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2009年7月

2009年7月22日 (水)

映画「劔岳 点の記」

弘法大師空海が3000足の草鞋を履きつぶしても登頂できなかったという、雪と岩の殿堂、前人未踏の 劔岳(2999メートル)。 明治時代後期、陸軍測量部隊と出来立てほやほやの日本山岳会とが、初登頂をかけて競い合う展開。 調査登山でも、登り口さえも見つけられない閉塞状態。 夏八木勲演じる修験行者の残した謎めいたことば「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。。。」に登頂ルート発見のヒントがあった。#映画「劔岳 点の記」 の公式サイトはこちら。

090306_00天まで続くような切り立った谷(剣沢~長次郎谷)に展開する大雪渓を登り詰めて行く登頂ルート!!なんと、前人未踏と思われていた、劔岳山頂からは、修験行者の錫杖(しゃくじょう)と剣が見つかったのです。前人未踏と思われていた劔岳は、1000年も前に名も無い修験行者によって登頂されていたのでした。修験行者は、口伝かなんかで、はるか昔から登頂ルートを知っていたのだと思う。 #修験行者はスーパーマンか??(爆)詳しくはこちを。

Cimg5814立山連峰の圧倒的な景観が次々登場する展開には大満足でした。ほんとによく撮影したものです。 歴史好き、山好き、アウトドア派、トレッカーには、たまらない映画でしたね。(笑)  

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2009年7月20日 (月)

大日坊瀧水寺・・・・即身仏の寺

湯殿山総本山 大日坊瀧水寺。 弘法大師空海が開いたとされる真言密教の聖地であった。 山形県鶴岡市朝日大網(旧朝日村大網)地区にある。 明治維新後、神仏分離令(廃仏毀釈)、修験宗廃止令に従わなかったこの寺は、明治政府によって焼かれてしまったという。。。。(涙) #明治政府の意向に従った羽黒山は消失を免れた。。。今でも国宝級の建物が多数残っている。

Cimg5792焼け残った仁王門。 鎌倉時代に建てられたもので、安置されている仁王像は、運慶の作ではないかと言われている。詳しい鑑定結果を待ちたい!!

Cimg5807仁王門、内側から撮影。 平成12年、補修のため屋根を解体したところ、「弘安2年8月仁王像運慶作」と記された棟札が発見されたという。ほんまもんであれば、すごいこと。一気に国宝ですね。(笑)

Cimg5805大日坊の本殿。 宿坊も兼ね備えている。最近まで女人禁制だったため、女性はこの寺を参詣することで湯殿山をお参りしたことになったという。 #一泊二食付き、祈祷付き、お銚子付きで、8500円より。。。

Cimg5803真如海(しんにょかい)上人の即身仏。 写真撮影は厳禁でした。(笑)   鉄竜海上人、忠海上人、鉄門海上人 等、即身仏は「海」の一字がついている。これは、真言密教の開祖「空海」の一字をもらい、「空海」の弟子として即身仏になっていったためだという。。。。  拝観料 500円払い、なんと、お坊さんのお払いと説経?を受けてからの拝観となります。やれやれ!(笑) 

真如海(しんにょかい)上人の即身仏は、6年に一度衣替えを行う。丑年の今年の6月にそれが行われた。 #「衣替大祭」の記録である。

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2009年7月16日 (木)

月山

芭蕉も登った、羽黒山口から登ってきました。 でも、仏生池小屋付近で撤収を余儀なくされました。 濃いガスと小雨、さらに、登るほどに強くなる風、突風、烈風、台風並みの風。。。飛ばされなにように這うようにして登りましたね。やれやれ!(笑)  登山者の多くは登頂をあきらめ、弥陀ヶ原を湿原を散策していました。  # 月山八合目羽黒口(8:30発)→仏生池小屋(9:40)

Cimg5785月山参りの白装束の登山者。 月山は「行の山」「浄めの山」でもある。月山に参詣する白装束の登山者は、年間数万人といわれている。。。。。

Cimg5778月山8合目、弥陀ヶ原の湿原。 ここを散策して終わりにしようかとも思いましたが、まあ、行ける所まで行ってみようと、登山開始。 登るほどに強くなる風と雨で、レインウェアを着てても寒くなってきました。 思わず厚手のフリースを着こんで、厚手のトレッキンググローブをして、這うようにして登りましたね。(笑)

