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2010年11月26日 (金)

奥松島(宮戸島)西部を歩く Ⅱ

ここ奥松島(宮戸島)は、アイヌ語の地名が多く残っている。縄文人が多く暮らしていた島 ということと何か関係があるのだろうか。。。。今回の目的地「メカル崎」もアイヌ語の地名なのである。 アイヌ語の「メッカル」とは、「物の背すじ・背線、沢と沢の間に細く伸びている山」という意味である。言葉の通り「メカル崎」は、海に突き出した馬の背、ナイフエッジ状になっていて細くて狭い、両側は切り立っ絶壁になっている。 

Cimg0185_2「メカル崎」の突端。ここからの眺めはまさに絶景でした。素晴らしい!(笑)  歩道が付いているのは、岬の付け根付近にあった神社までであった。ここから先は、釣師が付けた踏み跡が続いていた。松の木が生い茂る林の中の踏み跡。左右は切り立った絶壁。かなり狭い。釣りのポイントになっているのだろう、左右に踏み跡が枝分かれしている。しばらく歩くと、突然視界が開け絶景が展開する。ここも釣りのポイントになっているらしい、クロダイ等の磯釣りだ。ゴミが少し散らばっていた。「まったく!ゴミはちゃんと持ち帰れよなー!」と思わずつぶやいてしまう。 まあ、釣師の気持ちはよく解る。こんな絶景も目に入らないのだろう。(笑) ここは、マニアックな釣師しか来ない場所でもある。

Cimg0187「メカル崎」突端から松島湾方面を望む。 浦戸諸島と呼ばれる、湾内に浮かぶ島々が望まれる。正面に見えるのは、浦戸諸島最大の島 寒風沢(さぶさわ)島である。 戊辰戦争時末期、江戸を脱出した榎本武揚率いる幕府艦隊がここに寄航し、会津からを逃れて来た新撰組の土方歳三らと合流し、食料などの物資を積み込み、ここから函館の五稜郭へと向かって行ったのである。。。。。

Cimg0192名もない浜と名もない島と。。。。。写真の左側上方の林の中に名もない神社があった。。。。晴れていた空、雲が柔らかい日差しを隠した、それでも海は波頭を星のように光らせている、秋の海は浮標のように揺れている もろさにあふれている・・・・

Cimg0197「石神神社」、里浜地区の高台にある医王寺という寺の裏手にある小さな社(やしろ)である。社のある辺りもすべて貝塚であ。貝塚の上に建っていると言っても過言ではない。なんと、この社の御神体は、貝塚から出土したという縄文時代の「石棒」なのである。「石棒」というのは、男性器をシンボライズしたもので、祭祀用の道具だったと言われているものです。こんなのは、全国的にもかなり珍しいでしょうね。扉を開けてのぞいてみましたが、かなり立派な石棒でしたね。(爆)

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