2009年12月11日 (金)

映画「イングロリアス・バスターズ」

深作欣二監督の大ファンで、レンタルビデオ店でアルバイトをしていた頃、毎日のようにヤクザ映画「仁義なき戦い」シリーズを観ていたという、タランティーノ監督。本国アメリカでの大ヒットをうけて大のご満悦とか。(笑)    舞台は、ナチス占領下のフランス。腐った卵、ユダヤ人ハンターのナチスVSナチスハンター、ユダヤ系アメリカ人の連合軍特殊部隊の戦い。そこに、ナチスに家族を殺されたユダヤ人の娘が絡んでくるという展開・・・。 プラピ演じるアパッチの血も混じるというレイン中尉を筆頭に、エキセントリックな登場人物には思わず笑ってしまった。「ユダヤの熊」とかナチを殺して頭の皮を剥ぐとか等々・・・けっこう笑える映画でもある。(爆)   ただ、金を払って劇場に行ってまでは?という感じです。私的にはレンタルDVDで十分かなーと・・・・。 
まあ、ユダヤ系アメリカ人とかが観れば、拍手喝采、大感激なんだろうけど・・・・・(笑) アメリカで大ヒットした理由はこの辺ですかね??

B002mzqzwi_09_lzzzzzzz映画を観てて、なんか懐かしいマカロニウエスタン(イタリア製の西部劇)や西部劇(ハリウッド製)の曲が流れてきたので、なるほど、この映画は第二次世界大戦の西部劇、マカロニウエスタンかと思いましたね。(笑) マカロニウエスタンや西部劇は、小学校高学年~中学にかけて夢中になって観ていました。 この映画には「アラモ」や「荒野の1ドル銀貨」等の曲が使われています。それに、なんと、気づきませんでしたが、デヴィッド・ボウイ の曲も使われているとか・・・


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 7日 (月)

イマジン・・・・ジョンとヨーコ

#雪、さっぱり降らないですねー・・・スノーボードは当分お預けです。やれやれ!(笑)
てな訳で、明日12月8日は、ロックの詩人?ことジョン・レノンの29回目に命日です。早いものですねー・・・(笑) 亡くなった日のことは、今でも鮮明に覚えています。何をして過ごしたか、何を思って過ごしたか、何を感じたか。。。。「イマジン」の歌詞は、ヨーコのアバンギャルドな詩集・作品集「グレープフルーツ」からインスピレーションを得てジョンが書いたと言われていますが、ほとんどサンプリングですね。「盗作」と言ってもいいです。(爆)   後にジョンは告白しています。「あの歌は実際にはレノン/オノの作品とすべきでさ、多くの部分がヨーコの方から出ているんだけど、あの頃のぼくはまだちょっと身勝手で、男性上位で、彼女に負っているという点をオミットしちまったんだな。でも本当にあれは彼女の『グレープフルーツ』という本から出ているんで、あれを想像せよ、これを想像せよというのは全部彼女の作であることをここにまことに遅ればせながら公表します。」と!(笑)

Cimg6311「ジョンの夢の結晶でした。彼の理想主義の結晶がここにあるのです」。。。オノ・ヨーコ  うーむ 「彼の理想主義の結晶」かー。。。宮沢賢治の作品にも通じる言葉ですね!(笑)

Cimg6313「ジョンとヨーコ・・・とけいをとめてもういちど」  ヨーコの父は銀行家でピアノを弾きこなしクラッシック音楽のファンだったという。母は和楽器奏者であり詩人でもあったという。。。。うーむ、サラブレットか、やっぱ血統だなー。。。(笑)
ジョンはヨーコのことを多くの詩(うた)にして歌っている。なかでも、私のお気に入りは、ご機嫌で軽快なロックナンバー「ジョンとヨーコのバラード」と素直なラブソング「オー・ヨーコ」かな。

ビートルズの曲として発表された「ジョンとヨーコのバラード」はこちら。

アルバム「イマジン」収録の「オー・ヨーコ」はこちら。ハーモニカの響きがいい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月27日 (金)

「楢(なら)ノ木大学士の野宿」

宮沢賢治が書いたあまり知られていない童話である。この童話は、日本で最初のタイムトラベル・タイムスリップを描いた作品ではないかと思っています。SF童話と言ってもいいです。(笑) 地質学者でもあった賢治にしか書けない童話ですね。   賢治は、地質調査や鉱物・岩石・化石採集のため岩手の山々や三陸海岸を野宿しながら歩きまわったという。主人公の宝石学者 楢ノ木大学士には、こんな賢治の姿が投影されている。 あらすじは、宝石学者の楢ノ木大学士が蛋白石(オパール)探しを頼まれて東京から岩手県に出かけ、3晩にわたって野宿しながら山や海岸を歩きまわり、その間に3つの夢を見る というものである。#傑作SF童話はこちらです。(笑)
 

632pxapatosaurusアパトサウルスの骨格化石。  特に3日目の野宿では、なんと、中生代白亜紀にタイムスリップするである。大学士が白亜紀の頁岩(けつがん)の中に雷竜(アパトサウルス)の足跡を見つけ追跡していくと、いつのまにか周りは暑くなり、硬い頁岩は湖・沼地の泥に変わっていて、本物の恐竜アパトサウルスに遭遇するのである・・・・・日本には恐竜なんていなかったと思われていた時代に、なんと賢治は「日本にも恐竜はいた」と考えていたのである。 実際、賢治の予言?通り岩手の三陸海岸の白亜紀の地層から、日本ではじめての恐竜(草食竜)の化石が発見されたのである。 とんでもないくらいすごいアバンギャルドな観察力、思考力ですねー・・・・(笑)

800pxopal_banded_4蛋白石(オパール)の原石。 このSF童話には、賢治の豊富な地質学的知識と野外調査の経験が反映されていると思う。 蛋白石(オパール)、紅宝玉(ルビー)、カンラン岩・蛇紋岩でできたヒームカ(姫神山)、岩頸(がんけい)の四兄弟、流紋玻璃(りうもんはり)、角閃花崗岩、磁鉄鉱、雲母紙等々さまざまな岩石や鉱物等が登場する。 

