2024年6月24日 (月)

カムイコタン (北海道旭川市) ・北海道博物館 (札幌市厚別区)

北海道旅行3日目は、一泊した層雲峡温泉ホテルマウントビューを8時に出発し、旭川市のカムイコタン経由で札幌市郊外の北海道博物館に向かう。 カムイコタンまでは、大雪国道から紋別自動車道~道央自動車と進み、のんびり走って約1時間10分の距離。 カムイコタンから北海道博物までは、約1時間20分の距離です。

毎回 同じ事を書きますが、北海道は広いです。とにかくロングドライブになりますね。(笑)

カムイコタン (神々の住む場所) は、石狩川最後の渓谷で旭川市の景勝地。古くからアイヌ民族の聖地とされてきました。急激に川幅が狭くなっていて川の流れが激しくなっています。水深も深く、最も深い場所では70メートルにも達するとか。小舟で石狩川を渡っていたアイヌの人たちにとって、ここは、水難事故が多発する恐ろしい場所でした。これは、この渓谷に住むニッネカムイ (悪い神) の仕業だとして、この場合をカムイコタンと呼ぶようになったとか。

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カムイコタン (神居古潭) 全景

カムイコタン、 「ブラタモリ」 でも取り上げられましたね。

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対岸へ渡る橋  正面の赤い屋根が 旧神居古潭駅舎

『ゴールデンカムイ』 で、戦闘シーンの舞台となったのがカムイコタン。仲間を助けるために、土方歳三が吊り橋を刀で切り落としました。でも、今は吊り橋ではないので、刀で切り落とすことはできません!(笑)

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見てください、あの石狩川がこんなに狭くなっています。まるで、大雪山の層雲峡を流れている石狩川のようです。ここを過ぎると石狩川は、川幅を一気に広げて広大な石狩平野を潤しながらゆったりと流れていきます。

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対岸にある旧神居古潭駅舎の説明板

説明板によると、 「明治23年に北海道の内陸開発の拠点として旭川村が設置され、明治31年に空知から旭川まで鉄道が開通。その後、明治34年に神居古潭駅が設置され、昭和44年まで利用された。」 とのことです。

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旧神居古潭駅舎

西洋建築風な趣のある駅舎でした。旭川市の指定文化財になっています。

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昭和44年まで使われた旧神居古潭駅 停車場

今は、トンネルになって地下化されていますが、当時の旧神居古潭駅あたりは、難所中の難所で鉄道事故が絶えなかったそうです。そのため、多くの人が亡くなりました。今ここは、北海道屈指の心霊スポットになっているようです。怖いですね!(笑)

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札幌市厚別区 野幌森林公園内にある北海道博物館

北海道博物館は、北海道の自然・歴史・民族・文化を紹介する博物館です。

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入口付近にて 

「北海道120万年物語」、「アイヌ文化の世界」、「北海道らしさの秘密」など、五つのテーマで分かりやすく展示しています。

入口で、マンモスゾウとナウマンゾウの出迎えを受けて見学開始。北方民族文化の流れや本州との歴史の違い、アイヌの生活と文化、北海道開拓の歴史、北海道の自然などが展示。わたくし的に興味があった縄文土偶や旧石器時代の石器類などの貴重な歴史資料など、多方面にわたっての素晴らしい展示で あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。結局、2時間以上滞在。 素晴らし博物館でした。

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内部はこんな感じです。

特に、アイヌ民族関連の展示コーナーは充実していました。見応えのある内容です。はっきり言って、ウポポイの国立アイヌ民族博物館よりは上ですね!

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国宝の中空土偶 (レプリカ)

函館の縄文遺跡から発掘されたもので、高さが41センチあり、思ったより大きく感じられました。土偶表面には朱が塗られていて、作られた当時は真っ赤な土偶だったそうです。驚きましたね。

白滝遺跡の旧石器類が国宝に指定される前は、北海道で唯一の国宝でした。実物は函館の博物館で保管・展示されてるようです。

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2024年6月19日 (水)

大雪山国立公園 黒岳ロープウェイ (北海道上川町)

大函を見学した後、車ですぐのところにある層雲峡温泉街の黒岳ロープウェイに向かう。

大雪山層雲峡・黒岳ロープウェイは、日本一のロングランスキー場として有名な大雪山黒岳スキー場にあり、層雲峡温泉街から黒岳5合目までを、約7分で結ぶ山岳ロープウェイ。雪が消える7月中旬からは、さらにリストに乗って標高1520メートルの黒岳7合目まで行くことができます。

