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2014年11月

2014年11月29日 (土)

江戸東京博物館 (東京都墨田区)

わたくしは、一度行ったことがありますが、まだ行ったことがない かみさんのたっての希望で、江戸東京博物館に行くことになりました。 銀座から歩いて有楽町駅に行き、山手線で秋葉原へ、JR総武線に乗り換えて両国駅で下車。JR両国駅のすぐ近くに江戸東京博物館はあります。
Img_3778実物大に造られたお江戸日本橋。  入口を入るとすぐに現れます。この橋を渡ると、まるでタイムスリップしたかのように江戸の町に迷い込みます。(笑) 館内は、江戸・東京・通史の三つのゾーンの分かれていて、江戸時代から明治期、戦中・戦後、そして高度成長期までを、びっくりするくらい精巧に造られたジオラマや忠実に復元された展示品で、時代ごとの江戸・東京を詳しく紹介しています。いや~、本当に見応えがありますね。素晴らしいです。 
Img_3783この日は、江戸東京博物館の期間限定企画「伝統芸能ウィーク」の中から、迫力ある和太鼓の演奏会がありました。 初めて江戸東京博物館に来たかみさんは、館内をじっくり、ゆっくり観て歩いていました。二度目だった、わたくしは、館内をさらっと観て、あとは、迫力ある和太鼓のパフォーマンスをずっと観ていました。全然飽きなかったですね。迫力あるパフォーマンスに感動しました。(笑)
和太鼓の演奏会の動画はこちらをどうぞ。
564po原寸大に復元された銀座煉瓦街の「朝野(ちょうや)新聞社」。朝日新聞社ではありませんよ!(笑)  朝野新聞は、明治26年まで東京で発行された民権派の政論新聞だそうです。社屋は、現在の銀座六丁目(銀座和光のところ)にあったそうです。当時の銀座は、多くの新聞社が集まりジャーナリズムの中心地となっていたとか。。。啄木もジャーナリズムの街で働いていたのですね。。。。。 
15fa243as銀座煉瓦街の精巧なミニチュア。

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2014年11月26日 (水)

啄木歌碑 (東京都中央区銀座)

中央区銀座6丁目の並木通りにある啄木歌碑です。新橋のホテルを出て、朝一で来たのがここでした。以前から是非行ってみたい思っていましたが、なかなか実現できずにいました。今回やっと訪れることができました。 「銀座のど真ん中になんで啄木の歌碑があるの?」と不思議に思うかたもいらっしゃるでしょうね。それは、明治期、ここに東京朝日新聞社があって、啄木が校正係として勤めていたからなのです。
明治5年の銀座大火災の後、政府は、ロンドンの街並みを参考にして、火災に強い大規模な銀座煉瓦街を造ったのでした。洋風な煉瓦街に生まれ変わった銀座に真っ先に入居したのが新聞社だったのです。

「春の雪  銀座の裏の三階の煉瓦造  やはらかに降る」 石川啄木「一握の砂」より

啄木は、洋風な建物が立ち並ぶ「銀座煉瓦街」を毎日見ていたのですねー。。。わたくしも見てみたいです。(笑) でも、なんと、この「銀座煉瓦街」を江戸東京博物館で見ることができるのです!ただしミニチュアですが。。。(笑)
Img_3770銀座並木通りの啄木歌碑。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「京橋の瀧山町の 新聞社 灯のともる頃のいそがしさかな」 
石川啄木「一握砂」より 

現在は中央区銀座6丁目ですが、当時の町名は京橋区瀧山町でした。 この歌碑の向い側に東京朝日新聞社(現 朝日ビル)があり、啄木は、校正係として採用されたのでした。 採用が決まったとき、「ようやく生活が安定する!」と、啄木は大喜びだったそうです。さっそく、北原白秋のところに駆けつけて祝杯を上げました。よっぽど嬉しかったのでしょうね。共感します。(笑)

「北原へかけつけると、大いによろこんでくれて黒ビールのお祝い!十時頃陶然として帰つてきた、これで予の東京生活の基礎ができた!暗き十ヶ月後の今宵のビールはうまかつた!」  啄木日記より
Img_3773銀座並木通りの啄木歌碑。 かなり立派な歌碑でした。この歌碑は木をイメージしていて、裏には木にとまっている啄木鳥(キツツキ)の像がありました。いやー、すごく凝った作りの歌碑でした。(笑)  ちなみに、「啄木」という名は、啄木が書いた「啄木鳥(キツツキ)」という詩を読んだ与謝野鉄幹が、「君の心境を最も良く表現している詩だ!」と褒めて付けた名(雅号、ペンネーム)だそうです。
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2014年11月25日 (火)