002001_3賢治の一番好きだった花は「カタクリの花」だったという。。。。『兄さん。ヒームカさん(姫神山)はほんたうに美しいね。兄さん、この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。』(楢ノ木大学士の野宿より)   #うーむ、賢治は「コブシの花(マグノリア)」も好きだったらしい?・・・「マグノリアの木」という宗教色の強い短編童話も書いている。

| | コメント (0)

2009年11月23日 (月)

前九年の役 厨川(くりやがわ)古戦場址(厨川柵址)

岩手県盛岡市天昌寺町。東北自動車道 盛岡ICを下りて市内方面へ5~6分行ったところにあります。 ここ厨川柵は、安倍氏最後の拠点で、この地で前九年の役最後の戦いが行なわれた。   鬼切部の戦いに大勝利した安倍氏であったが、新たに朝廷から安倍氏討伐を命ぜられた源頼義と出羽の俘囚清原氏との連合軍に、徐々に追い詰められて行ったのである。 連合軍(朝廷軍)が厨川柵に迫る中、安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らは、柵に立てこもる篭城作戦をとったという。1062年の秋、厨川柵を包囲した朝廷軍の大部隊は一成攻撃を開始した。柵の中に雨あられのように矢や石を降らせ、最後に柵に火を放ち陥落させたという。

Cimg6261天昌寺の前、国道46号線沿いに説明板がありれます。  この戦いで安倍貞任は戦死し、宗任は捕らえられて京都に連行され、後に愛媛県に流されたという・・・・ちなみに、安倍貞任は身長180センチの大男で勇猛果敢な猛将だったらしい。 さらに、なんと、安倍貞任・宗任は、黄金の平泉文化を築いた藤原氏、藤原清衡(きよひら)の叔父にあたるのである。奥州藤原氏は、京都の貴族とエミシのハイブリットということになるかな。(笑)  

Cimg6257天昌寺境内。 平安時代、安倍貞任が築城したといわれる厨川柵址。この柵のあった台地には、現在、天昌寺というお寺が建っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 6日 (金)

駒の湯温泉 栗駒山 Ⅱ

日本一の規模と言われる荒砥沢の崩落現場が、林ごしにちらりちらりと見ることができる。全路線駐停車禁止になっているためじっくりと見ることはできない。  
栗原市は、崩落現場を自然公園「ジオパーク」として整備する構想を持っているという。大賛成である。貴重な観光資源である。展望台・案内板・説明板を設置して、トレッキングコースや散策路を整備すれば、多くの観光客を呼べる。地元も大いに潤うだろう。
岩手山の焼走り溶岩流台地や会津磐梯山・裏磐梯のような感じだ。 
「ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない・・・」である!!(笑) 

Cimg6248民宿「秣森」(まぐさもり)付近から望む栗駒山。薄っすらと雪化粧をしていた。 耕英地区の道路は、いたるところにゲートが設置してあり、立ち入り禁止の場所がかなり多い。世界谷地にも入れないようだ・・・・   

Cimg6252冷沢の崩落現場と栗駒山。 かろうじて家が残っていた。もう住むことはできないだろう。左手の方になるが、なんと、こちら側から向こう側に道路が通っていたのである。すっかり崩落・陥没していて跡形もなかった。工事がかなり進んでいた。  荒砥沢の崩落現場の安全工事もかなり進んでいるという。天然記念物級の貴重な資源である。工事などによる人の手は必要最小限にとどめてほしい!!

Cimg6243熊谷養魚場(イワナ)の食堂。外で待っている人もいるほど、けっこう混雑していた。 天然キノコそばとかまど飯、イワナの塩焼きを食ってきました。いやー旨かったですね。(笑)  店主も久しぶりにお客むさんが戻ってきてくれて嬉しそうでした。 #ハイルザーム栗駒(営業停止中)の手前の「山脈ハウス」も営業を再開しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 5日 (木)

駒の湯温泉 栗駒山 Ⅰ

宮城・岩手内陸地震以来、通行禁止になっていた被災地耕英地区(宮城県栗原市栗駒)への道路が期間限定、時間限定で通行できると聞き、早速行ってきました。 
馬場駒ゲートで整理券をもらったら11時頃でなんと160番目!!整理券をもらうさい
「15時ま戻って来てください」と釘をさされる。(笑)   ゲートからは、道が狭い上、トラックやミキサー車、岩手・山形などからきた大型観光バスなども多く、渋滞する場所も多々ありましたね。 #土日はかなり混雑するでしょう。 Ⅱに続く・・・・・

Cimg6230駒の湯温泉の跡地。 地形がすっかり変わっていた。まったく別世界になっている。ほとんど工事現場の更地だ。山も渓流もブナの原生林も・・・以前の景観は、すべてが消えていた。  

Cimg6240二本の立ち木の左側に温泉旅館はあった。何百年も続いた駒の湯温泉の復活はかなり難しいと思う。(涙) #崩壊する前の駒の湯温泉。右側に立ち木も見える。

Cimg6231向かって右側方向を望む。沢向こうのブナの原生林の山は、半分が崩落してなくなっていた。 山では、山菜やキノコが豊富に採れたという・・・・

Cimg6232駒の湯温泉跡地にある慰霊碑。 ここでは、6人の方がなくなっている・・・・・・跡地に行くには、営業を再開した「くりこま山荘」に車を駐車して歩いて行くことになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月31日 (土)

映画 「THIS IS IT」の女性ギタリスト

映画では、マイケルを支えた情熱の塊のようなバックダンサーとスタッフ、そして、痺れるテクとセンスの塊のようなバックバンドの面々が準主役です。 特に、メインのギタリストは、なんと、金髪の美人女性!!(笑)  「Beat It」のリハーサルシーンのギターソロは女性が弾いているとは思えなかった。まさに、唸るギター、パワフルなギー。。。!
#CD(アルバム)では、凄腕のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが弾いていましたね。。。「Beat It」