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黒岳ロープウェイ 層雲峡駅にて

午後の遅い時間帯でしたが、外国人を含む多くの観光客が続々と乗ってきました。

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標高1300メートルの黒岳駅から望む黒岳 (1984メートル)

展望テラスからは、360度の大パノラマ! 息をのむほどのダイナミックな絶景が展開する。

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展望テラスから温泉街方面を望む

眼下には、谷深い層雲峡 峡谷が展開する。圧巻の素晴らしさ。

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黒岳ロープウェイの黒岳駅には、「グレートトラバース 日本3百名山ひと筆書」 で一躍有名になった田中陽希さんのポスターが貼ってありました。

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層雲峡園地にある大町桂月の碑文

層雲峡園地は、泊まったホテルの近くにあったので散策してみました。

碑文には、「人若し余に北海道の山水を問えば、第一に大雪山を挙ぐべし。次に層雲峡を挙ぐべし。大雪山は頂上広くして、お花畑の多き点に於いて、層雲峡は両崖の高く且つ奇なる点に於いて、いづれも天下無双」 と書かれています。

現代風に訳すと、 「誰かが北海道の素晴らしい景観はどこか? と 私に尋ねればこう答えます。最初に大雪山を推薦します。次が層雲峡です。大雪山は頂上部分が広く、お花畑が多いのが特徴です。層雲峡は崖がとても高く、その形はとても変わっています。両方とも他には、まず見ることができないほど素晴らしい天下無双の場所です。」となるそうです。 

大町桂月は、明治生まれの歌人で詩人、随筆家、旅行家、登山家でもありました。「富士山に登って山の高さを語れ、大雪山に登って山の広さを語れ」の名言や「層雲峡」の名付け親として有名です。

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写真左側のピークが「桂月岳」(1938メートル)

大町桂月の偉業を称えて命名されました。

大町桂月は、大正時代に層雲峡を踏破し、大雪山に登り縦走したそうです。しかもなんと、袷着物 (あわせきもの) に草鞋履 (わらじばき) だったとか。整備された登山道もロープウェイもない時代です。まさに、命をかけた冒険。とんでもな偉業だと思いました。

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一泊した層雲峡温泉 マウントビューホテル

せっかく温泉地に行くのに、温泉宿に泊まらない選択肢ないと思い ここに一泊しました。

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夕食はこんな感じです。

リーズナブルな料金でしたが、和食膳の豪華な料理でした。もちろん、ビールはサッポロ黒ラベルの生! 大満足でした。

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2024年6月15日 (土)

大雪山国立公園 層雲峡 (北海道上川町)

「道の駅 しらたき」 で昼食を食べた後、大雪山国公園の層雲峡に向かう。 遠軽町白滝から旭川紋別自動車道を通り、上川ICから大雪国道を進むと約50分で到着。

大雪山国立公園は、北海道の屋根といわれる山岳地帯を含む日本最大の面積を誇る国立公園です。 層雲峡を筆頭に、豊かな大自然が織りなす目が眩むほどの絶景が満載。北海道最高峰の旭岳や凄まじい大地の鼓動を感じる火山群。カムイミンタラ (神々の遊ぶ庭) を彩る豊富な高山植物。ナキウサギの生息地でもある岩稜地帯などなど。これだけダイナミックでミラクルな大自然を体験できるところは他にありません。本当に素晴らしいところです。

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大雪山国立公園 層雲峡  銀河の滝

約120メートルの断崖絶壁から銀の糸を引いて流れ落ちる優雅な滝。

層雲峡は、火山の柱状節理と石狩川の浸食でできた、全長24キロにわたる大峡谷。峡谷を流れ落ちる優雅な滝や、切り立った断崖が生み出すダイナミックな絶景が満載です。

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同じく、大雪山国立公園 層雲峡  銀河の滝

山水画のような美しさです。まさに、壮観で偉観!

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大雪山国立公園 層雲峡  流星の滝

90メートルの断崖絶壁から一気にとどろき落ちる豪快な滝。

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同じく、大雪山国立公園 層雲峡  流星の滝

その豪快さと圧倒的な迫力から男滝とも呼ばれています。

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双望台からの展望

駐車場から急斜面を20分~30分くらい登ったところにある展望台。このような感じで二つの滝を同時に見ることができます。しかし、ほとんどの人は、途中にある簡易展望台で引き返して行きます。上半分は、タフな登りの連続でした。

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なんと、「ヒグマに注意」の看板が!!

