2019年9月12日 (木)

南蔵王縦走・刈田峠~不忘山 (宮城県蔵王町、白石市)

蔵王エコーライン刈田峠~杉ヶ峰(1745m)~屏風岳(1817m)~南屏風岳(1810m)~不忘山(1705m)を往復してきました。 曇り時々晴れのまずまずの天候で、風が強く 涼しいを通り越して寒いくらいでした。この涼しさ、寒さが幸いし快調に登ることができました。いや~ラッキーでした。(笑)

今回もまた、登り始めて4時間を過ぎたあたりで、前回と同じ左の太腿内側が少し痙攣してきて痛くなってきました。このままだったら、またつるなーと思い用意してきたツムラ漢方の 「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」 を一袋飲んだら、なんと10分もしないうちに痙攣も痛みも治ってしましました。いやー、驚きました。その後は、まったく痛みもなく、つることもなく快調でした。 なんでも、「芍薬甘草湯」 はその名のとおり、芍薬と甘草の2つの生薬で作られていて芍薬と甘草は、筋肉の引きつりを緩める作用があるとのこと。 いやー、素晴らしい薬です。中高年の登山者に大人気の理由がわかりました。

刈田峠発 (7: 00)~不忘山着 (10: 00) 不忘山発 (10: 30)~刈田峠着 (13: 30) 休憩含む。約6 時間30 分のトレッキングでした。

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標高1652mに展開する芝草平。もうすでに秋の装いでした。

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屏風岳(1817m)山頂。 芝草平からは、緩いダラダラとした登りが屏風岳まで続く。

この辺りはガスに覆われて展望はまったくダメでした。

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南屏風岳(1810m)山頂。 屏風岳から南屏風岳までは、坦々とした道が続き雲上の散歩が楽しめる。気分爽快です。

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南屏風岳から不忘山 (左側) への稜線。 不忘山側から6~7人のグループが登ってきました。水引入道経由で周回するとのこと。

南屏風岳 (1810メートル) から不忘山 (1705メートル) までは、今までの雲上の散歩道とはうって変わって、両斜面が急斜面となって落ち込んだ崩壊の激しいヤセ尾根コースとなっている。慎重に進みましょう!

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不忘山山頂を望む。山頂はもうすぐだ!あとひと登り!

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不忘山 (1705メートル) 山頂。 山頂は、白石スキー場側から登ってきた登山者でけっこう混んでいました。さすが人気の山です。

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山頂から長老湖方面を望む。 多少雲がかかってはいましたが、蔵王連峰最南端の山からの展望は、まずまずで良かったです。

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2019年9月 5日 (木)

国宝 縄文の女神 (山形県舟形町)

先月、鳥海山に登った帰りに山形県舟形町の西ノ前遺跡によってきました。ここは、縄文時代中期の遺跡で国宝に指定された土偶が発掘された遺跡として有名です。

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国宝「縄文の女神」 高さ45センチ、国内最大の土偶である。

平成24年に国宝に指定されました。『文化審議会では「縄文時代の土偶造形のひとつの到達点を示す優品として代表的な資料であり、学術的価値が極めて高い」と高く評されました。』とのことです。  「縄文の女神」は、フランス、中国、ドイツ、イギリスの縄文展にも出品され  「大胆にデフォルメされたデザインが素晴らしい」 「現代彫刻を思わせる斬新さがある」 「まさにシュールなモダンアートだ!」 等々多くの称賛が寄せられたそうです。 まあ、このことがあって国宝に指定されたのでしょう。 本当に洗練された美しさがあります。5,000年前に造られたなんてとても思えないです。後ろ姿も素晴らしいですよ!(笑)

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山形中央道沿いにある「西ノ前遺跡」  今は遺跡公園として整備されている。

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舟形町の美肌湯「舟形若あゆ温泉」に展示されていた「縄文の女神」
「縄文の女神」の本物は、山形県立博物館に展示されています。

山形県立博物館はこちらをどうぞ。

http://www.yamagata-museum.jp/archives/jomon_no_megami/

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2019年8月22日 (木)

鳥海山 途中撤退 (山形県酒田市)

昨日、酒田市 湯ノ台の滝ノ小屋登山口から鳥海山に登ってきました。山頂(新山)まで登るつもりでしたが、体調不良で途中で撤退してきました。 晴れ間もあり涼しくて最高のトレッキング日和でしたが。残念です。やれやれ。    

