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2011年12月

2011年12月29日 (木)

「芸術家、科学者、そして宗教家 」

これもアルバム「戦争と平和」に収録されているザ・フォーク・クルセダーズの曲ですが、なんか、賢治自身や賢治の「農民芸術概論綱要」にインスパイアされて作られた曲のような感じがします。多分そうでしょう!(笑) 作詞は北山修です。 芸術家、科学者、宗教家が知恵を出し合えば、政治も環境問題もなんとかなるか?みたいな曲なんですが。。。。
賢治は、「農民芸術概論綱要」で芸術、科学、宗教についてこう論じています。「・・・・曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた  そこには芸術も宗教もあった  いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである  宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い  芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した  いま宗教家 芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである。。。。。 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない  自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する  この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか・・・・・・・」   アバンギャルドでハイセンスな天才賢治は、一人で三人分の知恵をだして、三人分の働きをしていたのです。体がぼろぼろになるは当然ですね。(涙)

「芸術家、科学者、そして宗教家 」 ザ・フォーク・クルセダーズ

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2011年12月26日 (月)

「11月3日(雨ニモマケズ)」

最近、ザ・フォーク・クルセダーズの「戦争と平和」をアマゾンで買って聴いています。これ、思ってた以上にいいね!(笑) このアルバムには、賢治の「雨ニモマケズ」に曲を付けたものが収録されいてます。 この曲は、東日本大震災後、ラジオからもかなり流れていました。心にしみるいい曲です。 賢治の詩を大いに引き立ててくれる、いいメロディーです。さすが、賢治ファンの加藤和彦ですね。脱帽しました。 #猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」金子みすゞの詩 「こだまでせうか」には 負けましたが。。。。(笑)

0b84badeb42d1a242e03b8e8b1ad6823アルバム「戦争と平和」。  2011年3月11日、東日本は巨大地震と津波に襲われ甚大な被害を受けました。 やがて、人々の心に宮沢賢治の言葉が浮かびました。彼の代表作「雨ニモマケズ」です。 「絆3.11」という被災者支援プロジェクト、俳優の渡辺謙さんが被災者への思いを込めて朗読していました。インターネットでも紹介され、ハリウッドスターも賛同し、その輪は世界に広がって行きました。。。。みなさんご存知のように、「雨ニモマケズ」の詩は賢治の死後に発見されたもので、題もついていなかったのです。賢治が愛用していた手帳に鉛筆でメモのように書き留められていました。詩の節奏を備えていたことから「詩作品」と見られてしまったのです。発表したり、他人に読ませたりすることを意図しない賢治のつぶやきと言ってもいいでしょう。発見と同時に「賢治の代表作」にされてしまった運命の詩でもあります。  この詩の書き出しの部分には、11.3という書き込みがあります。11月3日に書いたという意味でしょう。11.3と3.11、なんかリンクしますね!(笑)

「11月3日(雨ニモマケズ) 」 ザ・フォーク・クルセダーズ


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2011年12月19日 (月)

箕輪スキー場 (福島県猪苗代町)

全長1600メートル、箕輪のメインバーン、メイプルストリートがオープンしたということで 早速行ってきました。前半の広いフラットバーンは、まずまず快適なライディングができました。しかし、後半の急斜面は、アイスバーンの上に新雪がコーティングされた状態で、スキーヤー、スノーボーダーにあっという間に削り取られザラザラ、バリバリのバーンがむき出しになってきました!!やれやれ。 快適とは程遠く、かなり滑りずらかったですね。足首、腰は痛くなるしで大変でした。(笑) 4時間券を買って、9:00~12:30まで滑ってきました。 

Cimg1398メイプルストリート後半部分。かなり狭いですね。この先に急斜面が待っています。    箕輪スキー場は、ヨーロッパスタイルの正統派スキーリゾートとして1990年頃オープンした比較的新しいスキー場です。1987年に公開された「私をスキーに連れてって」(通称 私スキ)によるスキーブームもあって、オープンしたころは、平日でも大混雑してましたね。猪苗代エリアでは、最後まで「スノーボード全面滑走禁止~一部滑走可」の看板を掲げていてスキーヤーにとっては天国でした。しかし、「スノーボード革命」の大波には勝てず、あっという間にスノーボード全面滑走可になり、今では「ボードパーク」まで作られています。

Cimg1399メイプルストリート トップ付近。 ガスがかかってました。かなり寒かったです。もう少し天然雪が降り積もっていれば最高のコンディションでしたが。。。。---------------------------------

Cimg1401斜度25度、メイプルストリート最後の急斜面。混雑時には危険さえ感じる。   箕輪は、スキースクールが盛んですね。この日も3グループほどの団体さんがスキーを練習していました。いずれも60才代のおじさん、おばさんたちでした。けっこう真剣に練習してましたね。最近は、定年退職してからスキーを始める人がかなり多くなってきてます。いやー、うれしいですね。いいことです。 「暇がなく、バブルのころのスキーブームには乗り遅れたから、遅ればせながらやってみようか!」という感じですかね。(笑)


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2011年12月13日 (火)

夏油高原スキー場 (岩手県北上市)

天元台、箕輪、蔵王、湯殿山、安比、秋田八幡平等々、東北のスキー場はどこも雪不足で泣かされています。やれやれ。ネットで調べたり、直接電話して確認した結果、積雪も多く、断トツで条件が良かったのがここでした。てな訳で夏油に行ってきました。 天候、まずまず。雪質、まずまず。積雪はいまいち。でも、まあ、爽快なライディングができましたね。 5時間券(初滑り料金でなんと2600円でした)を買って9:00~13:30頃まで滑ってきました。 

