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2011年9月

2011年9月30日 (金)

森吉山 Ⅱ (秋田県北秋田市)

仙台を早朝の3時30分に出発、ひたすら東北自動車道を北上する。秋田県の鹿角八幡平(かずのはちまんたい)ICで降り、鹿角市~大館市~北秋田市(旧森吉町)の太平湖を通りコメツガ山荘のある様田の登山口へ。登山口に着いたのが、なんと、8時10分頃でした。やれやれ!(笑) 下山後は、旧阿仁町(あにまち)に下り、「マタギの里」によってきました。 コメツガ山荘登山口(8:20発)→一ノ腰山→森吉神社→避難小屋→森吉山山頂(10:50着)  山頂(11:20発 ピストンで) → コメツガ山荘登山口(13:20着) 休憩含む。約5時間のトレッキングでした。 

Cimg10757_2「冠岩」、見る方向によっては、こんな感じに見える。 この岩、登ることもできるし、内部は空洞になっているので「胎内くぐり」もできるのである。(笑) 正面に見えるのが避難小屋で奥に神社がある。なんと、この避難小屋は50人も収容できるという。こんなところに50人も収容できる大きな小屋を作ってどうするんだろう?神社のお祭りのときとかに使うのだろうか?(笑)  

Cimg10981森吉山山頂。 360度の大パノラマでした。岩木山、八甲田山、岩手山、秋田駒、鳥海山、男鹿半島能代方面などすべてが見渡せた。  紅葉には少し早く、平日なのに10人くらいの登山者がいました。思ったより多かったです。高齢者がほとんどで山ガール、山ボーイはいなかったですね。(笑)

Cimg1083山頂付近から振り返り見る。「森吉山避難小屋」が見える。山頂近くは、ヒメザサ帯の中に小さな湿原やアオモリトドマツの林が点在している。   百名山は、間違いなく魅力的で素晴らしい山ですが、「。。。僕は、こういうあまり人に騒がれることのない、つつましい山が好きである。」 ですね!(笑)

Cimg10891山頂から北側を望む。  岩木山が 白神山地の上にポッカリと浮かんでいた。西側には、男鹿半島、八郎潟、能代市街が靄の中に見渡せた。

Cimg10889山頂から南東方面を望む。  八幡平の上にひときわ高く岩手山が天を突いていた。その横には秋田駒ヶ岳が見え、さらに南方には鳥海山の輪郭が靄の中に見えた。 


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2011年9月28日 (水)

森吉山 Ⅰ (秋田県北秋田市)

森吉山(1456メートル)に登ってきました。周辺には1000メートル前後の山々が連なり、山麓には広大なブナ林が広がり、秘境ムードが漂う山域でした。 春から秋にかけては、300種類もの高山植物が咲き誇る「花の百名山」でもある。また、「マタギの聖地」としても知られ、南麓の旧阿仁町(あにまち)にはマタギの集落が点在している。   天候にも恵まれ最高のトレッキングができました。でも、仙台からは、かなり遠かった。登山口に着くまで、4時間40分もかかってしまいました。やれやれ。(笑) #Ⅱに続く・・・・

Cimg11094登山口のコメツガ山荘。 旧森吉町の「様田コース」から登ってきました。ここは、森吉スキー場(廃業)があった場所です。山荘の裏のほうが登山道になっていて、スキー場に沿った登山道、スキー場のゲレンデ跡を登ると、一ノ腰山(1265メートル)に続く尾根にでます。コメツガやブナの林の中を進む快適な登山道であった。

Cimg11063一ノ腰山(1265メートル)を振り返り見る。 ブナの原生林の中を登って行くと突然視界が開け一ノ腰山の山頂に着く。さえぎる物が何もない展望が広がる。ここから一気に下ってから、森吉山への緩やかな登りへと続いていく。 スケールはかなり小さいですが、ちようど、大朝日岳の古寺山への登りと下りに似ていましたね。(笑)

