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2010年5月18日 (火)

シオーモの小径 Ⅳ

奥州一ノ宮 鹽竈神社。奈良・平安の昔から東北鎮護・陸奥国一ノ宮として国の特別保護を受けてきた古社である。 奥州一ノ宮ということで、東北では最高位、天皇が行幸される際は、最初に参詣ところである。 奈良・平安の昔から現代まで、多くの文人が参詣している。 松尾芭蕉も、1689年の6月に参詣している。めざすは、奥州藤原氏が寄進した「文治燈篭(ぶんじのとうろう)」であった。 

Cimg6587表参道、奥の方に楼門(随身問)が見える。 芭蕉もこの202段の石段を登り参拝している。 「早朝、塩かまの明神に詣(まう)づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階九仭(きざはしきゅうじん)に重なり、朝日あけの玉がきをかかやかす。。。。」(早朝、塩釜の明神に参詣した。この神社は、藩主が再建なさり、社殿の柱は太く、彩色された垂木はきらびやかで、石の階段がたいそう高く連なっており、朝日が朱塗りの玉垣を輝かしている。) 「おくのほそ道」より

Cimg6575楼門(隋身門)、表参道を登りきったところにそびえたつ、朱塗りの荘厳な門だ。この奥に社殿がある。 現在の社殿は、芭蕉が参拝したときよりも新しい時代のものだ。 しかし、社殿前の一対の「文治燈篭(ぶんじのとうろう)」は、800年前とほとんど同じ場所にたっている。-------------------

Cimg6576「文治燈篭(ぶんじのとうろう)」と天然記念物の 鹽竈ザクラ。   義経を敬愛していた芭蕉は、義経に仕え、義経とともに戦死した藤原(泉三郎)忠平(藤原秀衡の三男)が寄進した、この燈篭を是非とも見てみたかったのである。。。。#義経と奥州藤原氏の悲劇的な運命に思いをはせたのだろう。。。 『社殿の前に古い立派な燈籠がある。鉄の扉の表面には「文治三年(1187年)和泉三郎寄進」とある。五百年経っても変わらぬ姿が、今目の前に浮かび上がり、何とも珍しい。彼は、勇気と義理と忠孝の士だった。その誉れある名は今日まで伝わり、慕わない者はいない。まことに人はよく道にかなった行いをし、義理を守るべきだ。「名声もそれらに伴うものである」と言われている』 「おくのほそ道」 より

Im100409天然記念物の 鹽竈ザクラ、八重桜の一種。 非常にデリケートな桜で、手入れをしないでほうっておくと直ぐに枯れてしまうとここと。現在は、手厚い保護と保存処置のおかげで、約40本ほどに増えたという。。。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」。。。(笑)


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