Cimg1372ベース付近。朝一の情景。朝方は晴れていましたが、次第に雲が厚くなり雪が降ってきました。  全面滑走に、はほど遠い状態。滑れるコースは、向かって左側の三分の一くらいでした。積雪は、思ったよりありましたが、十分とは言えず、まだまだたりない状態でした。最初はまずまずでしたが、1時間もするとコース面の雪が削り取られてきて、ブッシュや地肌が見えてきました。小石もいたるところに散らばっていて、ボードの滑走面は傷だらけになってしましましたね。やれやれ。(笑)

Cimg1384_2標高1070メートルのトップ、滑り出し付近。  シーズン初めの一本目は、さすがに緊張する。ゴーグルをセットし、大きく三回深呼吸して滑り出す。雪質はすこぶる良い。体の反応も思ってた以上に良い。ターンを重ねるほどにスピードが上がっていく。集中力が高まり、雑念が消えた。自然との一体感。透明な爽快だー。。。!(笑) 2100メートルのロングバーン、一本目からノンストップで一気に下まで滑り降りてしましました。太ももがパンパンです。やれやれ。(爆)

Cimg1382ゴンドラ・ボイジャー。 一気に山頂まで運んでくれます。ゴンドラは、超寒いときや吹雪のときなんかは最高です。山頂は、ここからは見えませんね。写真の上方、さらに奥にあります。 リフトも一本動いていますが、下の方の初心者コースのみカバーしています。 

Cimg1374快適なゴンドラ内にて。 朝方は空いていましたが、昼頃になると混雑してきました。ゴンドラ待ちの列もできていました。びっくりです。(笑)   地元岩手県だけでく、 秋田、宮城、仙台ナンバーの車も多くありましたね。

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2011年12月 2日 (金)

「マサニエロ」

宮沢賢治の詩集 「春と修羅 第一集」 に収められている有名な詩 「永訣の朝」 の二つ前に収められている難解な詩であります。 # 「マサニエロ 」 はこちらをどうぞ。。。。。。。。 賢治は、花巻農学校の教員時代の大正12年の夏、樺太 (サハリン) を旅しています。目的は、豊原 (ユジノサハリンスク) にあった王子製紙の工場に行き、花巻農学校の生徒のために就職を依頼することでした。 ただし、これは本来の目的ではなく、真の目的はもっと深く別にあったらしいのです。 よく知られているのが、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を求める旅、トシと交信するための旅であった ということです。この時の文学的成果が、「青森挽歌」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」 の詩であることは良く知られています。実際、賢治は、樺太鉄道に乗り、「白鳥湖」という白鳥が多く集まるという湖の駅で降り、野宿をしてトシと交信しているのであります。白い渡り鳥は神の使いであり、魂は鳥の形をしているのです。 (アイヌ民族の重要な神祀りの道具イナウは鳥の形をしている) 白は、まさに死の国の色。白い渡り鳥は、死者の国から来た鳥として昔から尊敬されていました。。。。 他にも様々な目的があったようです。鉄道ファンでもあった賢治は、樺太鉄道に乗り、童話「銀河鉄道の夜」の構想を練り直しています。 また、各地で農業用の資料を集めたり、樺太南部の鈴谷岳周辺では標本を作るために植物採集を行っているのです。 植物学、地質学、鉱物学、気象学で書いたという 「樺太鉄道」、「鈴谷平原」 という詩もありますね。

Cimg1371_2北海道稚内市 宗谷岬にある 「日本最北の地」。 大昔、学生時代、夏休みを利用して1ヶ月間 北海道を放浪したときの写真です。レトロですねー。。。(爆)  ここからは、樺太がはっきりと見えました。あまりの近さにびっくりしたものです。 賢治もこの地に立ち寄ったかもしれない。。。。。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg1366北海道稚内市稚内公園にある 樺太島民慰霊碑「氷雪の門」。 稚内公園は高台にあるため樺太がよく見えます。  「碑文  人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここへ帰った戦後はその門もかたく鎖された それから18年、望郷の念止みがたく樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に。。。。」  賢治は、ここ稚内から連絡船で樺太の大泊 (コルサコフ) に向かいました。 これも大昔の写真です。レトロですねー。。。(笑)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Chehovcopyロシアの文豪 アントン・チェーホフ。
#賢治は、チェーホフを強く意識していました。。。。さて、やっと、「マサニエロ」 です。(笑)  
この詩の後半部分にこんな一節があります。 

もひとりこどもがゆっくり行く
蘆(あし)の穂は赤い赤い
 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ
 (ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる

この詩が樺太の旅の中で作られたかどうかは不明です。しかし、ロシア、チェーホフ、赤、などのフレーズから樺太で作られた可能性は高いと思います。チェーホフは、賢治が樺太 (サハリン) を訪れる約30年ほど前に樺太を旅して、有名なルポルタージュ 「サハリン島」 を書きました。  ( この 「サハリン島」 は、村上春樹氏が小説「1Q84」で引用したことから、日本でも再び人気に火がついたらしいですね。)
賢治は、チェーホフの作品をかなり読んでいたそうです。かなり影響も受けていたのでしょう。チェーホフと同じように樺太を旅したいと思っていたのでしょう。 
ロシア革命は、賢治が21歳、盛岡高等農林学校3年生の時に起こりました。多感な時期ですね。かなりの衝撃を受けたことでしょう。 賢治は、「革命が起きたら、私はブルジョアの味方です」、「私は革命という手段は好きではない」 (賢治は暴力革命が好きではなかった) と語っていましたが、反面かなり強く意識していたのでしょう。 なんと、「マサニエロ」 とは、17世紀のナポリの反乱を指導した革命家だそうです!! う~む、ロシア、チェーホフ、赤、革命家。。。実は、賢治はロシアがかなり好きだったのかもしれませんね。(笑)


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