Orianthi_michael_jackson_2この女性ギタリストは、オーストラリアの出身で名前はオリアンティ!!なんと若干25歳にして、けっこう有名なミュージシャンから共演してーとオファーがあるそうだ。(笑) マイケルが生きていたら、一緒にツアーをして、ガンガンギターを弾いていたのにねー・・・・そうとうなショックを受けていることでしょう。残念でなりません。(涙) 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

マイケル・ジャクソン 映画 「THIS IS IT」

マイケル・ジャクソンは人間ではないな、と思った。人間を超えた存在、機械と人間のハイブリット、そんな感じだ。50歳で25年前と同じ、いやそれ以上の歌とダンス。澄んだ高音の歌声、華麗でエキセントリックなダンス。。。あまりに凄すぎる。 特に、スリラーのリハーサルシーンは圧巻でした。   プロ野球選手に例えるなら、50歳で150キロの速球をガンガンを投げる。40本以上のホームランをガンガン打つのと全く同じ、いやそれ以上だ。。。人間では不可能なこと。(笑)   マイケルのロンドン・コンサートが実現していたなら世界中が度肝を抜かれたでしょう!間違いなし! いまさらながら、本当に残念でなりません。(涙)
#マイケルがあまりにも凄すぎるため本国アメリカでは、「マイケル、スタントマン説」まで飛び出しているとか。。。やれやれ!(爆)
#ちなみに、この映画は2週間限定上映です。さらに、著作権かなんかの関係でパンフレットも売っていません。DVD(レンタル)も作られない可能性もあります。観たいなーと思っている人は、早めに観たほうがいいですね。(笑)

Cimg6215家には、「スリラー」発売25周年記念CDとマイケルのプロモーションビデオを集めたDVDもあります。 もちろん、25年前に買った「スリラー」のLPレコードもあります。(笑)


#予告編はこちら、感動の一端をどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

鳥原山(朝日連峰) Ⅱ

三角点のある鳥原山山頂は、あまり展望は良くない。少し、先に行ったところにあるピークが、大朝日岳や小朝日岳を一望できる展望台になっているの・で・す・が。。。。(涙)  白滝登山口(7:45発)→山の神(8:45着)→鳥原山山頂(10:20着)    山頂(10:50発)→白滝登山口(13:00着) 約5時間15分のトレッキングでした。(休憩含む)

Cimg6179鳥原山山頂付近に広がる湿原。 秋色に染まる樹林帯と池塘、黄金色の草モミジ。。。。それにしても、静かだ。静寂に包まれている。誰一人いない。自然との一体感。同化した感じだ。透明な気分だ。聞こえるのは鳥のさえずりのみ。さすが鳥原山だ。(爆)

Cimg6152湿原から鳥原山方面を望む。 雨が落ちてきた。。。山が霞んでいる。  朝日連峰での高層湿原はかなり珍しい。 鳥原山の湿原は、規模は小さいが樹林帯と湿原が交互に現れて、登山者をあきさせない。


Cimg6191池塘越しに御影山方面を望む。山はまったく見えなかった。やれやれ。 右手の方に鳥原小屋が見える。この小屋は、朝日連峰一清潔な小屋として有名とのこと。混雑する大朝日小屋を避け、この小屋に泊まる登山者も多いとか。。。

Cimg6178山頂から小朝日岳を望む。 下山する頃、やっと少し姿を見せた。(笑) 鳥原山の展望台からの眺望は、まったくダメでした。分厚い雲が重く垂れ込め、山全体を覆い、ガスがかかり、雨が降りと、散々でしたね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月14日 (水)

鳥原山(朝日連峰) Ⅰ

白滝口から鳥原山(1430メートル)に登ってきました。 天候は、薄曇→本曇→雨と、だんだん悪化の方へ。。。。小朝日岳(1647メートル)まで行く予定でしたが、天候が悪くなり、雨も降って来たので断念しました。(涙)  秋のトレッキングは最高ですね。 アブ、ブヨ、蚊等の虫がいないのが、なによりいいです。それに、涼しいのがグッドです。気持ちよく、快適に登ることができます。  #Ⅱに続く。。。。

Cimg6201白滝の登山口。 白滝の林道は、スギ伐採作業のため車は通行止めでした。結局、ここから林道を20分くらい歩くことにな。やれやれ!(笑) 

Cimg6199林道終点からすぐ先にあるつり橋。 けっこう怖いですよ。(笑) ここからは、ちいさなアップダウンを繰り返しながら、沢沿いの道を歩くことになる。

Cimg6195「山の神」と呼ばれる所。 岩に彫られた小さな祠。「山神」の文字が。。。。山の神を祀ったところか? ここは、小さな沢が流れていて水場になっている。思わず休息したくなる場所です。 ここからは、湿原に出るまでタフな登りが続く。。。ブナの原生林の中の登りで快適でもある。

Cimg6148山の神付近のブナ林。 この辺りのブナ林は、少し色づいていますが、まだまだ緑が濃いです。  朝日連峰の、手付かずのブナの原生林は、21世紀に残したい自然百選にも選ばれいいるとのこと。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月10日 (土)

スノーボード革命・・・・ファースト・ディセント

初冠雪のたよりもチラホラと。。。もう直ぐ、スキー・スノーボードシーズン到来ですね。 そんなこんなで、一昨年買ったスノーボード映画「ファースト・ディセント」のDVDを引っぱりだしては、ニヤニヤしながらちょこちょこ観ている今日この頃です。(笑)  スノーボード革命、聖地アラスカ、限界を超えたタフな斜面、突然襲う雪崩等々、感動の連続、ほんと凄い映画です。

Cimg10431氷河に削り取られた人跡未踏の針峰、なんと斜度は60度、に一人挑む天才スノーボーダー、テリエ!その滑走シーンは感動ものです。何回観てもあきないですね。


映画の予告編です。 みなさんも感動の一端をどうぞ!(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月28日 (月)

泥湯温泉(秋田県湯沢市)