もう少しで双望台だったのですが、誰も登っている人がいません。急に怖くなってきたので引き返すことにしました。ヒグマは危険すぎます。

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双望台手前付近から見る、流星の滝・銀河の滝

もう少しで双望台でした。残念です。

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峡谷の上流部にある 大函

人気の景勝スポットで石狩川を挟むようにそびえる屏風のような峡谷を、すぐ近くから見るできる。まさに、大きな函に閉じ込められた感じです。

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同じく大函にて

この少し下流に小函という景勝地があるのですが、遊歩道が通行止めになっていたので行くことはできませんでした。

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2024年6月10日 (月)

国宝 白滝遺跡群の旧石器 (北海道遠軽町)

北海道旅行2日目は、一泊したホテルルートイン札幌白石を8時に出発し 紋別郡遠軽 (えんがる) 町の遠軽町埋蔵文化財センターに向かう。 北海道縦貫道から道央自動車道をひたすら北上し、旭川からは 旭川紋別自動車道を進み、のんびり走って約2時間45分くらいで到着。ロングドライブになりました。北の大地 北海道は広過ぎます。なんと、九州2つがすっぽり収まるほどの面積なのです。

今回の旅行の最大の目的は、遠軽町埋蔵文化財センターに保管・展示してある日本最古の国宝で、北海道二例目となる国宝・白滝遺跡群出土の旧石器類を鑑賞して、20数年来の 「思い」 を叶えることでした。  20数年前、 地元 多賀城市の東北歴史博物館で 「旧石器時代展」 が開催。そこには、白滝遺跡から出土した黒曜石の大型旧石器が展示されていました。もちろん、国宝に指定される遥か前のことです。それを見た わたくしは、その旧石器の迫力、美しさ、素晴らしさに心を奪われしまい、「いつか北海道の遠軽町に行ってみよう!」 と思うようになったのです。

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遠軽町埋蔵文化財センター

遠軽町埋蔵文化財センターは、旭川紋別自動車道の白滝ICを降りて直ぐのところにあります。

「国宝・北海道白滝遺跡の出土品」 、 「黒曜石をめぐる冒険の旅へ・白滝ジオパーク」 の のぼりがずらり!

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国宝指定書

令和5年6月に、白滝遺跡群出土の旧石器類 約2000点が国宝に指定されました。

「国内最大級!旧石器時代の大遺跡群」 遠軽町白滝には、国内最大級の後期旧石器時代 (30,000年~15,000年前) の遺跡が残されています。昔から遺跡の存在は知られていましたが、旭川紋別自動車道建設工事に伴う発掘調査で旧石器時代の遺跡が次々と発見されて、貴重な旧石器が大量に発掘されました。遠軽町では100ヶ所以上の遺跡が発見され、掘っても掘っても次から次と大量の黒曜石の石器やカケラが出てきたそうです。こんなところは、日本中探してもどこにも無いと思いました。

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展示スペースて

興味のある方はもちろん、興味のない方が見学しても感激すること間違いなし。

国宝か国宝でないかといった次元ではなく、とにかく量的にも質的にも、凄いとしか言いようがない貴重な旧石器の数々。まさに壮観でした。

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広い展示スペース

資料館はスペースにゆとりがあり、とても広く、見やすく、じっくり見学することができます。時間を忘れて見入ってしまいました。

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このように非常に見やすい展示スペースもありました。

見れば見るほど素晴らしい! 幻想的でミラクルな美しさ。

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尖頭器 (槍先) を作った時に発生した黒曜石の剥片 (はくへん) をパズルのように組み立てて、可能な限り復元した接合資料。この資料からは、尖頭器の製作工程がよく分かります。

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国内最大級の尖頭器 (槍先) 

長さは、なんと 30センチ! これで、マンモスゾウやナウマンゾウ、オオツノジカなどを狩ったのでしょう! 旧石器人の底知れないパワーを感じます。

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移動する石器

白滝遺跡群で作られた石器は、なんと。ロシアのサハリンや山形県、新潟県の旧石器時代の遺跡でも発見されているそうです。いやー、驚きました。30,000年~15,000年前、様々な地域の人たちと交流があったようです。これには、ちょっとロマンを感じましたね。

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国内の黒曜石産地 分布図

遠軽町白滝一帯は、日本最大級の黒曜石の産地です。その埋蔵量は、2億トン~3億トンとも言われているとか。埋蔵文化財センターにも近い 「赤石山」 を中心に黒曜石の露頭が多数広がっています。実は、この黒曜石の露頭を見に行くつもりでした。しかし、スタッフの方にいろいろ聞いたら、なんと、 「途中で通行止めになっているので車で行くことはできない。歩いては行くことができるが 登山になるし、1時間くらいはかかる。」 とのことでした。残念でしたが、諦めるしかないですね!

