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2010年5月13日 (木)

シオーモの小径 Ⅱ

修学旅行で塩釜に着いた賢治は、先生から特別許可をもらい、七ヶ浜町で療養中の伯母を訪ねている。この叔母は、賢治を幼少の頃から可愛がっていて浄土真宗の教えを子守唄代わりに聴かせていたという。賢治にとっては大切な人だったのである。 療養していたのは、七ヶ浜町の菖蒲田浜にあった「大東館」という宿泊施設であった。 漁村の宿泊施設を訪ね歩き、ついに賢治は感動的な再会をはたすのであ。伯母と一緒に食事をし、海岸を散歩し、故郷の話をした賢治。。。。伯母は、この再会の半年後に亡くなったのである。。。。 このときの様子は、父に宛てた手紙に詳しく、感動的に書かれているという。 #Ⅲに続く。。。。。

Cimg6620_2JR仙石線本塩釜駅。立派になりました。(笑) 賢治の時代は、まだ仙石線はなかったのでJR東北本線の塩釜駅から汽車に乗り仙台に向かったことになります。---------------------------------------------------------------------------------------------------------- 

Cimg6628七ヶ浜町菖蒲田浜の漁港にある「大東館」跡地。小さな岬の突端である。 菖蒲田浜は、全国で3番目に海水浴場が開かれたところである。観光ガイドブックによると、当時の海水浴は「塩湯治」よばれ、療養・保養目的に全国に広まったという。当時、「大東館」は、塩湯治をするための療養(保養)施設で財界人や軍人等の有名人の来館が後を絶たなかったという。#う~む、やっぱり賢治の家族・一族はかなりの富豪だったのですね。。。。(笑)

Cimg6634「大東館」脇の海岸。当時は砂浜だったのでしょうか? 「大東館」、20年くらい前までは現存していたらしい。荒れ果ててボロボロになっていたので撤去されたとのこと。跡地には、説明板もなにもなかった。ゴミが散乱していて荒れ放題!(涙) 貴重な観光資源なのに残念です。整備して説明板、駐車場等を設置すれば、賢治ファンが大挙して押しかけるかもしれないのに。。。(笑)

Cimg6637御殿崎。 菖蒲田浜の直ぐ近くにあります。賢治もこのあたりを散歩したのだろうか。。。? この風光明媚な岬は、平安時代には「松ヶ浦島」とよばれ、歌枕として京の都まで知れ渡っていたとういう。清少納言の「枕の草子」にも登場する。また、江戸時代には、伊達政宗の仮御殿(別荘)があったことから「御殿崎」とよばれるようになったとのこと。

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