Cimg11012一ノ腰山付近から望む森吉山。 森吉山は非常に登りやすい山でした。登山道も完璧に整備されているし、タフな急斜面の登りもほとんどありません。初心者、高齢者でも安心して登ることができます。 #ちょっと歯ごたえが無かったですが。。。(笑)  なだらかで優雅なスロープと森の深さが魅力の山でした。

Cimg10713森吉神社の奇岩。 巨大な溶岩の塊である。見る方向によって、いろんな形に見えるのが面白い。「冠岩」と呼ばれていて、森吉神社のご神体になっている。岩の前にある歌碑は、江戸時代の旅行家、紀行家、民俗学者、宗教家、博物学者でもある菅江真澄の歌碑である。彼は愛知県の出身で、北東北や北海道をこよなく愛し、貴重な紀行文を多く残した人物である。

89森吉神社の避難小屋。 坂上田村麻呂が建立したとされる神社である。なんと、ここにも、福島の阿武隈高地 大滝根山に伝わるのと同じ伝説があったのです。森吉山に住んでいたエミシの豪族 大滝丸を坂上田村麻呂が滅ぼして建てた神社だという。。。。やれやれ、東北にはいたるところに田村麻呂伝説があるなー。(笑) 

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2011年9月16日 (金)

伊達62万石の宿 湯元不忘閣 Ⅱ (宮城県川崎町青根温泉)

一泊○万○千円と少々高かったですが、全てにおいて満足でした。充分高いだけのことはありましたね。 夕食、朝食は、多くの文人達が泊まった旧館の個室でいただきました。なんか、明治時代にタイムスリップしたような感覚になりますね。(笑)  料理も最高でした。とくに、仙台牛を使った松茸の牛鍋は絶品でした。うまかった!!もちろん、お風呂も最高。感動ものでした。湯元不忘閣のホームページはこちらてす。  

Cimg10063「政宗の湯」(大湯)。この引き戸から専用の草履に履き替え階段を少し下りて行くと温泉である。  この温泉では伊達家の家紋(三引両紋、竹に雀紋)がお椀や柱などに使われています。聞いてみたところ、なんと、伊達家の家紋の使用が許されているのは、この温泉と松島の瑞巌寺だけとのこと。勝手に使用することができないのですね。 登録商標かなんかになっているのでしょうか?やれやれ、すごいことです。(笑)

Cimg10172450年前の姿に復元された大湯。 伊達政宗も入った温泉である。建物は何度か再建されいるが、450年以上使われている重厚な石組みで作られた湯船は、まったく当時と同じままである。 大湯は、老朽化が激しくなり2006年で閉鎖されましたが、当主が「青根温泉発祥のルーツを絶やすわけにはいかない」と決意し、青森ヒバと土壁を使い、釘を一切使わない工法で復元したです。当然のことですが、脱衣所もシャワーもありません。脱いだ浴衣を置いておくカゴが並んでいるだけです。でも、ご安心下さい。脱衣所、シャワー、石鹸、シャンプー完備の普通の温泉もあります。(笑)  与謝野晶子も、この「大湯」に入ったのでしょう。ここ不忘閣で、こんな歌を詠んでいます。。。「石風呂の 石も泉も 青き夜に 人とあゆみぬ 初秋の月」

Cimg10001「蔵湯」に通じる石畳の通路。なんとも幻想的である。風情がある。 引き戸をあけ廊下を進むと右手に土蔵の蔵が並んでいた。草履に履き替え、石畳の通路を進むと風呂の入り口がありました。入り口の前には、「日本秘湯を守る会」の大きなちょうちんがぶら下がっておりました。

Cimg10054「蔵湯」。 なんと、蔵の中にヒノキの湯船が。。。江戸末期に建てられたという蔵を改装して作られた風呂である。天井が高い。ヒノキの香りが心地よい。殿様気分が味わえる風呂である。(笑)   この蔵湯は貸切になっていて、ロビーに置いてある「貸切」の札を廊下に掲げておけば、30分限定で誰に気兼ねすることもなく、のんびりと入ることができる。まさに、殿様気分が味わえる風呂である。

