2012年1月30日 (月)

表磐梯温泉郷 (猪苗代リゾートホテル)

このあたりの温泉は「表磐梯温泉郷」と言うそうです。 アフターは、スキー場に隣接している猪苗代リゾートホテルの温泉に入ってきました。 料金1200円とかなり高かったですが、すべてにおいて満足でした。 温泉がスキー場の近くにあって、歩いて行けるのは最高です。疲れた体を引きずって車で移動するのは骨が折れます。(笑)

 
Cimg1519猪苗代リゾートホテル。 白を基調とした洗練された建物だ。これがリゾートホテルの雰囲気か?(笑)  それにしてもすごい雪でした。これでも例年よりかなり少ないとか。。。。びっくりです。----------------------------------------------

Cimg1523ホテルの露天風呂。 寒い!雪が積もってました。  温泉は、全体的にゆったりしていて、湯船も広く、サウナやさまざまな備品も完備されていて、至れり尽くせりでした。まあ、高いだけのことはありましたね。 さらに、肝心の温泉も良かったです。 ホテルの温泉というと、ほとんどが源泉掛け流しではありません。加水、塩素系の消毒剤入りが当たり前で、カルキ臭が漂っています。しかし、ここは「源泉掛け流し」でした。カルキ臭なんてのはまったくしません。素晴らしい!(笑)  露天風呂も良かったです。雪見風呂は最高ですねー。。。。 


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2012年1月26日 (木)

猪苗代リゾートスキー場 (福島県猪苗代町)

朝方は、猛烈に雪が降り続き、磐越道は50キロ規制でした。。。。しかし、天気予報は、ものの見事にはずれ、なんと、11時頃には晴れ間が広がってきたのです。いや~、ラッキーでしたね。(笑) 天候、雪~曇り~時々晴れ。気温かなり低め。積雪、雪質、まずまず。 5時間券を買って9時過ぎから14時まで滑ってきました。 いや~、驚きました、チケットがかなり安かったです。なんと5時間券が2000円! 1日券が3000円でした。びっくり!(笑)

Cimg1514レイクビュー コーストップ付近。猪苗代湖が美しい。 ここは、一番人気のコースである。 まるで、猪苗代湖にダイブするように滑る感覚だ。素晴らしい。爽快だ! パノラマコース~ファミリーゲレンデと連続して続いている全長2000メートルのロングバーンである。

Cimg1501レイクビューコース(ファミリーゲレンデ)終盤のベース付近。 なんと晴れ間が広がってきて磐梯山が姿を現した!圧倒的な存在感で迫ってくる。 このスキー場の魅力は、なんと言ってもロケーションの素晴らしさでしょう。磐梯山の中腹に位置し、全長1750メートルの高速ゴンドラ゛「スカイシャトル」で一気に上がり、正面の猪苗代湖に向かってダイブするように滑る気分は爽快である。 

Cimg1503ゴンドラから撮影。 猪苗代湖がキラキラと光っていた。ここは、どこからでも猪苗代湖が望める。 ゴンドラ乗り場奥には「猪苗代リゾートホテル」が見える。昔は、東急猪苗代リゾートホテルなんて呼んでましたね。  このスキー場は、磐越道の猪苗代磐梯高原ICからわずか15分とアクセスがよく、関東方面からのお客さんもかなり多いです。駐車場をさらっと見ても半分以上が関東ナンバーの車でした。宮城、仙台ナンバーの車はありませんでしたね。やれやれ。(笑)

Cimg1510ファンタジーコース中間付近。  ここのゲレンデは、磐梯山に抱かれるように配置されている。ゴンドラ一本で、ほぼすべてのコースをカバーしていて、効率良く滑ることができる。中斜面の続くロングバーンが多く、快適なライディングが楽しめます。                                                                                                                                             
Cimg1475ニュー・ボード。 ゴーグルをセットして滑り出す。雪がふわふわだ。充分なスピードがでるまでまっすぐにボードを滑らせる。パウダースノーの感触に意識を集中しながら、ボードで優しく雪面をつかまえターンに入っていく。雪の結晶が舞い上がる。集中力が高まり、本能的なものがむき出しになって行く。。。。。う~む、やっぱり高いものはいいですねー(笑)   ゴンドラで一緒になった地元郡山市の69才になるおじいさん? なんと、スキーは60才から始めたそうです。 ほとんど休まず連続で滑っている。すごいなー。。。 安いし、家にいても奥さんに邪魔にされるので、週に3回は来ているという。 この方の話によると、今年は、寒い日が多い割には雪がかなり少ないとのこと。例年だと2メートル近い積雪だが、今年は1メートルくらいだとか。そのため、午後になるとパウダーが削り取られて、硬いザラザラの雪がでてくる状態だとか。なるほど!


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2012年1月20日 (金)

ニュー スノーボード

ムラサキスポーツで買ってきました。 板がライド、バインディングとブーツがバートンです。20%~30%OFFだったのですが、それでも少々高かったです。(笑) 板もバートンにしたかったのですが、フリーラン重視のキャンパーボード(スキー板のように真ん中が浮いていて、ノーズとテール部が接地している)は全て売り切れでした。やれやれ。欲しかったら秋に定価で買え!ってことですかね。(笑)  今はロッカーボードが全盛。ロッカーボードは、いっぱいありました。フレクションが柔らかくて、短かく、接地面が多い反ってるボードです。緩斜面でくるくる回ったりするグランドトリックやボックス、レールなどのジブ系、パーク系のスノーボーダーに最適です。初心者にも扱いやすく、すぐ滑れるようになります。

Cimg1467Rideのニュー スノーボード。 滑り重視でフリーラン、カービングに適したのは、キャンバーボード(スキー板のように真ん中が浮いていて、ノーズとテール部が接地している)ですね。パワフルなターンや安定性、正確性など、キャンバーボードはスノーボードの本来の機能を持ってる。 板 は長めで、フレクションはかなり硬め、スピードが上がっても、カービングでも板は安定するし、しっかり踏むことができ、ダイレクトに板に力を伝えることができます。

バートン 公式サイト
ライド 公式サイト


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2012年1月13日 (金)

早稲田桟敷の湯 (宮城県大崎市鳴子温泉)

昭和23年の夏、早稲田大学理工学部の学生7人がボーリング実習で掘り当てた温泉であります。 戦後まもない時期でもあり、機材も食糧も不足していて、かなり作業は難航したそうです。炎天下で、汗だく、全身まっくろになりながらの必死の作業は続きました。そんな学生さんを支えたのが鳴子の人々でした。白米の弁当や飲み物を差し入れ続けたのです。しかし、夏休みが終わってもなかなか温泉は出ませんでした。ほとんどあきらめかけていた9月に、なんと温泉が噴出したのでした。。。。早稲田大学の7人の学生と鳴子の人々との交流は「小さな青春物語」として語り伝えられています。    #映画にでもすればヒットするかも?(笑)

Cimg1458受付にあるプレート。早稲田大学の学生7人の名前がありました。なんか「7人の侍」みたいですね。(笑)    お湯は最高です。少々熱めで、無色透明、微かに硫黄臭が漂い、湯船に湯ノ花が舞う、素晴らしい温泉です。肌の弱い人もOKです。 料金530円、石鹸あり、シャンプーなし。

Cimg1456メイン通り側の入り口。 ここは、鳴子温泉のど真ん中にある共同浴場です。温泉神社近くにある共同浴場「滝の湯」とともに、鳴子温泉で最も有名な温泉ですね。場所は、JR陸羽東線鳴子駅のすぐ近くにあって、歩いても2~3分の距離です。

Cimg1459いや~、アートですねー。アバンギャルドですねー。(笑)   平成10年のリニューアルでモダンで、アートな建物に生まれ変わりました。昔の木造の共同浴場のイメージは、まったくなくなりましたね。 ここは美術館か?と思えるほどのイエローで個性的外観。遠くからも目を引いて、どっから見ても共同浴場というイメージじゃないですね!(笑) 館内は、温泉を利用した床暖房になっていてぽかぽかでした。なんと、この斬新な建物を設計したのは、早稲田大学理工学部建築学科の先生なのです! すごいですね。(笑)

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2012年1月11日 (水)

オニコウベスキー場 (宮城県大崎市鳴子温泉)

積雪、雪質とも最高で、最高のライディングができました。大満足です。特に山頂コースは絶品で、全身の毛が逆立つほどの興奮を感じましたね。(笑)  天候、時折晴れ間が出ましたが、終日曇りで雪が降り続く展開。かなり寒かったです。リフトに乗っているとしんしんと冷えてきました。 食事券1000円付のお買得1日券(3700円)を購入し、9:00過ぎから14:00頃まで滑ってきました。

Cimg1446山頂コース(フォレストロード)、全長1000メートル、最大斜度20度。サラサラのパウダースノーを圧雪してあるフラットバーンのため、連続5本くらい滑っても、全く足腰に負担がかからない快適なバーンである。オニコウベでは一番人気のコースでもある。

Cimg1441山頂コーストップ付近。 とにかく、とんでもないくらい寒かった。風がほとんど無かったのでたすかりましたが、リフト乗り場の温度計は、マイナス13度くらいをさしてましたね。 滑り初めのころは、もさもさと雪が降っていましたが、次第に晴れ間が広がってきました。でも長続きはしませんでしたが。。。。(笑)

