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2011年11月10日 (木)

聖地巡礼(笑) Ⅹ 「種山ヶ原」

『種山ヶ原といふのは北上山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩や、硬い橄欖岩(かんらんがん)からできてゐます。高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五六軒づつの部落があります。。。。。』 宮沢賢治 「 種山ヶ原」より    岩手県住田町、遠野市、奥州市にまたがる広大な高原、種山ヶ原の最高点、物見山(871メートル)に登ってきました。登ったと言っても、遊歩道を往復2時間くらい歩き回っただけですが。。。。(笑)   賢治の童話 「種山ヶ原」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」の舞台としても知られ、賢治がこよなく愛した景観は、国の名勝「イーハトーブの風景地」に指定されている。 #スタジオ ジブリのアニメ「種山ヶ原の夜」はこちらをどうぞ。

Cimg1266山頂には雨量観測所の建物がありました。 ここは、広大な種山ヶ原の中心であります。広大な準平原 種山ヶ原のすべてを見渡せます。遠くには、早池峰山、五葉山などが、何とか確認できました。#ちょっと雲が多かったなー。。。残念!

Cimg1271_2山頂付近の残丘(モナドノックス)。このあたりでは、いたるところに「残丘(モナドノックス)」が見られます。  遠く後方に見えるのが「種山高原 星座の森」で、ログハウスのコテージやオートキャンプ場などの施設があります。  種山ヶ原は、内陸と三陸海岸との境界にある高原のため年中風が吹いている場所だという。この日も山頂付近は風が強かった。なるほど!まさに「風の又三郎」の舞台にぴったりですね。(笑)

Cimg1274山頂付近にて。これも残丘(モナドノックス)か?  なんとこの種山ヶ原周辺にも、あの坂上田村麻呂伝説があるのです。いやー、東北にはいたるところに田村麻呂伝説が残っていますね。(笑)    エミシ軍を率いる人首丸(ひとかべまる)と田村麻呂率いる朝廷軍の最後にして最大の戦いがあった場所だったとか。当然のことながらエミシ軍は惨敗し、人首丸は処刑されました。墓は、奥州市側になりますが、人首町(ひとかべまち)というところにあるそうです。 賢治も 「人首町(ひとかべまち)」という詩を残しています。

雪や雑木にあさひがふり   丘のはざまのいっぽん町は 
あさましいまで光ってゐる   そのうしろにはのっそり白い五輪峠
五輪峠のいたゞきで   鉛の雲が湧きまた翔け
南につゞく種山ヶ原のなだらは   渦巻くひかりの霧でいっぱい  
つめたい風の合間から   ひばりの声も聞えてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって  その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

Cimg1269物見山(山頂)を望む。 種山ヶ原は、森林も少なく昔から天然の放牧場として利用されてきました。伊達藩(このあたりは南部藩と伊達藩の堺)の馬牧場とて利用されたのが最初でした。戦時中は大量の軍馬の放牧場として貴重な存在だったそうです。    『春になると、北上の河谷(かこく)のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此この部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまふのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。放牧される四月(よつき)の間も、半分ぐらゐまでは原は霧や雲に鎖とざされます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気しっきのお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行ゆく旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るやうになります。その旅人と云いっても、馬を扱ふ人の外(ほか)は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅(わずか)なものでした。』 宮沢賢治 「種山ヶ原」より

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