春と修羅
菜食主義者で法華経の信者であった宮沢賢治は、自身の分身である「詩」を「心象スケッチ」と称した。 賢治は、多くの詩や童話書いたが、決して「小説」を書かなかった。なぜか??ある人によれば、小説を書けなくて、詩や童話を書いたのではないとのこと。賢治にとって、山も川も動物も植物も石も鉱物も、人間と同じように永遠の生命を持っているものだったとのこと。。それらの生命の真理を語るのに、人間世界のみ語る「小説」を必要としなかったらしい。。。。。。なるほど!!人間の世界・宿命を超越した、自然世界!!それは、やっぱり、詩と童話の世界なのか。。。。。!!??(笑)
焼走り溶岩流大地より望む岩手山。 そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くゑぐるもの ひしめく微塵の深みの底に きたなくしろく澱むもの (春と修羅「岩手山」」より) 現在、宮沢賢治の作品の源泉となった、岩手県内6カ所の自然景観が「イーハトーヴの風景地」として、景観の重要文化財にあたる国指定名勝に指定されている。
旧盛岡高等農林学校本館前にある宮沢賢治のモニュメント。宮沢賢治の詩集「春と修羅」は、とんでもなく難解である。いまだによく解らないです!「春と修羅」第一集の「序」を読んだだけで、頭がクラクラしてきますね!(爆) やっぱり、賢治は、アバンギャルドな天才です。
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