栗駒山登山の帰りに寄って入ってきました。泥湯温泉は、ほんとうの山奥、高松岳(1348メートル)の北東麓、小安岳(1292メートル)の中腹の小さな盆地にあります。その名の通り灰白色に濁った熱い温泉である。20数年前までは、湯治専門の宿が数件あるのみで、秋田最南部の秘境と言われていたとのこと 。。。。開湯1000年以上と、かなり歴史のある温泉です。

Cimg6131日本秘湯を守る会会員の宿「奥山旅館」、ここの温泉に入ってきました。内風呂はかなり狭かったのですが、二つある露天風呂は最高でした。

Cimg0575道路を挟んで向かい側にある広い露天風にも入ることができます。こちらは、広々として、ゆったりできていいですよ。(笑)  入浴料500円、もちろん石鹸、シャンプー付き。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月21日 (月)

前九年の役 鬼切部古戦場址(鬼切部城址)

宮城県大崎市鳴子温泉鬼首(おにこうべ)高畑。 炎立つ奥州。。。。前九年の役 最初の合戦がこの地で行なわれた。 前九年の役とは、約1000年前、今の岩手県一帯を支配していた俘囚の酋長安倍氏VS大和朝廷軍との戦いである。  国府多賀城を出発した1000を越える朝廷軍とエミシの豪族安倍頼良(あべのよりよし)の軍勢が、ここ鬼切部(おにきりべ)で激突した。。。。安倍頼良の息子である安倍貞任(あべのさだとう)、宗任(むねとう)率いる別働隊は、岩手県平泉近くの衣川の柵を出発し、祭畤(まつるべ)→須川経由で早春の栗駒山を越えて、花山(宮城県栗原市)→荒雄岳と進軍し、荒雄岳の山頂から怒涛のごとく朝廷軍に襲いかかった。。。。。これにより大和朝廷軍は、総崩れとなり安倍氏の大勝利に終ったのである。

Cimg6047鬼首(おにこうべ)高畑の高原にある説明板。  安倍貞任、宗任率いる別働隊が栗駒山を越える際、季節はずれの吹雪に見舞われて道を見失ったという。そのとき、白馬に乗ったエミシの英雄アテルイが現れて、鬼切部まで道案内をしたという。。。。本当かなー。。。(笑) 

Cimg6052鬼切部城址の高原。ススキの原野になっていた。正面には、ミニ谷川岳の禿(かむろ)岳が見える。まさに、奥羽山脈と川、沢に囲まれた天然の要害である。

Cimg6056国道108号線にある案内板。 ここから狭い道路をしばらく登ると広々とした標高500メートルの高原にでる。 眺望もよい、清々しい高原である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月18日 (金)

栗駒山 Ⅱ

須川温泉(岩手県一関市)の登山口まで行くのは、さながら温泉地を巡る旅でもあった。(笑)   鳴子温泉(宮城県)→鬼首温泉(宮城県)→秋ノ宮温泉(秋田県)→泥湯温泉(秋田県)→小安温泉(秋田県)→須川温泉(岩手県)。。。。やれやれ!(笑)    須川温泉(9:00発)→昭和湖→栗駒山山頂(10:30着)  山頂(11:00発)→産沼→須川温泉(12:15着) 休憩含む。  昭和湖経由で登り、産沼経由で下る(自然観察コース)周回コースです。 約3時間15分のトレッキングでした。

Cimg6105山頂付近の紅葉。もうすっかり鮮やかに色づいていた。  火山性の地形、雪渓、草原、湿原、池塘、ブナ林。。。栗駒山は、多彩な表情をもった山だ。

Cimg6101山頂付近から宮城県側、御室方面を見る。 夏から秋へのストーリー。。。。色づき始めた紅葉が、稜線からいっ気に駆け抜けていくのだろう。。。。宮城県側の紅葉を正面から見られないのが残念!(涙)

Cimg6089下山時、振り返り山頂を撮影。栗駒山の山容は全体的になだらかだ。心臓破りのタフな急斜面も無いし、岩稜地帯もない。でも、紅葉は東北随一だ。 空はすっかり秋の空、夏には、まず見られない透明な青さだ。。。。。

Cimg6076産沼、小さな沼である。産沼の分岐点にある。少し開けていて絶好の休憩地になっている。 このあたりは、まだ緑が濃い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月17日 (木)

栗駒山 Ⅰ 

最高の秋晴れのなか、須川温泉(岩手県一関市)から栗駒山(1630メートル)に登ってきました。  山頂付近は、すでに紅葉が始まっていた。ラッキーだった。この時期に紅葉が見られるなんて。。。 毎年登っているという登山者に聞いたら、今年 の紅葉は10日ぐらい早いとのこと。  宮城、岩手側は通行止めだから、秋田側から入るしかない!!登山口まで行くのが大変です。仙台から3時間以上かかってしまいました。。。やれやれ!(笑)  #Ⅱに続く。。。。

Cimg6127名残ヶ原より望む。 山頂付近が色づいているのがわかる。朝方は寒かったが、汗ばむほどの陽気になってきた。 平日なのに登山者も多かった。60代後半くらいの団体さんも、二グループほど登っていた。皆さん、紅葉が見られて感激していた。

Cimg6122昭和湖 正面を望む。山の崖が崩落していた。地震によるものだろう。 昭和湖でも、なにやら、プレハブの小屋が建ててあって工事中であった。

Cimg6113山頂付近から岩手県側を望む。緑とのコントラストが美しい。夏と秋のコラボレーション。夏から秋への旅立ち。。。。

Cimg6096栗駒山山頂にて。 ごらんの通り、ロープが張ってあって、宮城県側は大崩壊のため立ち入り禁止になっていた。 見たところ、登山道が寸断されているような所は無く、ところどころに石が転がり落ちているだけのようだ。余裕で登られそうなのだが。。。まあ、荒れ放題の中央コースだから、数年くらい立ち入り禁止のままのほうがいいのかもしれない。(笑)    山頂からは、山が消えた国内最大級の地すべり現場が生々しく見えた。あと、イワカガミ平には、車が多数出入りしていた。工事でもしているのだろうか。。。。 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月13日 (日)