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埋蔵文化財センター近くにある国指定史跡 「白滝遺跡群」

今は、白樺に覆われていますが、将来は公園化されるようです。

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埋蔵文化財センター内に貼ってあったポスター

遠軽町は、旭川市と紋別市 (オホーツク海側) の中間に位置しています。

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2024年6月 6日 (木)

ウポポイ (民族共生象徴空間) ・国立アイヌ民族博物館 (北海道白老町)

先週、3泊4日で北海道を旅行してきました。いつものように、風の向くまま 気の向くままの一人旅。会員になっているルートインホテルズと温泉に泊まりながら、レンタカーで道央エリア~道北エリアを巡ってきました。36年ぶりの北海度旅行は、爽快な達成感と満足感のオンパレード。天候にも恵まれ、先住民族であるアイヌの文化を感じ、北の大地で出会うスケール感と素晴らしさ、美しさを堪能してきました。 でも、いつものように、かみさんは 家でネコとお留守番です。 (笑)

1日目、仙台空港→新千歳空港空港、新千歳空港からレンタカーで ウポポイ (民族共生象徴空間) ・国立アイヌ民族博物館 →ホテルルートイン札幌白石に泊。 

2日目、ホテルからレンタカーで、遠軽町埋蔵文化財センター→大雪山国立公園・層雲峡→黒岳ロープウェイ→層雲峡温泉マウントビューホテルに泊。 

3日目、ホテルからレンタカーで、カムイコタン→北海道博物館→ホテルルートイン札幌白石に泊。 

4日目、ホテルからレンタカーで、北海道開拓の村→羊ヶ丘展望台→サッポロビール博物館→新千歳空港→仙台空港。

ウポポイ (民族共生象徴空間) とは、令和2年に、アイヌの歴史を学び アイヌの文化の復興・発展の新拠点として誕生したナショナルセンター。 北海道初の国立博物館となる 「国立アイヌ民族博物館」 やアイヌ文化を五感で感じられる 「国立民族共生公園」 などで構成され、各施設ではアイヌの文化や歴史に触れることができます。

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ウポポイ 入口付近にて

ウポポイPRキャラクターの  「トゥレンポン」  が出迎えてくれる。 ちなみに、ウポポイとは、 「みんなで歌うこと」 を意味します。

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「体験交流センター 」 にて

最新の映像技術を取り入れた伝統芸能を鑑賞。 ユネスコの無形文化財に登録されている 「アイヌの古式舞踊」 や伝統的楽器 ムックリの演奏など、アイヌの伝統芸能が上演されていました。 特に、 『ゴールデンカムイ』 でアシリパちゃんが踊っていた 「サルルンカムイ リムセ (鶴の舞) 」 や魔除けの踊りとされる「エムシ リムセ (刀の舞) 」には、涙が出るくらい感動しました。 「サルルンカムイ リムセ 」 は、ムックリの魅惑的な音色と手拍子でリズムをとり、タンチョウヅルの羽ばたきや動きを真似て鶴のように舞う。幻想的な時間が流れて行きました。 「エムシ リムセ 」 は、女性の力強い歌声とともに、刀を持った男性が勇壮な掛け声とともに大地を踏みしめながら力強く踊る。圧巻の素晴らしさでした。

「サルルンカムイ リムセ (鶴の舞)」  撮影禁止でしたので、こちらをどうぞ。

 

「エムシ リムセ (刀の舞」」

 

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ポロト湖湖畔にて  伝統的コタン群を望む

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伝統的コタン群

アイヌ民族の伝統的家屋 チセ群を再現。テーマパークのように中に入って見学することができます。

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建物内は、こんな感じです。

建物内ではアイヌ民族の暮らしや文化解説などのプログラムを実施していました。

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ブニスワフ・ピウスツキの胸像と碑

国立アイヌ民族博物館の敷地にありました。 

ポーランド人のピウスツキは、ロシア皇帝暗殺未遂事件に関与したとしてサハリンに流刑。その後、アイヌ民族の研究者となり北海道アイヌの調査旅行を実施。ここ白老にも留まり、当時の貴重な資料を後世に残したそうです。その功績を称えてポーランド政府が胸像と碑を建立したとのこと。ちなみに、ピウスツキは、 『ゴールデンカムイ』 に登場するアシリパちゃんのアチァ (父) であるウィルク  (ポーランド人)  のモデルになった人物です。

