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2010年4月28日 (水)

前九年の役 鳥海柵(とのみのさく)跡

岩手県金ヶ崎町西根字鳥海、直ぐ側を東北自動車道が通っている。 安倍貞任(あべのさだとう)の弟、安倍宗任(あべのむねとう、鳥海三郎)の柵として知られている。ちなみに、安倍宗任は小柄ながら頭脳明晰、知略、軍略にすぐれていて安倍氏の軍師、司令塔だったのである。   1062年9月中旬、衣川の関破り、安倍氏の拠点衣川柵を落とし快進撃を続ける源頼義率いる朝廷軍は、戦略上の重要拠点鳥海柵を取り囲んだ。 しかし、鳥海柵は、もぬけの殻で、安倍宗任や藤原経清(ふじわらのつねきよ)等は盛岡の厨川柵に 逃げてしまった後だった。。。。柵の中で大量の酒を見つけた朝廷軍の兵士たちは、宴会をひらき勝利の美酒に酔いしれたという。

Cimg6541説明板。 直ぐ右側は東北自動車道である。東北自動車道の工事にともなう発掘調査で空堀、掘建柱建物群、地鎮祭などの儀式が行われた跡からは水晶の丸石などが発見されたという。--------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6544鳥海柵の標柱。  源頼義は、こう着状態の続く戦況を打開するため、安倍頼良(あべのよりよし)を挟み撃ちにしようと考え、津軽を支配していた豪族安倍富忠(あべのとみただ)を調略し味方につけた。これに慌てた頼良は、富忠を説得しに津軽に向かうが、富忠の伏兵に弓矢による攻撃を受け、重症を負って本拠地の衣川を目前にして、ここ鳥海柵で息絶えてしまうのである。。。。奥六郡エミシの豪族 安倍頼良は、同じ奥州の豪族にの矢によって横死したのである。。。安倍頼良の跡を継いだのは安倍貞任であった。

Cimg6551県道脇にある案内板。直ぐ上は東北自動車道である。  ちなみに、鳥海山の山名の由来については、鳥海山麓一帯を支配していたのが安倍鳥海三郎宗任だったからという説が有力である。 


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