盛岡散歩

先日、所用で盛岡に行ってきました。ついでに、紺屋町にある自家焙煎コーヒー店「クラムボン」でやっていた知人の小さな写真展を見学して、盛岡でも古い建物が多く残る紺屋町界隈を散策してきました。   ちなみに「クラムボン」とは、宮沢賢治の幻想的な童話「やまなし」に登場する蟹?のことである。

Cimg6005岩手公園にある桜田神社のえぼし岩。 城をつくる際に地面を掘ったらでてきたらしい。すごい岩だ。このあたりは古代から聖地であったのかもしれない。南部藩の「お守り石」としていまでも崇拝されているらしい。。。

Cimg6009「ござ九」、地元とでは、ござくさんと呼ばれているそうです。 名前の通り、ござ製品やわら製品、竹製品等を扱っている。江戸時代末期から明治期にかけての建物がそのまんま残されている。 まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。。。。(笑)

Cimg6018中津川に架かる上の橋の「擬宝珠(ぎぼし)」。江戸時代のものである。橋は何度か架け替えられたが、これだけは今も残っている。国の重要美術品に指定されている。でも、なんか無用心である。こんなご時勢、盗まれたりしないのだろうか。。。?(笑)    浅田次郎の小説「壬生義士伝」には、南部藩出身の主人公新撰組隊士吉村が、京都の二条大橋にたたずみ、盛岡にも「擬宝珠」の付いた立派な橋があると 懐かしむシーンがあるという。。。。

Cimg6021中津川沿いにある軽食喫茶店「ふかくさ」。 一瞬なんなんだかよく分からなかった。(笑) 店全体が緑の蔦と木の緑に覆われていて、どこが入り口なんだかもよく分からない状態。。。。いやはや、びっくり 盛岡では、けこう有名な店らしい。。。。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

智恵子 記念館

福島県二本松市ある「智恵子 記念館」に寄ってきました。 智恵子の愛用品や手紙、絵、療養中に残した紙絵(切り絵)等が展示されている。 記念館隣には、智恵子の生家があり、修復され公開されている。 日本女子大の家政学部に進学した智恵子は西洋画に熱中し、卒業しても故郷には戻らず画家を目指したのである。 デザイナーでもあった智恵子は、女性解放運動にも関心を示し、大学の先輩である平塚 らいてうが創刊した女性のための文芸誌『青鞜』の表紙デザインを担当した。  

Cimg5883『をんなが附属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか。 年で洗はれたあなたのからだは  無辺際を飛ぶ天の金属。。。。。。時時内心おどろくほど あなたはだんだんきれいになる。』 高村光太郎著「智恵子抄 あなたはだんだんきれいになる」より   智恵子の趣味は、なんとテニスだったという。大学時代も、先輩のらいてうたちとテニスに興じたらしい。 智恵子、 らいてうともに、かなりテニスが上手かったそうだ。。。(笑)

Cimg5885光太郎(50才)と智恵子(47才)。昭和8年、病む智恵子の療養をかね那須、安達太良、磐梯山周辺の温泉を巡っている。  『二つに裂けて傾く磐梯山(ばんだいさん)の裏山は 険しく八月の頭上の空に目をみはり 裾野遠くなびいて波うち 芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる 半ば狂える妻は草をしいて坐し わたくしの手に重くもたれて 泣きやまぬ童女のように慟哭する――わたしもうぢき駄目になる。。。。。』 高村光太郎著「智恵子抄 山麓の二人」より

Cimg5890智恵子の生家。 酒造家でかなりの資産家であった。智恵子は、何不自由ない伸び伸びとした少女時代を送ったらしい。 酒好きだった光太郎は、智恵子の実家から銘酒「花霞」をとりよせ、アトリエで毎晩晩酌をやってたそうだ!!(爆) 近くのお土産屋では銘酒「花霞」を買うことができる!(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月23日 (日)

百宅(ももやけ)マタギの里

伝説では、平家の落人が山奥に逃れてきてこの土地に土着して、この村をつくったとのこと。 鳥海山東面の山々に囲まれた細長い盆地の山際に沿って十数戸の家々が点在している。

Cimg5997百宅マタギの里としても知られ、道路が整備されバスが開通するまでは、村人たちの生活も世間に縁遠く、全戸が狩猟と農耕を営んでいたという。。。。まさに、桃源郷、シャングリラ、隠れた平和郷であった。。。。

Cimg6001茅葺屋根の民家も何軒かあった。 ずかずか入り込んで写真を撮っていく輩も多いのだろう、「無断撮影、無断立ち入り禁止!」の看板が。。。!! 勝手に撮って済みません。(笑) また、村の聖地でもある守り神、神社は、なんと、立ち入り厳禁、もちろん撮影禁止でした。村人以外は参拝もできないのでしょう。。。ここまでくると、さすがに撮影はできず、遠くから手を合わせてきましたね。(笑) う~む、さすがに独特の風習もっているマタギの村だ!!まあ、でも、妙に、少し、排他性を感じるなー。。。。(笑)

Cimg5995百宅集落の奥にある法体(ほったい)の滝。滝名の由来は、法体(法衣)をまとった弘法大師空海が、ここを訪れた際、この滝に拝礼したことからきているという。。。。最近では、実写版「釣キチ三平」のロケ地として有名である。映画では「夜泣谷の滝」として登場する。予告編はこちら。 日本の滝百選にも選ばれている。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月22日 (土)

鳥海山(七高山) Ⅱ

江戸時代後期の大噴火で新山(2236メートル)ができるまでは、外輪山の七高山(2230メートル)が最高点であった。 鳥海山の山名の由来については、山麓一帯が「鳥海弥三郎宗任(安倍宗任)」の領地だったからという説が有力である。   仙台(4:00発)~百宅登山口(8:00発)→唐獅子平(10:00着)→七高山(11:10着)  七高山(11:40発)→唐獅子平→百宅登山口(14:10着) 休憩含む。 約6時間10分のトレッキングでした。

Cimg5979唐獅子平から山頂(外輪山)を望む。ここは八合目になっていて避難小屋がある。唐獅子石もドーンとある。なかなか存在感がある。遠くから見ると唐獅子というよりは、ネコにそっくりでしたね。(笑)  ハイマツの緑に沿って高山植物の群落も多い。

