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2010年6月24日 (木)

前九年の役 史跡 一首(いっしゅ)坂

岩手県奥州市衣川区(旧衣川村)にあります。観光コースにも入っていて、けっこう有名な場所です。入り口には大きな案内板があり、駐車場も完備。 別に首が埋まってた場所ではありません。(爆)    衣川柵が落ち、鳥海柵に逃げる途中、安倍貞任とそれを追う源義家が歌を詠みあったという伝説の場所です。  岩手が生んだ国際人・ラストサムライ 新渡戸稲造は、英文で書かれた名著「武士道」のなかで、この有名なエピソードを引用している。 まあ、ここは、世界的にも有名な場所なんですね。(笑) 余談ですが、「武士道」の愛読者として、ルーズベルト、クリントン、ブッシュ大統領、エジソン等が有名です。

Cimg6710一首坂、詠み合った歌の碑と貞任石、義家石なんてのがあります。  『。。。昔の戦では、合戦の相手同士が当意即妙の応答をしたり、歌合戦を始めることは稀なことではなかった。合戦は、単に荒々しい戦闘力の問題だけではなく、知的な勝負であった。11世紀後半、ちょうどこのような戦いが、衣川の堤で行なわれた。東国の軍は敗走して、その将、安倍貞任も逃亡しようとした。そこに攻めてきた相手方の大将(源義家)が、貞任に向かって、大声で「きたなくも 後ろを見するものかな。しばし引かへせ。物いはん(ひとこと言いたいから少し待て)」とよばわった。そこで貞任が馬首を返すと、勝軍の将(義家)は、「衣のたては ほころびにけり」と即興に歌を読んだ (下の句を詠んで上の句を待った)。。。

Cimg6712一首坂の説明板。   。。。。すると、その声が終わらないうちに敗軍の将(貞任)は、「年をへし 糸のみだれの くるしさに」と詠み返した。(上の句をつけた)  弓を引き絞っていた義家は、突然その手をゆるめ、馬を引き返して、逃がしてやった。この理由をたずねられると、義家は、「敵にあのように激しくせめられながら、心の平静さをたもった人物に辱めを負わせることは忍びなかった」と答えたのである。。。。』 新渡戸稲造「武士道」より


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