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2011年9月15日 (木)

伊達62万石の宿 湯元不忘閣 Ⅰ (宮城県川崎町青根温泉)

蔵王連峰の山懐にわく青根温泉。伊達家の御殿湯として栄え、伊達政宗公をはじめとして歴代の藩主が湯治に訪れたという由緒ある温泉に一泊してきました。「日本秘湯を守る会」会員の温泉でもあります。 明治に入り、多くの文人達に愛された温泉でもあります。芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子夫婦、川端康成、高浜虚子、山本周五郎など多くの文人たちが滞在しています。 

Cimg10313部屋から見える風景。左側にあるのが、築100年を越える旧館である。    芥川龍之介が晶子や菊池寛の勧めで最初に避暑に訪れた温泉がここでした。。。「8月1日、宮城県青根温泉に避暑。滞在先は不忘閣。28日頃まで滞在。この地で執筆するが体調を崩しペンは進まず、「中央公論」9月分を延期する。」 芥川龍之介年譜 より 芥川にとって、この地での避暑は最悪だったようです。 山間僻地ゆえの食物の悪さによる便秘になやまされ、さらに田舎者の湯治客の多さに辟易し、スランプに陥り、ほとんど筆が進まなかったとか。やれやれ。(笑) そのためか、ここでのことは、ほとんど触れられていません。ただ、「雑筆」という、思いついたことなどを書き綴ったものには少し触れられています。
隣室    「姉さん。これ何?」 「ゼンマイ。」 「ゼンマイ珈琲つてこれから拵へるんでせう。」 「お前さん莫迦ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米珈琲よ。」   姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹二人ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品のある五十恰好の人。この人も画の嗜みありげに見ゆ。
(八月二十二日青根温泉にて) 雑筆より         

Cimg10591敷地内の山の斜面のそびえ建つ青根御殿。木造3階の華麗な建物である。火事で消失したが、昭和初期に往時まままの姿で再建された。内部は、伊達家関連の文物や訪れた文人達の展示室になっている。もちろん鍵がかっているので勝手に入ることはできない。毎朝、宿泊客を対象にした見学ツアーがあるので、これに参加すれば詳しい説明も聞くことができる。    「碧るりの川の姿す いにしへの奥の太守の 青根の湯舟」、与謝野晶子がここで詠んだ句である。

Cimg10182旧館内部。レトロだなーー!どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。癒されるなー・・・(笑) この建物の1階には、展示室兼休憩室があり、コーヒーやお菓子、味噌おでんの無料サービスもあります。さらに、なんと嬉しいことに、地元の銘酒「蔵王」の一升瓶が冷やされており、無料で銘酒をいただくことができました。 現在、旧館の部屋は、個室の会食場(食堂)として利用されている。

Cimg10444湯元不忘閣の門前。 左側にあるのが、高浜虚子がここを訪れた際に詠んだ句碑である。。。「夕立の虹見下ろして欄に倚る」。    「佐藤仁右衛門」の看板が目を引きます。 ここの湯守は、代々「佐藤仁右衛門」を襲名している。現在は、なんと21代目である!!初代 佐藤仁右衛門は、伊達政宗から「代々この温泉の湯を守ってくれ」と言われたそうです。真偽のほどは不明ですが。。。。(笑)
   


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2011年9月13日 (火)

東日本大震災~解体と撤去

仙台市では、罹災証明書において「全壊」、「大規模半壊」と判定されたものを対象とし、費用の全額を市が負担し解体・撤去を行なうことと定めました。 我家のある青葉区北部でも本格的に解体・撤去が始まっている。連日、騒音がとんでもなくすごい!(笑) 家の近所だけに限っても、かなりの家が「全壊」、「大規模半壊」の判定を受け、アパートを含めて10数件家の屋が解体・撤去される。。。。やれやれ。

