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2010年7月20日 (火)

聖地巡礼(笑) Ⅶ 「宮沢賢治 自耕の地」

黒板に書かれた 「下ノ畑ニ居リマス 賢治」、日本一有名な伝言板です。(笑) この「下ノ畑」がこの場所です。羅須地人協会跡地から500~600メートル離れた地点にあります。 北上川の河畔、直ぐ前を北上川が流れています。 当時、このあたり一帯は、砂地でヤブ地の荒地でした。なんと、賢治は、この荒地をたった一人で2400平方メートルも開墾したのです。 荒地の開墾という重労働、農耕自炊の生活、農閑期には羅須地人会の活動や農業相談、肥料設計等、超多忙な日々を送ったのでした。 当時、岩手の農民の貧困は想像以上のものでした。米を作る農民が米を食べないで野菜と雑穀だけを食べていたのです。農村には、「振り米」という臨終の慣習がありました。貧しい農民が死を迎えるときに、竹筒に入れた米を振って「米だぞ、ほら米だぞ、いま炊ぐがらな、腹一杯食えよ!」と言って、耳元で鳴らすのです。なんとも悲惨な死です。。。なんというか、言葉がでないですね。(涙) また、十代の娘を東京の遊郭に身売りする農家は当たり前のようにありました。賢治の理想や情熱だけではどうしようもない現実が広がっていたのです。こんな現実に立ち向かって行った賢治の執念・情熱はすごいものがありますね。

Cimg6844「下ノ畑」、前方に北上川が見えます。。。賢治はここで、一般的な野菜のほかに、当時としては珍しかった、トマトやアスパラガス、チューリップ等の花も多く栽培していた。収穫した野菜や花は、当時は高級品だった最新のリヤカーに積んで、自ら売り歩いたという。。。。当然売れるはずはなかった。余しても仕方がないからと、ただで配って歩いたのでした。(笑)   街の人たちは冷ややかな目で賢治を見ていたのである。「金持ちお坊ちゃんの道楽だべ!」と。。。

Cimg6849「下ノ畑を守る会」。。。今でも賢治の意志をついで「下ノ畑」で野菜や花を栽培している。 開墾という重労働と羅須地人会の活動、野菜や雑穀中心の自給自足の生活、これらは賢治の体力を著しく奪っていったのである。 空想的社会主義者、理想主義者ともよばれる賢治。理想と現実の狭間で精神的にも追い込まれて行ったのでしょう。ついに病に倒れ、わずか3年あまりで、この活動は挫折したのでした。


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