Cimg14451山頂レストラン「コルブラン」。 平日は閉店してることが多いのですが、今日は営業してました。 でも、スキーヤー、スノーボーダーを合わせても15、6人という感じですから利用する人はほとんどいないでしょうねー。。。。やれやれ。 

Cimg1450スワンズのゴーグル。 曇り防止のダブルレンズ+高機能偏光レンズ+耐衝撃、耐寒、耐熱+ポリカーボネート成型球面レンズ(ゆがみが少ない)などなど、少々高かったですが良かったです。スピードが上がってもコントラストが高く、はっきりとした視界が得られました。雪面のギャップや凹凸もはっきり分かりましたね。

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2011年12月29日 (木)

「芸術家、科学者、そして宗教家 」

これもアルバム「戦争と平和」に収録されているザ・フォーク・クルセダーズの曲ですが、なんか、賢治自身や賢治の「農民芸術概論綱要」にインスパイアされて作られた曲のような感じがします。多分そうでしょう!(笑) 作詞は北山修です。 芸術家、科学者、宗教家が知恵を出し合えば、政治も環境問題もなんとかなるか?みたいな曲なんですが。。。。
賢治は、「農民芸術概論綱要」で芸術、科学、宗教についてこう論じています。「・・・・曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた  そこには芸術も宗教もあった  いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである  宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い  芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した  いま宗教家 芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである。。。。。 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない  自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する  この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか・・・・・・・」   アバンギャルドでハイセンスな天才賢治は、一人で三人分の知恵をだして、三人分の働きをしていたのです。体がぼろぼろになるは当然ですね。(涙)

「芸術家、科学者、そして宗教家 」 ザ・フォーク・クルセダーズ

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2011年12月26日 (月)

「11月3日(雨ニモマケズ)」

最近、ザ・フォーク・クルセダーズの「戦争と平和」をアマゾンで買って聴いています。これ、思ってた以上にいいね!(笑) このアルバムには、賢治の「雨ニモマケズ」に曲を付けたものが収録されいてます。 この曲は、東日本大震災後、ラジオからもかなり流れていました。心にしみるいい曲です。 賢治の詩を大いに引き立ててくれる、いいメロディーです。さすが、賢治ファンの加藤和彦ですね。脱帽しました。 #猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」金子みすゞの詩 「こだまでせうか」には 負けましたが。。。。(笑)

0b84badeb42d1a242e03b8e8b1ad6823アルバム「戦争と平和」。  2011年3月11日、東日本は巨大地震と津波に襲われ甚大な被害を受けました。 やがて、人々の心に宮沢賢治の言葉が浮かびました。彼の代表作「雨ニモマケズ」です。 「絆3.11」という被災者支援プロジェクト、俳優の渡辺謙さんが被災者への思いを込めて朗読していました。インターネットでも紹介され、ハリウッドスターも賛同し、その輪は世界に広がって行きました。。。。みなさんご存知のように、「雨ニモマケズ」の詩は賢治の死後に発見されたもので、題もついていなかったのです。賢治が愛用していた手帳に鉛筆でメモのように書き留められていました。詩の節奏を備えていたことから「詩作品」と見られてしまったのです。発表したり、他人に読ませたりすることを意図しない賢治のつぶやきと言ってもいいでしょう。発見と同時に「賢治の代表作」にされてしまった運命の詩でもあります。  この詩の書き出しの部分には、11.3という書き込みがあります。11月3日に書いたという意味でしょう。11.3と3.11、なんかリンクしますね!(笑)

「11月3日(雨ニモマケズ) 」 ザ・フォーク・クルセダーズ


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2011年12月19日 (月)

箕輪スキー場 (福島県猪苗代町)

全長1600メートル、箕輪のメインバーン、メイプルストリートがオープンしたということで 早速行ってきました。前半の広いフラットバーンは、まずまず快適なライディングができました。しかし、後半の急斜面は、アイスバーンの上に新雪がコーティングされた状態で、スキーヤー、スノーボーダーにあっという間に削り取られザラザラ、バリバリのバーンがむき出しになってきました!!やれやれ。 快適とは程遠く、かなり滑りずらかったですね。足首、腰は痛くなるしで大変でした。(笑) 4時間券を買って、9:00~12:30まで滑ってきました。 

Cimg1398メイプルストリート後半部分。かなり狭いですね。この先に急斜面が待っています。    箕輪スキー場は、ヨーロッパスタイルの正統派スキーリゾートとして1990年頃オープンした比較的新しいスキー場です。1987年に公開された「私をスキーに連れてって」(通称 私スキ)によるスキーブームもあって、オープンしたころは、平日でも大混雑してましたね。猪苗代エリアでは、最後まで「スノーボード全面滑走禁止~一部滑走可」の看板を掲げていてスキーヤーにとっては天国でした。しかし、「スノーボード革命」の大波には勝てず、あっという間にスノーボード全面滑走可になり、今では「ボードパーク」まで作られています。

Cimg1399メイプルストリート トップ付近。 ガスがかかってました。かなり寒かったです。もう少し天然雪が降り積もっていれば最高のコンディションでしたが。。。。

Cimg1401斜度25度、メイプルストリート最後の急斜面。混雑時には危険さえ感じる。   箕輪は、スキースクールが盛んですね。この日も3グループほどの団体さんがスキーを練習していました。いずれも60才代のおじさん、おばさんたちでした。けっこう真剣に練習してましたね。最近は、定年退職してからスキーを始める人がかなり多くなってきてます。いやー、うれしいですね。いいことです。 「暇がなく、バブルのころのスキーブームには乗り遅れたから、遅ればせながらやってみようか!」という感じですかね。(笑)


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2011年12月13日 (火)

夏油高原スキー場 (岩手県北上市)

天元台、箕輪、蔵王、湯殿山、安比、秋田八幡平等々、東北のスキー場はどこも雪不足で泣かされています。やれやれ。ネットで調べたり、直接電話して確認した結果、積雪も多く、断トツで条件が良かったのがここでした。てな訳で夏油に行ってきました。 天候、まずまず。雪質、まずまず。積雪はいまいち。でも、まあ、爽快なライディングができましたね。 5時間券(初滑り料金でなんと2600円でした)を買って9:00~13:30頃まで滑ってきました。 

Cimg1372ベース付近。朝一の情景。朝方は晴れていましたが、次第に雲が厚くなり雪が降ってきました。  全面滑走に、はほど遠い状態。滑れるコースは、向かって左側の三分の一くらいでした。積雪は、思ったよりありましたが、十分とは言えず、まだまだたりない状態でした。最初はまずまずでしたが、1時間もするとコース面の雪が削り取られてきて、ブッシュや地肌が見えてきました。小石もいたるところに散らばっていて、ボードの滑走面は傷だらけになってしましましたね。やれやれ。(笑)

Cimg1384_2標高1070メートルのトップ、滑り出し付近。  シーズン初めの一本目は、さすがに緊張する。ゴーグルをセットし、大きく三回深呼吸して滑り出す。雪質はすこぶる良い。体の反応も思ってた以上に良い。ターンを重ねるほどにスピードが上がっていく。集中力が高まり、雑念が消えた。自然との一体感。透明な爽快だー。。。!(笑) 2100メートルのロングバーン、一本目からノンストップで一気に下まで滑り降りてしましました。太ももがパンパンです。やれやれ。(爆)

Cimg1382ゴンドラ・ボイジャー。 一気に山頂まで運んでくれます。ゴンドラは、超寒いときや吹雪のときなんかは最高です。山頂は、ここからは見えませんね。写真の上方、さらに奥にあります。 リフトも一本動いていますが、下の方の初心者コースのみカバーしています。 

Cimg1374快適なゴンドラ内にて。 朝方は空いていましたが、昼頃になると混雑してきました。ゴンドラ待ちの列もできていました。びっくりです。(笑)   地元岩手県だけでく、 秋田、宮城、仙台ナンバーの車も多くありましたね。

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2011年12月 2日 (金)

「マサニエロ」

#宮沢賢治の詩集「春と修羅 第一集」に収められている有名な詩「永訣の朝」の二つ前に収められている難解な詩であります。 #「マサニエロ 」はこちらをどうぞ。。。。。。。。 賢治は、花巻農学校の教員時代の大正12年の夏、樺太(サハリン)を旅しています。目的は、豊原(ユジノサハリンスク)にあった王子製紙の工場に行き、花巻農学校の生徒のために就職を依頼することでした。 ただし、これは本来の目的ではなく、真の目的はもっと深く別にあったらしいのです。 よく知られているのが、前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を求める旅、トシと交信するための旅であった ということです。この時の文学的成果が、「青森挽歌」、「宗谷挽歌」、「オホーツク挽歌」 の詩であることは良く知られています。実際、賢治は、樺太鉄道に乗り、「白鳥湖」という白鳥が多く集まるという湖の駅で降り、野宿をしてトシと交信しているのであります。白い渡り鳥は神の使いであり、魂は鳥の形をしているのです。 (アイヌ民族の重要な神祀りの道具イナウは鳥の形をしている) 白は、まさに死の国の色。白い渡り鳥は、死者の国から来た鳥として昔から尊敬されていました。。。。 他にも様々な目的があったようです。鉄道ファンでもあった賢治は、樺太鉄道に乗り、童話「銀河鉄道の夜」の構想を練り直しています。 また、各地で農業用の資料を集めたり、樺太南部の鈴谷岳周辺では標本を作るために植物採集を行っているのです。 植物学、地質学、鉱物学、気象学で書いたという「樺太鉄道」、「鈴谷平原」という詩もありますね。