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国立アイヌ民族博物館

コンセプトは、「アイヌ民族の誇りが尊重される社会を目指し、多くの人にアイヌ文化を伝え、その文化を未来につなげることを目的とした博物館」です。

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内部はこんな感じです。

アイヌ文化やそれに関わる人々を多彩な展示で紹介。 しかし、少し批判的なことを書くと、テーマパークのようにバード が 立派で ソフト 薄い!という感じは否めませんでした。 国立アイヌ民族博物館のある民族共生象徴空間というよりは、小中学校向けの修学旅行先とか校外学習施設という印象の方が強かったです。

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「私たちのくらし」 コーナーにて

北海道各地に伝わる切抜文様を縫いつけた正装の木綿衣とアイヌ刀。儀礼の時に着用されたそうです。

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同じく「私たちのくらし」 コーナーにて

女性用の木綿衣とクマサラと呼ばれるガラス玉の首飾り。

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エゾシカの焚火ローストセット (3200円)

昼食は、「焚火ダイニングカフェ ハルランナ」 で こちらをいただいてきました。アイヌ民族も昔から食べていたというエゾシカを使った創作料理とのこと。非常に柔らかい肉で美味。美味かったです!

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2024年5月13日 (月)

吉野ケ里歴史公園 (佐賀県吉野ケ里町)

九州旅行4日目、最終日は、一泊した諫早市のホテルルートイン諫早インターを8時過ぎにに出発し、最後の目的地 佐賀県吉野ケ里町の 「吉野ケ里歴史公園」 に向かう。 諫早インターから長崎自動車道を通り、ホテルからのんびり走って約1時間40分くらいの距離。

吉野ケ里遺跡は、日本最大級の弥生時代の遺跡・集落で国の特別史跡に指定。弥生時代の環濠集落遺跡を公園として整備し、一般公開しています。物見やぐらや巨大な祭殿、竪穴式住居など、発掘調査後に復元された建物が見学できます。 古代の生活にふれてみよう!(笑)

吉野ケ里歴史公園を見学後、福岡に戻りレンタカーを返却。その後、送迎バスで福岡空港に行き お土産を購入。16時30分発 仙台空港行のアイベックス017便に搭乗し九州に別れを告げた。

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北内郭 (きたないかく)

周囲を環濠と城柵で厳重に囲まれた支配者たちの居住区。敷地内への侵入者を監視するために建てられた物見やぐらが立っていた。争い事や戦争が絶えなかったのでしょう。物々しい雰囲気が漂っていて、当時の緊張感が伝わってくる。実際に物見やぐらに上ってみると、すこぶる見晴らしがいいので驚いてしまいました。

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物見やぐらからの眺望

この場所で、暇そうにしていた おばあちゃんボランティアの説明・解説をじっくりと聞くことができました。 その説明によると、 「吉野ケ里歴史公園は、東京ディズニーランドと同じくらいの広さである。この場合は、王族などの支配者たちの住まいがあったところで、立派な縦穴式住居が多く発掘された。環壕の内部だけで約1,200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体で約6000人くらいの人が暮らしていた。現在は約20キロの距離だが、当時、有明海までは 2~3キロの距離だったので、豊富な海産物がもたらされた。」 とのこと。 なるほど、稲作だけでなく有明海でとれる豊富な海産物が吉野ケ里の人々の生活を支えた訳ですね。納得しました。 

説明が終わった後に、「どちらからいらっしゃったのですか?」 と聞かれたので 「仙台です。宮城県の仙台。」と答えたら、きょとんとした顔をして 「??」 だったので、 「あっ、東北です。東北の宮城県です。」 と言ったら、やっと分ってくれました。九州の人にとって 「仙台とか宮城県」 と言っても分からない人の方が多いですよね?(笑)

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北内郭の巨大な祭殿

ここは、吉野ケ里遺跡の中で最も重要な場所。まつり事や祭祀が行われていた神聖な場所でもあります。巨大な祭殿をはじめ、9棟の重要な建物が復元されいた。

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祭殿内にて

祭殿の内部では、司祭者・巫女が先祖の霊に伺いをたてる様子を再現。まるで卑弥呼のようでした。

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復元・保存された北墳丘墓

吉野ケ里環濠集落の歴代の王が埋葬されていた特別の墓。出土した甕棺 (かめかん) の中からは、国宝級の有柄銅剣やガラス製の菅玉などが発見されています。

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吉野ケ里史跡公園の最も北にある甕棺墓列 (かめかんぼれつ) 

