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2009年11月

2009年11月27日 (金)

「楢(なら)ノ木大学士の野宿」

宮沢賢治が書いたあまり知られていない童話である。この童話は、日本で最初のタイムトラベル・タイムスリップを描いた作品ではないかと思っています。SF童話と言ってもいいです。(笑) 地質学者でもあった賢治にしか書けない童話ですね。   賢治は、地質調査や鉱物・岩石・化石採集のため岩手の山々や三陸海岸を野宿しながら歩きまわったという。主人公の宝石学者 楢ノ木大学士には、こんな賢治の姿が投影されている。 あらすじは、宝石学者の楢ノ木大学士が蛋白石(オパール)探しを頼まれて東京から岩手県に出かけ、3晩にわたって野宿しながら山や海岸を歩きまわり、その間に3つの夢を見る というものである。#傑作SF童話はこちらです。(笑)
 

632pxapatosaurusアパトサウルスの骨格化石。  3日目の野宿では、なんと、中生代白亜紀にタイムスリップするである。大学士が白亜紀の頁岩(けつがん)の中に雷竜(アパトサウルス)の足跡を見つけ追跡していくと、いつのまにか周りは暑くなり、硬い頁岩は湖・沼地の泥に変わっていて、本物の恐竜アパトサウルスに遭遇するのである・・・・・日本には恐竜なんていなかったと思われていた時代に、なんと賢治は「日本にも恐竜はいた」と考えていたのである。 実際、賢治の予言?通り岩手の三陸海岸の白亜紀の地層から、日本ではじめての恐竜(草食竜)の化石が発見されたのである。 とんでもないくらいすごいアバンギャルドな観察力、思考力ですね。。。。(笑)

800pxopal_banded_4蛋白石(オパール)の原石。 このSF童話には、賢治の豊富な地質学的知識と野外調査の経験が反映されていると思う。 蛋白石(オパール)、紅宝玉(ルビー)、カンラン岩・蛇紋岩でできたヒームカ(姫神山)、岩頸(がんけい)の四兄弟、流紋玻璃(りうもんはり)、角閃花崗岩、磁鉄鉱、雲母紙等々さまざまな岩石や鉱物等が登場する。 

002001_3賢治の一番好きだった花は「カタクリの花」だったという。。。。『兄さん。ヒームカさん(姫神山)はほんたうに美しいね。兄さん、この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。』(楢ノ木大学士の野宿より)   #うーむ、賢治は「コブシの花(マグノリア)」も好きだったらしい?・・・「マグノリアの木」という宗教色の強い短編童話も書いている。

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2009年11月23日 (月)

前九年の役 厨川(くりやがわ)の戦い(厨川柵跡)

岩手県盛岡市天昌寺町。東北自動車道 盛岡ICを下りて市内方面へ5~6分行ったところにあります。 ここ厨川柵は、安倍氏最後の拠点で、この地で前九年の役最後の戦いが行なわれた。   鬼切部の戦いに大勝利した安倍氏であったが、新たに朝廷から安倍氏討伐を命ぜられた源頼義と出羽の俘囚清原氏との連合軍に、徐々に追い詰められて行ったのである。 1062年9月下旬、連合軍(朝廷軍)が厨川柵に迫る中、安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らは、柵に立てこもる篭城作戦をとったという。厨川柵を包囲した朝廷軍の大部隊は一成攻撃を開始した。柵の中に雨あられのように矢や石を降らせ、最後に柵に火を放ち陥落させたという。

Cimg6261天昌寺の前、国道46号線沿いに説明板がありれます。  この戦いで安倍貞任は戦死し、宗任は捕らえられて京都に連行され、後に愛媛県に流されたという・・・・ちなみに、安倍貞任は身長180センチの大男で勇猛果敢な猛将だったらしい。 さらに、なんと、安倍貞任・宗任は、黄金の平泉文化を築いた藤原氏、藤原清衡(きよひら)の叔父にあたるのである。奥州藤原氏は、と大和武士とエミシのハイブリットということになるかな。(笑)  

Cimg6257天昌寺境内。 平安時代、安倍貞任が築城したといわれる厨川柵址。この柵のあった台地には、現在、天昌寺というお寺が建っている。

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2009年11月 6日 (金)

駒の湯温泉 栗駒山 Ⅱ

日本一の規模と言われる荒砥沢の崩落現場が、林ごしにちらりちらりと見ることができる。全路線駐停車禁止になっているためじっくりと見ることはできない。 栗原市は、崩落現場を自然公園「ジオパーク」として整備する構想を持っているという。大賛成である。貴重な観光資源である。展望台・案内板・説明板を設置して、トレッキングコースや散策路を整備すれば、多くの観光客を呼べる。地元も大いに潤うだろう。 岩手山の焼走り溶岩流台地や会津磐梯山・裏磐梯のような感じだ。 
「ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない・・・」 である!!(笑) 

Cimg6248民宿「秣森」(まぐさもり)付近から望む栗駒山。薄っすらと雪化粧をしていた。 耕英地区の道路は、いたるところにゲートが設置してあり、立ち入り禁止の場所がかなり多い。世界谷地にも入れないようだ・・・・ --------------------------------------------------------------------------

Cimg6252冷沢の崩落現場と栗駒山。 かろうじて家が残っていた。もう住むことはできないだろう。左手の方になるが、なんと、こちら側から向こう側に道路が通っていたのである。すっかり崩落・陥没していて跡形もなかった。工事がかなり進んでいた。  荒砥沢の崩落現場の安全工事もかなり進んでいるという。天然記念物級の貴重な資源である。工事などによる人の手は必要最小限にとどめてほしい!!

Cimg6243熊谷養魚場(イワナ)の食堂。外で待っている人もいるほど、けっこう混雑していた。 天然キノコそばとかまど飯、イワナの塩焼きを食ってきました。いやー旨かったですね。(笑)  店主も久しぶりにお客むさんが戻ってきてくれて嬉しそうでした。 #ハイルザーム栗駒(営業停止中)の手前の「山脈ハウス」も営業を再開しています。

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2009年11月 5日 (木)

駒の湯温泉 栗駒山 Ⅰ

宮城・岩手内陸地震以来、通行禁止になっていた被災地耕英地区(宮城県栗原市栗駒)への道路が期間限定、時間限定で通行できると聞き、早速行ってきました。  馬場駒ゲートで整理券をもらったら11時頃でなんと160番目!!整理券をもらうさい「15時ま戻って来てください」と釘をさされる。(笑) ゲートからは、道が狭い上、トラックやミキサー車、岩手・山形などからきた大型観光バスなども多く、渋滞する場所も多々ありましたね。 #土日はかなり混雑するでしょう。 Ⅱに続く・・・・・

Cimg6230駒の湯温泉の跡地。 地形がすっかり変わっていた。まったく別世界になっている。ほとんど工事現場の更地だ。山も渓流もブナの原生林も・・・以前の景観は、すべてが消えていた。---------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6240二本の立ち木の左側に温泉旅館はあった。何百年も続いた駒の湯温泉の復活はかなり難しいと思う。(涙)------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

5093653崩壊する前の駒の湯温泉。 右側に立ち木が見えます。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6231向かって右側方向を望む。沢向こうのブナの原生林の山は、半分が崩落してなくなっていた。 山では、山菜やキノコが豊富に採れたという・・・・--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

Cimg6232駒の湯温泉跡地にある慰霊碑。 ここでは、6人の方がなくなっている・・・・・・跡地に行くには、営業を再開した「くりこま山荘」に車を駐車して歩いて行くことになる。

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