Cimg1371_2北海道稚内市 宗谷岬にある「日本最北の地」。 大昔、学生時代、夏休みを利用して1ヶ月間 北海道を放浪したときの写真です。レトロですねー。。。(爆)  ここからは、樺太がはっきりと見えました。あまりの近さにびっくりしたものです。 賢治もこの地に立ち寄ったかもしれない。。。。。

Cimg1366北海道稚内市稚内公園にある 樺太島民慰霊碑「氷雪の門」。 稚内公園は高台にあるため樺太がよく見えます。  「碑文  人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここへ帰った戦後はその門もかたく鎖された それから18年、望郷の念止みがたく樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に。。。。」  賢治は、ここ稚内から連絡船で樺太の大泊(コルサコフ)に向かいました。 これも大昔の写真です。レトロですねー。。。(笑)

Chehovcopyロシアの文豪 アントン・チェーホフ。#賢治は、チェーホフを強く意識していたのであります。。。。。さて、やっと、「マサニエロ」であります。(笑) この詩の後半部分にこんな一節があります。 

もひとりこどもがゆっくり行く
蘆(あし)の穂は赤い赤い
 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ
 (ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる

この詩が樺太の旅の中で作られたかどうかは不明です。しかし、ロシア、チェーホフ、赤、などのフレーズから樺太で作られた可能性は高いと思います。チェーホフは、賢治が樺太(サハリン)を訪れる約30年ほど前に樺太を旅して、有名なルポルタージュ「サハリン島」を書きました。 (#この「サハリン島」は、村上春樹氏が小説「1Q84」で引用したことから、日本でも再び人気に火がついたらしいですね。)  賢治は、チェーホフの作品をかなり読んでいたそうです。かなり影響も受けていたのでしょう。チェーホフと同じように樺太を旅したいと思っていたのでしょう。   ロシア革命は、賢治が21歳、盛岡高等農林学校3年生の時に起こりました。多感な時期ですね。かなりの衝撃を受けたことでしょう。 賢治は、「革命が起きたら、私はブルジョアの味方です」、「私は革命という手段は好きではない」(賢治は暴力革命が好きではなかった)と語っていましたが、反面かなり強く意識していたのでしょう。 なんと、「マサニエロ」とは、17世紀のナポリの反乱を指導した革命家だそうです!! う~む、ロシア、チェーホフ、赤、革命家。。。実は、賢治はロシアがかなり好きだったのかもしれませんね。(笑)


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2011年11月23日 (水)

最上屋旅館 (宮城県白石市鎌先温泉)

白石市は、「戦国BASARA」の影響で、伊達政宗の腹心 片倉小十郎の城下町として全国的に有名になりました。片倉小十郎は、伊達家の「知略」の代表!政宗のブレーンでもあります。  鎌先温泉は、そんな白石市の郊外、南蔵王 不忘山の麓の谷に湧く温泉です。日本秘湯を守る会 会員の宿 「最上屋旅館」はこちらをどうぞ。 

Cimg1328最上屋旅館。 江戸期の旅籠旅館風な造りが印象的である。館内は、階段や手すり、柱などに、磨き抜かれた木をふんだんにを使っており、長い時の流れを感じさせてくれます。なにしろ、江戸時代の湯治宿としてはじまり、今でも自炊部の骨組みは江戸時代のままというから驚きである。  

Cimg1321玄関を入ったところ。 左手奥に、受付、売店、喫茶室があります。  旅館での食事は、夕食、朝食ともにお膳で部屋食!朝食まで部屋食なんて今どきめずらしいです。純和風なおもてなしという感じかな。(笑) 温泉は、源泉がぬるめのため、加熱しているようですが源泉掛け流しです。硫黄臭はなく、鉄分を含んでるために茶褐色に濁っています。多少ぬるめですが、長時間入っていることができ、体が温まります。鉄分を含んでるためでしょうか、湯上り後もいつまでも暖かくぽかぽかした感じでした。さすが!!古くから「奥羽の薬湯」とよばれただけのことはありますね。(笑)

Cimg1350鎌先温泉最古の宿 (創業550年)「湯主 一條旅館」。谷の一番奥にあります。これは大正時代に建てられたものだとか。今は自炊部になっているのかな? でもご安心下さい。この奥には、超近代的な新館がど~んと立派に建っています。(笑)

Cimg1349最上屋旅館を望む。 正面の障子戸が開いてるところが泊まった部屋です。(笑) #この日は寒かった。夜にはみぞれが降ってきました。    鎌先温泉には、狭い谷の土地に「湯主 一條旅館」を筆頭に江戸期に創業した「最上屋」、「鈴木屋」、「木村屋」の木造二層三層の旅館が軒を連ねて建ち並んでいる。 

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2011年11月17日 (木)

聖地巡礼(笑) ⅩⅡ「石と賢治のミュージアム」

旧東北砕石工場と同じ敷地内にあります。(岩手県一関市東山町)  石っこ賢さんをキーワードに科学者 宮沢賢治が見ていた自然の不思議を分かりやすく見学できます。   『「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造にまい進した技師時代の賢治と工場主 鈴木東蔵の心と生き方に触れ、これを次世代の子どもたちへと永く語り継いでいきたい。そんな思いから生まれたミュージアムです。」 「石と賢治のミュージアム」パンフレットより。#「石と賢治のミュージアム」(一関市のホームページ)はこちらをどうぞ。

Cimg1301「石と賢治のミュージアム」。  このミュージアムは「太陽と風の家」とも呼ばれています。 ここには、羽が太陽光パネルでできている小さな風力発電用の風車があるのです。もちるん太陽光発電もできます。すごいですね!  宗教学者であり評論家でもある山折哲雄さん(母親の実家が岩手の花巻市で、なんと賢治の実家の近くだそうです)は、こう言ってます。 「賢治という人間は風と共に誕生し、光のような風の波に乗ってこの世を去っていった。賢治の詩も童話も、その本来のあり方においては風が吹いて話がはじまり、風か吹いて終息に向かう・・・・」と。 なるほど、言いえて妙です。 #風の又三郎は賢治自身だったのかもしれませんね。(笑)

Cimg1313「鉱物展示室」。#いや~、すごく癒されました。(笑)  賢治の詩や童話には、水晶、雲母、蛋白石、紅宝玉、瑠璃、石英、安山岩、蛇紋岩等々、多くの鉱物や岩石の名前が登場します。。。。。賢治の詩集「春と修羅(第一集)」が出版された時、「宮沢賢治は地質学、鉱物学、気象学、植物学で詩を書いた!」と驚かれたのでした。 

Cimg1305有名な「雨ニママケズ手帳」、もちろんレプリカであります。(笑) 本物は花巻の宮沢賢治記念館の収蔵庫に厳重に保管されています。なんと、宮沢賢治記念館に展示されているのもレプリカなのです。 賢治は、病気でボロボロの体なのに、大量の石灰肥料のサンプルを抱えて、無理をして東京まで営業に出かけ、そのまま倒れてしまったのです。なんという気力、精神力でしょうか。その後、花巻に戻り病床生活を送ったのでした。 もっと工場のため、農民のために働きたかったのでしょう。もっと丈夫な体だったら!と何度も思ったことでしょう。 そんなとき、ふとでてきてのがこの詩だったのかもしれませんね。賢治のつぶやきと言ってもいいです。

Cimg1319大船渡線 陸中松川駅から東北砕石工場までは一本の道があります。技師時代の賢治が歩いた道として「デクノボーの道」、「雨ニモマケズの道」と呼ばれています。  賢治のようなアバンギャルドでハイセンスな理想主義者、宇宙的ロマティストには、多くの挫折が待っています。理想には挫折が付きものです。  しかし、賢治には、辛い絶望的な現実にさらされていない詩と童話の世界があったのです。賢治の書いた詩と童話は、次世代へのメッセージとも言えるでしょう。


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2011年11月15日 (火)

聖地巡礼(笑) ⅩⅠ「旧東北砕石工場」

岩手県南部 一関市東山町にあります。産業近代化遺産(国登録有形文化財)として登録されています。現在は整備され「石と賢治のミュージアム」の一部になっていて見学することができます。 「東北砕石工場」とは、石灰岩を粉砕して石灰肥料作るための工場です。石灰肥料は、農地を改良し、耕作面積を広げ、収穫を増やし、冷害に襲われる東北の農民を救うために必要なものでした。晩年の宮沢賢治が技師として勤務し 東奔西走、活躍した工場としても知られています。

Cimg1296「旧東北砕石工場」。    昭和4年頃、工場主の鈴木東蔵は、土地改良のための肥料の研究をしているという賢治を知り、花巻まで訪ねて来たのでした。東蔵は、賢治にこう訴えましました。「東北砕石工場は、賢治さんが考えている土壌の改良には必要なもので、農民に安くて大切な肥料を大量に供給することができます。しかし、工場への注文は少なく、経営は苦しいのです。賢治さん、是非 技師として手伝って下さい」と。 賢治は、どうしても工場を救ってやりたくなったのです。二人は意気投合した!!