Cimg5781同じく、月山8合目の弥陀ヶ原の湿原。 ガスと小雨で何も見えませんでした。 広大な湿原の向こうには、霊峰鳥海山が望めるはずだったのですが。。。。

Cimg5788一の岳(1679メートル)付近の雪渓。 ロープが張ってあるのでガスってても迷うことはない。 芭蕉が「奥の細道」に記した『。。。雲霧山気の中に、氷雪を踏みて登ること八里。。。。』とはこのあたりのことだと思う。

Cimg5790_2月山八合目、登山者で賑わう弥陀ヶ原小屋。
ここには、参籠所があり山岳信仰の色濃い山小屋である。登山者の多くは、登頂をあきらめ弥陀ヶ原をゆっくりと散策していた。


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2009年7月 2日 (木)

東北大学 片平キャンパス Ⅱ

中国の文豪 魯迅(ろじん)は、若き日、医者をこころざし、ここ旧仙台医学専門学校に留学している。 当時、公私ともに親身になって面倒を見たのが、解剖学の教授 藤野先生であった。  『。。。仙台をはなれようとする数日前、先生は私を自分の家に呼んで、私に一枚の写真を下さった。裏には「惜別」の二つの文字が書かれてあった。』 魯迅の短編「藤野先生」より。魯迅は、この写真をずっと家に飾っていたという。。。  太宰治の小説「惜別」は。。。。仙台を舞台に留学生時代の若き魯迅と日本人学生のほのぼのとした交流を描く。。。。このエピソードがモデルになっている。 チェーホフやプーシキンが好きだった太宰、 実は、魯迅も好きだったらしい。。。。(笑)

Cimg5734キャンパス内にある魯迅の胸像と仙台医学専門学校跡地の碑。 魯迅は、明治37年に来日し、仙台に滞在したのは僅か1年半であった。 講義の合間に上映された日露戦争の幻灯で、中国人が銃殺されるシーンを見て、医学を捨て、文学によって中国を解放しようと決心したという。。。。

Cimg5740史料館内、魯迅のコーナー。  藤野先生が朱書きで添削した魯迅の講義ノートのレプリカも展示されていた。このノート、中国では門外不出で国宝級の扱いだとか。。。。------------------------------------------------

Cimg5748キャンパスの近く、片平丁にある魯迅が下宿していたところ。碑も建っている。現在の建物は昭和初期に建てられたものらしい。。。。隣は、新築レストランの工事中だった。(笑)   まわりは、オシャレなレストランやカフェ、マンションが立ち並び、ここだけ時間が止まっているようであった。  

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2009年7月 1日 (水)

東北大学 片平キャンパス Ⅰ

ここは、仙台市の中心部に在りながら奇跡的に戦災を免れたため、明治期から昭和初期の建物が多く残されている。 キャンパスといっても工学部系の研究施設だけなので、学生はほとんどいない。   仙台医学専門学校(中国の文豪 魯迅が学んだところとして有名。。。詳しくはⅡで。。)、旧制二高、旧東北帝国大学等があった場所でもあります。

Cimg5771旧東北帝国大学付属図書館 (大正14年)。 現在は、東北大学の記念史料館になっていて無料で見学できる。 魯迅関係の史料も多い。--------------------------------------------------------------

Cimg5766 東北大医学部の前身「仙台医学専門学校」の階段教室。 なんと明治37年 に建てられたうだ。 当時、仙台に留学していた魯迅もこの教室で学んでいる。 案内板も何もなく、旧東北帝大物理学部の建物に囲まれた谷間に柵で囲まれて、ひっそりと佇んでいます。非常に分かり辛い場所だ。(笑) もちろん一般公開もされてなくて中に入ることは一切できない。 10年くらい前、江沢民中国国家主席が来日したとき、是非仙台に行って魯迅が学んだ場所を見たい!!!と熱望し、この教室の内部を見学しました。当時は大変でした。仙台市内いたるところで交通規制。大渋滞。警察うようよ。まったく迷惑な話です。東京とか京都を見物してればよかったものを。。。。。!!(笑)

Cimg5767旧東北帝大物理学部の中庭。今は駐車場になっている。半面が緑の絨毯に覆われている。まるでグリーンモンスターだ。(笑) ここは、昭和9年に建てられたとのこと。--------------------------------------------------

Cimg5753東北大 片平キャンパスの直ぐ西側には、清流広瀬川が大きく蛇行しながら流れている。伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿 (ずいほうでん) も近い。市民の散策コースでもある。  

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