Cimg0994我家の斜向い。「売却物件」の看板が目にしみる。こんな、危ない土地を買う人なんているのだろうか?  ここには、元気なじいちゃんがひとりで住んでいた。土地が陥没し大きく家が傾いて「大規模半壊」の判定を受た。強い余震がきたら全壊する可能性があるということで解体・撤去して土地は売り払い、千葉県にいる息子夫婦のところに引っ越していった。

Cimg0995我家の向かって左隣。 更地になって1カ月がたった。 ここには、60歳代の夫婦が犬三匹と一緒に住んでいた。この家は、裏の斜面が大きく陥没して、家が傾き「大規模半壊」の判定を受けた。保険金などが思ってた以上に入ったそうで、栃木県の那須に家を買い引っ越して行った。先日、久しぶりに電話してみたら、「元気でやっている。那須は、涼しくて、広々として最高だ。犬たちもリードを外して走り回っている」、などと嬉々として話していた。やれやれ、なんか複雑だなー。。。(笑)    なんと、我家の右隣の家も解体することに決まったのだ。この家は、「半壊」の判定だったが、古い家なので解体して土地は売却することにしたという。50歳代の夫婦は、泉中央にマンションを買って早々に引っ越して行った。やれやれ。 そして、誰もいなくなった。残ったのは我家だけ!(爆)  

Cimg0996我家から三軒目の家。築2年目の家で、総2階の豪邸だった。家の前の駐車場にはベンツが2台!さらにミニ・クーパーが1台。かなり金持ちの方の家でした。ここも、裏側が斜面になっていたためか、陥没し、大きく傾き「大規模半壊」の判定を受けてしまいました。2カ月くらいは住んでいたようですが、「大規模余震がきたら怖い」、とのことで仙台中心部にマンションを借りて引っ越して行きました。土地は売却するとのこと。諦めとともに、かなり落胆していましたね。築2年の豪邸が、あっというまに解体・撤去です。周辺の見通しがよくなりました。見える風景が新鮮です。やれやれ。(笑)


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2011年9月 7日 (水)

鬼穴(福島県 田村市)

阿武隈高地の大滝根山には、「大多鬼丸伝説」が昔から語り伝えられきた。 平安時代の頃、豊かな陸奥の国は大和朝廷に侵略されつつあった。当時、大滝根山に白銀城を築き周辺を治めていたエミシの豪族大多鬼丸は、平和で、豊かな集落をつくっていた。ある時、大多鬼丸のもとに、「お前が支配する領土や民は、みんな朝廷のものだ。これら全てを朝廷に差し出せ」という書状が届いたという。大多鬼丸は激怒して、これを拒否、朝廷との戦を決意した。。。。そして、京都から坂上田村麻呂が大軍を率いてこの地に現れ戦が始まったのである。

Cimg09872_3「鬼穴」に行く登山道は、地震での崖崩れのため立ち入り禁止になっていた。でもまあ、5ヶ月もたっているので安定しているだろうと思い行くことにした。登山道は、がけ崩れで寸断されていた。しかし、たいした斜面ではなかったので、簡単に通過することができたのでした。 (笑)

Cimg09933_2鬼穴入り口。 入り口は、けっこう狭いが、内部はかなり広々としていた。鬼穴も鍾乳洞なのである。ある大学のケイビングクラブの調査で、なんと、かなり下の方にある「あぶくま洞」と繋がっていることが確認されたのである。このあたりに降った雨は、鬼穴を通ってあぶくま洞に流れ出るとのこと。   多勢に無勢、田村麻呂との戦いで、敗戦濃厚、追い詰められたの大多鬼丸は、この洞窟に立てこもり自害したという。

Cimg09891鬼穴内部。 恐る恐る入ってみる。けっこう広い。この先には鉄柵があり立ち入り禁止になっている。なんでも、絶滅危惧種の日本テングコウモリが棲息しているからだという。 写真を撮っているときは真っ暗で気がつかなかったが、なんと、コウモリが写っていましたね。びっくり。みなさんも、写真を拡大してじっくり見て下さい。(笑)


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