Cimg1318東北砕石工場からは、大船渡線陸中松川駅まで、製品を運び出すトロッコ軌道があった。それと並行して大船渡線の線路が走っている。  このあたりは北上山地の南部にあたり石灰岩の大地が広がっています。猊鼻渓(げいびけい)や幽玄洞という鍾乳洞も近くにあります。石灰岩の大地に建つ工場!工場の立地としては最高ですね。#こんなことは当たり前か?(爆) 
 
Cimg1298宮沢賢治と東北砕石工場の人々。  賢治が工場を訪れたとき、工場主の鈴木東蔵や工場の人々と記念写真を撮りました。工場わきの「群像のひろば」には、そのときの写真をもとにした群像(ろう人形)がつくられています。後列右から4人目が賢治で5人目が鈴木東蔵です。

Cimg1294「旧東北砕石工場」。   井沢元彦氏の歴史ミステリー「義経はここにいる」は、けっこうお勧めです。舞台は、今話題の平泉 中尊寺金色堂など岩手がほとんど、藤原氏のミイラの謎、義経の残した秘宝などに義経北行説を絡めて殺人事件の謎を解いていく展開。盛りだくさんの内容でなかなか読みごたえがあります。 さらに、なんと、この本には、東北砕石工場時代の宮沢賢治も登場するのです。これにはびっくりです。(笑) しかも、冒頭から登場します。 「プロローグ   荒野の詩人   星降る荒野に一人いる。 トランクを片手に、オーバーコートにソフト帽、ネクタイをしめた彼の表情は明るい。 天の銀河と、地の連山、その山々に白く細い道が続く。 広い天地に唯一人、彼は北を目指した。(義経もこの道を行った・・・・) 山の彼方に目的がある。 黄金、義経の秘宝。 探すのは私利私欲のためではない。凶作に泣き、娘を売らねば生きてはゆけない農民を救うためだ。 (中略)  病魔が彼をむしばんでいる。 仰向けに倒れた彼の手から、茶色のトランクが落ち、留め金がはずれた。 中からこぼれでたのは石灰肥料のサンプル、そして名刺の束・・・・・。 そこには次のように書かれてあった。 東北砕石工場 技師 宮澤賢治  昭和6年(1931年) 冬のことである。」 井沢元彦著 「義経はここにいる」 より。 #「義経はここにいる」はこちらをどうぞ。

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2011年11月13日 (日)

「風の又三郎」

『どっどど どどうど どどうど どどう  青いくるみも吹きとばせ  すっぱいかりんも吹きとばせ  どっどど どどうど どどうど どどう』 の書き出しで始まる宮沢賢治の有名な童話であります。 賢治の死後発表された作品で、「銀河鉄道の夜」と同様未完成だったようです。「永久の未完成これ完成である」ですね。(笑)    9月の初め、風が強くなる季節に転校してきた少年 高田三郎と山の分校の子どもたちとの交流を描いています。 分校の子どもたちは、三郎のエキセントリックな言動や行動に戸惑いながらも、刺激的な遊びや事件を通して友情を深めて行くのであります。しかし、三郎は、わずか12日間居ただけで、分校の子どもたちに強烈な印象を残し、風のように去ってい行くのであります。。。。。    物語の中の会話は、ほとんど方言だけで行われていますし、突然文章が飛んでるところはあるしで、少々難解な童話です。   「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」、「なして泣いでら、うなかもたのが。」、「そだら早ぐ行ぐべすさ。おらまんつ水飲んでぐ。」、「又三郎うそこがなぃもな。」等々、東北の人が読んでもよく分からない部分が多いです。声にだして読んでみて、「なんだ、こう言ってるのかー!」とやっと理解できる部分も多いですね。(笑) #「風の又三郎」はこちらをどうぞ!
 
Cimg1284種山ヶ原にある「風の又三郎」の像。後方に見えるのが物見山(871メートル)です。雨量観測所の白い建物が見えますね。   この魅力的な物語は、どこで繰り広げられたのでしょうか?物語には、種山ヶ原の「た」の字も出てきませんし、種山ヶ原あたりの地名も登場しません。しかし、種山ヶ原を暗示させるキーワードが多く出てきます。「上の野原」、「馬の牧場、放牧場」、「高原から流れ出る多くの渓川」、「物見山の山頂付近に展開する残丘のような大きな黒い岩」などです。これらのことから「風の又三郎」は、種山ヶ原を舞台にした物語だと言えますね。 もう一つ決定的なものがあります。それは、「モリブデン」、「モリブデン鉱山」という言葉が登場することです。地質学者でもあった賢治は、鉱物や岩石に関する豊富な知識がありました。 高田三郎の父は、鉱山技師でモリブデンの鉱石がでるという「上の野原」の鉱山を開発するためにやってきたのです。こんな記述があります。先生と生徒の会話です。 『「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」「どこらあだりだべな。」 「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」「モリブデン何にするべな。」「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」』 ご存知のように、モリブデンと言えば「モリブデン鋼」、高級包丁などに使われる最高級のステンレスですね。「薬」というのは、肥料のことのようです。しかも、稲作にはかかせない肥料になるとか。さすが、科学者 賢治!すごい知識ですね。(笑) 実際、賢治は、盛岡高等農林学校時代の大正6年に、学友たちと一緒に種山ヶ原一帯の地質調査を行っているそうです。そして、なんと、モリブデンを含む鉱脈を発見したのです!!以後、賢治は何度も種山ヶ原を訪れています。 #う~む、やっぱり、「風の又三郎」の舞台は種山ヶ原ですね!(笑)

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2011年11月10日 (木)

聖地巡礼(笑) Ⅹ 「種山ヶ原」

『種山ヶ原といふのは北上山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩や、硬い橄欖岩(かんらんがん)からできてゐます。高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五六軒づつの部落があります。。。。。』 宮沢賢治 「 種山ヶ原」より    岩手県住田町、遠野市、奥州市にまたがる広大な高原、種山ヶ原の最高点、物見山(871メートル)に登ってきました。登ったと言っても、遊歩道を往復2時間くらい歩き回っただけですが。。。。(笑)   賢治の童話 「種山ヶ原」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」の舞台としても知られ、賢治がこよなく愛した景観は、国の名勝「イーハトーブの風景地」に指定されている。 #スタジオ ジブリのアニメ「種山ヶ原の夜」はこちらをどうぞ。

Cimg1266山頂には雨量観測所の建物がありました。 ここは、広大な種山ヶ原の中心であります。広大な準平原 種山ヶ原のすべてを見渡せます。遠くには、早池峰山、五葉山などが、何とか確認できました。#ちょっと雲が多かったなー。。。残念!

Cimg1271_2山頂付近の残丘(モナドノックス)。このあたりでは、いたるところに「残丘(モナドノックス)」が見られます。  遠く後方に見えるのが「種山高原 星座の森」で、ログハウスのコテージやオートキャンプ場などの施設があります。  種山ヶ原は、内陸と三陸海岸との境界にある高原のため年中風が吹いている場所だという。この日も山頂付近は風が強かった。なるほど!まさに「風の又三郎」の舞台にぴったりですね。(笑)

Cimg1274山頂付近にて。これも残丘(モナドノックス)か?  なんとこの種山ヶ原周辺にも、あの坂上田村麻呂伝説があるのです。いやー、東北にはいたるところに田村麻呂伝説が残っていますね。(笑)    エミシ軍を率いる人首丸(ひとかべまる)と田村麻呂率いる朝廷軍の最後にして最大の戦いがあった場所だったとか。当然のことながらエミシ軍は惨敗し、人首丸は処刑されました。墓は、奥州市側になりますが、人首町(ひとかべまち)というところにあるそうです。 賢治も 「人首町(ひとかべまち)」という詩を残しています。

雪や雑木にあさひがふり   丘のはざまのいっぽん町は 
あさましいまで光ってゐる   そのうしろにはのっそり白い五輪峠
五輪峠のいたゞきで   鉛の雲が湧きまた翔け
南につゞく種山ヶ原のなだらは   渦巻くひかりの霧でいっぱい  
つめたい風の合間から   ひばりの声も聞えてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって  その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

Cimg1269物見山(山頂)を望む。 種山ヶ原は、森林も少なく昔から天然の放牧場として利用されてきました。伊達藩(このあたりは南部藩と伊達藩の堺)の馬牧場とて利用されたのが最初でした。戦時中は大量の軍馬の放牧場として貴重な存在だったそうです。    『春になると、北上の河谷(かこく)のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此この部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまふのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。放牧される四月(よつき)の間も、半分ぐらゐまでは原は霧や雲に鎖とざされます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気しっきのお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行ゆく旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るやうになります。その旅人と云いっても、馬を扱ふ人の外(ほか)は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅(わずか)なものでした。』 宮沢賢治 「種山ヶ原」より

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2011年11月 2日 (水)

