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2011年10月

2011年10月27日 (木)

東日本大震災~斜面補強工事

やっと、家の裏側一帯の補強工事が始まった。かなり大規模な工事だ。隣の解体して空地になったところにプレハブ小屋を建て、10数メートルはあるH型の鉄骨や同じく10数メートルはある大きな筒を20数本並べ、さらに、大型の重機まで運び込んできたのである。 これで、やっと安心できる。最大余震がきても、我家は崩壊しないだろう。やれやれ。(笑)     斜面の工事は始まったが、肝心の我家の修理工事は、なんと4ヶ月も待たされているのです。お詫びの連絡が2回もきました。   「東日本大震災で、建設業界は多大な影響を受けております。公共建築物の復旧、補強が優先され、民間の工事に対する建設物資の調達には時間がかかり、依然大工、職人不足が目立っており、依然工事進行に支障をきたしている状況です。。。等々」 だそうです。   家に謝りに来た営業マンは、なんか上機嫌で笑いが止まらない という顔をしてましたね。(笑)  「ずいぶん待たせるね。そちらは儲かって、儲かってしょうがないんじゃないの?顔が笑ってるよ!」  「なにぶんにも、このような状況なもので、○○さんには大変ご不便をかけてます。。。こんなこと言っては不謹慎ですが、おっしゃるとおり、会社はかなりの利益がでているようです」 だと! 「冬のボーナスはすごい金額になるんでないの?1人平均500万くらいとか。。。?」 「いや~そこまでは。。。」 別に強く否定もしなかったですね!やれやれ。 #5ヶ月も待たされるのだから、大幅な値引きを迫ろうと考えている今日この頃です。(爆)  

Cimg1232重機を使い、斜面に沿って10数本の穴をあけ、長~い鉄骨と筒をねじ込んで、埋め込んでいくのである。10メートル以上の長さのものが次々と埋まっていく。すごい工事だ。

Cimg1236この長い筒の中にはコンクリートを流し込むようだ。そして、斜面全体をコンクリートで固め、上もテラス状にコンクリートで固めるらしい。やれやれ、なんと完璧な工事んだろう。(笑)   

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2011年10月22日 (土)

藤村広場 Ⅱ(仙台市宮城野区)

藤村、若干24才は、明治28年ころ東京の明治学院で英語の教師をしていた。教え子との恋に破れ、親友である北村透谷の自殺などにより、東京に住むのががいやになったのでした。東北学院の招きもあり、英語の教師として来仙し東北学院で教鞭をとったのでした。

Cimg1220藤村の下宿先 三浦屋があった場所。 今はなぜか神社になっていました。 この下宿で「若菜集」の詩が書かれたのです。 「。。。。仙台の名影町(名掛丁)というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。宿屋の隣りに石屋がありまして、私がその石屋と競争で朝も早く起きて机に向ったことを憶えています。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞えて来ました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです。」 島崎藤村著 「市井にありて」 より    当時、この下宿の東側一帯には、ほとんど建物とかがなかったのでしょう。もちろん騒音もなかった。若林区荒浜あたりの潮騒が聞こえていたのでしょうね。今では想像がつかないですね。(笑)

Cimg1215JR仙台駅東口の駅前広場から藤村広場方面に進む歩行者専用の小路が「初恋通り」と名付けられいる。   「。。。。仙台の東北学院の教師として出かけることになって、旅も出来れば母への仕送りもいくらか出来るという始末であったのです。あの時は寂しい思いで東北の空へ向いました。着物なぞも母の丹精で見苦しくない程度に洗い張したもので間に合せ、教師としての袴は古着屋から買って来たもので間に合せました。荷物といっても柳行李一つで、それも自分があつめた本を大事にいれて行くぐらいなものでした。上野から汽車で出かけて、雨の深い白河あたりを車窓から見て行ったときの自分の気持は、未だに胸に浮んで来ます。そんなに寂しい旅でしたけれども、あの仙台へついてからというものは、自分の一生の夜明けがそこではじまって来たような心持を味いました。実際、仙台での一年は、楽しい時であったと思います。。。。」 島崎藤村著 「市井にありて」 より    仙台へは、ブルーで、へこんで、滅入って、都落ちという感じでやって来たのでしょう。(笑) でも、仙台での生活は、希望に満ちて、充実して、楽しい日々だったようです。