Cimg5956九合目の霧ヶ平にあるS字雪渓。全長1000メートルはあろうかという大きな雪渓だ。余裕でスキーやスノーボードができそうだ。(笑) 

Cimg5932_2七高山(2230メートル)山頂。 山頂は、ガスがかかり風もでてきて、かなり寒かった。360度の大展望は、まったくダメでした。ときおりガスの切れ目から日本海方面がちらりと見えた。(笑)

Cimg5937七高山山頂から新山を望む。ガスの晴れ間から姿を現した新山。岩石累々たる巨大なドームだ。ここから新山へは、いったん内壁の底に下り、岩場をひと登りすると着く。時間にして20分~30分くらいである。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月19日 (水)

鳥海山(七高山) Ⅰ

秋田県由利本荘市(旧鳥海町)の百宅(ももやけ)口から登ってきました。曇りベースで、ガスがかかったり、小雨が降ったり、風がでてきたり、時折晴れたりと、目まぐるしく天気が変わる一日でした。  百宅集落(百宅マタギの根拠地)ある鳥海山東面山麓には、戦前まで広大なブナの原生林があったとのこと。。。しかし、すべて伐採されてしまったらしい。。。(涙) #Ⅱに続く。。。。。

Cimg5895百宅(ももやけ)登山口。広い駐車場になっている。この少し先には、大清水山荘や避難小屋、キャンプ場などがある。ここまで来るのに、全長約14キロもの林道を走らなくてはならない!!#かなり長く感じたなー。。。(笑) 

Cimg5905ブナの原生林の道~ダケカンバの道を暫く登ると屏風岩に着く。巨岩がゴロゴロしている。まるで、ストーンオブジェジェ。天然の芸術品だ。(笑) 水場もあり絶好の休憩地でもある。

Cimg5970屏風岩付近から山頂方面を望む。 雪渓に沿って沢が流れ、小さな滝がいくつかみえる。万年雪になるところも多いのだろう。水量が豊富だ。

Cimg5963八合目にあたる唐獅子平手前付近にある雪渓と小さな滝。周りには草原やお花畑がひろがり、さながら楽園のようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月15日 (土)

安達太良山~鉄山 Ⅱ

安達太良とは、アイヌ語の「アタタラ」が語源で「私たちの山」とか「乳首」の意味だとか、または、鉄が採れた山なので、ふいごの「タタラ」からきてるとか、さまざまな説があるようです。(笑)   ゴンドラ終点登山口(8:40発)→安達太良山山頂(9:40)→鉄山(10:30)→くろがね小屋→奥岳登山口(13:00着) 休憩含む。約4時間20分のトレッキングでした。

Cimg5861縦走路を振り返り見る。中央奥には、安達太良山の山頂が見える。ガスがだんだんとれてきて日差しが強くなってきた。暑い!まるで砂漠の高原を歩いているようだ。(笑)

Cimg5867馬ノ背付近から鉄山(1710メートル)を望む。沼ノ平の噴火でえぐりとられてできた山らしい。火口壁の一部になっているのだろう。。。。。

Cimg5864鉄山(1710メートル)への登り。鉄山の岩峰がダイナミックに迫ってくる。道は急坂となりガレ場をジグザグに登って行く。。。。。

Cimg5878くろがね小屋を望む。下山時撮影。奥には馬ノ背の稜線(痩せ尾根)が見える。くろがね小屋は、温泉付きの山小屋としてけっこう有名である。ここからは長い単調な下りがまってる。やれやれ、こういう下りはホント厭きるなー。。。。(笑) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月12日 (水)

安達太良山~鉄山 Ⅰ

『智恵子は東京に空がないと言ふ。ほんとの空が見たいと言ふ。私は驚いて空を見る。。。。。智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山(安達太良山)の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だ言ふ。あどけない空の話である。』  「高村光太郎著 智恵子抄  あどけない話 」より    福島県二本松市にある安達太良山(1700メートル)、百名山の一座というよりは「智恵子抄」の山として全国的に有名です。  超久しぶりの晴れ間でした。仙台は涼しかったようですが、福島は暑かった!! 「ほんとの空」の下、久しぶりに快適なトレッキングができました。(笑) いい汗をかきました。満足です。  #Ⅱに続く。。。。

Cimg5829別名「乳首山」、安達太良山(1700メートル)山頂を望む。 万葉集にも「みちのくの安達太郎嶺」として詠まれていて古くから親しまれている山である。  スキー場のゴンドラを利用して登ると、約1時間で着いてしまう。やれやれ!(笑)

Cimg5832安達太良山(1700メートル)山頂。 晴れたり曇ったりの天気でしたが、山頂付近はガスに覆われ展望はダメでした。(涙) 磐梯山、猪苗代湖、裏磐梯等、見たかったのですが。。。。

Cimg5837縦走路側から見た山頂。 雰囲気が全然違います。なんか別の山みたいです。(笑)  子供を連れたファミリー登山客が多かった。ほとんどがゴンドラを利用した山頂往復のコースでした。

Cimg5850鉄山手前、沼ノ平の爆裂火口跡を望む。 明治32年の大爆発の跡である。硫黄の臭気が全体を覆っている。山肌は凄絶な悲傷。木がない。一本もない。どこにもない。ガスの奥には秋元湖が望めるはずなのだが。。。。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月22日 (水)

映画「劔岳 点の記」

弘法大師空海が3000足の草鞋を履きつぶしても登頂できなかったという、雪と岩の殿堂、前人未踏の 劔岳(2999メートル)。 明治時代後期、陸軍測量部隊と出来立てほやほやの日本山岳会とが、初登頂をかけて競い合う展開。 調査登山でも、登り口さえも見つけられない閉塞状態。 夏八木勲演じる修験行者の残した謎めいたことば「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ。。。」に登頂ルート発見のヒントがあった。#映画「劔岳 点の記」 の公式サイトはこちら。