「フェルメールからのラブレター展」 宮城県美術館

もう二度と日本では見られないだろうと思い、早めに行ってきました。けっこう混雑していました。美術館前の広い駐車場は満車状態で、少し離れたところにある第二駐車場に行ってくれとの指示でした。岩手、山形、福島など他県ナンバーの車も多くありましたね。土日祝祭日には、周辺道路は大渋滞になるかもです。やれやれ。(笑) 「フェルメールからのラブレター展」公式サイトはこちらです。

Cimg1237今年で開館30年を迎える宮城県美術館。仙台市青葉区川内にあります。  「フェルメール展」初日には、なんと50人が列をつくりました。連日多くのファンでにぎわっています。 なんと、公開は、京都、仙台、東京のみなのです。ふつうなら、京都、名古屋、東京とかなりまいよね。ありえないことです。(笑) 東日本大震災の影響からですかね? まあ、とにかく仙台で見られて良かったです。

Cimg1242「手紙を読む青衣の女」 修復後の公開はこれが初めてだ。当時は超高価な鉱物だったラピラズリから作られた顔料(
ウルトラマリン)で描かれているという。感動ものだった。やはり本物は素晴らしい。誰もが目を奪われるブルー、1度見たら忘れられないブルー!「フェルメールブルー」がよみがえった!  「フェルメールブルー」の元になったラピラズリの鉱石とそれからとれた顔料(ウルトラマリン)も展示されていました。この「青」は多くのフェルメールの作品でみ見られるという。当時は超高価だったラピラズリをふんだんに使ったということは、フェルメールはかなり金持ちだったのかもしれませんね?(笑)    話は変わりますが、ラピスラズリ(和名 瑠璃{るり})というと、宮沢賢治の詩にも登場します。「銀河鉄道の夜」につながっていく幻想的な詩です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
さめざめとひかりゆすれる樹の列を
ただしくうつすことをあやしみ
やがてはそれがおのづから研かれた
天のる璃の地面と知つてこゝろわななき
紐になつてながれるそらの楽音
また瓔珞やあやしいうすものをつけ
移らずしかもしづかにゆききする
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「青森挽歌」 春と修羅-心象スケッチ-第一集より

賢治は妹トシの魂を求めて真っ暗な銀河の中を走っている。
そんな愛する妹と、賢治はいまだって交信することができる。
トシがどんな世界へと旅立っていったのか、それがトシ女自身から知ることができる。
トシは天の瑠璃の地面に立っている。

フェルメールの作品は、完成度が高い傑作とされる「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手を書く女と召使」の3点が出品されている。もちろん、東北では初めての公開である。 フェルメールは、多くの謎に包まれた画家だという。誰に学んで修業したのかも分からず、修業時代のデッサンも作品もなく、作品も文献も極端に少ないのです。それゆえ贋作事件や盗難事件が後を絶たなかったとか。突然、完成された作品30点を残して消えていったのです。なんか、日本の謎の絵師 写楽みたいですね。(笑)


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2011年10月27日 (木)

東日本大震災~斜面補強工事

やっと、家の裏側一帯の補強工事が始まった。かなり大規模な工事だ。隣の解体して空地になったところにプレハブ小屋を建て、10数メートルはあるH型の鉄骨や同じく10数メートルはある大きな筒を20数本並べ、さらに、大型の重機まで運び込んできたのである。 これで、やっと安心できる。最大余震がきても、我家は崩壊しないだろう。やれやれ。(笑)     斜面の工事は始まったが、肝心の我家の修理工事は、なんと4ヶ月も待たされているのです。お詫びの連絡が2回もきました。   「東日本大震災で、建設業界は多大な影響を受けております。公共建築物の復旧、補強が優先され、民間の工事に対する建設物資の調達には時間がかかり、依然大工、職人不足が目立っており、依然工事進行に支障をきたしている状況です。。。等々」 だそうです。   家に謝りに来た営業マンは、なんか上機嫌で笑いが止まらない という顔をしてましたね。(笑)  「ずいぶん待たせるね。そちらは儲かって、儲かってしょうがないんじゃないの?顔が笑ってるよ!」  「なにぶんにも、このような状況なもので、○○さんには大変ご不便をかけてます。。。こんなこと言っては不謹慎ですが、おっしゃるとおり、会社はかなりの利益がでているようです」 だと! 「冬のボーナスはすごい金額になるんでないの?1人平均500万くらいとか。。。?」 「いや~そこまでは。。。」 別に強く否定もしなかったですね!やれやれ。 #5ヶ月も待たされるのだから、大幅な値引きを迫ろうと考えている今日この頃です。(爆)  

Cimg1232重機を使い、斜面に沿って10数本の穴をあけ、長~い鉄骨と筒をねじ込んで、埋め込んでいくのである。10メートル以上の長さのものが次々と埋まっていく。すごい工事だ。

Cimg1236この長い筒の中にはコンクリートを流し込むようだ。そして、斜面全体をコンクリートで固め、上もテラス状にコンクリートで固めるらしい。やれやれ、なんと完璧な工事んだろう。(笑)   

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2011年10月22日 (土)

藤村広場 Ⅱ(仙台市宮城野区)

藤村、若干24才は、明治28年ころ東京の明治学院で英語の教師をしていた。教え子との恋に破れ、親友である北村透谷の自殺などにより、東京に住むのががいやになったのでした。東北学院の招きもあり、英語の教師として来仙し東北学院で教鞭をとったのでした。

Cimg1220藤村の下宿先 三浦屋があった場所。 今はなぜか神社になっていました。 この下宿で「若菜集」の詩が書かれたのです。 「。。。。仙台の名影町(名掛丁)というところに三浦屋という古い旅人宿と下宿を兼ねた宿がありました。その裏二階の静かなところが一年間私の隠れ家でした。『若菜集』にある詩の大部分はあの二階で書いたものです。宿屋の隣りに石屋がありまして、私がその石屋と競争で朝も早く起きて机に向ったことを憶えています。あの裏二階へは、遠く荒浜の方から海の鳴る音がよく聞えて来ました。『若菜集』にある数々の旅情の詩は、あの海の音を聞きながら書いたものです。」 島崎藤村著 「市井にありて」 より    当時、この下宿の東側一帯には、ほとんど建物とかがなかったのでしょう。もちろん騒音もなかった。若林区荒浜あたりの潮騒が聞こえていたのでしょうね。今では想像がつかないですね。(笑)

Cimg1215JR仙台駅東口の駅前広場から藤村広場方面に進む歩行者専用の小路が「初恋通り」と名付けられいる。   「。。。。仙台の東北学院の教師として出かけることになって、旅も出来れば母への仕送りもいくらか出来るという始末であったのです。あの時は寂しい思いで東北の空へ向いました。着物なぞも母の丹精で見苦しくない程度に洗い張したもので間に合せ、教師としての袴は古着屋から買って来たもので間に合せました。荷物といっても柳行李一つで、それも自分があつめた本を大事にいれて行くぐらいなものでした。上野から汽車で出かけて、雨の深い白河あたりを車窓から見て行ったときの自分の気持は、未だに胸に浮んで来ます。そんなに寂しい旅でしたけれども、あの仙台へついてからというものは、自分の一生の夜明けがそこではじまって来たような心持を味いました。実際、仙台での一年は、楽しい時であったと思います。。。。」 島崎藤村著 「市井にありて」 より    仙台へは、ブルーで、へこんで、滅入って、都落ちという感じでやって来たのでしょう。(笑) でも、仙台での生活は、希望に満ちて、充実して、楽しい日々だったようです。

Tousonsendai27w明治期の東北学院(大学) 。 東北学院大学は、プロテスタント系のミッションスクールで、東北地方では最大規模、最も有名な私立大学である。東北各地や北関東からも学生を集めている。明治初期に私塾「仙台神学校」として開校し、数年後に東北学院と改称した。 島崎藤村が赴任してきたのは、この写真の頃でしょう。 #大学の出身者で有名人は、プロ野球の岸投手(西武)、鈴木京香、さとう宗さん、大友康平などか。。。  


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2011年10月21日 (金)

藤村広場 Ⅰ(仙台市宮城野区)

魯迅と同じように、島崎藤村が仙台で生活したのはわずか1年あまりでしたが、その間に作った詩は「若菜集」としてまとめられて出版され大反響をよびました。日本近代詩の記念碑的作品ともいわれています。これを記念して、島崎藤村が下宿していたところに「藤村広場」が作られました。  #Ⅱに続く・・・・・

Cimg1221藤村広場にある「日本近代詩発祥の地」の碑。  ここは、JR仙台駅の東口の北側にあたります。20年くらい前までは、通称駅裏と呼ばれていて古い木造の民家や商店が乱雑に密集し、かなりごちゃごちゃ場所でした。 しかし、今ではきれいに再開発されマンションやショップ、飲食店が立ち並んでいます。 

Cimg1228藤村広場には巨大な蝶々の絵が描かれていました。「若菜集」の表紙を飾った蝶々ですね。 まるでナスカの地上絵です。なんでこんな絵をわざわざ描いたのだろう? 広場いる人は、何が描かれているのか なんてのは全く分からないのです。上空から見て初めて分かるのです。 これは絶対に見なくては!と思い、近くのマンションの立ち入り禁止の非常階段を勝手に乗り越えて、五階まで登って撮ってきました。やれやれ。(爆) #復刻本「若菜集」 島崎藤村はこちら。だれがデザインしたのでしょうか?白い蝶々が象徴的ですね。