登っている途中、何となく右足の太もも内側が痙攣するような違和感がありました。アザミ坂の急斜面を登っているとき、右側の太もも内側が攣って激しく痛みだしました。足を曲げることも出来ず、伸ばしたまま呻いて痛みが引くのを待ちました。少し痛みがとれてきたので立ち上がろうとしたら、また攣って痛みだしました。 もう少しで外輪山の尾根へ出るところでしたが、このままだましだまし登っても下山ができなくなるのではないかと思い撤退することにしました。まったく最悪でした。やはり加齢ですかね?(涙)

滝ノ小屋登山口(7:00発)→滝ノ小屋→河原宿小屋→アザミ坂の途中まで→河原宿小屋→滝ノ小屋→登山口(13:00着) 約6時間のトレッキングでした。休憩含む。 #下山は難儀しました。やれやれ。 

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登山口にある立て看板。

今年は、ガスのため大雪渓上で道に迷い、谷や沢に迷い込んで遭難する登山者が多発したそうです。

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八丁坂より滝ノ小屋を望む。

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滝ノ小屋の上にある白糸ノ滝

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心字雪と呼ばれる大雪渓もかなり縮小したいました。

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山頂方面を望む。

八月上旬頃までは、延々と大雪渓の登りを楽しむことができます。ただしガスが発生してまかれてしまうと全く道が分からなくなりますので注意しましょう。

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アザミ坂の入り口から、今登って来たところを振り返り見る。

巨大な雪渓は、この時期になるとかなり縮小していて4ヶ所に分断されていました。

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なんと、アザミ坂入り口近くの一番上にある雪渓でスキーヤーを発見しました!! 年齢は50歳前後。いやー、驚きました。ここまで2時間40分くらいの登りです。スキーを担いで登ってくるとは恐れ入谷やの鬼子母神です。(笑)

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地元酒田市の人で、9月までスキーを担いで登って来て テレマークスキーの練習をしてるそうです。練習の邪魔をしてすみませんでした。(笑)

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2019年8月 2日 (金)

岩宿遺跡 (群馬県みどり市)

中学生の頃からあこがれていた群馬県の「岩宿遺跡」にやっと行くことができました。感激しました。良かったです。

岩宿遺跡は、日本列島に縄文時代より前の文化が存在することを科学的に証明した歴史学上最も重要な遺跡です。

歴史の教科書には必ず載っている遺跡でもあります。

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「岩宿遺跡」 地元のアマチュア考古学者だった相沢忠洋さんが初めて旧石器を発見したところ。昭和24年、明治大学考古学研究所によって初めて発掘調査が行われ、関東ローム層の中から多数の旧石器が発掘された。

民間の考古学研究者に対して与えられる「藤森栄一賞」の 藤森栄一さんは、著書「旧石器の狩人」でこのように書いてます。

「"赤土にきらめくもの"   終戦直後の昏迷は、学会も同じに、なお続いていた。 そのころ、赤石原人の騒ぎとはまったくかけ離れた群馬の赤城山の麓で、ささやかでわびしい研究が、流砂の上を這う地虫のように続けられていた。   (中略)   新田郡近在の農家をまわったあと彼 (相沢忠洋さん) は、重い足を引きずって桐生へ帰ってきた。空腹だった。   (中略)    間もなく落ちようとする夕日の激しい灼けるような陽射しに、その岩宿へ出る坂で、とうとう一息ということになった。その上り道は、笠懸村の鹿川部落を過ぎて、沢田村からのぼるる稲荷山の切通であった。   (中略)   両側に迫った赤土の崖は、ちょうど、その熱風の通路のようなものであった。彼はその熱気を避けるために崖の上に生えている楢林の木陰へ入ろうとした。その瞬間、夕日を真向かいに受けた赤土の中に、キラッときらめくものがあった。鋭い一べつで、それが黒曜石の剥片であることがすぐに分かった。   (中略)   しめたこれで細石器をつかまえたと、その細石器の位置を見失わないようにしながら、その周りの地層を観察した。もちろん、その細石器に伴っているはずの土器片をさがしてである。しかし、土器片はとうとうみつからなかった。

"赤城山麓にきっとある"   そうしたわけで相沢さんの岩宿通いが始まった。幾度だったか分からない。山麓と桐生市の通路の中間なのだから、毎日といったほうがいいかもしれない。昭和22年には、赤土層出土の石片や石器の資料は八個になった。それなのにいくら歩いて探しまわっても、そこには縄文早期の土器は一辺もなかった。   (中略)   どうしてなんだろう?なぜなんだろう?なぜ土器がないのだろう?相沢さんは、この頃になって、自分は途方もない、えらいことを考えつつあるのかもしれないという気がしだしたと言っている。誰か理解者がほしくなってきた。・・・・・」

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「岩宿ドーム」(遺構保護観察施設) ここでは地層の観察や当時の自然環境、岩宿時代の人々の生活の様子を映像で見ることができる。

「岩宿ドーム」は、道路を挟んで岩宿遺跡の碑の向かい側にある。ここが、相沢さんが毎日通って旧石器を採集した「両側に迫った赤土の崖のあった稲荷山の切通の道」である。 いや~ すごく感激しました。我を忘れて、しばしたたずんでいました。(笑)

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岩宿遺跡のすぐ近くにある「岩宿博物館」 曇っていなければ赤城山が遠望できるのですが・・・残念!

