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2010年4月

2010年4月29日 (木)

東京物語 Ⅲ

「無縁坂」。。。。。雨がかなり降っていた。野暮用で遅くなってしまい、残念ながら旧岩崎邸は見られなかった。。。。(涙)  無縁坂、上野の不忍池方面から東京大学方面に抜ける坂道である。  さだまさしの歌にも謡われ、森鴎外の「雁」の舞台としても有名である。  「そのころから無縁坂の南側は岩崎邸であったが、まだ今のような巍々たる土塀で囲ってはなかった。。。。坂の北側は、けちな家が軒をならべていて。。。。」 森鴎外 「雁」より

Cimg5553無縁坂。 左側の塀の向こう側が旧岩崎邸である。庭園と一緒に一般公開されている。初代岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥の邸宅として建てられたという。最近は、NHK大河ドラマの影響で、龍馬ブーム、弥太郎ブームである。旧岩崎邸にも見物人が連日押しかけて大盛況とのこと。(笑) #旧岩崎邸はこちらです。

Cimg5555この界隈は、戦災を免れ明治・大正の東京の姿を色濃く残している。森鴎外、夏目漱石、樋口一葉もこの界隈で暮らし、なんと、石川啄木や宮沢賢治が下宿していたのもこの界隈である。#そのうち訪ねてみよう。。。。。!


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2010年4月28日 (水)

前九年の役 鳥海柵(とのみのさく)跡

岩手県金ヶ崎町西根字鳥海、直ぐ側を東北自動車道が通っている。 安倍貞任(あべのさだとう)の弟、安倍宗任(あべのむねとう、鳥海三郎)の柵として知られている。ちなみに、安倍宗任は小柄ながら頭脳明晰、知略、軍略にすぐれていて安倍氏の軍師、司令塔だったのである。   1062年9月中旬、衣川の関破り、安倍氏の拠点衣川柵を落とし快進撃を続ける源頼義率いる朝廷軍は、戦略上の重要拠点鳥海柵を取り囲んだ。 しかし、鳥海柵は、もぬけの殻で、安倍宗任や藤原経清(ふじわらのつねきよ)等は盛岡の厨川柵に 逃げてしまった後だった。。。。柵の中で大量の酒を見つけた朝廷軍の兵士たちは、宴会をひらき勝利の美酒に酔いしれたという。

Cimg6541説明板。 直ぐ右側は東北自動車道である。東北自動車道の工事にともなう発掘調査で空堀、掘建柱建物群、地鎮祭などの儀式が行われた跡からは水晶の丸石などが発見されたという。--------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6544鳥海柵の標柱。  源頼義は、こう着状態の続く戦況を打開するため、安倍頼良(あべのよりよし)を挟み撃ちにしようと考え、津軽を支配していた豪族安倍富忠(あべのとみただ)を調略し味方につけた。これに慌てた頼良は、富忠を説得しに津軽に向かうが、富忠の伏兵に弓矢による攻撃を受け、重症を負って本拠地の衣川を目前にして、ここ鳥海柵で息絶えてしまうのである。。。。奥六郡エミシの豪族 安倍頼良は、同じ奥州の豪族にの矢によって横死したのである。。。安倍頼良の跡を継いだのは安倍貞任であった。

Cimg6551県道脇にある案内板。直ぐ上は東北自動車道である。  ちなみに、鳥海山の山名の由来については、鳥海山麓一帯を支配していたのが安倍鳥海三郎宗任だったからという説が有力である。 


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2010年4月20日 (火)

夏油高原スキー場(岩手県北上市)

約2年ぶりの夏油高原スキー場でした。 「ゲトー」。。。なんとも聞き慣れない奇妙な地名ですね。(笑) ちなみに、この地名は、アイヌ語の「グットオ」(崖のあるところ)からきているとのこと。 5時間券を買い9時前から13時頃まで、スノーボードオンリーで滑ってきました。 天候は、曇り、ときどき晴れ、無風、気温高めと、春爛漫、汗ばむほどの陽気。 それにしてもすごい積雪量でした。今のこの時期に、なんと平均積雪量2メートル!! さすが、「雪の王国夏油」でしたね。ゴールデンウィークまでは完璧なバーンコンディションで滑れます。 

Cimg6523第一ゴンドラ山頂駅が見えてきた。 このゴンドラ一機で4本のコースをカバーしている。向かって左側が、初中級者向けのA-1コース(全長2120メート)。快適なロングクルージングが楽しめる。 ゴンドラ駅の左側一帯は、キッカー、ボックス、レール、スパインが設置されていてパーク系スノーボーダーの聖地になっている。昼頃になると2、30人のスノーボーダーが集まってきて、賑やかにやっていましたね。(笑)

Cimg6527スキーセンター、曲面でレイアウトされた優美な外観が目を引く。。。ここは、天然温泉(夏油高原温泉)や宿泊施設も完備している。-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6537A-4コース中間付近。25度の急斜面もある中級者向けのバーンである。 荒れてくると雪が鉛のように重くなってくる。足腰に負担がかかる。右足に加重し、ボード先端を浮かせるようにして滑る。微妙な前後左右のバランス感覚。まるでサーファーだ!(爆)-----------------------