Cimg1214島崎藤村 青春の地・名掛丁。 この碑は歌碑にもなっています。向かって左右の面には超有名な詩「初恋」の一節が刻まれていました。--------------------------------------------
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり 「若菜集、初恋」より

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2011年10月20日 (木)

秘湯ビール

秋田県仙北市の乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」で買ってきました。「日本秘湯を守る会」の限定醸造のビールで、会員の秘湯だけで販売されているという 超レアなビールなのです。(笑)    日本で唯一、ブナの原生林で採取された天然酵母とブナ林の地下天然水で作られた本格的なビールなのです。もちろん原材料は、麦芽とホップのみ!! 製造元は、秋田県仙北市にある 秋田県麦酒醸造研究会 わらび座 というところ。 味は?というと、ソフトでまろやかで旨かったです。見た感じ、かなり濃厚な味かなーと思ったのですが・・・・(笑)    

Cimg1211これは珍しい!と思って、7本も買ってきました。330mlで、なんと630円。ちょっと高かったですねー。。。。(笑)


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2011年10月17日 (月)

鶴の湯温泉 (秋田県 仙北市)

#いやー、温泉のハシゴはトレッキングより疲れますねー!(笑)   この温泉は、乳頭温泉郷の中でも最も古く、最も有名な温泉でしょう。秋田藩の湯治場として栄え、1600年代の湯宿としての記録も残っているとか。「日本秘湯を守る会 会員」の温泉でもあります。 乳頭温泉郷にはハングルで書かれた案内板が目立ちますね。韓国からのツアー客が多数押しかけて温泉めぐりをしているのです。さて、なぜでしょうか?(笑)

Cimg1191「本陣 鶴の湯」の看板が目に入ります。 まさに秋田藩・本陣の面影を色濃く残す重厚な門構えですね。ここには茅葺屋根の建物が多くありました。自炊部はもちろん、温泉事務所なども茅葺屋根でした。なんか、黒湯温泉よりも多い感じです。他に、遠野にあったような水車小屋なんかもありました。発電とかしていたのかな?(笑)

Cimg1206日帰り専用の露天風呂。撮影禁止だったので盗撮です。(爆)  日帰り専用の風呂は2ヶ所ありました。内風呂はかなり小さく、体を洗う場所もありませんでした。もちろん、石鹸もシャンプーもありませんでした。でも、露天風呂は、風情があって、広くて最高でした。端のほうにある岩からは、こんこんと温泉が湧き出ていました。白色に濁った湯が熱かった。

Cimg1204#チェ・スンヒ(キム・テヒ)じゃないですよ!(爆)    小さな橋を渡ったところに日帰り専用の温泉が2つありました。内風呂が広い温泉と、露天風呂が広い温泉に分かれているようです。露天風呂が広い方に入ってきましたが、こちらの方の内風呂はかなり狭かったです。二人入ったら、いっぱい、いっぱいですね。(笑)  石鹸、シャンプーなし、体を洗う場所もなしで500円でした。まさに、露天風呂につかって風情を楽しむ温泉ですね。もちろん、宿泊する人は別ですよ!(笑)

Cimg1202韓国の人気テレビドラマ「アイリス」の重要なシーンが、この温泉で撮影されました。  「アイリス」は、全20話で製作費がなんと15億円、ロケ地がハンガリー、秋田県、上海などにおよび、日本やアメリカなどでも放送された超大作テレビドラマです。特に秋田でのシーンは、2話から6話くらいまで頻繁に登場し、6話だったかな?物語のほとんどすべてのシーンが秋田で展開する回もありました。いやー、観たときはびっくりましたね。(笑) 特に、田沢湖や、ここ鶴の湯温泉でのシーンは何回も登場します。他に、田沢湖スキー場でのスノーボート、スキー シーン、秋田市、男鹿半島、横手市、あと、なんと、秋田内陸鉄道(阿仁駅あたり)、森吉山、玉川ダムでのアクションシーンなどもあるのです!  #こちらをどうぞ。

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2011年10月16日 (日)

黒湯温泉 (秋田県仙北市)

下山後、時間がかなり余ったので、乳頭温泉郷 最奥の黒湯温泉と鶴の湯温泉に寄って温泉のハシゴをしてきました。(笑) 乳頭温泉郷のこの二つの温泉は、ひなびた山の湯治場の風情を色濃く残していて良かったです。まるで江戸時代の湯治場にタイムスリップしたような感じでした。
 
Cimg1171黒湯温泉全景。茅葺の建物が多い。源泉の中に旅館がある感じだ。高低のある複雑な地形を利用して、建物が思い思いの方向に雑然と建っている。かなり広い。乳頭温泉郷の中では最大の規模のようだ。まさに秘湯中の秘湯!

Cimg1180まさに日本の原風景って感じですね。(笑) この建物は旅館部から少し離れたところにありました。中をのぞいてみると、けっこう立派でしたね。(笑) 従業員用と思ったら、宿泊施設(別荘)でした。なんと一泊30000円なり。(笑) 上の「黒湯温泉全景」の写真は、この建物の前から撮りました。

Cimg1128写真の左側にあるのが、日帰り専用の温泉です。(男女別) もちろん露天風呂も付いています。源泉の温度が75度くらいあって、かなり熱いので水を加えて温度調節をしています。それでもかなり熱かった!(笑) 上のほうには、日帰り専用の混浴の温泉もあります。 石鹸あり、シャンプーなし、体を洗う場所 1ヶ所のみで500円でした。


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2011年10月15日 (土)

乳頭山 Ⅱ(秋田県 仙北市)

仙台を朝の5時に出発、盛岡市~旧田沢湖町を通り黒湯の登山口に着いたのが8時30分ころでした。 黒湯の登山口(8:45分発)→一本松温泉→乳頭山山頂(10:45分)→黒湯の登山口(12:45着) 約4時間のトレッキングでした。 予定では、山頂から1時間ほど下ったところに展開する、仙境の大湿原 千沼ヶ原(せんしょうがはら)まで行く予定でしたが、あまりの寒さで行くのを止めました。やれやれ。来年の楽しみということで!(笑)  

Cimg1138山頂を望む。 南側は激しく切れ落ちていた。断崖絶壁。後方奥に見えるのは岩手山。 岩手側から見ると「烏帽子」に似ていることから、岩手では古くから烏帽子岳と呼ばれていたのです。写真でしか見たことがありませんが、「烏帽子」そっくりでした。(笑)

Cimg1140乳頭山(1478メートル)山頂。「烏帽子岳」とも書いてありました。後方には名もない湿原が見えます。このあたりは、田代岱、千沼ヶ原の他に、名もない大小様々な池塘や湿原が点在しています。まさに湿原の宝庫です。 

Cimg1144山頂から南西方向を俯瞰する。下は垂直に切れ落ちている断崖絶壁だ。高度感がすごい!まるで空から眺めているようだ。 秋田駒ヶ岳や千沼ヶ原方面に縦走路が続いている。

Cimg1146山頂から北西方面を望む。 岩手の八幡平、松川温泉方面に縦走路が続いている。 山頂からの展望は、ガスが激しく流れていて、岩手山は何とか見えましたが、八幡平方面や森吉山などは全く見えませんでした。残念!(笑)


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2011年10月13日 (木)

乳頭山 Ⅰ (秋田県 仙北市)

田沢湖の奥に位置する乳頭温泉郷の黒湯から錦秋の乳頭山(1478メートル)に登ってきました。秋田駒ヶ岳の北西に位置する山で、縦走路も整備されていて秋田駒ヶ岳からの縦走もできます。   山頂は風が強く、ガスが急速に流れてきていてかなり寒かったです。スノーボード用のウェアを着こみ、毛糸の帽子をすっぽりかぶって、おにぎりを食べました。トレッキング用のグローブでは、防寒にならず、手がかじかんできましたね。やれやれ!(笑)  #Ⅱに続く・・・・・

Cimg1177乳頭温泉郷の秘湯 黒湯が登山口になっています。湯治場としての雰囲気を色濃く残している温泉でした。 ここから温泉を迂回して登山道は続いている。

Cimg1164紅葉の先達川。 この沢に沿って登山道は続いている。少し進むと、硫黄臭がプンプンと漂よい 灰白色の荒々しい岩肌を見せている場所に出でます。こから大量の温泉が湧き出しているのです。大釜温泉である。温泉といっても何にもないところです。ただ温泉が湧き出している場所なのです。(笑) この先には、一本松温泉という場所もあります。ここには沢沿いに小さな露天風呂が作ってありました。ただし、露天風呂といっても、スコップで掘って作ったような風呂です。脱衣所も何もありません。湯加減は沢の水が適度に入り、ちょうど良かったですね。(笑)

Cimg1158ブナ林の紅葉。 しばらくはブナの樹林帯の中を進む。ブナの紅葉が素晴らしい。 日は差しているが、ピーンと張りつめた冷たい朝の空気が、深まりゆく山の秋を感じさせてくれる。。。。