新橋の夜

新橋駅近くの「ホテル ユニゾ新橋」に一泊しました。 東京に住んている知人を呼んで、わたくしとかみさんの三人で、ホテル隣の「やるき茶屋」という居酒屋で、大いに飲み明かしました。(笑)  新橋は、居酒屋や飲み屋が多くて、まさに「おやじサラリーマンの聖地」ですね。(笑) 新橋は、けっこう好きな街です。
Img_3759「やるき茶屋」という居酒屋は、仙台や東北にはないですね。馬肉のユッケなど変わったメニューもありました。料金もリーズナブルで良かったです。----------------------------------------------

Img_3764いや~、随分といただいてしまいました。(笑) 生ビールに始まり、冷酒、ウイスキーの水割り、コークハイ、グラスワインなどなど。。。大いに飲みました。 この日、知人から勧められて、初めて飲んだのがホッピーの焼酎割りでした。わたくしもかみさんも焼酎は全く飲まないのですが、ホッピーの焼酎割りはうまかったです。香りもいいし、けっこうイケましたね。(笑)   早い時間から飲み始めましたので10時頃になると、ほろ酔い気分を通り越してかなり酔ってしまいました。ホテルに戻って着替えてベットに入った瞬間に、もう熟睡状態でした。やれやれです。(笑)

「。。。快男子大塚信吾君来たり、並木君来たり。。。予は2、3日中に札幌に向かわんとす。此の夜大いに飲めり。麦酒十本。酒なるかな。酔うては世に何の遺憾かあらん。」   啄木日記より


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2014年11月23日 (日)

日本国宝展 (東京国立博物館)

東京上野の国立博物館で開催されている「日本国宝展」を観てきました。いゃ~、実に観ごたえがありました。感動しました。素晴らしいひと時でした。   「祈りをテーマに、仏や神と、人々の心をつなぐ役割を担ってきた絵画、彫刻、工芸、典籍、考古資料などを展示し、日本文化の粋の結集をご覧いただけます。。。。。。。国宝と私たちの時空を超えた対話が始まります。」 パンフレットより。
Img_3757東京国立博物館の日本国宝展は、平成館で開催されています。 時空を超えて120点の国宝が結集しています。 しかし、残念ながら、正倉院の宝物特別出品、4点は、11月3日までの展示ということで、観ることはできませんでした。(涙)
Img_3754_2平日にもかかわらず、ディズニーランド並みの大混雑でした。入場制限があり、20分~30分の待ち時間帯もありで、まったく やれやれでした。(笑)    わたくしやかみさん同様、皆さんの最大のお目当ては、古代史上最も有名な五文字「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」が刻まれている「金印」です。

Img_3767パンフレットより。 福岡市志賀島出土の「金印」、本物を観てきました。純金でできている「金印」は、素晴らしい輝きを放っていました! でもイメージしていたよりも、かなり小さいものでしたね。(笑)


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2014年11月22日 (土)

高倉健さん ありがとう! 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌!
一泊二日で東京に行ってきました。 世田谷区の某所で用事を済ませてからの帰りの車中、「高倉健さん追悼の献花台が銀座の東映に設置される!」との情報を得て急遽駆けつけたのでした。駆けつけたと言っても、渋谷から東京メトロ銀座線で上野に行って東京国立博物館の国宝展を観に行く予定でしたから、銀座で途中下車するだけで良かったのでした。ラッキーでした。(笑) 
Img_3747銀座 東映前の献花台。--------------------------------------------------------------------------------------
Img_3744献花台前は、マスコミ関係者も多く来ていて大混雑でした。------------------------------------------------------------------------
Img_3745健さんの映画はそんなに観てはいないですが「鉄道員(ぽっぽや)」は、良かったですね。 あと昔観た「八甲田山」、「南極物語」、「野生の証明」、「ブラック・レイン」なんかも良かったです。
「自分は不器用ですから!」と言う通り、けっして器用で上手い役者さんではなかったですが、存在感はすごかったです。圧倒的な存在感を誇っていました。   「ブラックレイン」では、松田優作の鬼気迫る演技が注目されがちですが、準主役の健さん演じた大阪府警の刑事も良かったです。 そういえば、「ブラックレイン」の主な日本の俳優陣は、皆さん亡くなってしまいましたね。松田優作、若山富三郎、安岡力也、高倉健。。。。生きているのは、ガッツ石松と内田裕也くらいですかね。。。。(笑)
映画「ブラックレイン」はこちらをどうぞ。

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2014年11月17日 (月)

中原中也と、太宰治と、宮沢賢治と。(風薫る道)

