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2010年10月23日 (土)

野田の玉川 おもわくの橋 (宮城県多賀城市)

1689年、芭蕉もここを訪れている。 歌枕の六玉川(むたまがわ)の地として有名であった。ちなみに、六玉川とは、野田の玉川(宮城県多賀城市)、野路の玉川(滋賀県草津市)、調布の玉川(東京を流れる多摩川)、井手の玉川(京都府井手)、 三島の玉川(大阪府高槻市)、高野の玉川(和歌山県高野山)である。  仙台から多賀城~塩竃にかけては、古来多くの歌枕の地があった。「宮城野」、「十符の菅」、「壺の碑」、「末の松山」、「沖の石」、「浮島」、「塩竃」・・・・、芭蕉と曽良は、これらの歌枕の地をすべて訪ねているのである。 

Cimg0033野田の玉川に架かる「おもわくの橋」、ここも歌枕の地である。  「おもわく」とは人の名前である。この地には、前九年の役のヒーロー安倍貞任にまつわる伝説が残されている。 前九年の役が勃発する前、大和朝廷とエミシの関係は良好であった。エミシからの朝貢も行なわれ、多くのエミシたちが多賀城に出入りしていた。 この時、エミシである安倍貞任と多賀城の役人の娘である「おもわく」が知り合い、恋仲になったという。 「おもわく」の家のある紅葉山に通うために、貞任はこの川に橋をかけさせたのである。このことから「おもわくの橋」、「安倍の待ち橋」と呼ばれるようになったという。

「踏まば憂(う)き 紅葉(もみじ)の錦散りしきて 人も通わぬ おもわくの橋」( 西行法師 山家集より)

Cimg0035現在の野田の玉川、ほとんどが暗渠になっていて川が見えない。このあたりだけが、なんとか川の状態を保っている。川というより堀である。 当時は、この先が直ぐ海だったという。干潟が広がり、さざなみが立ち、潮風がふき、浜千鳥が群れをなしてたたずんでいたのだろう・・・・・・芭蕉が訪れた江戸時代前期には、すでに当時の景観は失われていたのである。(涙)

「夕されば汐風越して みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり」能因法師 (新古今和歌集より)

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