発掘されたままの姿で復元・展示されていました。約500メートルに渡って広がる、約400基の甕棺は圧巻。その規模の大きさに圧倒されました。

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広大な吉野ケ里史跡公園の案内板

東京ディズニーランドと同じ広さの史跡公園を、3時間くらいかけて歩きまわったのでけっこう疲れました。

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史跡公園にある「吉野ケ里遺跡展示室」

吉野ケ里遺跡で出土した、土器や甕棺、銅剣、勾玉、管玉などが展示されています。遺跡を巡る前に、ここを見学した方がよかったかな?と思いました。展示室は、修学旅行の中学生で混雑状態。やれやれ。

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昼食は、「古代貝汁御膳+コーヒー」 (1700円)

吉野ケ里の弥生人が食べていた食事をイメージした限定メニュー。 吉野ケ里歴史公園のレストランでいただいてきました。有明海産のアサリ汁、ムツゴロウの素揚げ、古代米・赤米のおにぎりなど、美味かったです。ムツゴロウは、初めて食べましたが、ハゼより遥かに美味でしたね。

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2024年5月11日 (土)

グラバー園 ・旧グラバー邸 (長崎県長崎市)

大浦天主堂を見学後、徒歩でとなりにあるグラバー園に向かう。  

グラバー園では、長崎港を見下ろす高台に、世界遺産に登録された旧グラバー邸や居留地時代の面影が残る旧リンガー邸、旧オルト邸、旧三菱パドックハウスなど、復元・移築によって保存された洋風建築9棟を公開。テーマパークのような感覚で巡ることができます。

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グラバー園入口

坂の街長崎のさらに高台にあるため、歩くのは大変ですが、所々に動く歩道というかエスカレーターが設置してあるので助かります。

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重要文化財で世界遺産の旧グラバー邸

トーマス・グラバーが1863年に建てた、現存する日本最古の木造洋風住宅。屋根は伝統的な日本瓦で漆喰塗りの壁。アーチ型のベランダなど和洋折衷の造りが印象的で素晴らしい。 ここで、グラバーと息子の倉場冨三郎の二代が暮らしました。

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グラバー邸のサイドには、当時としては珍しいサンルームがありました。

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トーマス・ブレーク・グラバーの像

グラバーは、スコットランド出身のイギリス人で、21歳の時に来日してグラバー商会を設立し、造船や採炭、製茶などの貿易を通して日本の近代化に貢献。また一方で、武器商人としても暗躍し、蒸気船や軍艦、南北戦争で余った大量の武器・弾薬などを輸入して薩摩藩や長州藩に提供していました。この辺のところに坂本龍馬の 「亀山社中」 が絡んでくるのですが、ここには書きませんので興味のある方は、ネットで調べたり本でも読んでください。   薩長同盟の軍事力強化や明治維新の成功は、グラバーなしではあり得なかったと思っています。

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グラバー園のトップにある三菱第2パドックハウス

パドックハウスの二階は展望フロアになっていて、庭園や長崎港が一望のもとに見渡せる。ちなみに、パドックハウスとは、外国船乗組員のための専用宿泊施設です。

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パドックハウスの展望フロアから望む長崎港

正面が三菱の長崎造船所。天候にも恵まれて最高の展望が広がっていました。しばし見とれてしまう。

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西洋料理発祥の地 「自由亭」

1863年、出島でコックとして働いていた草野文吉が、初めてここに西洋料理店・洋食専門店の 「良林亭 」 (後の自由亭)  を開店したとのこと。

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グラバー邸あたりから望む長崎港

豪華クルーズ客船が停泊していました。右側のずっと奥の方が、先ほど行ってきた平和公園のある浦上エリアです。

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2024年5月10日 (金)

大浦天主堂 (長崎県長崎市)

平和公園近くのカフェで遅い昼食をとった後、車で大浦天主堂やグラバー園のある南山手エリアに向かう。平和公園からからのんびり走って約20分くらいの距離。

国宝・世界遺産の大浦天主堂は、江戸時代末期の1864年に、在留外国人のために建てられた現存する日本最古の教会。江戸時代初期の1569年に、長崎で処刑された (殉教) した 「日本二十六聖人」 に捧げられた教会で、正式名称を 「日本二十六聖 殉教者聖堂」 といいます。昭和27年に国宝に指定。平成20年に 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 として世界遺産に登録。この美しい建物は、長崎のシンボルとなっています。

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国宝で世界遺産の教会 大浦天主堂

日本の大工が手掛けた屋根は、純和風の瓦ぶきになっているそうです。さらに正面の文字が 「天主堂」 となっていて、創建当時から隠れた日本人信者の存在を意識して、日本語で掲げられていたとのこと。

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大浦天主堂  究極の美しさ。まさに秀麗!

