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2014年8月18日 (月)

白虎隊の悲劇 (福島県会津若松市)

悲劇の舞台であった、会津若松市の飯盛山を20数年ぶりに訪れてきました。まあ、当時もそうでしたが、今は、すっかり観光名所になっていました。 エスカレーターも完備していて、足腰の弱ったお年寄りも、急な石段を登ることなく簡単に参拝がてきるようになっています。至れり尽くせりですね。(笑)
Img_2911飯盛山で自刃した白虎隊十九士が眠るお墓。お盆の時期ということもあってか、次々と観光客が焼香に訪れていました。        天皇を頂点として、天皇主義一辺倒の太平洋戦争中に、賊軍である白虎隊のことが、何か賞賛すべきこととして宣伝されましたが、よく考えてみれば、おかしなこと、不思議なことです。 主君の為に命を捨てるという行為と思想が当時の軍国主義的風潮にマッチしたのでしょう。しかも、敗戦濃厚になってきてから盛んに宣伝されたそうですから、白虎隊にしてみたらいい迷惑ですよね。(笑)
Img_2923猪苗代湖の戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊は、戸ノ口の堰に沿って敗走し、この洞門をくぐって、飯盛山にたどり着きました。 見た感じ、流れは速いし、狭いしで、かなり危険です。よくこんなところをくぐって来たなと、感心させられます。
Img_2920飯盛山の「さざえ堂」。 「昇降別々のらせん状通路で、階段がなく一方通行で上下するという日本では唯一、世界でも例のない名建築」 だそうです。   洞門を出た白虎隊の少年たちは、この「さざえ堂」の前を通り、飯盛山の中腹、鶴ヶ城が望める地へと向かったのでした。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Img_2918白虎隊自刃の地。  洞門をくぐり抜けて、この地にたどりついた白虎隊が見たものは、炎と煙に包まれた鶴ヶ城だった!?-------------------------------------------------------------------
Img_2917_2白虎隊自刃の地から鶴ヶ城方面を望む。小さく天守閣が見えました。ここからは、一望のもとに会津若松市が望めます。     実は、白虎隊の少年たちが見たのは、炎上した鶴ヶ城ではなくて城下の武家屋敷が炎上していたものでした。誤認でした。この時、鶴ヶ城は、落城していませんでした。まだまだ健在でした。炎上して鶴ヶ城が落城したと思い込み絶望して、自刃したのでした。まさに、悲劇でした。。。。 まあ、この誤認による自刃で、白虎隊の名が超有名になったのですから、よしとしましょう。(笑)

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コメント

どうもです。
会津と新撰組には、思い入れの深いTFです。(笑)
作家の司馬遼太郎さんが言っていましたが、当時会津藩は
裕福で教育水準も高く、結束力、藩兵も強く、藩とし
ての精度が非常に高かったそうです。そんなこんなで、
幕府から「会津藩しか役に立たない!」とのことで
散々こき使われたとか。
まあ、これが悲劇のはじまりだったのでしょうね(涙)

投稿: TF(霧島) | 2015年1月19日 (月) 07:54

 会津を愛でて頂いてありがとなし。

飯盛山は、ちょっと寂しく物悲しくて、情緒あんべ。
私は、子供の頃からさざえ堂が断然好きです。
あそこに登ると、魑魅魍魎に逢える気がするべ。

投稿: 雑草Z | 2015年1月16日 (金) 23:28

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