Tousonsendai27w明治期の東北学院(大学) 。 東北学院大学は、プロテスタント系のミッションスクールで、東北地方では最大規模、最も有名な私立大学である。東北各地や北関東からも学生を集めている。明治初期に私塾「仙台神学校」として開校し、数年後に東北学院と改称した。 島崎藤村が赴任してきたのは、この写真の頃でしょう。 #大学の出身者で有名人は、プロ野球の岸投手(西武)、鈴木京香、さとう宗さん、大友康平などか。。。  


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2011年10月21日 (金)

藤村広場 Ⅰ(仙台市宮城野区)

魯迅と同じように、島崎藤村が仙台で生活したのはわずか1年あまりでしたが、その間に作った詩は「若菜集」としてまとめられて出版され大反響をよびました。日本近代詩の記念碑的作品ともいわれています。これを記念して、島崎藤村が下宿していたところに「藤村広場」が作られました。  #Ⅱに続く・・・・・

Cimg1221藤村広場にある「日本近代詩発祥の地」の碑。  ここは、JR仙台駅の東口の北側にあたります。20年くらい前までは、通称駅裏と呼ばれていて古い木造の民家や商店が乱雑に密集し、かなりごちゃごちゃ場所でした。 しかし、今ではきれいに再開発されマンションやショップ、飲食店が立ち並んでいます。 

Cimg1228藤村広場には巨大な蝶々の絵が描かれていました。「若菜集」の表紙を飾った蝶々ですね。 まるでナスカの地上絵です。なんでこんな絵をわざわざ描いたのだろう? 広場いる人は、何が描かれているのか なんてのは全く分からないのです。上空から見て初めて分かるのです。 これは絶対に見なくては!と思い、近くのマンションの立ち入り禁止の非常階段を勝手に乗り越えて、五階まで登って撮ってきました。やれやれ。(爆) #復刻本「若菜集」 島崎藤村はこちら。だれがデザインしたのでしょうか?白い蝶々が象徴的ですね。

Cimg1214島崎藤村 青春の地・名掛丁。 この碑は歌碑にもなっています。向かって左右の面には超有名な詩「初恋」の一節が刻まれていました。--------------------------------------------
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり 「若菜集、初恋」より

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2011年10月20日 (木)

秘湯ビール

秋田県仙北市の乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」で買ってきました。「日本秘湯を守る会」の限定醸造のビールで、会員の秘湯だけで販売されているという 超レアなビールなのです。(笑)    日本で唯一、ブナの原生林で採取された天然酵母とブナ林の地下天然水で作られた本格的なビールなのです。もちろん原材料は、麦芽とホップのみ!! 製造元は、秋田県仙北市にある 秋田県麦酒醸造研究会 わらび座 というところ。 味は?というと、ソフトでまろやかで旨かったです。見た感じ、かなり濃厚な味かなーと思ったのですが・・・・(笑)    

Cimg1211これは珍しい!と思って、7本も買ってきました。330mlで、なんと630円。ちょっと高かったですねー。。。。(笑)


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2011年10月17日 (月)

鶴の湯温泉 (秋田県 仙北市)

#いやー、温泉のハシゴはトレッキングより疲れますねー!(笑)   この温泉は、乳頭温泉郷の中でも最も古く、最も有名な温泉でしょう。秋田藩の湯治場として栄え、1600年代の湯宿としての記録も残っているとか。「日本秘湯を守る会 会員」の温泉でもあります。 乳頭温泉郷にはハングルで書かれた案内板が目立ちますね。韓国からのツアー客が多数押しかけて温泉めぐりをしているのです。さて、なぜでしょうか?(笑)

Cimg1191「本陣 鶴の湯」の看板が目に入ります。 まさに秋田藩・本陣の面影を色濃く残す重厚な門構えですね。ここには茅葺屋根の建物が多くありました。自炊部はもちろん、温泉事務所なども茅葺屋根でした。なんか、黒湯温泉よりも多い感じです。他に、遠野にあったような水車小屋なんかもありました。発電とかしていたのかな?(笑)

Cimg1206日帰り専用の露天風呂。撮影禁止だったので盗撮です。(爆)  日帰り専用の風呂は2ヶ所ありました。内風呂はかなり小さく、体を洗う場所もありませんでした。もちろん、石鹸もシャンプーもありませんでした。でも、露天風呂は、風情があって、広くて最高でした。端のほうにある岩からは、こんこんと温泉が湧き出ていました。白色に濁った湯が熱かった。

Cimg1204#チェ・スンヒ(キム・テヒ)じゃないですよ!(爆)    小さな橋を渡ったところに日帰り専用の温泉が2つありました。内風呂が広い温泉と、露天風呂が広い温泉に分かれているようです。露天風呂が広い方に入ってきましたが、こちらの方の内風呂はかなり狭かったです。二人入ったら、いっぱい、いっぱいですね。(笑)  石鹸、シャンプーなし、体を洗う場所もなしで500円でした。まさに、露天風呂につかって風情を楽しむ温泉ですね。もちろん、宿泊する人は別ですよ!(笑)