「日本列島に旧石器時代は存在しない!!」 というそれまでの学説をくつがえした岩宿遺跡出土の旧石器は、ここに展示されています。

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岩宿遺跡のB地点 (岩宿ドームのあたり) からはぎ取った関東ローム層。約25,000年前~35,000年前の地層。いわゆる岩宿文化時代の地層である。

 

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2019年7月30日 (火)

世界遺産 富岡製糸場 (群馬県富岡市)

先週、所用で群馬県に行ったついでに、時間がとれたので世界遺産の富岡製糸場と岩宿遺跡を駆け足で巡ってきました。  富岡製糸場は、「世界遺産になったから行ってみるか!」という単純な理由で訪問しました。あまり期待していなかったのですが、非常に良い意味で期待を裏切られました。(笑)  良かったです。
工場関係の建物だけでなく、首長館(ブリュナ館)や寄宿舎、寮なども保存されているので、どのような環境だったのかがイメージしやすくて良かったです。 まるで明治時代にタイムスリップした気分になる。素晴らしい!お奨めです。

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富岡製糸場正面入り口。

富岡製糸場が建設されたのは明治5年(1872年)。平成18年(2006年)に国の重要文化財に指定、平成26年(2014年)には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

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国宝に指定されている「東繭置所」、壁に煉瓦を用いた「フランス式の木骨煉瓦造」が美しい! 

長さが105メートル、高さ15メートル、幅が12メートルもあるとのこと。圧巻です。

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国宝「東繭置所」の二階部分。一階は、シルクギャラリー、展示コーナー、体験・実演コーナー、売店などになっている。

国宝には、三棟の建物が指定されている。なんと、群馬県初の国宝だそうです。 

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国宝に指定されている「操糸所」

繭から生糸を取る作業が行われていた場所で、当時は世界最大級の工場だったとのこと。見ごたえがあります。

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ユネスコの世界遺産登録記念銘

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2019年7月11日 (木)

蔵王連峰 名号峰 (宮城県川崎町)

賽の河原~かもしか温泉~追分経由のコースが通行禁止だったため、刈田岳のレストハウスから蔵王山(熊野岳)~追分~名号峰(みょうごうほう)とプチ縦走をしたきました。下界は厚い雲が広がりどんよりとした天候でしたが、山の上は、薄曇りで晴れ間もあり、涼しくて最高のトレッキングができました。大満足です。 

レストハウス(8:00発)~蔵王山(熊野岳)~追分~名号峰(9:50着)  名号峰(10:30発)~レストハウス(12:30着) 休憩含む。約4時間30分のトレッキングでした。

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蔵王山(熊野岳、1840メートル)付近から見るお釜と南蔵王の山並み。雲海が広がっている。

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蔵王山(熊野岳、1840メートル)山頂

山頂の熊野神社に参拝してから名号峰に向かう。避難小屋から北蔵王縦走コースに入ると、誰もいなくなった。

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北蔵王縦走コースを望む。まるで広大な海原に浮かぶ島々だ。

この辺りもコマクサの群落地になっている。

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高山植物の女王コマクサ。

避難小屋の東側一帯の礫地にはコマクサの群落が展開していました。写真撮影をしているおじさん、おじいさんがたくさんいました。岩手山や秋田駒ケ岳のコマクサ群落と比べると規模や密度は劣りますが、けっこう見ごたえがあります。コマクサは蔵王を象徴する花です。

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北蔵王縦走コースから望む雲上の雁戸山(1485メートル)

誰とも会わないだろうと思っていたら、なんとこのあたりで、山形県側の蔵王ダムから登って来たというおじさんに出会いました。いやー、驚きました。なんかほっとしたというか、嬉しくなりました。少し話をして別れた後、すごいスピードで登っていきました。年齢は、わたくしと同じくらいのようでしたが、すごい健脚です。驚きました。

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「追分」にて。 ご覧のようにかもしか温泉経由コースは、ロープが張られていて通行禁止になっていました。栗駒山のように火山性ガスが発生している訳でもないのになぜでしょう?不思議です。(笑)