ゴールデンウイーク前でしたが、修学旅行の生徒や外国人でけっこう混雑していました。

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世界遺産 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 のプレート

「長崎県内に点在する、キリスト教禁教による宣教師不在の中の潜伏キリシタン信仰 (日本独自の宗教的伝統) 遺跡群が世界遺産としての価値がある。」 と認められそうです。

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大浦天主堂の内部  内部は撮影禁止でしたので こちらをどうぞ。

まさに、息を吞む美しさ。正面の 「十字架のキリスト像」 のステンドグラスや掲げられている宗教画の数々、さらに 聖母マリア像やフランシスコ・ザビエル像、最後の晩餐のレリーフなどなど、時間を忘れて見入ってしまう。本当に来て良かったと思いました。

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キリシタン博物館になっている 「旧長崎大司教館」 (重要文化財)

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同じく、キリシタン博物館になっている 「旧羅典 (ラテン) 紳学校」 (重要文化財)

大浦天主堂内にある、約200年以上になる日本のキリシタン史を伝える博物館。

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キリシタン博物館にて  プティジャン神父のコーナー

二十六聖人の殉教 (処刑) の地を探しながら大浦天主堂を完成させた、フランス人のプティジャン神父。大浦天主堂の地下に眠っています。

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同じくキリシタン博物館にて      長崎の元和の大殉教の絵 (1870年)

1622年、長崎で処刑されて55名の殉教の場面を描いたもので、元々は大浦天主堂に掲げられていたそうです。

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教会と港を見下ろす祈念坂  

長崎港をバックに大浦天主堂の尖塔が見えます。 大浦天主堂の脇にあり長崎港が望めるエキゾチックな急勾配の坂道。明治時代にタイムスリップしたような感覚になります。下から登って行ったので、かなり疲れましたね。

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祈りの三角ゾーン

祈念坂に沿って大浦天主堂 (キリスト教) 、大浦諏訪神社 (神道) 、大浦妙行寺 (仏教) があるため祈りの三角ゾーンと呼ばれています。

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2024年5月 8日 (水)

長崎平和公園・原爆資料館 (長崎県長崎市)

九州旅行3日目は、一泊した柳川市のホテルルートイン柳川駅前を8時に出発し、憧れの地、長崎市に向かう。 有明沿岸道路から長崎自動車道を通り、ホテルからのんびり走って約2時間くらいの距離。

今回の旅行の最大の目的は、長崎市浦上エリアに点在する平和公園や浦上天主堂、原爆資料館、南山手エリアの大浦天主堂やグラバー園 (国宝・世界遺産) などをじっくり見学することでした。特に、長崎市の浦上エリアは、原子爆弾投下の中心部分になっていて、平和を学び、祈りを捧げるスポットが点在しています。戦争と原爆投下の真実にふれ、抑止力強化も含めて、戦争をしない、させないためにはどうしたらいいのかを真剣に考えながら、原爆犠牲者の冥福を祈ってきました。

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平和公園にある平和祈念像

高さ9.7メートル、重さ30トンの この像は、長崎市のシンボルになっています。

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平和の泉  正面に小さく見えるのが平和祈念像

この泉は、水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈って造られたものです。碑文には、 「のどが乾いてたまりませんでした。水には、あぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が飲みたくて、とうとうあぶらの浮いたままのみました。」 と、ある少女の手記が刻まれています。手を合わさずにはいられませんでした。

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平和公園内の 「原爆落下中心地碑」

観光客の多くも手を合わせて祈りを捧げていました。

原子爆弾は、1945年8月9日 11時2分、この地の上空500メートルで炸裂したのです。右手にある柱のようなものは、原爆で倒壊した浦上天主堂のわずかに残った聖堂の一部。原爆投下の遺構として、ここに移築・展示したもの。

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浦上エリアの案内標識

平和公園の地下駐車場に車を停めて、平和祈念像→浦上天主堂→原爆資料館→原爆落下中心地碑→平和の泉と、約4時間かけて巡る。かなり暑かったので汗びっしょりになりましたね。

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再建された浦上天主堂

大正14年に完成した浦上天主堂は、東洋一の大きさを誇る教会だったが、爆心地から僅か500メートルの距離にあったため、原爆で全壊。昭和34年に、当時のままの姿に再建されました。赤レンガの外観や内部の豪華で美しいステンドグラスは素晴らしいです。教会内には、奇跡のマリア像として有名な被爆した聖母マリアの像が安置されていました。カトリック信者ではないですが、思わず手を合わせてしましましたね。内部の撮影は一切禁止!ちょっと残念でした。