Cimg1202韓国の人気テレビドラマ「アイリス」の重要なシーンが、この温泉で撮影されました。  「アイリス」は、全20話で製作費がなんと15億円、ロケ地がハンガリー、秋田県、上海などにおよび、日本やアメリカなどでも放送された超大作テレビドラマです。特に秋田でのシーンは、2話から6話くらいまで頻繁に登場し、6話だったかな?物語のほとんどすべてのシーンが秋田で展開する回もありました。いやー、観たときはびっくりましたね。(笑) 特に、田沢湖や、ここ鶴の湯温泉でのシーンは何回も登場します。他に、田沢湖スキー場でのスノーボート、スキー シーン、秋田市、男鹿半島、横手市、あと、なんと、秋田内陸鉄道(阿仁駅あたり)、森吉山、玉川ダムでのアクションシーンなどもあるのです!  #こちらをどうぞ。

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2011年10月16日 (日)

黒湯温泉 (秋田県仙北市)

下山後、時間がかなり余ったので、乳頭温泉郷 最奥の黒湯温泉と鶴の湯温泉に寄って温泉のハシゴをしてきました。(笑) 乳頭温泉郷のこの二つの温泉は、ひなびた山の湯治場の風情を色濃く残していて良かったです。まるで江戸時代の湯治場にタイムスリップしたような感じでした。
 
Cimg1171黒湯温泉全景。茅葺の建物が多い。源泉の中に旅館がある感じだ。高低のある複雑な地形を利用して、建物が思い思いの方向に雑然と建っている。かなり広い。乳頭温泉郷の中では最大の規模のようだ。まさに秘湯中の秘湯!

Cimg1180まさに日本の原風景って感じですね。(笑) この建物は旅館部から少し離れたところにありました。中をのぞいてみると、けっこう立派でしたね。(笑) 従業員用と思ったら、宿泊施設(別荘)でした。なんと一泊30000円なり。(笑) 上の「黒湯温泉全景」の写真は、この建物の前から撮りました。

Cimg1128写真の左側にあるのが、日帰り専用の温泉です。(男女別) もちろん露天風呂も付いています。源泉の温度が75度くらいあって、かなり熱いので水を加えて温度調節をしています。それでもかなり熱かった!(笑) 上のほうには、日帰り専用の混浴の温泉もあります。 石鹸あり、シャンプーなし、体を洗う場所 1ヶ所のみで500円でした。


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2011年10月15日 (土)

乳頭山 Ⅱ(秋田県 仙北市)

仙台を朝の5時に出発、盛岡市~旧田沢湖町を通り黒湯の登山口に着いたのが8時30分ころでした。 黒湯の登山口(8:45分発)→一本松温泉→乳頭山山頂(10:45分)→黒湯の登山口(12:45着) 約4時間のトレッキングでした。 予定では、山頂から1時間ほど下ったところに展開する、仙境の大湿原 千沼ヶ原(せんしょうがはら)まで行く予定でしたが、あまりの寒さで行くのを止めました。やれやれ。来年の楽しみということで!(笑)  

Cimg1138山頂を望む。 南側は激しく切れ落ちていた。断崖絶壁。後方奥に見えるのは岩手山。 岩手側から見ると「烏帽子」に似ていることから、岩手では古くから烏帽子岳と呼ばれていたのです。写真でしか見たことがありませんが、「烏帽子」そっくりでした。(笑)

Cimg1140乳頭山(1478メートル)山頂。「烏帽子岳」とも書いてありました。後方には名もない湿原が見えます。このあたりは、田代岱、千沼ヶ原の他に、名もない大小様々な池塘や湿原が点在しています。まさに湿原の宝庫です。 

Cimg1144山頂から南西方向を俯瞰する。下は垂直に切れ落ちている断崖絶壁だ。高度感がすごい!まるで空から眺めているようだ。 秋田駒ヶ岳や千沼ヶ原方面に縦走路が続いている。

Cimg1146山頂から北西方面を望む。 岩手の八幡平、松川温泉方面に縦走路が続いている。 山頂からの展望は、ガスが激しく流れていて、岩手山は何とか見えましたが、八幡平方面や森吉山などは全く見えませんでした。残念!(笑)


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2011年10月13日 (木)

乳頭山 Ⅰ (秋田県 仙北市)

