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2011年12月 2日 (金)

「マサニエロ」

宮沢賢治の詩集 「春と修羅 第一集」 に収められている有名な詩 「永訣の朝」 の二つ前に収められている難解な詩であります。 # 「マサニエロ 」 はこちらをどうぞ。。。。。。。。 賢治は、花巻農学校の教員時代の大正12年の夏、樺太 (サハリン) を旅しています。目的は、豊原 (ユジノサハリンスク) にあった王子製紙の工場に行き、花巻農学校の生徒のために就職を依頼することでした。 ただし、これは本来の目的ではなく、真の目的はもっと深く別にあったらしいのです。 よく知られているのが、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を求める旅、トシと交信するための旅であった ということです。この時の文学的成果が、「青森挽歌」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」 の詩であることは良く知られています。実際、賢治は、樺太鉄道に乗り、「白鳥湖」という白鳥が多く集まるという湖の駅で降り、野宿をしてトシと交信しているのであります。白い渡り鳥は神の使いであり、魂は鳥の形をしているのです。 (アイヌ民族の重要な神祀りの道具イナウは鳥の形をしている) 白は、まさに死の国の色。白い渡り鳥は、死者の国から来た鳥として昔から尊敬されていました。。。。 他にも様々な目的があったようです。鉄道ファンでもあった賢治は、樺太鉄道に乗り、童話「銀河鉄道の夜」の構想を練り直しています。 また、各地で農業用の資料を集めたり、樺太南部の鈴谷岳周辺では標本を作るために植物採集を行っているのです。 植物学、地質学、鉱物学、気象学で書いたという 「樺太鉄道」、「鈴谷平原」 という詩もありますね。

Cimg1371_2北海道稚内市 宗谷岬にある 「日本最北の地」。 大昔、学生時代、夏休みを利用して1ヶ月間 北海道を放浪したときの写真です。レトロですねー。。。(爆)  ここからは、樺太がはっきりと見えました。あまりの近さにびっくりしたものです。 賢治もこの地に立ち寄ったかもしれない。。。。。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg1366北海道稚内市稚内公園にある 樺太島民慰霊碑「氷雪の門」。 稚内公園は高台にあるため樺太がよく見えます。  「碑文  人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここへ帰った戦後はその門もかたく鎖された それから18年、望郷の念止みがたく樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に。。。。」  賢治は、ここ稚内から連絡船で樺太の大泊 (コルサコフ) に向かいました。 これも大昔の写真です。レトロですねー。。。(笑)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Chehovcopyロシアの文豪 アントン・チェーホフ。
#賢治は、チェーホフを強く意識していました。。。。さて、やっと、「マサニエロ」 です。(笑)  
この詩の後半部分にこんな一節があります。 

もひとりこどもがゆっくり行く
蘆(あし)の穂は赤い赤い
 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ
 (ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる

この詩が樺太の旅の中で作られたかどうかは不明です。しかし、ロシア、チェーホフ、赤、などのフレーズから樺太で作られた可能性は高いと思います。チェーホフは、賢治が樺太 (サハリン) を訪れる約30年ほど前に樺太を旅して、有名なルポルタージュ 「サハリン島」 を書きました。  ( この 「サハリン島」 は、村上春樹氏が小説「1Q84」で引用したことから、日本でも再び人気に火がついたらしいですね。)
賢治は、チェーホフの作品をかなり読んでいたそうです。かなり影響も受けていたのでしょう。チェーホフと同じように樺太を旅したいと思っていたのでしょう。 
ロシア革命は、賢治が21歳、盛岡高等農林学校3年生の時に起こりました。多感な時期ですね。かなりの衝撃を受けたことでしょう。 賢治は、「革命が起きたら、私はブルジョアの味方です」、「私は革命という手段は好きではない」 (賢治は暴力革命が好きではなかった) と語っていましたが、反面かなり強く意識していたのでしょう。 なんと、「マサニエロ」 とは、17世紀のナポリの反乱を指導した革命家だそうです!! う~む、ロシア、チェーホフ、赤、革命家。。。実は、賢治はロシアがかなり好きだったのかもしれませんね。(笑)


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