Cimg1133稜線から山頂方面を望む。 ここからだと山頂の「乳頭」は見えませんでした。 このあたりで標高は、1200メートルくらいである。登山道は、ブナ林からダケカンバ帯、そしてこのあたりからハイマツ、ヒメ笹を主とする灌木帯に変わる。

Cimg1149山頂直下より望む。この辺からだと、まさに「乳頭」ですね。(笑) ここまで来ると山頂も間もなくである。 風が強くなってきた。ガスもかかってきた。次第に寒くなってくる。 やれやれ、山頂からの眺望はイマイチかなー。。。。(笑) 

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2011年10月10日 (月)

「なめとこ山の熊」

宮沢賢治の数ある童話のなかで「なめとこ山の熊」は、「銀河鉄道の夜」、「注文の多い料理店」」、「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」などとともにかなり読まれている作品である。また、賢治が、山人「マタギ」を主人公にした作品としても有名である。賢治は、スポーツとしてハンティングを行う猟師たちを嫌悪していた。賢治がここで描いたのは、「注文の多い料理店」に登場するような都会からやってきて、快楽を得るためにレジャーやスポーツ感覚でハンティングを行う猟師ではないのです。 「なめとこ山の熊」の主人公 マタギの淵沢小十郎は、自分や家族が生きるためにハンティングを行う猟師なのです。しかしながら小十郎は、猟師という自分の仕事を悪い行い、罪深い行いと常に思っていたのである。小十郎は熊を殺した後、念仏のようにこうつぶやくのである。 「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」 と。因果応報、「善行が幸福をもたらし、悪行が不幸をもたらす」という考え方、思想である。小十郎は「罪深い行為をしている自分は良い死に方はしないだろう」と常々思っていたのであろう。。。。なんと、物語の最後に小十郎は熊に殺されてしまうのである。#「なめとこ山の熊」はこちらをどうぞ。

Cimg1117北秋田市阿仁のマタギ資料館。    この「なめとこ山の熊」を読むと感じることですが、明らかに賢治は、マタギと接触していたと思われます。賢治は、地質調査や鉱物・岩石・化石採集のため北上山地や奥羽山系、三陸海岸などを野宿しながら歩きまわりましたが、そのとき、花巻市西部の旧沢内村あたりでマタギと接触し、その生活やハンティングの様子を見ていたのでしょう。 なんと、賢治は、マタギが獲った熊を解体するシーンも見ていたのである!(笑)  「。。。それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎あごのとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆いをせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。」  「なめとこ山の熊」より

Cimg1114北秋田市阿仁のマタギ資料館。   岩手県花巻市の西部、秋田県と接する旧沢内村(現西和賀町)には、マタギの集落が点在していたのです。旧沢内村にある。碧祥寺(へきしょうじ)博物館には、マタギ関連の資料が多く展示されています。   哲学者であり、歴史家でもある梅原猛氏は、「この童話のラストシーンは、実に透明で清潔で神聖な文章で書かれている。。。。このシーンは、熊が自ら殺した小十郎の霊を神に送る儀式、イヨマンテである」 と言っている。なるほど!熊による逆イヨマンテか!(笑) まさに言い得て妙である。 #これは、賢治の思想が凝縮している童話だと思う。  「。。。。雪は青白く明るく水は燐光りんこうをあげた。すばるや参しんの星(オリオン座の三ツ星)が緑や橙だいだいにちらちらして呼吸をするように見えた。 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環わになって集って各々黒い影を置き回々フイフイ教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸しがいが半分座ったようになって置かれていた。 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴さえ冴ざえして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。」 「なめとこ山の熊」より

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2011年10月 4日 (火)

「マタギの里」 (秋田県北秋田市阿仁町)

下山後、旧阿仁町の「マタギの湯」(打当<うっとう>温泉)に入ってきました。阿仁の観光拠点になっている施設です。もちろん宿泊もでき、館内には「マタギ資料館」、「マタギ座敷」(レストラン)、打当川を見下ろす清々しい露天風呂もありました。 この温泉は良かったです。 また、なんと、すぐ近くには「マタギ熊牧場」なんてのもあります。(笑)

Cimg1111「打当(うっとう)温泉 マタギの湯」。 阿仁打当というと、宮城県出身、熊谷達也氏の「邂逅の森」(かいこうのもり)を思い出す。阿仁打当に生まれのマタギ・松橋富治が主人公の物語である。この本は、直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した名作である。 みなさんも読んでみて下さい。(笑) 

Cimg1118「マタギ資料館」。  かつて東北には、厳しいしきたりを守って、熊や鹿を狩り、山とともに生き、「マタギ」と呼ばれた狩人の集団がいた。。。。北東北のこの地方には、沢を意味するアイヌ語の「ナイ」という地名が非常に多い、また、マタギが狩猟のとき使う「マタギ言葉」とアイヌ語の類似性がある、と指摘たしたのは言語学者でありアイヌ語の研究家でもある金田一京助である。 打当内(うつとうない)、比立内(ひたちない)、笑内(おかしない)、粕内(かすない)等々。。。。。縄文時代の遺民、マタギとアイヌは、仏教とは無縁の独特の宗教、哲学を持って生活していたようである。

Cimg1113資料館にある「マタギ銃」。  マタギが最も重視したハンティングが熊猟であった。当時、熊は高く売れたのである。皮はもちろん高値で売れたが、「熊の胆(い)」は、昭和初期まで万能薬として超高値で取引されたとのこと。熊の胆一匁(いちもんめ、約4グラム)が、なんと、米1俵と取引されたのです。肝だけではなく、肉はもちろんのこと、骨の黒焼きは強精剤、熊の油は手荒れ、あかぎれの薬として、小腸は安産のお守り、冬眠明けの熊の糞は子供の癇の薬として、重宝されたそうである。クジラと同じで捨てるところなくすべて利用されたのです。  ここには、マタギの宗教、信仰に関する展示品も多くありました。 マタギの神、山の神は女神であります。しかも、かなり崩れた顔のブスだそうです。(爆) なんと、この女神が最も好きなのが人間の男根とオコゼ(鬼のような顔をした魚)であるという。。。。まことに人間的な女神であります。(笑)  マタギが山に入りハンティングを行うときは、必ず、オコゼを山の神に捧げました。また、マタギの成人式では男根を勃起させ山の神と象徴的な性交をしたという。やれやれ(笑) #この辺のところは「邂逅の森」に詳しく書かれていますね。

Cimg1123「阿仁マタギ駅」、第三セクター秋田内陸縦貫鉄道の駅である。「マタギの里」は、ここから車で5分くらいのところにあります。この鉄道は、日本三大銅山の一つであった阿仁鉱山から出た銅鉱石を運搬するために引かれた鉄道であったのです。秋田は鉱山の多い県でもある。   比立内(ひたちない)の105号線にある「道の駅あに(またたび館)」には、なんと、熊鍋レシピつきの冷凍熊肉が売っていました。さすが阿仁ですね。買うか!とも思いましたが、500グラム5000円とちょっと高かったので止めました。(笑) 代わりに、マタギ秘伝の「熊の油」を買ってきました。これは、なんと、馬油の数倍の効目があり、手荒れ、あかぎれ、やけど、傷だけでなくアトピーにも効くという優れものです。 #アトピーに効くというのは本当かなー。。。(笑)

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2011年9月30日 (金)

森吉山 Ⅱ (秋田県北秋田市)

仙台を早朝の3時30分に出発、ひたすら東北自動車道を北上する。秋田県の鹿角八幡平(かずのはちまんたい)ICで降り、鹿角市~大館市~北秋田市(旧森吉町)の太平湖を通りコメツガ山荘のある様田の登山口へ。登山口に着いたのが、なんと、8時10分頃でした。やれやれ!(笑) 下山後は、旧阿仁町(あにまち)に下り、「マタギの里」によってきました。 コメツガ山荘登山口(8:20発)→一ノ腰山→森吉神社→避難小屋→森吉山山頂(10:50着)  山頂(11:20発 ピストンで) → コメツガ山荘登山口(13:20着) 休憩含む。約5時間のトレッキングでした。 

Cimg10757_2「冠岩」、見る方向によっては、こんな感じに見える。 この岩、登ることもできるし、内部は空洞になっているので「胎内くぐり」もできるのである。(笑) 正面に見えるのが避難小屋で奥に神社がある。なんと、この避難小屋は50人も収容できるという。こんなところに50人も収容できる大きな小屋を作ってどうするんだろう?神社のお祭りのときとかに使うのだろうか?(笑)  

Cimg10981森吉山山頂。 360度の大パノラマでした。岩木山、八甲田山、岩手山、秋田駒、鳥海山、男鹿半島能代方面などすべてが見渡せた。  紅葉には少し早く、平日なのに10人くらいの登山者がいました。思ったより多かったです。高齢者がほとんどで山ガール、山ボーイはいなかったですね。(笑)

Cimg1083山頂付近から振り返り見る。「森吉山避難小屋」が見える。山頂近くは、ヒメザサ帯の中に小さな湿原やアオモリトドマツの林が点在している。   百名山は、間違いなく魅力的で素晴らしい山ですが、「。。。僕は、こういうあまり人に騒がれることのない、つつましい山が好きである。」 ですね!(笑)