田沢湖の奥に位置する乳頭温泉郷の黒湯から錦秋の乳頭山(1478メートル)に登ってきました。秋田駒ヶ岳の北西に位置する山で、縦走路も整備されていて秋田駒ヶ岳からの縦走もできます。   山頂は風が強く、ガスが急速に流れてきていてかなり寒かったです。スノーボード用のウェアを着こみ、毛糸の帽子をすっぽりかぶって、おにぎりを食べました。トレッキング用のグローブでは、防寒にならず、手がかじかんできましたね。やれやれ!(笑)  #Ⅱに続く・・・・・

Cimg1177乳頭温泉郷の秘湯 黒湯が登山口になっています。湯治場としての雰囲気を色濃く残している温泉でした。 ここから温泉を迂回して登山道は続いている。

Cimg1164紅葉の先達川。 この沢に沿って登山道は続いている。少し進むと、硫黄臭がプンプンと漂よい 灰白色の荒々しい岩肌を見せている場所に出でます。こから大量の温泉が湧き出しているのです。大釜温泉である。温泉といっても何にもないところです。ただ温泉が湧き出している場所なのです。(笑) この先には、一本松温泉という場所もあります。ここには沢沿いに小さな露天風呂が作ってありました。ただし、露天風呂といっても、スコップで掘って作ったような風呂です。脱衣所も何もありません。湯加減は沢の水が適度に入り、ちょうど良かったですね。(笑)

Cimg1158ブナ林の紅葉。 しばらくはブナの樹林帯の中を進む。ブナの紅葉が素晴らしい。 日は差しているが、ピーンと張りつめた冷たい朝の空気が、深まりゆく山の秋を感じさせてくれる。。。。

Cimg1133稜線から山頂方面を望む。 ここからだと山頂の「乳頭」は見えませんでした。 このあたりで標高は、1200メートルくらいである。登山道は、ブナ林からダケカンバ帯、そしてこのあたりからハイマツ、ヒメ笹を主とする灌木帯に変わる。

Cimg1149山頂直下より望む。この辺からだと、まさに「乳頭」ですね。(笑) ここまで来ると山頂も間もなくである。 風が強くなってきた。ガスもかかってきた。次第に寒くなってくる。 やれやれ、山頂からの眺望はイマイチかなー。。。。(笑) 

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2011年10月10日 (月)

「なめとこ山の熊」

宮沢賢治の数ある童話のなかで「なめとこ山の熊」は、「銀河鉄道の夜」、「注文の多い料理店」」、「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」などとともにかなり読まれている作品である。また、賢治が、山人「マタギ」を主人公にした作品としても有名である。賢治は、スポーツとしてハンティングを行う猟師たちを嫌悪していた。賢治がここで描いたのは、「注文の多い料理店」に登場するような都会からやってきて、快楽を得るためにレジャーやスポーツ感覚でハンティングを行う猟師ではないのです。 「なめとこ山の熊」の主人公 マタギの淵沢小十郎は、自分や家族が生きるためにハンティングを行う猟師なのです。しかしながら小十郎は、猟師という自分の仕事を悪い行い、罪深い行いと常に思っていたのである。小十郎は熊を殺した後、念仏のようにこうつぶやくのである。 「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」 と。因果応報、「善行が幸福をもたらし、悪行が不幸をもたらす」という考え方、思想である。小十郎は「罪深い行為をしている自分は良い死に方はしないだろう」と常々思っていたのであろう。。。。なんと、物語の最後に小十郎は熊に殺されてしまうのである。#「なめとこ山の熊」はこちらをどうぞ。

Cimg1117北秋田市阿仁のマタギ資料館。    この「なめとこ山の熊」を読むと感じることですが、明らかに賢治は、マタギと接触していたと思われます。賢治は、地質調査や鉱物・岩石・化石採集のため北上山地や奥羽山系、三陸海岸などを野宿しながら歩きまわりましたが、そのとき、花巻市西部の旧沢内村あたりでマタギと接触し、その生活やハンティングの様子を見ていたのでしょう。 なんと、賢治は、マタギが獲った熊を解体するシーンも見ていたのである!(笑)  「。。。それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎あごのとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆いをせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。」  「なめとこ山の熊」より