090306_00天まで続くような切り立った谷(剣沢~長次郎谷)に展開する大雪渓を登り詰めて行く登頂ルート!!なんと、前人未踏と思われていた、劔岳山頂からは、修験行者の錫杖(しゃくじょう)と剣が見つかったのです。前人未踏と思われていた劔岳は、1000年も前に名も無い修験行者によって登頂されていたのでした。修験行者は、口伝かなんかで、はるか昔から登頂ルートを知っていたのだと思う。 #修験行者はスーパーマンか??(爆)詳しくはこちを。

Cimg5814立山連峰の圧倒的な景観が次々登場する展開には大満足でした。ほんとによく撮影したものです。 歴史好き、山好き、アウトドア派、トレッカーには、たまらない映画でしたね。(笑)  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

大日坊瀧水寺・・・・即身仏の寺

湯殿山総本山 大日坊瀧水寺。 弘法大師空海が開いたとされる真言密教の聖地であった。 山形県鶴岡市朝日大網(旧朝日村大網)地区にある。 明治維新後、神仏分離令(廃仏毀釈)、修験宗廃止令に従わなかったこの寺は、明治政府によって焼かれてしまったという。。。。(涙) #明治政府の意向に従った羽黒山は消失を免れた。。。今でも国宝級の建物が多数残っている。

Cimg5792焼け残った仁王門。 鎌倉時代に建てられたもので、安置されている仁王像は、運慶の作ではないかと言われている。詳しい鑑定結果を待ちたい!!

Cimg5807仁王門、内側から撮影。 平成12年、補修のため屋根を解体したところ、「弘安2年8月仁王像運慶作」と記された棟札が発見されたという。ほんまもんであれば、すごいこと。一気に国宝ですね。(笑)

Cimg5805大日坊の本殿。 宿坊も兼ね備えている。最近まで女人禁制だったため、女性はこの寺を参詣することで湯殿山をお参りしたことになったという。 #一泊二食付き、祈祷付き、お銚子付きで、8500円より。。。

Cimg5803真如海(しんにょかい)上人の即身仏。 写真撮影は厳禁でした。(笑)   鉄竜海上人、忠海上人、鉄門海上人 等、即身仏は「海」の一字がついている。これは、真言密教の開祖「空海」の一字をもらい、「空海」の弟子として即身仏になっていったためだという。。。。  拝観料 500円払い、なんと、お坊さんのお払いと説経?を受けてからの拝観となります。やれやれ!(笑) 

真如海(しんにょかい)上人の即身仏は、6年に一度衣替えを行う。丑年の今年の6月にそれが行われた。 #「衣替大祭」の記録である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月16日 (木)

月山

芭蕉も登った、羽黒山口から登ってきました。 でも、仏生池小屋付近で撤収を余儀なくされました。 濃いガスと小雨、さらに、登るほどに強くなる風、突風、烈風、台風並みの風。。。飛ばされなにように這うようにして登りましたね。やれやれ!(笑)  登山者の多くは登頂をあきらめ、弥陀ヶ原を湿原を散策していました。  # 月山八合目羽黒口(8:30発)→仏生池小屋(9:40)

Cimg5785月山参りの白装束の登山者。 月山は「行の山」「浄めの山」でもある。月山に参詣する白装束の登山者は、年間数万人といわれている。。。。。

Cimg5778月山8合目、弥陀ヶ原の湿原。 ここを散策して終わりにしようかとも思いましたが、まあ、行ける所まで行ってみようと、登山開始。 登るほどに強くなる風と雨で、レインウェアを着てても寒くなってきました。 思わず厚手のフリースを着こんで、厚手のトレッキンググローブをして、這うようにして登りましたね。(笑)

Cimg5781同じく、月山8合目の弥陀ヶ原の湿原。 ガスと小雨で何も見えませんでした。 広大な湿原の向こうには、霊峰鳥海山が望めるはずだったのですが。。。。

Cimg5788一の岳(1679メートル)付近の雪渓。 ロープが張ってあるのでガスってても迷うことはない。 芭蕉が「奥の細道」に記した『。。。雲霧山気の中に、氷雪を踏みて登ること八里。。。。』とはこのあたりのことだと思う。

Cimg5790_2月山八合目、登山者で賑わう弥陀ヶ原小屋。
ここには、参籠所があり山岳信仰の色濃い山小屋である。登山者の多くは、登頂をあきらめ弥陀ヶ原をゆっくりと散策していた。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

東北大学 片平キャンパス Ⅱ

中国の文豪 魯迅(ろじん)は、若き日、医者をこころざし、ここ旧仙台医学専門学校に留学している。 当時、公私ともに親身になって面倒を見たのが、解剖学の教授 藤野先生であった。  『。。。仙台をはなれようとする数日前、先生は私を自分の家に呼んで、私に一枚の写真を下さった。裏には「惜別」の二つの文字が書かれてあった。』 魯迅の短編「藤野先生」より。魯迅は、この写真をずっと家に飾っていたという。。。  太宰治の小説「惜別」は。。。。仙台を舞台に留学生時代の若き魯迅と日本人学生のほのぼのとした交流を描く。。。。このエピソードがモデルになっている。 チェーホフやプーシキンが好きだった太宰、 実は、魯迅も好きだったらしい。。。。(笑)

Cimg5734キャンパス内にある魯迅の胸像と仙台医学専門学校跡地の碑。 魯迅は、明治37年に来日し、仙台に滞在したのは僅か1年半であった。 講義の合間に上映された日露戦争の幻灯で、中国人が銃殺されるシーンを見て、医学を捨て、文学によって中国を解放しようと決心したという。。。。
Cimg5740史料館内、魯迅のコーナー。  藤野先生が朱書きで添削した魯迅の講義ノートのレプリカも展示されていた。このノート、中国では門外不出で国宝級の扱いだとか。。。。

Cimg5748キャンパスの近く、片平丁にある魯迅が下宿していたところ。碑も建っている。現在の建物は昭和初期に建てられたものらしい。。。。隣は、新築レストランの工事中だった。(笑)   まわりは、オシャレなレストランやカフェ、マンションが立ち並び、ここだけ時間が止まっているようであった。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

