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2008年4月

2008年4月28日 (月)

春と修羅

菜食主義者で法華経の信者であった宮沢賢治は、自身の分身である「詩」を「心象スケッチ」と称した。 賢治は、多くの詩や童話書いたが、決して「小説」を書かなかった。なぜか??ある人によれば、小説を書けなくて、詩や童話を書いたのではないとのこと。賢治にとって、山も川も動物も植物も石も鉱物も、人間と同じように永遠の生命を持っているものだったとのこと。。それらの生命の真理を語るのに、人間世界のみ語る「小説」を必要としなかったらしい。。。。。。なるほど!!人間の世界・宿命を超越した、自然世界!!それは、やっぱり、詩と童話の世界なのか。。。。。!!??(笑)

Img_25331焼走り溶岩流大地より望む岩手山。  そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くゑぐるもの ひしめく微塵の深みの底に  きたなくしろく澱むもの  (春と修羅「岩手山」」より)  現在、宮沢賢治の作品の源泉となった、岩手県内6カ所の自然景観が「イーハトーヴの風景地」として、景観の重要文化財にあたる国指定名勝に指定されている。

Cimg38842旧盛岡高等農林学校本館前にある宮沢賢治のモニュメント。宮沢賢治の詩集「春と修羅」は、とんでもなく難解である。いまだによく解らないです!「春と修羅」第一集の「序」を読んだだけで、頭がクラクラしてきますね!(爆) やっぱり、賢治は、アバンギャルドな天才です。

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2008年4月15日 (火)

不来方(こずかた)

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」 「 教室の窓より遁げて ただ一人 かの城址に寝に行きしかな」 石川啄木「一握の砂」より。 不来方とは、盛岡地方の古名である。盛岡城(岩手公園)は、別名不来方城と呼ばれていた。 神童と呼ばれた啄木であったが、文学と社会主義思想にかぶれて頻繁に授業をサボるようになり自主退学せざるを得なくなったとのこと。。。やれやれ!(笑)

Cimg39561 「岩手・不来方」の地名の由来となった、鬼の手形があるという巨大な三つ岩。手形があるところには、なぜかコケが生えないとか。。。周りを見回しても、まったく岩なんてなかった。誰かが、ここに運んできたとしか思えなかった。ストーンサークル?みたいなものか? このあたりは、古代人(縄文人・エミシ等)の聖地だったのでしょう。。。

Cimg39491ここは盛岡市の東顕寺裏にある三つ石神社である。昔、このあたりには悪い鬼がいて村人を悩ましていた。そこで、村人は三つ石大明神に願をかけ鬼の放逐を誓った。大明神はこれを受け、鬼を懲らしめ、これより以後、村人に悪さをしてはならぬと諭した。そして、誓いのしるしとして「岩に手形」を押させた!これが「岩手」の由来。

Cimg39002「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」 不来方城(盛岡城址公園)にある啄木の歌碑。そして、この鬼は、これより南には二度とこず、北に退散すると誓った。ここから、盛岡あたりは「「不来方(こずかた)」と呼ばれるようになったとか。。。なんか、こじつけっぽいですが。。。(爆)

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2008年4月 8日 (火)

啄木・賢治青春館

「。。。孤光灯(アークライト)にめくるめき、川と銀行と木のみどり、羽虫群れのあつまりつ、街は静かにたそがるる。」 宮沢賢治「岩手公園」より。 盛岡の清流中津川をはさんで岩手公園の向かい側にある紺屋町界隈は、明治から大正時代にかけては一大金融街であった。盛岡で青春時代を過ごした宮沢賢治にとって、ここ金融街は、なぜか お気に入りの場所だったようです。(笑)

Cimg393911旧第90銀行本館(国の重要文化財)は、ロマネスク風の重厚な建物である。今は、「もりおか啄木・賢治青春館」として、啄木と賢治が盛岡で過ごした多感な青春時代を紹介している。ファン必見の場所です! ここの喫茶店「あこがれ」のコーヒーは、最高に旨かったなー。。。。(笑)

Cimg39442賢治も大いに気に入っていた、赤煉瓦のルネッサンス様式 旧盛岡銀行本店(国の重要文化財)。 設計者は、赤煉瓦の東京駅等を設計した明治の建築界の巨人辰野金吾なので、東京駅にけっこう似ている。(笑)  「建築は、凍った芸術だ!」と言ったのは誰だったか。。。。明治期の建築家は、優れた芸術家だったかも。。。。

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2008年4月 7日 (月)

岩手山を望む

「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」 石川啄木「一握の砂」より。 啄木は、詩や短歌のことを「悲しき玩具」と呼んだ。啄木は、短歌や詩を作ることについて、次のように言っている。「一生に二度と帰ってこない命の一秒なのだ。オレには、その一秒がいとおしい。ただ逃してやりたくない。それを現すには手間暇のかからない歌や詩が一番便利なのだ」と。。。。。啄木にとっての歌や詩は、悲しき玩具、人生そのもの、生活そのものだったのでしょう。。。。。

Cimg39251盛岡の街は、川が多いし、橋も多い。 盛岡駅前の「開運橋」から望む残雪の岩手山。前方に見えるのが「旭橋」で、その先にあるのが「夕顔瀬橋」である。

Cimg39302「夕顔瀬橋」から望む岩手山。 盛岡市内を南北に流れる北上川。すっかり清流に生まれ変わりました。

Cimg39213「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」 JR東日本盛岡駅前広場にある啄木の歌碑。ちなみに、盛岡駅正面にど~~んと掲げられている「もりおか」の文字は、啄木の筆跡を使用したものだとか。。。。

Cimg39374中央通にある「啄木新婚の家」。啄木が愛用した机や書、節子奥さんが愛用した琴等が展示してあります。しかし、ここでの生活は、僅か3ヶ月であったとのこと。この家で結婚式を挙げるため東京から盛岡に向かった啄木は、仙台で途中下車し、土井晩翠から借金をし、仙台で酒と女で遊び呆けていたとか。。。。結婚式をすっぽかされた節子は、仕方なく、1人で式を済ませたとのこと。 やれやれ! 啄木、若干二十歳!若気の至りか!(笑)

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