Cimg1114北秋田市阿仁のマタギ資料館。   岩手県花巻市の西部、秋田県と接する旧沢内村(現西和賀町)には、マタギの集落が点在していたのです。旧沢内村にある。碧祥寺(へきしょうじ)博物館には、マタギ関連の資料が多く展示されています。   哲学者であり、歴史家でもある梅原猛氏は、「この童話のラストシーンは、実に透明で清潔で神聖な文章で書かれている。。。。このシーンは、熊が自ら殺した小十郎の霊を神に送る儀式、イヨマンテである」 と言っている。なるほど!熊による逆イヨマンテか!(笑) まさに言い得て妙である。 #これは、賢治の思想が凝縮している童話だと思う。  「。。。。雪は青白く明るく水は燐光りんこうをあげた。すばるや参しんの星(オリオン座の三ツ星)が緑や橙だいだいにちらちらして呼吸をするように見えた。 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環わになって集って各々黒い影を置き回々フイフイ教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸しがいが半分座ったようになって置かれていた。 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴さえ冴ざえして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。」 「なめとこ山の熊」より

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2011年10月 4日 (火)

「マタギの里」 (秋田県北秋田市阿仁町)

下山後、旧阿仁町の「マタギの湯」 《打当(うっとう)温泉》 に入ってきました。阿仁の観光拠点になっている施設です。もちろん宿泊もでき、館内には「マタギ資料館」、「マタギ座敷」(レストラン)、打当川を見下ろす清々しい露天風呂もありました。 この温泉は良かったです。 また、なんと、すぐ近くには「マタギ熊牧場」なんてのもあります。(笑)

Cimg1111「打当(うっとう)温泉 マタギの湯」。 阿仁打当というと、宮城県出身、熊谷達也氏の「邂逅の森」(かいこうのもり)を思い出す。阿仁打当に生まれのマタギ・松橋富治が主人公の物語である。この本は、直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した名作であります。 みなさんも読んでみて下さい。(笑) 

Cimg1118「マタギ資料館」。   かつて東北には、厳しいしきたりを守って、熊や鹿を狩り、山とともに生き、「マタギ」と呼ばれた狩人の集団がいた。。。。
北東北のこの地方には、沢を意味するアイヌ語の「ナイ」という地名が非常に多い。また、マタギが狩猟のとき使う「マタギ言葉」とアイヌ語の類似性がある、と指摘たしたのは言語学者でありアイヌ語の研究家でもある金田一京助である。 打当内(うつとうない)、比立内(ひたちない)、笑内(おかしない)、粕内(かすない)等々。。。。。縄文時代の遺民、マタギとアイヌは、仏教とは無縁の独特の宗教、哲学を持って生活していたのでした。

Cimg1113資料館にある「マタギ銃」。  マタギが最も重視したハンティングが熊猟であった。当時、熊は高く売れたのです。皮はもちろん高値で売れましたが、「熊の胆(い)」は、昭和初期まで万能薬として超高値で取引されたとのこと。熊の胆一匁(いちもんめ、約4グラム)が、なんと、米1俵と取引されたのです。肝だけではなく、肉はもちろんのこと、骨の黒焼きは強精剤、熊の油は手荒れ、あかぎれの薬として、小腸は安産のお守り、冬眠明けの熊の糞は子供の癇の薬として、重宝されたそうです。クジラと同じで捨てるところなく、すべて利用されたのです。  ここには、マタギの宗教、信仰に関する展示品も多くありました。 マタギの神、山の神は女神であります。しかも、かなり崩れた顔のブスだそうです。(笑) なんと、この女神が最も好きなのが人間の男根とオコゼ(鬼のような顔をした魚)であるという。。。。まことに人間的な女神であります。(笑)  マタギが山に入りハンティングを行うときは、必ず、オコゼを山の神に捧げました。また、マタギの成人式では、男根を勃起させ山の神と象徴的な性交をしたといいます。やれやれ(笑)   #この辺のところは「邂逅の森」に詳しく書かれていますね。

Cimg1123「阿仁マタギ駅」、第三セクター秋田内陸縦貫鉄道の駅である。「マタギの里」は、ここから車で5分くらいのところにあります。この鉄道は、日本三大銅山の一つであった阿仁鉱山から出た銅鉱石を運搬するために引かれた鉄道であったのです。秋田は鉱山の多い県でもあります。   比立内(ひたちない)の105号線にある「道の駅あに(またたび館)」には、なんと、熊鍋レシピつきの冷凍熊肉が売っていました。さすが阿仁ですね。買うかな?とも思いましたが、500グラム5000円とちょっと高かったので止めました。(笑) 代わりに、マタギ秘伝の「熊の油」を買ってきました。これは、なんと、馬油の数倍の効目があり、手荒れ、あかぎれ、やけど、傷だけでなくアトピーにも効くという優れものです。アトピーに効くというのは本当ですかね。。。?(笑)

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