東北大学 片平キャンパス Ⅰ

ここは、仙台市の中心部に在りながら奇跡的に戦災を免れたため、明治期から昭和初期の建物が多く残されている。 キャンパスといっても工学部系の研究施設だけなので、学生はほとんどいない。   仙台医学専門学校(中国の文豪 魯迅が学んだところとして有名。。。詳しくはⅡで。。)、旧制二高、旧東北帝国大学等があった場所でもある。

Cimg5771旧東北帝国大学付属図書館 (大正14年)。 現在は、東北大学の記念史料館になっていて無料で見学できる。 魯迅関係の史料も多い。

Cimg5766 東北大医学部の前身「仙台医学専門学校」の階段教室。 なんと明治37年 に建てられたうだ。 当時、仙台に留学していた魯迅もこの教室で学んでいる。 案内板も何もなく、旧東北帝大物理学部の建物に囲まれた谷間に、柵で囲まれて、ひっそりとある。非常に分かり辛い場所だ。(笑) もちろん一般公開もされてなくて中に入ることは一切できない。 10年くらい前、江沢民中国国家主席が来日したとき、是非仙台に行って魯迅が学んだ場所を見たい!!!と熱望し、この教室の内部を見学しました。当時は大変でした。仙台市内いたるところで交通規制。大渋滞。警察うようよ。まったく迷惑な話です。東京とか京都見学とかしてればよかったものを。。。。。(笑)

Cimg5767旧東北帝大物理学部の中庭。今は駐車場になっている。半面が緑の絨毯に覆われている。まるでグリーンモンスターだ。(笑) ここは、昭和9年に建てられたとのこと。

Cimg5753東北大 片平キャンパスの直ぐ西側には、清流広瀬川が大きく蛇行しながら流れている。伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿(ずいほうでん)も近い。市民の散策コースでもある。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月20日 (土)

旧奥州街道を歩く Ⅱ

日本の国策に愛想を尽かした人々が「吉里吉里国」として独立する、井上ひさしの長編小説「「吉里吉里人」の舞台は、なんと、宮城県栗原市北部のこのあたりなのである!!  『。。。。。ある六月上旬の早朝、上野発青森行急行「十和田3号」を一ノ関近くの赤壁で緊急停車させた男たちがいた。「あんだ旅券ば持って居が」 。。。』 吉里吉里人より   この「一ノ関近くの赤壁」とは有壁(ありかべ)のことですね。間違いなし!!(笑)

Cimg5707緩い登りが続く。心地よい涼しさだ。森林浴にはもってこいの道だ。(笑)

Cimg5712緩い下りになる。道も少し広くなる。この先で、田んぼなどのある少し開けたところに出る。

Cimg5713壊れた案内板があった。「市乃関」?? なんか字が違ってるような気が。。。。(笑)

Cimg5715開けたところから、道は、また森の中へと続いていた。小さな峠を越えると道は下り坂となる。 このあたりは、もう一関市だろう。 江戸時代には「鬼死骸村」とよばれていたところである。ここも、横溝正史的な村名ですね!!(爆) 今も地名として残っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

旧奥州街道を歩く Ⅰ

宮城県栗原市金成有壁(有壁宿)から岩手県一関市(一関宿)を通る旧奥州街道には、一部ではあるが江戸時代当時の街道がそのままの姿で残されていて歩くことができる。 有壁宿は北東北諸大名の休息等に利用され、今でも当時の武家生活の雰囲気を漂わせている。

Cimg5719旧奥州街道沿いにある有壁本陣跡。御成門や中座敷が残されて、国の重要史跡に指定されている。 明治天皇の東北巡行の際には、ここ有壁本陣で休息したという。。。。。

Cimg5702有壁本陣前の奥州街道をしばらく歩くとと「伊勢堂林道」に出る。このあたりが「肘曲がり坂」と呼ばれる場所で、なかなかいい雰囲気の林道である。

Cimg5700緩い坂の途中にある「肘曲がり坂」案内板。  この辺は、まさに「奥の細道」という感じだが、実は芭蕉はここを通っていない。芭蕉は、奥州街道の東側を通る脇往還の一関街道を通り平泉に向かった。現在の国道342号線とほぼ重なる道である。ちなみに、「脇往還」とは五街道から派生する道、または、それ以外の主要な道のことである。 

Cimg5710_2林道途中から左側に入る道があり、ここからが江戸時代そのまの奥州街道である。整備されているとはいえ、ほとんど歩く人はいないのだろう、下草がびっしりと生えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月12日 (金)

骨寺村荘園遺跡を歩く Ⅱ (岩手県一関市厳美町本寺)

骨寺村荘園遺跡は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも記載されているという。。。。。。周辺の山々には、去年の地震による土砂崩れの跡がまだ生々しく残ってる。国道もこの村の先で通行止めになっている。そのため、残念ながら、村の最奥にある山王窟(さんのうのいわや)には登ることができなかった。。。。ここからの眺望は素晴らしいらしい。。。(笑)

Cimg5652_2駒形根神社前にある説明板。山と川(磐井川)に囲まれた荘園の大きさがわかる。 

Cimg5672駒形根神社。骨寺村絵図では「六所宮」「馬頭観音」と記されていて、栗駒山を祀った神社である。 絵図には「駒形根」として栗駒山も大きく描かれている。この村の生活にとって栗駒山は重要な山だったのでしょう。 #骨寺村荘園絵図はこちら。 

Cimg5653_2「現在も山々に囲まれた地域には、曲がりくねった水路や不整形な水田が広がり、イグネ(屋敷林)に守られた家々が点在し、神社や小さな祠が要所に祀られています」 パンフレットより

Cimg5663荘園の真ん中付近にある若神子社(わかみこしゃ)と呼ばれる小さな社である。 後方には、屋敷林に囲まれた中世以来の景観が展開する。これらは、中世の「田屋敷型散居集落」の景観で、中世における百姓支配の方式であるという。。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«骨寺村荘園遺跡を歩く Ⅰ (岩手県一関市厳美町本寺)