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2011年9月15日 (木)

伊達62万石の宿 湯元不忘閣 Ⅰ (宮城県川崎町青根温泉)

蔵王連峰の山懐にわく青根温泉。伊達家の御殿湯として栄え、伊達政宗公をはじめとして歴代の藩主が湯治に訪れたという由緒ある温泉に一泊してきました。「日本秘湯を守る会」会員の温泉でもあります。 明治に入り、多くの文人達に愛された温泉でもあります。芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子夫婦、川端康成、高浜虚子、山本周五郎など多くの文人たちが滞在しています。 

Cimg10313部屋から見える風景。左側にあるのが、築100年を越える旧館である。    芥川龍之介が晶子や菊池寛の勧めで最初に避暑に訪れた温泉がここでした。。。「8月1日、宮城県青根温泉に避暑。滞在先は不忘閣。28日頃まで滞在。この地で執筆するが体調を崩しペンは進まず、「中央公論」9月分を延期する。」 芥川龍之介年譜 より 芥川にとって、この地での避暑は最悪だったようです。 山間僻地ゆえの食物の悪さによる便秘になやまされ、さらに田舎者の湯治客の多さに辟易し、スランプに陥り、ほとんど筆が進まなかったとか。やれやれ。(笑) そのためか、ここでのことは、ほとんど触れられていません。ただ、「雑筆」という、思いついたことなどを書き綴ったものには少し触れられています。
隣室    「姉さん。これ何?」 「ゼンマイ。」 「ゼンマイ珈琲つてこれから拵へるんでせう。」 「お前さん莫迦ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米珈琲よ。」   姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹二人ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品のある五十恰好の人。この人も画の嗜みありげに見ゆ。
(八月二十二日青根温泉にて) 雑筆より         

Cimg10591敷地内の山の斜面のそびえ建つ青根御殿。木造3階の華麗な建物である。火事で消失したが、昭和初期に往時まままの姿で再建された。内部は、伊達家関連の文物や訪れた文人達の展示室になっている。もちろん鍵がかっているので勝手に入ることはできない。毎朝、宿泊客を対象にした見学ツアーがあるので、これに参加すれば詳しい説明も聞くことができる。    「碧るりの川の姿す いにしへの奥の太守の 青根の湯舟」、与謝野晶子がここで詠んだ句である。

Cimg10182旧館内部。レトロだなーー!どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。癒されるなー・・・(笑) この建物の1階には、展示室兼休憩室があり、コーヒーやお菓子、味噌おでんの無料サービスもあります。さらに、なんと嬉しいことに、地元の銘酒「蔵王」の一升瓶が冷やされており、無料で銘酒をいただくことができました。 現在、旧館の部屋は、個室の会食場(食堂)として利用されている。

Cimg10444湯元不忘閣の門前。 左側にあるのが、高浜虚子がここを訪れた際に詠んだ句碑である。。。「夕立の虹見下ろして欄に倚る」。    「佐藤仁右衛門」の看板が目を引きます。 ここの湯守は、代々「佐藤仁右衛門」を襲名している。現在は、なんと21代目である!!初代 佐藤仁右衛門は、伊達政宗から「代々この温泉の湯を守ってくれ」と言われたそうです。真偽のほどは不明ですが。。。。(笑)
   


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