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2010年5月15日 (土)

シオーモの小径 Ⅲ

京都府下京区本塩釜町。。。。京都に塩釜の地名があるなんて不思議ですね!(笑)   塩釜の景観をこよなく愛したのは、嵯峨天皇の皇子 源融(みなもとの とおる)であった。源融は、光源氏のモデルとされ、陸奥の国府多賀城(宮城県多賀城市)に赴任していたとき、塩釜の融ヶ丘とよばれるところに別荘を建て塩釜の風景を愛でたという。 京都に戻った後も、塩釜の景観が忘れられず京都六条(現 下京区本塩釜町)に大庭園(河原院)を造り、千賀の浦(塩釜の浦)にみたてた大きな池には、遠く大阪から運んできた海水をいれ、船を浮かべ、海の魚まで放ち、さらに、なんと、藻塩を焼く釜を多数作らせ、煙まで立ち上らせてたという。。。。#Ⅳに続く。。。。

180pxhyakuninisshu_0141河原左大臣こと源融。   この塩釜の景観を模倣した庭園の話は「宇治拾遺物語」や「伊勢物語」にも登場する。なんと、今も、その一部が六條河原院の庭園として残っているのである。  #う~む、言葉がでない、平安京のディズニー・シーだ!テーマパークだ!(笑) 源融が見た塩釜の原風景を見てみたいですね。瞼を閉じて想像するしかないか。。。(笑)    #「君まさで煙たえにし塩竃の うらさびしくも見え渡るかな」(河原左大臣 源融がお亡くなりになり、塩を焼く煙も絶えてしまった塩釜は、ほんとうにうら寂しく見えてしまうものだ) 紀貫之、古今和歌集より


Cimg6618千賀の浦(塩釜の浦)に浮かぶ籬島(まがきしま)。塩竃神社十四末社の一つであり、籬島明神が祀られている。 有名な歌枕の地であり、平安の時代から多くの和歌に詠まれている。  代表的な和歌を一首、「わがせこを都にやりて 塩竈のまがきの島の松ぞ恋しき」(古今和歌集 東歌)   また、「。。。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜かすかに、籬が島もほど近し。。。。」(五月雨の降り続いていた空は少し晴れてきて、夕方の月がかすかにみえ、和歌に詠まれた籬島もほど近くに見える) と松尾芭蕉も「おくのほそ道」に記述している。


Cimg6594銘酒「浦霞」の佐浦酒造。塩釜神社の近くにある。藩主伊達氏の加護もあり、塩釜神社の御神酒酒屋として栄えた。        「浦霞」。。。鎌倉時代の歌人 源実朝の歌 「塩かまの(浦)の松風 (霞)むなり 八十島かけて 春の立つらむ」 金槐和歌集より  (塩釜の浦を吹く風も、霞を含んでいるかのようにやさしく吹きわたる。数多くの島はいっせいに立春を迎えたのであろうか) が酒命の由来である。


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