興味深いブログを見つけました。 みなさん!興味のある方は、見て下さいね。(笑) http://blog.goo.ne.jp/cookie_milk/e/731941ed4b94ce70f9a3033d8a747f80
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檀一雄によれば、中原中也と太宰治が会ったのは計3度。
1度目は、おでん屋「おかめ」にて、檀、太宰、中原、そして草野心平の
4人での酒席。
このときのエピソードは有名ですね~。

寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、丁度、4人で連れ立って、「おかめ」に出掛けて行った。

(中略)

第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から同じように搦まれ、同じように閉口して、中途から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯(うそぶ)くように、

   夜の湿気と風がさびしくいりまじり
   松ややなぎの林はくらく
   そらには暗い業の花びらがいっぱいで

 と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。  

(中略)

中原は一円五十銭を支払う段になって、又一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨にまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、

  汚れちまった悲しみに
  今日も小雪の降りかかる

と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

(檀一雄 『小説 太宰治』より)
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Img_37221パンフレットより。  前にも書いたかもしれませんが、この時いただいた山口県の地ビール「中也ビール」は、最高に旨かったです。-------------------------------------------------------------

Img_37262賢治の短編童話「やまなし」にインスパイアされて作ったとされる「一つのメルヘン」。 #実はパクったとも言いますが・・・(笑)  中也の詩の中では、一番好きな詩です。-------------------------------

Img_37343_3パンフレットより。  旧金木町(現五所川原市)の太宰治記念館(斜陽館)には、是非行ってみたいと思っていますが、いまだに実現できずにいます。来年こそははー・・・・!(笑)--------------------

Img_37374パンフレットより。  賢治の詩や童話の舞台、母体になった岩手イーハトーブの景観は、「イーハトーブの風景地」として文学作品としては初めて国の名勝に指定されました。賢治は、日本の文学史に一種独特な、特異な輝きを放っていますね。すごいことです。(笑)

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2014年11月13日 (木)

蛙のうた ~ 草野心平と宮沢賢治

草野心平もまた高村光太郎や中原中也とともにマイナーな岩手の田舎詩人として、ほとんど黙殺されていた宮沢賢治を高く評価した詩人でした。 賢治の詩集「春と修羅」を読んだ心平は、感動し、驚き、「宮沢賢治さんは、天才だー!」と本気で褒めていました。 感激した心平は、さっそく賢治に手紙を出し、貧乏詩人仲間を集めて自身が主催していた同人誌「銅鑼(どら)」へ勧誘したのでした。直ぐに賢治は承諾し、「銅鑼」四号に詩(心象スケッチ)二編を寄稿しました。

 

Cimg6841花巻農学校に移築された羅須地人協会「賢治の家」。 農民を救済するために、本当の農民になるために、賢治は羅須地人協会を創設しました。     
当時の心平は、賢治と親しく音信を交わしてしていましたが、面識はなかったのでした。心平は、賢治が創設した羅須地人協会を小岩井農場のような、米国式の近代農場だと思い込んでいました。 そこで、賢治に頼んで住み込みで働かせてもらおうと思い花巻行きの汽車に飛び乗りましたが、汽車賃がなくて途中で降りてしまったそうです。心平らしいなんとも間抜けな話です。(笑) 貧乏だったから仕方なかったのでしょう。(笑) 結局、心平は、賢治の死により会う機会を永遠に失ってしまうのです。

 

Cimg6845「下の畑」。 ここは、北上川沿いの砂地でヤブ地の荒地でしたが、なんと賢治は、この地をたった一人で開墾したのでした。すさまじい情熱です。   
昭和8年9月22日、光太郎から 「賢治さんが亡くなった」 と告げられた心平は、居てもたってもいられなくなり、光太郎に借金をして花巻に向かったのでした。 仏前に焼香し、賢治の遺影を見た心平は、「賢治さんはこういう人だったのか」としみじみ思ったそうです。

 

Cimg6846賢治が開墾した「下ノ畑」。  
心平が想像した米国式の近代農場ではなかったのですが、大根、白菜などの一般的な野菜の他にも、トマトやアスパラガス、チューリップなど当時としてはかなり珍しい野菜や花も栽培していました。     
花巻に滞在中、賢治の実家で心平が見たものは、・・・・・賢治の家族によって整理された膨大な未発表原稿の山でした。花巻からの車中、心平は、「宮沢賢治追悼」の刊行、「宮沢賢治全集」を刊行しなければならない!と強く思ったそうです。 昭和9年に 「宮沢賢治全集(童話編)」 が出版されましたが、出版の実務を引き受けて東奔西走、走り回ったのは心平だったのです。 心平は、間抜けでしたが、かなりの情熱家でした。熱いです。(笑) この情熱家がいなければ、賢治が広く世に認知されるのも、かなり遅れたことでしょう。草野心平は、間抜けでおっちょこちょいでしたが、愛すべき詩人です。(笑)

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