Cimg6520入畑ダムから望む夏油高原スキー場。積雪量がすごい。ハイシーズンなみのゲレンデ状態だ。上部エリアのなだらかな斜面の流れ。ベース付近に落ち込む地形。コース幅はけっこう広い。ベースが630メートル、トップが1070メートルと、標高は高くない。しかし、奥羽山脈の真ん中に位置し、最大積雪量4メートルを越える豪雪地帯にある。

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2010年4月13日 (火)

箕輪スキー場(福島県猪苗代町)

数年ぶりの箕輪スキー場でした。。。雪が豊富あるためゴールデンまで延長営業するとのこと。  雨の中でのライディング覚悟で行きましたが、なんとスキー場は、時折ガスがかかってきたりしましたが、曇りベースで晴れ間ものぞくほどの天候、おまけに汗ばむほどの暑さ。。。。ラッキーでした。 雪は豊富にありますが、春特有の腐れ雪!!荒れてくるとでこぼこに盛り上がってきて、かなり滑りづらい状態。足腰に負担がかかる。太腿がつりそうです。腰もかなり痛い。(笑)  4時間券を買って、9時過ぎから13時まで滑ってきました。

Cimg6503メープルストリート最後の急斜面。 全長1600メートル、最大斜度25度、中斜面~急斜面へと続くダイナミックなストレートバーンである。箕輪で最も人気のコース。 でも、 かなり狭いですねー。。。。最後に待ち構えている急斜面はけっこうつらいものがある。(笑)------------------------------

Cimg6507メープルストリートトップから磐梯山方面を望む。残念ながら磐梯山は雲のなかでした。かすかに桧原湖が見えます。 いきなり3本連続で滑った。息が上がり、太腿がつりそうになった。やれやれ、ロングコースを滑るのに慣れてないなー、と実感した。日ごろ短いコースばっかり滑っているので。体が短いコースになれてしまっているのでしょう。仙台のスプリングバレースキー場の7本分はあるな!やれやれ。(笑)

Cimg6511ホテル プルミエール 箕輪。ヨーロッパ調のリゾートホテル。初級者向けE・Tコースの正面にある。今でも、セレブの間では根強い人気があるらしい。。。。(笑) 以前中をのぞいたことがあるが、かなり豪華である。こちらをどうぞ!

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2010年4月 8日 (木)

「薤露青」

「かいろせい」と読む。宮沢賢治の詩集 「春と修羅 第二集」に収められている詩で、「春と修羅 第一集」に収められている詩「冬と銀河ステーション」と同様に名作「銀河鉄道の夜」のモチーフになった重要な詩である。 薤はラッキョウのことで、薤露(かいろ)とはラッキョウの細い葉に付いた露のこと。落ちやすいことから、人命のはかなさのたとえにされるという。。。。
『みをつくしの列をなつかしくうかべ  薤露青の聖らかな空明のなかを  たえずさびしく湧き鳴りながら  よもすがら南十字へながれる水よ  岸のまっくろなくるみばやしのなかでは  いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から銀の分子が析出される  ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり  プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は  ときどきかすかな燐光をなげる…… (略)  水よわたくしの胸いっぱいの  やり場所のないかなしさを  はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ  そこには赤いいさり火がゆらぎ  蝎がうす雲の上を這ふ  (略)   声のいゝ製糸場の工女たちが  わたくしをあざけるやうに歌って行けば  そのなかのはわたくしの亡くなった妹の声が  たしかに二つも入ってゐる  ……あの力いっぱいに  細い弱いのどからうたふ女の声だ……    (略)  南からまた電光がひらめけば  さかなはアセチレンの匂をはく  水は銀河の投影のやうに地平線までながれ  灰いろはがねのそらの環  ……あゝ いとしくおもふものが  そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが  なんといふいゝことだらう……』

Cimg5448_2北上川とイギリス海岸。  「銀河鉄道の夜」にも登場するプリオシンコーストは、ここイギリス海岸をモデルにしている。。。銀河の河原、砂は光る水晶でできている。。。120万年前の海岸。。。賢治は、夜、薄明かりの残る中イギリス海岸近くの橋の欄干にたたずみ、この詩を詠んだと思う。亡くなった妹、とし子を想いながら。。。銀河を眺めながら。。。。銀河鉄道の列車は、ジョバンニを置き去りにし、ほんとうの冥界へと走り去った。。。。

N49cxc600マゼラン大星雲。 南十字星とおなじように南天にあるため日本からは見えない。  この詩には、南十字、プリオシンコースト、マヂェランの星雲、蝎、銀河等、「銀河鉄道の夜」を連想させる言葉が登場する。また、銀河を北十字から南十字に走る「銀河鉄道の夜」の旅のコースをも暗示させる。

428pxunder_the_milky_way銀河(天の川)。  大正から昭和にかけての時代。街灯などもほとんどなく、街から少しはなれれば真っ暗な闇が広がり、天の川や星々が幻想的に展開する光景がはっきりと見えたのだろう。


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