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2009年11月23日 (月)

前九年の役 厨川(くりやがわ)の戦い(厨川柵跡)

岩手県盛岡市天昌寺町。東北自動車道 盛岡ICを下りて市内方面へ5~6分行ったところにあります。 ここ厨川柵は、安倍氏最後の拠点で、この地で前九年の役最後の戦いが行なわれた。   鬼切部の戦いに大勝利した安倍氏であったが、新たに朝廷から安倍氏討伐を命ぜられた源頼義と出羽の俘囚清原氏との連合軍に、徐々に追い詰められて行ったのである。 1062年9月下旬、連合軍(朝廷軍)が厨川柵に迫る中、安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らは、柵に立てこもる篭城作戦をとったという。厨川柵を包囲した朝廷軍の大部隊は一成攻撃を開始した。柵の中に雨あられのように矢や石を降らせ、最後に柵に火を放ち陥落させたという。

Cimg6261天昌寺の前、国道46号線沿いに説明板がありれます。  この戦いで安倍貞任は戦死し、宗任は捕らえられて京都に連行され、後に愛媛県に流されたという・・・・ちなみに、安倍貞任は身長180センチの大男で勇猛果敢な猛将だったらしい。 さらに、なんと、安倍貞任・宗任は、黄金の平泉文化を築いた藤原氏、藤原清衡(きよひら)の叔父にあたるのである。奥州藤原氏は、と大和武士とエミシのハイブリットということになるかな。(笑)  

Cimg6257天昌寺境内。 平安時代、安倍貞任が築城したといわれる厨川柵址。この柵のあった台地には、現在、天昌寺というお寺が建っている。

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