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名号峰(1491メートル)山頂にて。後方の山は雁戸山。

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名号峰山頂から蔵王山(熊野岳)方面を望む。

いつもとは逆で名号峰までは下りオンリーでした。帰りは登りオンリーです。やれやれ(笑)

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2019年7月 6日 (土)

義経寺 (青森県外ヶ浜町 旧三厩村)

義経寺(ぎけいじ)は、三厩(みんまや)漁港を見下ろす高台に建っている。 明治元年に、三厩の地に残る義経伝説にちなんで「義経寺」と呼ばれるようになったそうです。

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義経寺、津軽三十三霊場の19番目。  

義経主従は、蝦夷が島(北海道)に渡る際この寺に滞在したという・・・・

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義経寺からの展望。三厩湾が一望できる。

石段を登ってトップまで行くには一汗かきますが、展望がすこぶる良いので苦労が報われます。

この寺にたたずんで津軽海峡を眺めていると、義経主従は本当に北海道に渡ったのではないか!!と思えてくるから不思議です。まあ、さらに大陸に渡ってジンギスカンになったなんてのは荒唐無稽な話なんですが・・・(笑)

太宰の小説「津軽」には、義経寺ことが詳しく書いてあります。

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『「登つて見ようか。」N君は、義経寺ぎけいじの石の鳥居の前で立ちどまつた。松前の何某といふ鳥居の寄進者の名が、その鳥居の柱に刻み込まれてゐた。「うん。」私たちはその石の鳥居をくぐつて、石の段々を登つた。頂上まで、かなりあつた。石段の両側の樹々の梢から雨のしづくが落ちて来る。「これか。」石段を登り切つた小山の頂上には、古ぼけた堂屋が立つてゐる。堂の扉には、笹竜胆ささりんだうの源家の紋が附いてゐる。私はなぜだか、ひどくにがにがしい気持で、「これか。」と、また言つた。「これだ。」N君は間抜けた声で答へた。むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ち風かはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。其像今に此所の寺にありて義経の風祈りの観音といふ。れいの「東遊記」で紹介せられてゐるのは、この寺である。私たちは無言で石段を降りた。「ほら、この石段のところどころに、くぼみがあるだらう? 弁慶の足あとだとか、義経の馬の足あとだとか、何だとかいふ話だ。」N君はさう言つて、力無く笑つた。私は信じたいと思つたが、駄目であつた。鳥居を出たところに岩がある。東遊記にまた曰く、「波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を三馬屋みまやと称するなりとぞ。」私たちはその巨石の前を、ことさらに急いで通り過ぎた。故郷のこのやうな伝説は、奇妙に恥づかしいものである』 (太宰治 「津軽」より)

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「堂の扉には、笹竜胆ささりんだう)ゅ源家の紋が附いてゐる。」とは、これである。

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義経主従は、義経寺前の浜から蝦夷が島(北海道)に渡ったという・・・・・

今は「義経海浜公園」として整備されている。

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2019年7月 5日 (金)

竜飛崎 (青森県外ヶ浜町)

今回の旅の最大の目的地竜飛崎にやっとたどり着きました。天候にも恵まれ、北海道をまじかに見ることができました。良かったです。

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竜飛崎から望む。

竜飛崎付近は標高100メートル前後の高台になっていて大地の東側からは、竜飛漁港やその向こう側に北海道の山やみが大きく一望できる。

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津軽国定公園竜飛崎にある「津軽海峡冬景色」の歌碑。歌碑の前のボタンを押すと

「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけさよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色・・・・・」

と石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が大音響で流れます。(笑)

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国道339号線、通称「階段国道」  この国道を100メートルくらい下っていくと竜飛漁港にでる。

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竜飛漁港、竜飛の集落。 高台に見える建物が「ホテル竜飛」。ここから300メートルくらい行ったところに太宰の文学碑がある。

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竜飛漁港にある太宰の文学碑。

太宰治をして「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて道はない。ここは本州の袋小路だ。」と言わせた漁村である。現在でもその面影は失われいてないようだ。やれやれ。

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『「竜飛だ。」とN君が、変つた調子で言つた。
「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなはち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてゐるのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。』  (太宰治 「津軽」より)

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太宰が一泊した本州最北の宿、旧奥谷旅館。今は竜飛崎の案内所になっている。 

数日を要した太宰の津軽の旅は、毎日が宴会、酒びたりの旅だったようです。(笑)