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浦上天主堂旧鐘楼   国指定の史跡で原爆遺跡

浦上天主堂に続く坂の下の小川にありました。元々は、天主堂北側の塔にあったものが、原爆の爆風で吹き飛ばされて、ここまで滑落したそうです。鐘楼の大きさは、5.5メートル、重さは、約50トンと言われているとのこと。原爆の凄まじさが分かります。

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長崎原爆資料館の被爆した浦上天主堂の再現ジオラマ

長崎原爆資料館の 「原爆による被害の実相」 コーナーに再現。被爆の状況を映した資料映像も流されているので、つい見入ってしまいます。

長崎原爆資料館には、約2時間くらい滞在しました。館内は、修学旅行の中学生や外国人、研修旅行?の団体さんなどで混雑状態。人気の高さが伺えます。写真でも分るように、新入社員研修の一環なのか?企業の研修・社員旅行なのか?スーツ姿の若者の団体さんも多く来ていて、真剣にボランティアの方の説明を聞いていました。もしかしたら、長崎県内の企業や公務員の方かもしれません?

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溶けたロザリオ

原爆のすさまじい熱線と炎のため溶けて固まったロザリオ。

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溶けて固まったサイダー瓶や溶けたガラス瓶、融けたビール瓶の数々。他にも、頭蓋骨が付着した鉄兜や手の骨と溶けたガラスが融合したものなどなどインパクトが強すぎます。恐ろしくなってきました。

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熱線の被害  原爆ケロイド  

広島の原爆資料館にも同じようなコーナーがありましたが、本当に、このコーナーは観るのが辛かった。泣きそうな顔をして観ている、修学旅行の生徒さんもいました。ここは非常に重い場所。言葉を失った。

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長崎型原子爆弾 (ファットマン)  実物大模型

このコーナーでは、長崎に原爆が投下されるまでの経緯を解説。映画 『オッペンハイマー』 を観ていたので、よく理解できました。  「なんであんな 『オッペンハイマー』 みたいな映画にアカデミー賞を与えてしまったのだろう?」 と改めて思いました。

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2024年5月 6日 (月)

熊本城 (熊本県熊本市)

散策後、阿蘇国立公園の草千里ヶ浜を14時ころに出発し熊本城に向かう。 阿蘇パノラマラインから県道~国道を通り、のんびり走って約1時間30分くらいの距離。 九州は、19時30分頃になってもまだ明るいので、自然と行動時間が長くなります。仙台は、18時30分くらいになると真っ暗。やれやれ (笑)

1607年、熊本市の高台に加藤清正が築いた熊本城は、日本三大名城の一つに数えられいます。平成28年の熊本地震では、重要文化財の建物や石垣の約三割が被害を受けました。天守閣などの復旧は、2021年に完了しましたが、熊本城全体の復旧には、まだまだ時間がかかるようです。

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蘇る熊本城

平成28年の熊本地震で受けた大きな被害から、一歩ずつ復旧の道を進んできた熊本城。ついに天守閣の復旧が完了し、内部の一般公開も始まりました。

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同じく、蘇る熊本城

加藤清正が築城し日本三名城の一つにも数えられる熊本城は、圧倒的な存在感と圧巻の美しさを誇り、優雅さも兼ね備えた名城です。

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1階 展示室にて  縮尺1/10の天守閣軸組模型

内部はこんな感じです。外国人も多かった。

1階から4階までは展示フロアで5階が通路、6階が展望フロアになっています。最上階からの眺めは、まさに壮観で麗観!必見です。Img_70047

3階展 示室にて  西南戦争で焼失する前の天守閣

ここでは、明治時代以降の熊本城の歴史を解説。西南戦争による天守閣焼失から、昭和35年の天守閣再建までを写真や映像を用いて詳しく解説していました。かなり見応えがありましたね。 

ちなみに、1階は、加藤家の統治時代の展示。 「隈本城」 の歴史や清正による築城の様子などを模型や映像で紹介。2階は、加藤家に代わって熊本藩を統治した細川家の時代を紹介。ジオラマ模型や映像で解説していました。4階は、平成28年の熊本地震による被害と復旧工事について、映像や模型を用いて解説していました。 あまり期待はしていなかったのですが、来て良かったと思いました。

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数寄屋丸二階御広間

石垣の一部が崩落し建物が歪んでいました。これから復旧工事に着手するようです。

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南側から見る熊本城

右の建物は本丸御殿の一部。この辺りの石垣もかなり崩落したようですが、今は復旧が完了しているようです。

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