。-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Img_5829大蔵石。 旧道の岩稜地帯の急斜面を下っていくと現れます。この大蔵石は、今の2倍くらいもある大岩だったそうですが、40年くらい前に落雷にをうけて半分くらいの大きさになったそうです。今でも崩壊を続けているので、一帯は立ち入り禁止になっていました。----------------

Img_5837旧道の急峻な岩稜地帯をひたすら下る。だんだん膝が痛くなってきました。浮石も多く、けっこう神経を使います。旧道は、下るより登るほうが楽かもしれません。 

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2015年7月 1日 (水)

宮沢賢治のノート発見!

6月24日の地元紙 河北新新聞の記事です。旧制盛岡中学(現 盛岡一高)時代の賢治のノートが発見されたそうです。賢治に関する資料は、とっくに出尽くしていると思っていましたが、まただまだ出てきそうですね。 いやー驚きました。
 #河北新報の記事はこちらです。

Img_52572地元紙 河北新聞の記事。  発見されたノートには、オルガンを弾く男の姿、勲章を付けた人物など、未来の自分の姿?や動物の絵、数学・物理の数式、英文など、60ページにわたって細かく記載されていたそうです。すでに賢治のマルチナな才能が芽をだしていたようです。 賢治のこのノートは、岩手県矢巾町に寄贈されるそうですが、将来的には、なんとか花巻の「宮沢賢治記念館」に展示してほしいです。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 

Img_52501人気番組 「開運! なんでも鑑定団」に鑑定依頼された、賢治の書いたハガキや手紙には、驚くべき鑑定額が提示されました。 まずは、盛岡高等農林学校(現 岩手大学農学部)時代の賢治の親友であった保阪嘉内に宛てた手紙73通の鑑定額が、なんと「1億8000万円」!! いやー、驚きました。あり得ない金額だと思いました。 賢治の人気、近代文学史的資料価値、希少価値などなどから、超一級の資料だそうです。ちなみに、保阪嘉内は、盛岡高等農林学校時代に賢治が立ち上げた同人誌「アザリア」の中心メンバーの1人でした。 さらに、賢治の書いた手紙一通の鑑定額が200万円、ハガキ三枚と地図が350万円という評価でした。 やっぱり、宮沢賢治は、アバンギャルドでハイセンスなスーパースターです。(笑)

「賢治の手紙73通の鑑定額」は、こちらをどうぞ。

「賢治の手紙一通の鑑定額」はこちらをどうぞ。

「賢治のハガキと地図の鑑定額」は、「開運! なんでも鑑定団」(you.tube)を見て下さい。

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