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「露路をとほつて私たちは旅館(奥谷旅館)に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど小綺麗で、さうして普請も決して薄つぺらでない。まづ、どてらに着換へて、私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて坐り、やつと、どうやら、人心地を取かへした。「ええと、お酒はありますか。」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答へは、案外であつた。「へえ、ございます。」おもながの、上品な婆さんである。さう答へて、平然としてゐる。N君は苦笑して、「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」「どうぞ、ナンボでも。」と言つて微笑んでゐる。

(中略)

六本のお酒が、またたく間に無くなつた。
「もう無くなつた。」私は驚いた。「ばかに早いね。早すぎるよ。」
 「そんなに飲んだかね。」とN君も、いぶかしさうな顔をして、からのお銚子を一本づつ振つて見て、「無い。何せ寒かつたもので、無我夢中で飲んだらしいね。」「どのお銚子にも、こぼれるくらゐ一ぱいお酒がはひつてゐたんだぜ。こんなに早く飲んでしまつて、もう六本なんて言つたら、お婆さんは僕たちを化物ぢやないかと思つて警戒するかも知れない。つまらぬ恐怖心を起させて、もうお酒はかんべんして下さいなどと言はれてもいけないから、ここは、持参の酒をお燗して飲んで、少し間まをもたせて、それから、もう六本ばかりと言つたはうがよい。今夜は、この本州の北端の宿で、一つ飲み明かさうぢやないか。」と、へんな策略を案出したのが失敗の基であつた。」 (太宰治 「津軽」より)

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竜飛崎の先端付近。 先端付近からは、津軽海峡を挟んで、竜飛崎灯台、北海道の山並みが大きくみえる。

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同じく竜飛崎先端付近からの眺め。 南の日本海側に目を向けると、岩礁と岬を交錯させた竜飛裏海岸と小泊岬まで一望できる。

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2019年7月 4日 (木)

亀ヶ岡遺跡・十三湖 (青森県つがる市)

新青森駅からレンタカーで、斜陽館→木造駅→亀ヶ岡遺跡→十三湖→竜飛岬→義経寺→蟹田→新青森駅と津軽半島をほぼ一周してきました。太宰治の小説「津軽」のコースの逆コースです。約200キロ! けっこう強行軍でした。(笑)

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JR木造駅の巨大な遮光器土偶、通称「しゃこちゃん」(笑) いやー、まじかで見るとすごいです。圧倒的な存在感。巨大です。この土偶は、東京国立博物館に所蔵されていて重要文化財になっています。左足がついていたら間違いなく国宝になっていたでしょう。

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亀ヶ岡遺跡の説明板。 

亀ヶ岡遺跡は、およそ12,000年続いた縄文時代の晩期(3,000年~2,300年前)にあたる遺跡です。ここからは、工芸品ともいえる大量の漆器が出土して注目を集めました。この辺りは、当時の日本で最も栄えた文化・亀ヶ岡文化の中心地だったようです。 ちなみに、ここは中学生のころから行ってみたいと思ってたところでした。やっと、行くことができました。良かったです。

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亀ヶ岡遺跡。

当時の北東北は、亀ヶ岡文化に象徴されるように日本で最も栄えたところでした。このあたりが、世紀の偽書と言われる「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)が書かれた遠因になっているのでしょう? 「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)では、アラハバキ民族・アラハバキ神=遮光器土偶「しゃこちゃん」になっていましたね。(笑)

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十三湖湖畔、元祖「しじみラーメン」の和歌山。 後方にみえるのが、太宰が小説「津軽」のなかで「人に捨てられた孤独の水たまりである」と書いた十三湖である。

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「やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて、さうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。」  (太宰治 「津軽」より)

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和歌山の元祖「しじみラーメン」。 大粒のしじみがたっぷり入っていて絶品でした。美味かったです。いわゆるシーフードラーメンよりは、遥かに美味いです。

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2019年7月 3日 (水)

太宰治記念館「斜陽館」(青森県五所川原市金木町)

先週、JR東日本の大人の休日俱楽部パスとレンタカーを使って、津軽半島を周ってきました。天候にも恵まれ最高の旅でした。

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明治40年、津軽の大地主・大富豪の津島源左衛門(太宰の父)が今の金額にして約10億円をかけて建築した入母屋造りの大豪邸である。 旅館「斜陽館」として営業していたものを町が買い取り1億円以上をかけて解体修復し、建築当時のままの姿によみがえらせたという。圧倒的な存在感。素晴らしい!!  まるでミニ岩崎邸である。(笑)

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内部の階段も豪華。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使っているという。

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津島家の仏壇。これも豪華絢爛!! ほとんど金色堂です。(笑)

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泉水を配した庭園。 太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何もない、ただ大きいのである」と書いている。でも今は、国指定の重要文化になっている。太宰も喜んでいるでしょう?(笑)

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