Cimg10891山頂から北側を望む。  岩木山が 白神山地の上にポッカリと浮かんでいた。西側には、男鹿半島、八郎潟、能代市街が靄の中に見渡せた。

Cimg10889山頂から南東方面を望む。  八幡平の上にひときわ高く岩手山が天を突いていた。その横には秋田駒ヶ岳が見え、さらに南方には鳥海山の輪郭が靄の中に見えた。 


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2011年9月28日 (水)

森吉山 Ⅰ (秋田県北秋田市)

森吉山(1456メートル)に登ってきました。周辺には1000メートル前後の山々が連なり、山麓には広大なブナ林が広がり、秘境ムードが漂う山域でした。 春から秋にかけては、300種類もの高山植物が咲き誇る「花の百名山」でもある。また、「マタギの聖地」としても知られ、南麓の旧阿仁町(あにまち)にはマタギの集落が点在している。   天候にも恵まれ最高のトレッキングができました。でも、仙台からは、かなり遠かった。登山口に着くまで、4時間40分もかかってしまいました。やれやれ。(笑) #Ⅱに続く・・・・

Cimg11094登山口のコメツガ山荘。 旧森吉町の「様田コース」から登ってきました。ここは、森吉スキー場(廃業)があった場所です。山荘の裏のほうが登山道になっていて、スキー場に沿った登山道、スキー場のゲレンデ跡を登ると、一ノ腰山(1265メートル)に続く尾根にでます。コメツガやブナの林の中を進む快適な登山道であった。

Cimg11063一ノ腰山(1265メートル)を振り返り見る。 ブナの原生林の中を登って行くと突然視界が開け一ノ腰山の山頂に着く。さえぎる物が何もない展望が広がる。ここから一気に下ってから、森吉山への緩やかな登りへと続いていく。 スケールはかなり小さいですが、ちようど、大朝日岳の古寺山への登りと下りに似ていましたね。(笑)

Cimg11012一ノ腰山付近から望む森吉山。 森吉山は非常に登りやすい山でした。登山道も完璧に整備されているし、タフな急斜面の登りもほとんどありません。初心者、高齢者でも安心して登ることができます。 #ちょっと歯ごたえが無かったですが。。。(笑)  なだらかで優雅なスロープと森の深さが魅力の山でした。

Cimg10713森吉神社の奇岩。 巨大な溶岩の塊である。見る方向によって、いろんな形に見えるのが面白い。「冠岩」と呼ばれていて、森吉神社のご神体になっている。岩の前にある歌碑は、江戸時代の旅行家、紀行家、民俗学者、宗教家、博物学者でもある菅江真澄の歌碑である。彼は愛知県の出身で、北東北や北海道をこよなく愛し、貴重な紀行文を多く残した人物である。

89森吉神社の避難小屋。 坂上田村麻呂が建立したとされる神社である。なんと、ここにも、福島の阿武隈高地 大滝根山に伝わるのと同じ伝説があったのです。森吉山に住んでいたエミシの豪族 大滝丸を坂上田村麻呂が滅ぼして建てた神社だという。。。。やれやれ、東北にはいたるところに田村麻呂伝説があるなー。(笑) 

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2011年9月16日 (金)

伊達62万石の宿 湯元不忘閣 Ⅱ (宮城県川崎町青根温泉)

一泊○万○千円と少々高かったですが、全てにおいて満足でした。充分高いだけのことはありましたね。 夕食、朝食は、多くの文人達が泊まった旧館の個室でいただきました。なんか、明治時代にタイムスリップしたような感覚になりますね。(笑)  料理も最高でした。とくに、仙台牛を使った松茸の牛鍋は絶品でした。うまかった!!もちろん、お風呂も最高。感動ものでした。湯元不忘閣のホームページはこちらてす。  

Cimg10063「政宗の湯」(大湯)。この引き戸から専用の草履に履き替え階段を少し下りて行くと温泉である。  この温泉では伊達家の家紋(三引両紋、竹に雀紋)がお椀や柱などに使われています。聞いてみたところ、なんと、伊達家の家紋の使用が許されているのは、この温泉と松島の瑞巌寺だけとのこと。勝手に使用することができないのですね。 登録商標かなんかになっているのでしょうか?やれやれ、すごいことです。(笑)

Cimg10172450年前の姿に復元された大湯。 伊達政宗も入った温泉である。建物は何度か再建されいるが、450年以上使われている重厚な石組みで作られた湯船は、まったく当時と同じままである。 大湯は、老朽化が激しくなり2006年で閉鎖されましたが、当主が「青根温泉発祥のルーツを絶やすわけにはいかない」と決意し、青森ヒバと土壁を使い、釘を一切使わない工法で復元したです。当然のことですが、脱衣所もシャワーもありません。脱いだ浴衣を置いておくカゴが並んでいるだけです。でも、ご安心下さい。脱衣所、シャワー、石鹸、シャンプー完備の普通の温泉もあります。(笑)  与謝野晶子も、この「大湯」に入ったのでしょう。ここ不忘閣で、こんな歌を詠んでいます。。。「石風呂の 石も泉も 青き夜に 人とあゆみぬ 初秋の月」

Cimg10001「蔵湯」に通じる石畳の通路。なんとも幻想的である。風情がある。 引き戸をあけ廊下を進むと右手に土蔵の蔵が並んでいた。草履に履き替え、石畳の通路を進むと風呂の入り口がありました。入り口の前には、「日本秘湯を守る会」の大きなちょうちんがぶら下がっておりました。

Cimg10054「蔵湯」。 なんと、蔵の中にヒノキの湯船が。。。江戸末期に建てられたという蔵を改装して作られた風呂である。天井が高い。ヒノキの香りが心地よい。殿様気分が味わえる風呂である。(笑)   この蔵湯は貸切になっていて、ロビーに置いてある「貸切」の札を廊下に掲げておけば、30分限定で誰に気兼ねすることもなく、のんびりと入ることができる。まさに、殿様気分が味わえる風呂である。

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2011年9月15日 (木)

伊達62万石の宿 湯元不忘閣 Ⅰ (宮城県川崎町青根温泉)

蔵王連峰の山懐にわく青根温泉。伊達家の御殿湯として栄え、伊達政宗公をはじめとして歴代の藩主が湯治に訪れたという由緒ある温泉に一泊してきました。「日本秘湯を守る会」会員の温泉でもあります。 明治に入り、多くの文人達に愛された温泉でもあります。芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子夫婦、川端康成、高浜虚子、山本周五郎など多くの文人たちが滞在しています。 

Cimg10313部屋から見える風景。左側にあるのが、築100年を越える旧館である。    芥川龍之介が晶子や菊池寛の勧めで最初に避暑に訪れた温泉がここでした。。。「8月1日、宮城県青根温泉に避暑。滞在先は不忘閣。28日頃まで滞在。この地で執筆するが体調を崩しペンは進まず、「中央公論」9月分を延期する。」 芥川龍之介年譜 より 芥川にとって、この地での避暑は最悪だったようです。 山間僻地ゆえの食物の悪さによる便秘になやまされ、さらに田舎者の湯治客の多さに辟易し、スランプに陥り、ほとんど筆が進まなかったとか。やれやれ。(笑) そのためか、ここでのことは、ほとんど触れられていません。ただ、「雑筆」という、思いついたことなどを書き綴ったものには少し触れられています。
隣室    「姉さん。これ何?」 「ゼンマイ。」 「ゼンマイ珈琲つてこれから拵へるんでせう。」 「お前さん莫迦ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米珈琲よ。」   姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹二人ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品のある五十恰好の人。この人も画の嗜みありげに見ゆ。
(八月二十二日青根温泉にて) 雑筆より         

Cimg10591敷地内の山の斜面のそびえ建つ青根御殿。木造3階の華麗な建物である。火事で消失したが、昭和初期に往時まままの姿で再建された。内部は、伊達家関連の文物や訪れた文人達の展示室になっている。もちろん鍵がかっているので勝手に入ることはできない。毎朝、宿泊客を対象にした見学ツアーがあるので、これに参加すれば詳しい説明も聞くことができる。    「碧るりの川の姿す いにしへの奥の太守の 青根の湯舟」、与謝野晶子がここで詠んだ句である。

Cimg10182旧館内部。レトロだなーー!どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。癒されるなー・・・(笑) この建物の1階には、展示室兼休憩室があり、コーヒーやお菓子、味噌おでんの無料サービスもあります。さらに、なんと嬉しいことに、地元の銘酒「蔵王」の一升瓶が冷やされており、無料で銘酒をいただくことができました。 現在、旧館の部屋は、個室の会食場(食堂)として利用されている。

Cimg10444湯元不忘閣の門前。 左側にあるのが、高浜虚子がここを訪れた際に詠んだ句碑である。。。「夕立の虹見下ろして欄に倚る」。    「佐藤仁右衛門」の看板が目を引きます。 ここの湯守は、代々「佐藤仁右衛門」を襲名している。現在は、なんと21代目である!!初代 佐藤仁右衛門は、伊達政宗から「代々この温泉の湯を守ってくれ」と言われたそうです。真偽のほどは不明ですが。。。。(笑)
   


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